商人ガドーの意外な品物 その1
この頃のデビッドの半日は洗濯で終わる。
部屋の数が両手の指で数えても足りないくらい大きな館であるので、もちろん洗濯に限らず従者の仕事は多い。
しかしリビングルームやイザドラの自室など主要な部屋の手入れはレクリスがしてくれるし、台所仕事はベルモッドがやってくれる。
さらに、デビッドには気味が悪いのだが、イザドラが使役しているコウモリたちが使われていない部屋の掃除をしてくれるので、勇者はたまりにたまった洗濯仕事に専念できるというわけだ。
今日も彼は午後までかけて、かびの臭いが染みついた空き部屋のカーテンやテーブルクロスを、丁寧に洗って干し、元の空き部屋へ取り込んだところだった。
「ふう、やっぱ家事ってのはどうも慣れねえなあ」
デビッドは館のエントランスで大きな椅子に深く腰掛けながら一息ついた。
(さてと……)
いつも通り彼は空いた時間に考えを巡らせる。彼はこのところずっと考えていた。どうすれば館の主、イザドラを斃すことができるかを。
彼がスキルを用いて視たイザドラの弱点は、確かに『心臓を銀の剣で切り裂く』ことだった。しかしそれは効かなかった。従者にされてから、隙を見てもう3回イザドラの胸部に銀の力を宿した聖剣デュランダルを叩きこんだが、痛そうにしながらもイザドラはまだ生きている。
長年冒険者として魔王軍と戦ってきて、強い魔族の中には弱点をついても効かないことはあった。ただ、そういうときは必ずなんらかの『ギミック』があった。2匹の魔族に同時に攻撃しなければ斃せないとか、2回までは復活するから3回目でとどめを刺さないといけないとか。
イザドラにもそういうギミックがあるのか?あるとしたらどういったものなのか?勇者は頭を悩ませる。
「うーん……どうすれば斃せるんだ……?」
勇者がそう呟くと、背後からイザドラが声をかけた。
「あら、なんの話かしら?」
「うわ!?」
デビッドは思わず椅子から滑り落ちる。怪訝な顔でイサドラが呟く。
「あら、まるで化け物と出くわしたときみたいな声を上げるのね。失礼だし、品がないわよ」
そう言って自室へと戻っていくイサドラの背中を、デビッドは呆然と見ていた。
「驚かせやがって……気配殺して近づくなよ……てかあいつ何しに来たんだ?」
「どうかされましたか? デビッドさん、そんな格好をして」
今度は身体の正面から聞こえてきた声に、デビッドは顔を振り向けた。メイドのレクリスが心配そうな顔をしてデビッドの顔を覗き込んでいた。
「ああ、レクリスか……。すまん、なんでもない」
勇者はそう言って椅子からずり下がっていた身体を立ち上げると、ふと心に湧いた疑問を口にする。
「そういえば、レクリスも魔族……なんだよな? やっぱり、お前も人間を憎んでいたりするのか?」
魔族は人間を敵視し、冒険者である自分はその魔族を斬る。デビッドはそう長い間信じてきたが、いま目の前にいるレクリスからは人間に対する憎悪を感じないし、むしろどこか『人間らしさ』のようなものが感じられる、とデビッドは思った。
レクリスは答える。
「魔王が討たれるまでは、魔族は人間を敵視していました。でも、魔王が討たれて魔族の統率者がいなくなった今では、必ずしも魔族が人間を憎む時代は終わったのだと思います……それに……」
「それに?」
レクリスの語尾をデビッドが引き取ると、メイドは言いづらそうに目を伏せて言った。
「詳しくは言えませんが、私には人間の血も混じっていますから……」
「魔族と人間の血が交わったっていうのか!?」
デビッドは驚きのあまり思わず大きな声を出してしまった。レクリスは気まずい顔をして伏せた目を潤ませている。それを見た勇者は己の行いを恥じた。
「っと……すまん、言いたくないことはあるよな。無理に訊くつもりもないさ」
デビッドも目を伏せて、頭を搔きながらそう言うと、「ところで」と話題を変えた。
「レクリス、ここに来たってことは何か用があったのか?」
レクリスが何かに気が付いて口を開く。
「あ、そうでした。デビッドさん、ガドーさんが来られていますから、品物の受け取りを手伝っていただけませんか?」
「ガドーさん?」とデビッドは訊き返す。
「はい。いつも食材や日用品などの品物を届けてくれる方です」
「ああ、確かに、魔族の館に食料が絶えないのはどういうことかと思ってたが、そういうことか」
デビッドが納得してレクリスに連れられて館の外へ出ると、『ガドーさん』は大型のハゲワシを繋いだ鳥車に身体をもたせかけてレクリスが戻るのを待っていた。
馬車で道のない森の奥深くへ来ることは出来ない。かといってハゲワシは捕まえるのも、手懐けるのも難しいから、ガドーというのが普通の商人でないことがデビッドには一目でわかった。
黒いマントに黒い帽子を被っていたガドーは、デビッドの姿をみとめると帽子を取って会釈した。フクロウのように大きな目で、目尻と涙袋が垂れている中年の男だった。
「ひひひ、まいどどうも。新しい従者さんですかな」
「はい、デビッドさんです」とレクリスが元気よく答える。レクリスは女性のわりに背が高く細身で髪が長いので、身長が低くて小太りで頭髪の薄いガドーとは全く正反対の姿をしている。しかし当の二人はそれを全く気にしていないようだった。
「ひひひ、そいつはいいですな。広いお館ですから、人手はいくらあっても足りないでしょう」
ガドーは館の主が吸血鬼であること、レクリスが魔族であることを知っているのか?とデビッドは思った。しかし仮に商売相手が悪魔であっても代金さえ払えば品物を売るのが商人という生き物であることを知っていたので、黙っていた。
デビッドに見つめられているのを見て、ガドーは何を勘違いしたか、代金の出どころを話し始めた。
「デビッドさん、でしたかな? そのように心配そうな顔をしなくても、代金はきちんと貰っておりますので、心配いりませんよ。リベリーさんからはいつもそれはそれは気前良く支払っていただいておりますので。ひっひっひっひ!」
何が面白いのか、ガドーは腹を抱えて笑った。金の動きに興味がないデビッドは何とも答えなかった。
レクリスがガドーから品物の詳細を聞き取っている間に、デビッドはそれを館のエントランスへと何往復もかけて運んで行った。食材をあらかた運び終え、また鳥車へ戻ると、品物が入っている木箱の上に何冊かの本が積んであるのが目に留まった。
(本……?)とデビッドは首を傾げた。そういえばイザドラは読書が趣味だった気がするが、そもそも魔族は人の言葉を話すが文字は読めなかったはずだ。
「なあ、レクリス、この本はレクリスが読むのか?」
と、デビッドが声をかけるとレクリスはきっぱりと否定した。
「いえ、そちらはお嬢様が読まれる本です」
「イザドラは文字が読めるのか?」
デビッドに重ねて問われたレクリスは、顔を引きつらせて笑いながら、
「お嬢様がお聞きになられたら、お怒りになってしまわれますよ……」
と答えた。しかしデビッドに馬鹿にする意図はなく、本当に魔族は文字を読めないものだと思っていたので、イザドラが本を読めると知って驚くとともに感心したのだった。デビッド自身、読書は得意なものではなかった。国語の授業で『作者の気持ちを答えましょう』とか言われたら、とりあえず『ごはんたべたい』か『デュランダルでぶった斬る!』しか書かなかったので成績はいつも最低ランクだった。
(へえ、イザドラが読書をねえ)
デビッドがエントランスに本を運ぶとき、一番上に積まれている絵本のタイトルが目に止まった。それが意外な内容だったので思わず彼は足を止めた。
『魔王を倒した12人の英雄たち その5』
それは紛れもなく、デビッド自身の英雄譚の一部だった。