傀儡師ルカ その1
「お、昼のデザートはチーズケーキか」
「あら、私の分が欲しいの? いやしいわね。残念だけど私も好物だからあげないわ」
「もらおうなんて一言も言ってねえだろ!? 発想がいやしいのはどっちだよ!」
吸血鬼の館、バットホール。勇者デビッドは今日も主であるイザドラと一緒に昼食を摂りながら喧嘩じみた軽口を言い合っていた。
「デビッドさん、私の分を食べていいですからどうか怒らず……」
メイドのレクリスがイザドラにつられて口を開く。しかし勇者は別に人の分のチーズケーキをせしめようなどとは元々考えていなかった。
「いらねえいらねえ! レクリスもちゃんと自分の分は食べろ! 栄養不足で倒れちまうぞ?」
「そう……ですか。あの、実は私チーズケーキがあまり好きではなくて……よかったら食べていただけるとありがたいのですが……」
「なんだと! そういうことならもらう!」
デビッドの顔がぱっと輝く。実際のところ勇者は甘いものが大好きだった。それを見たイザドラが哀れなものを見る目でため息をつく。
「いやしいわね……」
「よっしゃ、じゃあまずは俺の分をいただくぜ。いっただきまーす。あーむ……」
勇者がケーキを口に運ぼうとしたときだった。急にデビッドが座っている椅子の下にぽっかり穴があいた。
「んあ?」
ひゅ~~~~……
「うわああああ!?」
思わずフォークから手を放した勇者がチーズケーキをテーブルの上に取り残してどこかへ落ちていく。ついでにイザドラの椅子の下にも穴が開いた。
「あら?」
ひゅ~~~~……
「……」
赤と黒の模様が入り乱れた空間。床には何かマス目のような模様が描かれている。その床の1メートル上空にぽっかり穴があいてデビッドと椅子が落ちてくる。そして床に激突した。
ドスン
「ふぎゃ!」
次に同じ高さの別の場所に穴があいてイザドラの椅子が落ちてきた。イザドラの椅子は床の上に倒れず着地し、やや時間を置いてイザドラがゆっくりと優雅に椅子の上に降りてくる。手に持ったままのティーカップの紅茶も全くこぼれていない。羽があるとこういうときに便利なのである。
デビッドと同年代の男の声が響く。
「吸血鬼さん、ようこそ僕の世界へ」
見ると床に描かれたマス目の向こうに赤い豪勢な椅子があり、茶色い短髪の、いかにも賢そうな男が座っている。男は口を開いてイザドラに自己紹介をする。
「はじめまして。僕は傀儡師ルカ。12英雄の一人さ」
「あら、はじめまして。私はイザドラ・リベリー。貴方の結界に招いていただいて光栄ですわ。こんなことなら外出用のドレスを着ておけばよかったわね」
突然の状況の変化にもかかわらずイザドラは相変わらず落ち着き払っている。その様子を見たルカがいらたたしげに口を開く。
「ほう。ずいぶん落ち着いているね。これは楽しみだ。君のその余裕に満ちた顔がこれから恐怖と苦痛に歪むのがね。では、さっそくゲームを始めよう」
「あら私とゲームをするの? ゲームは好きよ。どんなゲームかしら? 楽しみだわ」
さて、傀儡師ルカと吸血鬼イザドラが緊迫したかけあいをしている最中、肝心の勇者はどうしているかと言うと、
「……」
貝のように押し黙っていた。勇者デビッドはルカの『ゲーム』の内容を全て知っているし、自分がバカである自覚もあるのでネタばらしをしないために一言も喋るまいと決めたのだ。
ルカが口を開く。
「ルールは簡単さ。君は目の前にあるマス目の上を通って、僕に近づいて僕を倒せばいい。僕を倒せばこの結界は消えて君は元の場所に戻れる。簡単だろ?」
「とても簡単でいいわね。でもそれだと少し退屈じゃないかしら? 何か謎解きのようなものはないの?」
「やってみればわかるさ」
「それもそうね……」
そう呟いてイザドラは立ち上がりティーカップを椅子の上に置いた。彼女の前に床に描かれた2メートル四方のマス目が5つ横に並び、それが5つずつ縦に並んでいる。そしてマスの中には1マスずつ異なった不思議な模様が描かれていた。
イザドラはそれを見ながら唇に人差し指をあてて「んー」と悩んでいたが、目の前の5つのマスのうち真ん中のマスに足を踏み入れた。そのマスには紙人形のような人の形の左右に『←→』(左右の矢印)が描かれていた。
イザドラが足を踏み入れると同時に、床に描かれた模様から糸で操られた人形の兵士が現れた。もちろんその糸はルカが操っている。そして人形の手には剣が握られていた。イザドラが不敵な声を出す。
「これが貴方の傀儡なのかしら? こんな子供だましのおもちゃで私を倒すつもりなの?」
それを見たデビッドが口元を手でおさえてものすごくニヤニヤし出した。
(駄目だ。まだ……まだ笑うな……まだ……)
ルカもにやりと口元を歪めて糸を操る指を動かす。からくり人形の兵士が剣をふりかぶって、イザドラにむけて右から左へ真横に斬りかかった。
つまらなさそうにイザドラが身体を動かして剣を避けようとする。そしてイザドラの身体はからくり人形の振るう剣に向かって一直線に動いた。
「!?」
剣がイザドラの身体を斬る寸前、恐ろしいほどの反射速度でイザドラが後ろに上半身を逸らしてそれを避ける。それでも切っ先がドレスの首元に触れて布の一部がハラハラと舞い落ちた。ルカが椅子の上で足を組んだまま楽しそうに呟く。
「おや、踏み込みが甘かったかな。申し訳ない。次はもっと深く斬りこむよ」
イザドラが舌打ちをして人形に向かって片手の爪を薙ぎ払う。しかしそれは人形にかすりもしない。
「!?」
吸血鬼は自分の手の爪を見つめながら思わず心の中で叫ぶ。
(右手を動かしたつもりなのに左手が動く!)