イザドラ・リベリーによる優雅なお茶会への招待
ローズティーを溶かしたような風が薫る麗らかな初夏の日。深き森に花は咲き乱れ、小川はせせらぎ、小鳥たちの鳴声が絶えない穏やかな昼下がり。
白露のような肌の乙女が館の庭に置いたテーブルで紅茶を飲んでいた。彫の深い整った顔立ちと、宝石じみた深い碧色の瞳に浮かぶ気品。さらには落ち着いた佇まいが彼女の精神的な成熟を表していた。
しかしまだ幼さの残る身体つきを客観的に見れば「大人びた十六歳ごろの乙女」といったところだろうか。
彼女はフリルのついた白いワンピースを着て、白い椅子とテーブルで一人紅茶を飲んでいた。けれども一人ぼっちでいるというわけではなく、傍らには二人の従者がいる。
一人は年老いたタキシードを着た男の執事で、彼は大きな黒い日傘を乙女の全身がすっぽり影になるようにさしたまま微動だにしない。
もう一人はカチューシャをつけた若い女のメイドで、両手を腰の前で合わせたままやはり動かずテーブルから少し離れたところに立っている。
乙女は紅茶に二度ほど口をつけ、味わうように目をつぶって飲んでからため息をついた。
「……温いわ。レクリス、本当にあなたの淹れる紅茶は雨水のようよ。温くて味がしない」
乙女にそう言われたメイドは、とたんに泣きそうになりながら自らの主に謝罪した。
「も、申し訳ありません……」
乙女はもう一度ため息をついてから、メイドの方を見もせずに言葉を継ぐ。口を開けば、彼女の言葉にはいつも他者への蔑みの色が浮かぶ。
「まあいいわ。貴女なりにがんばっているのは伝わるから、今回は赦すわ。これでも最初の頃に比べればだいぶマシになったわね。あの頃は器に溜めた雨水を3日置いてから飲ましたような味がしたから。これはそうね、新鮮な雨水と言ったところかしら。ベルモッドによく教わって、次は私に紅茶を飲ませてちょうだい」
「も、申し訳ありません……すぐに新しいものをお持ちいたします!」
レクリスは目に涙を浮かべて頭を下げ、館の中へと走っていってしまった。執事のベルモッドが見かねて主をたしなめる。
「お嬢様、少々レクリスへのお言葉が過ぎるようです。私の教え方がまずかったのでしょう。申し訳ありません。お嬢様に美味しい紅茶を飲んでもらえるよう丁寧に指導いたしますので、どうか彼女を叱らないでやってください」
ベルモッドはそう言って日傘をさしたまま頭を下げる。年を取っているだけあって彼の言葉は主の放つ冷ややかなオーラにも気圧されていない。しかし乙女も自らを窘める老人の言葉を一切顧みる様子もなく、悪戯っぽく笑って言った。
「あら、貴方が責任を取ってくれるの? ベルモッド。では私は貴方にどんな形で罰を与えようかしら。貴方にはいったいどんな罰が相応しいかしら?」
「お戯れを、お嬢様」
ベルモッドが表情も変えずに応えた矢先、レクリスが新しい紅茶をソーサーに載せて戻ってきた。
「お待たせいたしました。今度は温くないはずです」
乙女はレクリスからティーカップを受け取り、やはり味わうように目をつぶって飲んでから
「あっづぅああああ!」
と叫んだ。レクリスが慌てて声をかける。
「お嬢様! まだ温かったでしょうか!? 鉄の鍋で煮えたぎらせてからお持ちしたのですが!」
「ひはふぁははへは……」
乙女が涙を流しながらそう言った時だった。
庭向こうの繁みをかき分けて立派なヒゲを生やした一人の男が現れた。がっしりとしたその両手には猛獣を仕留めるための猟銃が抱えられている。
「やっと、見つけたぞ……」
猟銃を抱えた男は興奮した目を乙女に向けて呟いた。
乙女は少し驚いた顔をして猟銃の男に言葉をかける。
「あふぁ、ほひへんほう」
「な……なんて言ったんだ?」
猟銃の男は一瞬あたまにハテナマークを浮かべたが、すぐに気を取り直して言った。
「こんな森の奥深くに館が建ってる……しかもお前の人間離れした美しさ……なあお前、魔族なんだろ?」
乙女は少しのあいだ口元に手をあてて舌の回復を待っていたが、やがてまた悪戯っぽい笑みを浮かべて言葉を返した。
「くすっ。もしそうだったとしたら、どうする?」
「ははは! やっぱりここらに魔族がいるって噂は本当だったんだな! お前を殺せばギルドからたんまり金がもらえるんだよ!」
乙女の返答に猟銃の男の心は火のような欲望で燃え上がった。引き金に指をかけてもう今にも乙女の頭部を撃ちそうな様子である。しかし銃口を向けられている乙女はどこまでも落ち着いている。
「冗談よ。ねえそれより村からここまでずいぶん距離があるようだけど、その様子だとお腹が減って、喉も乾いているんじゃないかしら。いまメイドに用意させるから、よかったら私と一緒に紅茶でもいかがかしら?」
「黙れ! この化け物が!」
男は銃を撃とうとしたが、焦っているためか手元が震えて、なかなか照準が定まらない。乙女はやはり落ち着いている。
「あら、さっきから私のことをまるで腐りきった果実のように汚い呼び名で呼ぶのね。でも仕方ないわね、まだ名乗ってもいないのだもの」
乙女はそう言って椅子から立ち上がり、ワンピースの裾を両手で広げて男に向かって会釈した。
「はじめまして。私はイザドラ・リベリー、この館に棲む、由緒正しき吸血鬼の主ですわ」
ドンッ
木々を震わせて銃声が響く。男の持つ猟銃の銃口から煙が上がっている。大型の獣をも一撃で仕留める銃弾がイザドラの頭部目掛けて放たれたのだ。
もっとも、放たれた銃弾が彼女の身体に触れることは永遠になかった。まるで目に見えない壁に阻まれたかのように、それはイザドラの顔の1メートル手前で止まり、少し間をおいてから地面にポトリと落ちてしまった。
突然鏡が割れたように男から見たイザドラの周囲の空間が砕け、パラパラと崩れ落ちる。男は猟銃を抱えたまま呆気にとられて立ち尽くしている。何が起きているかわからないが、森で姿の見えない獲物に囲まれたときのような本能的な恐怖が湧き上がるのを感じた。
「ねえ、貴方」
男は背後から耳元で囁く声を聞いた。「ひっ!」と思わず悲鳴が出る。
「庭でお茶をしている女性のところに躾のなっていない犬みたいに押し入って、まるで気品のかけらもない道具を持ち出して、下品な物音まで響かせるなんて、こう言ってはなんだけど、少し作法を学んだほうがいいと思うわよ」
男の耳元に吸血鬼の吐息がかかる。香水の甘い香りが漂う。
「貴方さえよければ、ここに住んで作法を学ぶのも悪くないと思うのだけど、どうかしら?」
男の身体から力が抜けて、声の主は男から猟銃をそっと奪った。足ががくがくと震え、圧倒的な恐怖と畏怖の前に心が服従したがっているのを感じた。
しかし多くの獣を仕留めてきた無骨な男の心は寸前のところで折れなかった。彼は咄嗟に横へ飛び転がり、すぐに立ち上がると繁みをかき分けて逃げ出していった。
「いやだ……いやだ……助けてくれ……助けてくれ……」
男が逃げ去ってしまうと、ポツンと残された吸血鬼は碧色の瞳をしばらく繁みへと向けていたが、やがてそこに深い侮蔑の色が浮かんだ。そうしてやはり深い蔑みをにじませた声で呟いた。
「……つまらないわ。私を心の底からたのしませてくれる相手はいないのかしら?」
彼女は手元に残った猟銃へと目を向ける。すると猟銃が砂のようにさらさらと砕け落ちた。
(英雄……彼らと遊んでみるのも悪くないかもしれないわね……くすっ、数多くの死地をくぐりぬけてきた英雄たちが私の前に屈服するとき、いったいどんな顔で跪いてくれるのか……楽しみね)
静かに澄んだ森の中で、木々の落す影が彼女の身体を包んでいた。