表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

おかえり、ヒマリ

作者: 喜國 畏友

「今日、閉店までお願いできる?」


 そのマネージャーの声に、ヒマリは心の中で大きなため息をついた。

 バイト先のコンビニは人手不足で、頼まれたら断れない空気という嫌な空気感がある。時給は、あまり良いとはいえないが、家から近いという理由だけで続けていた。


 その夜は金曜日だった。閉店時間は23時半。掃除やレジ締めで、ヒマリが店を出たのは日付が変わる寸前だった。

 店から駅までは徒歩10分。

 ホームに着いたときには終電のベルが鳴っていた。


 ヒマリは、足を速めてギリギリで、電車に駆け込んだ。


 揺れる電車の中、窓に映る自分の顔をぼんやりと見つめながら、ヒマリは、ふとスマホに目を落とした。

 画面には未読のLINEがひとつ。差出人は「母」と書かれていた。


《引っ越してからヒマリの部屋って誰か使ってるの? 彼氏でもできたのかな笑》


 は?

 意味がわからなかった。だが、返信する前に電車がトンネルに入り、圏外になった。


 彼氏はいない。

 私の部屋に入りそうな人もいない。


 違和感を抱えながら、ヒマリはイヤホンをつけて、好きな音楽をかけた。



 アパートに着いたのは0時半すぎになった。

 木造2階建て、築40年以上。夜になると廊下がミシミシと鳴る。


 部屋に近づくと、ドアノブに違和感を覚えた。


 鍵が開いている。


 ──そんなはずない。

 朝、ちゃんと閉めた。確認した記憶もある。


 ヒマリはそっとドアを開けた。部屋は真っ暗だ。けれど、どこか生暖かい空気が漂っている。

 入ってすぐ、右手の靴箱に目をやると──見慣れない黒いヒールが一足、置いてあった。


「え?」


 自分のじゃない。そもそも、黒のヒールなんて持っていない。

 背筋が凍った。


「……誰か、いるの……?」


 声が震えた。そのとき、奥のキッチンから女の声がした。


「──おかえり」


 一瞬、思考が止まる。

 ライトをつけようとスマホに手を伸ばすと、パチン。部屋の電気が勝手に点いた。


 キッチンには、誰もいなかった。


 ユウカは荷物を放り出し、部屋を出ようとドアに向かう。

 だが──そこに、女が立っていた。


 白いワンピース。長い黒髪。顔はうつむいて見えない。

 心臓がドクドクと大きく鳴る。


「……誰?」


 声が震える。


 女は、ゆっくりと顔を上げた。

 ヒマリは、息を呑んだ。


 その女の顔は、自分とまったく同じだった。


 髪型も、目元のほくろの位置も、全部。まるで鏡を見ているようにそっくりだった。


「もう……帰ってこないで」


 声は自分の声だった。


 次の瞬間、頭に激痛が走り、視界がぐにゃりと歪む。

 気づけばヒマリは、ベランダから地面に落ちていた。


 病室で目を覚ましたヒマリは、知らない天井の蛍光灯を見つめながら、現実感のない感覚に包まれていた。


「……生きてる?」


 足を骨折し、軽い脳震盪。

 幸い、命に別状はなかった。


 警察には「夢遊病のような状態で転落した」と報告された。精神的な問題も疑われ、暫くの間、実家に戻って療養することになった。


 けれど、ヒマリには分かっていた。

 あの部屋には、まだ「自分」が住んでいる。

 本物の「わたし」じゃないものが。


 それから、あの家には行ってない。

 気味が悪くて、売ってしまった。


 でも、まだふとした時に考える。

 

 あれは、きっとまだ、私の帰りを待っている。


          『おかえり、ヒマリ』- 完 -

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ