勇者デビッド その3
空中にきらめいたデュランダルが虹のような軌跡を辿って、まっすぐにイザドラ目掛け滑り降りていく。
その刃が吸血鬼の首を跳ねるかに見えた刹那、イザドラの鋭い爪がデュランダルの軌道を阻む。まるで金属と金属をぶつけたように高い音がなって火花が飛び散る。
(デュランダルを爪ではじいただと!?)
デビッドが驚いた次の瞬間、イザドラの右腕がデビッドの頭部を襲う。すんでのところで今度はデビッドの振るった剣がイザドラの爪を相殺した。
目まぐるしい剣と爪の応酬が始まる。ぶつかり合うたびにギィン、ギィン、と高い音を響き、薄暗い虚空が舞い散る火花で明るくなる。
爪の連撃を受け流しながら(速い!)とデビッドは思った。怪物じみた身体能力。だがーー
(本能のままに爪を振るっているだけだ。技量がない)
頭部に迫りくる爪をデビッドは首を捻って躱し、上段からイザドラの二の腕を斬り払った。イザドラの左腕が光に包まれる。
「くっ……!」
イザドラは怯んだ声を上げながらも右手の爪をデビッド目掛けて薙ぎ払う。デビッドが虚空を蹴って大きく後退する。
イザドラは光に包まれた自分の左腕をじっと見ていたが、やがてその光は収束して消えた。腕には傷一つついていない。
デビッドが呟く。
「ダメージがすぐ回復する……再生能力か……」
「噂には聞いていたけれど、冒険者ってすごいのね。この私の速さについてこれるなんて」
「ただの冒険者じゃねーよ、英雄だ。ま、いいけどな。それより、満足したか?」
満足?と言ってイザドラは笑った。
「貴方この程度の力で私を満足させようとしてるの? くすくす、かわいいわね」
デビッドは静かに目をつぶる。
「大した自信だな。……もういいだろう。遊びに付き合うのはここまでだ。悪いが終わらせてもらうぜ。英雄の力ってやつを見せてやるよ」
開かれたデビッドの瞳が銀色に輝く。イザドラが楽しそうに命令する。
「ねえ、私貴方が気に入ったわ。貴方が負けたら、私に隷属して、下僕になりなさい。貴方は逃げ出したりしないでよね?」
「逃げる? 俺が? ふん、俺が負けたら煮るなり焼くなり好きにしろ。……負けるなんてことがあったら、な」
イザドラはまだクスクスと笑い続けている。デビッドはゆっくりと敵に歩み寄る。
「イザドラ・リベリー。種族は吸血鬼。魔力属性は氷……休日の過ごし方は読書……」
右手に剣を握りしめたデビッドが、虚空を蹴り飛ばす。二人の間合いが一瞬にして交錯していく。
イザドラの左手がデビッドに伸びる。デビッドは軽く身体を捻ってそれを躱すーーはずだったがーー
「踏み込みが弱い……フェイントか!?」
頭からイザドラに向かうデビッドの顔面目掛けて、吸血鬼の右手が真っすぐ迫ってくる。
「あああああああ!」
デュランダルが吸血鬼の右手を弾き飛ばす。かなり無理な動きをしたせいでデビッドの筋肉が悲鳴を上げる。しかしデビッドはそのまま渾身の一撃をイザドラの胸部に叩き込みながら叫んだ。
「俺のスキル『ヒーロー』は! 敵のステータスを可視化できる! イザドラ、テメーの唯一の弱点は、心臓を銀の剣で切り裂くこと!」
デュランダルがイザドラの胸にぶつかって光り輝く。
「銀色に輝け、聖剣デュランダル! うおおおおおおおおおおおおお!」
ザンッ
切り裂かれたイザドラの胸が光に包まれる。
「ぐ……う……」
イザドラが苦悶の声を漏らす。
光は周囲を覆いつくして眩いばかりに拡散し、そしてーー
収束した。
「な!?」
デビッドの目に映るイザドラの体力はほとんど減っていない。
「馬鹿な……デュランダルの一撃が効いていないだと……そんな……まさか……」
呆然と立ち尽くすデビッドの頭に、吸血鬼の足が振り下ろされる。
鈍い音が響き、デビッドの身体は虚空へ打ち付けられた。
「ぐあっ……」
勇者の顔が苦痛に歪む。吸血鬼の甘い声が響く。
「くすくす、ねえ悔しい? 私に負けて、私を殺せなくて、悔しいかしら」
デビッドは傍らに落ちていたデュランダルを掴もうとする。しかし、腕に力が入らない。まともに食らった吸血鬼の一撃はあまりに重く、デビッドの身体に反撃するための余力は残されていなかった。
イザドラが勝負はついたと判断したのか、ヴオン、と音が鳴って二人の周囲が元の館の前に戻った。イザドラが嘲るように宣言する。
「ねえ、貴方の負けよ? 諦めて服従しなさい」
絶望的な状況に思わずデビッドは弱音を漏らした。
「くそっ……」
吸血鬼が甘い声を響かせる。
「いい子ね……。大丈夫、何も心配いらないわ。私が貴方を支配してあげる。支配される悦びを教えてあげる。だから、さあ、顔を上げて、私への畏怖と憧憬に満ちたその顔を見せてちょうだい」
そして憐みと慈悲を孕んだ手つきで地面に伏せているデビッドの頬に、そっと手を差し出した。デビッドがイザドラの顔を見上げる。しかし彼の胸には彼に救いを求めた少女の願いが、炎のような闘志となってまだ燃え上がっていた。
「俺はお前の思い通りにはならない!」
信念に満ちた目をして勇者は言い放った。
傍らに落ちていたデュランダルを掴むと、勢い良く横に転がって立ち上がり、イザドラへ斬りかかる。
「うおおおお!」
「もうおやめください!」
レクリスの叫び声が響く。
「そんなになってまで戦う必要はないのです! お嬢様も、それ以上その方を傷つけるのはおやめください……。お嬢様が村に呪いをかけていたというのは、真っ赤な嘘でございます!」
「へ……?」
呆気にとられたデビッドが思わずレクリスの顔を見る。
「嘘……? どういうことだ?」
「お嬢様は村に危害など加えておりません」
レクリスはきっぱりと言った。勇者の心が自らの行動に対する疑念でぐらつく。その様子を見たイザドラの顔が歓喜で輝いた。
「あら! ようやくいい顔するようになったわね。敗北を認めて失望してる、そんな顔に見えるわよ貴方。そっか、『種明かし』をすればよかったのね、最初から!」
「種明かし……? ちょ、ちょっと待ってくれ。しかし、吸血鬼が村に呪いをかけているって言う少女の証言が」
イザドラはものすごく悪戯っぽい笑みを浮かべて、両手で顔を隠して言った。
「あら、その少女って……こんな顔をしてたかしら?」
両手をどけた吸血鬼の顔は、10歳くらいの少女の顔に変身している。勇者は唖然として状況をよく呑み込めない。
「どういうことだ……バリーのやつ……騙されたのか……?」
「さ、そういうことだから、約束は守ってよね。貴方は今日から私の下僕」
そう言って上機嫌なイザドラに、勇者はしかし
「お前が悪いことをしていないのはわかった……だが、勇者である俺が簡単に魔族のお前に従うと思うのか?」
と再び言い放った。
「お前が俺を殺さないなら俺は仲間を連れてもう一度お前を討つ!」
それを受けたイザドラは汚らしいゴミを見るような目でデビッドを見て言った。
「あら、貴方も逃げるの?」
『逃げる』という単語が勇者のプライドを刺激する。
「な……!?」
「貴方約束したでしょう? それとも『勇者デビッド』はとんでもない嘘つきだったのかしら?」
「うぐ……それは……」
デビッドは己の言葉を思い出す。確かに、負けたら煮るなり焼くなり好きにしろ、と言った気がする。
「それに、貴方には呪いをかけたわ。どれだけこの森を歩いても道に迷ってこの館に戻ってきてしまう呪いよ。だから貴方は逃げることができない」
イザドラがくすりと笑いながら宣告した。
「なんだって!?」
「それに、悪いようにはしないわよ。食事はしっかり三食出すわ。夕方以降は休んでいいし、夜もしっかり寝かせてあげる」
「マジで!?」
勇者は悩んだ。
(なんてこった。俺の普段の生活よりよっぽどいいじゃないか……いや、しかし、魔族に仕えるなんて……)
「食後のデザートも出すわよ」
それを聞いた勇者は堂々とした顔で言い放った。
「勘違いするなよ。俺はお前に服従するわけじゃない。悪さをしないように見張るんだ。もしお前が人に危害を加えようとしたら、刺し違えてでもお前を殺すからな」
イサドラは実に満足気に、にっこり笑って答える。
「殺せたらね」
こうして勇者デビッドの屈辱に満ちた日々が始まるのだった。