序 邂逅と遭遇
その女は白銀の髪を短く切りそろえ、小さな体で大きな荷物を空中に浮かべて客に対価をせびっていた。
よくある大道芸だ、ライト派の魔術師が路銀に困ったとき、誰の許可も得ずにこのような芸を披露する。だがエラスの目に映る光景は、他の凡夫が汗かき行う大道芸と一線を画していた。
(へぇ、今時ストライト派の魔術師がいるなんてな)
エラスのような魔術の素人が見てもわかる。今の世はライト派の魔術が全盛を極め、魔術師はみなこぞって綺麗で歪みのない長い直線を描こうと躍起になっている。だというのに、白銀の女は己の杖でキレイな六芒星を描き、笑顔で荷物を空中に浮かべてはまるで観覧車の如く空中で荷物を回している。ストライト派の魔術師の物珍しさ、そして綺麗に髪先まで透き通った白銀の女への好奇から、少なくない市民が彼女に銅貨を放り投げ、やんやの喝さいを浴びせている。
だが、そもここは公道。たとえどのような魔術師が己の技を披露していても、まず間違いなく無許可の大道芸をしている。だとすれば何らか、彼女の大道芸を妨害するものがこちらに来る。
そしてその存在は、おそらくエラスが考える限り最悪な服を纏ってやってきた。
銀髪の女の周りを、白地の布に黒い線で刺繍を入れた修道服をまとった男たちが封じた。何事か察した民衆たちが歓声を止めてそそくさと家路につく。エラスは職業柄慣れているとはいえ、銀髪の女がどのように事を修めるか興味深くはあった。──白銀の女を取り囲んだのは最近になって隆盛著しいカルト、絶対神教派の武闘僧たちだ。
「この女、我らが領地にて下賤の芸に魔術を投じ、さらに我らが許可なく路銀を稼ぐ不届き者なり……!罰せよ、汝が罪を!」
「はぁ、面倒くさいなぁ。絶対神教派ってなんでこんな融通効かないの?お客さんも楽しめて、私も懐が潤って──」
「抗弁などいらぬ!路銀没収か、服役か、ここで死ぬか……選べ!」
銀髪の女の抗議を聞き入れぬ絶対神教派の聖職者たちが一斉に銀剣を抜き放った。しかし数瞬、だが圧倒的に銀髪の女のほうが動きが早い。
持っていた杖先が空間を切り裂くように動いた。描かれた図形は、五芒星と呼ばれる五つの頂を持つ多角形。白銀の女が込めた魔力が虚空に正確無比な五芒星を描き──その瞬間、絶対神教派の男たちが全員吹き飛んだ。
吹き飛んだ絶対神教派の男たちが壁に打ち付けられる。エラスの近くの壁にも聖職者が叩きつけられたが息はしている、もっともしっかりと背中を強打ししばし沈痛に動けなくなったが。
そも白銀の女には殺意はなく、それどころか呆れた表情が浮かんでいた。地面をのたうち回る男たちを一瞥して、息を吐く白銀の女。
「え、ちょっと。かなり手加減したんだけど。これでみんな吹き飛んじゃうの?対魔術は学んでこなかったの?」
煽りつつ、半分の驚きと共に白銀の女が口走る。だが絶対神教派の男たちも伊達に訓練を積んでいない。やおら痛みをこらえて立った男たちが痛覚を振り払うべく銀剣を振り、言葉なく白銀の女へ斬りかかる。先ほどの恫喝ではなく、純然たる殺意を基に白銀の女に殺到する。
だが白銀の女は再び五芒星を正確に、歪みなく一瞬で描き切った。五芒星から溢れる魔術が単純な衝撃を生み、衝撃が蛇の鎌首のようにしなり、鞭となって襲い来る絶対神教派の男たちを薙ぎ払っていく。絶対神教派の男たちは斬りかかったはいいものの、次々と襲い掛かる魔力で固めた衝撃の鞭に防戦一方。やがて一人壁に叩きつけられ、一人空中を待って地面に落下し、また一人地面に押し付けられて気絶する。数分もしないうちに、銀髪の女に剣を向ける存在は気絶し果て。
周囲に残ったのは、エラス一人だけだった。
「……お見事。魔術だけで全員倒すとは、なかなかすごい魔術師だな」
「あらお兄さん、平然としてるわね。見世物じゃないけど、私の技術が気に入ってくれたら少しばかしお金を貸してくださいな」
「そうだな……あんた、ストライト派の魔術師だよな?古臭いやり口だが、あんたほどの使い手を俺は見たことがない」
エラスが感心しきった表情で銀髪の女を誉めると、彼女は柔和に微笑んで己の杖を腰に回した。魔術師らしく腰には予備の長剣が佩かれ、旅装のコートの内側からは高価なミスリル造りの服帷子が見え隠れする。なるほど入念に長旅の準備をし、そして服装のくたびれ方からも長い間諸国を廻ってきたのだろう。エラスは彼女の苦心の旅を慮りつつ、彼女に敬意を表して名を訪ねることにした。
「あんたの名前は?俺はエラス、人呼んで《疵無し》だ。さぞ名のある魔術師とお見受けする、敬意を表してお聞きしたい」
率先して名乗ったエラスの顔をじっと見つめて、銀髪の女は目の前の傭兵然とした男がどのような存在か見定め始めた。害はないか、下心故の誰何ではないか。エラスの顔色を少しばかり窺った銀髪の女はやがて静かに息を吐き、少しだけ笑みを深めて口を開く。彼女の形のいい唇が楽しそうに歪んだ。
「ヴィ。東の果てから渡ってきたの。あっちでは、《八芒星の魔女》の綽名を頂戴していたわ」
ヴィ。極東に在する魔女の一族か。
「もしかしてその銀髪は、終霊族の証か」
「あら、その名をこの土地で聞くとは思わなかったわ。試しに聞いてみたいんだけど、私のような存在をエラスはご存じ?」
「いいや、寡聞にして聞かないな。その口ぶりからすると、ヴィの旅は親族探しか何かか?」
エラスが訪ねたが、ヴィは微笑んだまま肯定も否定もしない。まだ信頼されていないのは当然として、エラスはヴィの旅に何らか隠したいことがあるように、感じた。
それにしても、終霊族か。エラスは己が持つ知識と目の前の存在を照らし合わせる。伝説の魔術の徒にして、神代の頃から数百年前まで魔術の版図を広げるべく活躍していた滅びし種族だ。エラスも知識として、叔父に渡された本に書かれた神話目録で読んだことがある。曰く、終霊族は一夜で石山を石材へと変え、一週間で作り出した石材を石の城壁へと作り替え、人族の大侵攻を撃退したという。
他にも神霊と会話し、過去の災害から未来を予知し、住まう都市を一瞬で転移させた。その直後、その地にあった大火山が火を噴き辺り一帯を炎の海へと変えた。終霊族の云うことを頑として信じなかった人族だけがその地で燃やし尽くされ、終霊族たちは噴火が起こった後にその地に戻り、多くの魂を鎮魂で慰めたとか。
二つの物語はどれも神代の話だが、事実数百年前に終霊族がいたころは似たような話が多くあったと口伝で他の種族にも伝わるほど。それほどまでの種族が、今では絶滅寸前で誰も姿を見たことがないという現実は皮肉としか感じない。
「私の目的は、今は話せないわ。それにここで立ち話もなんだし、場所を移さない?」
ヴィの言葉にエラスも改めて周囲を見渡した。死んではいないとはいえ、そこかしこにヴィを襲っていた絶対神教派の男たちが転がっている。確かにここで言葉を尽くす必要はない。場所を移すのが道理だろう。エラスもヴィの提案に頷いて、壁の方へと向かう路の先を指さした。
「なら、俺に酒を奢らせてくれ。酒がダメなら飯、飯もダメならせめて路銀ぐらいは渡すさ」
「あら、私ももうペコのお腹よ。奮発してね?あなたが口説いたんだから」
ああ、違いない。現金なヴィに苦笑しつつエラスは鷹揚に頷いた。せめてそれぐらいは持たせてもらおう、彼も意気込んで先に道を行き始めたヴィの背中を追う。
やがてたどり着いた宿屋で、エラスは約束通りヴィに食事を振舞うことになり。
結果、財布の中身が空になるまでヴィに食事を分け与える結果を、エラスは嘆きの声を上げながら享受せざるを得なかった。
────翌────
「なるほど、終霊族の村落、あるいはそれに類するコミュニティを探していると」
「そういうこと。私の両親が早世して、私に仲間と呼べる存在が誰もいなくなった。でも両親が死に際に、この大陸に渡った仲間の話をしてくれたの。もしかしたらと思ったんだけど」
騒動を起こした小さな港町から早々離れ、駅馬車を路銀で貸し切ったエラスは新たな同行者の旅程を聞いていた。追手はおらず、しかし御者もいい顔はしてくれない。金で黙らせたから振り向かないが、昨日の今日で商会に預けてある残高が三分の一ほど目減りした。
だが、金子の問題ではない。昨日の一宿一飯に礼儀を感じたのか、向かい合うヴィは静かに己の旅程の先を話し始めてくれている。もっともエラスとしても力になれそうにない話なのが、彼としても歯痒くあるのだが。
「残念だったな。この大陸でも昔はかなりの勢力を誇ってたらしいんだが、この数百年いいうわさを聞いてない」
「そう……でも、終霊族が唯滅びを待っているとは思えないの」
「それは、そうだな。どんなことをしてでも生き残ろうとする種族だって、俺が読んだ本には書いてあった」
駅馬車の幌の中、向かい合うように座り合ったエラスとヴィ。エラスは彼女の容姿をまじまじと見つめて息を吐いた。
なるほど終霊族は幽玄なる薄美と書物が評しているが、その評論は何ら間違っていない。ヴィは白銀の髪を比較的短く切り揃え、矮躯ともとれる身長の低い体はしかし、しっかりと筋肉に覆われて見た目以上の膂力を感じ取れる。幸の薄そうな美貌はそこかしこに我の強さを散りばめていて、深い蒼の瞳からは飲み込まれそうな知性を感じ取れる。
見惚れるほどの美貌にしかし、エラスが見とれているとすぐにでも嘲笑が飛んできそうなので。エラスは静かに言葉を続けつつ視線をゆっくり幌の外、流れゆく道へと向ける。流れゆく景色は海が離れていくことを告げ、やがてたどり着くだろう巨大都市への期待が車輪を押し進めていく。
「だから、私は諦めないわ。……て、カッコつけたかったんだけど。残念ながら路銀がなくなったから大道芸を始めたわけ」
「そんな長い時間をかけて旅をしていたのか?」
「ざっと二年ね。本当はもっと前に終霊族の同胞を見つけていたはずなんだけど……」
二年。長い時間をかけて、はるか海の彼方の土地をくまなく探したのだろう。だがそれでも同胞には会えず、親の遺した言葉を頼りにこちらの大陸に渡ってきたということか。
エラスは静かに見つめ返してくる蒼い瞳を覗いた。彼女の瞳には後悔や逡巡の色はない。それどころか微かに感じる異国の空気を肺いっぱいに吸い込み、外に見えるありふえた、しかし彼女は見たこともない疎林に楽しみを見出して視線を投げる。
「私は旅が好きなんだと思うわ。ただやっぱり、一人は嫌だから仲間を探したい。それだけ」
「そうか……。なぁ、一つ提案があるんだが」
エラスがヴィの声が途切れたのを見計らって、彼の頭に浮かんでいた腹案を提示してみることにした。そも、同じ駅馬車で同じ場所に向かっている最中に言うことではないが。善は急げば報われることも多いものだ、タイミングさえ間違えなければ。
「俺を、雇わないか?後悔はさせない働きぐらいならできるぜ」
「あら、あなたが私を雇うとか、娶るとか、そういう話じゃなくて?」
「ははは、会って数日で婚姻談義に持ち込むようなお粗末な頭はしてないさ。あんた、ストライト派なんだよな?」
ヴィの意地らしく、しかしわざとらしく嘲笑した声にエラスは苦笑しながらかぶりを振った。エラスが思っていた事、それは「ライト派」と「ストライト派」の関係にある。
魔術の先達、そういう定義でいえば間違いなくストライトが先。だが今の世において、ストライトよりもライトの魔術の方が更盛著しいうえ、研究も大いに進んでいる。
かつてストライトは鍛錬を積み才覚があれば一軍と一人で組することができた。たいしてライトの魔術は数を熟して、実践でも数で質に対抗する手法が取られていた。だがある時、「直線を数回描けばライトでもストライトに対抗できる」方法が生み出された。いわば素材、技術、そして教育の革命だ。
ヴィもストライト派の肩身すら狭いことを熟知しているようで。息を吐きつつ幌の向こう側の荒れ地を見つめた。まばらに草木が立つ荒れ地に、かつて小さな村があったことを誰が知るだろうか?ここ数年で都市に流れる若者が増え、廃村になった農村も少なくない。
その理由に「誰にでも扱えるライト派の魔術」の存在がないとは言えない。それほどまでにライト派の魔術が学術として進化し、多くの資金をライト派が占有することに成功した。
「一子相伝で素質がある存在しか教えないストライト派と違って、門徒を叩けば誰でも学問として魔術を使えるようになるライト派が実権を握るのは当然の帰結ね。その結末が、土台しか残ってない農村の名残がそこかしこに広がる光景を招いたとしても、ね」
ヴィの嘆息にエラスは静かに首肯する。なにも農村は滅ぶべくして滅んだわけではない。
ライト派は己らの魔術を広めるため、学びに来た人々にあることをした。──皆伝、つまりしっかりとまなんだ存在に魔術の教師を認める免許を発行して回った。そして免許を与えた存在は新たな魔術の師に耳元でこうつぶやく。「おぬしの教えを待っているものがいる。それらにライト派の魔術、その権勢を教えよ」、と。
こうして郷に帰った皆伝教師は郷でライト派の魔術を有料で教える。困ったことに、ライト派の魔術は誰でも扱えるほど平易なまで研究されている。だから魔術を振るう興奮を覚え、こぞって伝教師に弟子入りする。そうやって皆伝教師は金子を集め、己の師へと上納していく……。果てに、農村は資金不足にあえぎ、魔術を学んだ若者は果て亡き世界を見たくて郷を出ていく。
つまるところ、ネズミ講のようなものだ。たちが悪いことに、稼ぎまわった金で貴族の頬を叩きまわったのだろう。ライト派はすでに皇帝のお膝元にまで食い込んでいる。おそらくこの大陸の農業基盤が食い荒らされ、人々が食貧にあえぐまでこの体たらくはずっと変わらない。
そんな大陸に、実力のあるストライト派のヴィがやってきた。しかも魔術の行使を神聖化し、あまつさえ魔術の迫害を公言するカルト「絶対神教派」の武闘僧たちをものの数分で地面に伏せさせている。おそらく、いや確実にヴィの噂は鷹が風に乗るより早くこの大陸に広まるはずだ。その噂を快く思わない存在が、ヴィを攻撃しないという保証はない。
「おそらくだが、ヴィが一人で戦う分には問題ない連中ばかり歯向かってくるはずだ。だけどそういう連中が真面目に妨害を考えたら、あんたはこれから行く街にすら入れなくなる」
「そうね。まず間違いなく、私は何処にあるか分からない農村を探すしかなくなるわ」
「そういうこった。なに、金は要らん。馬鹿どもの露払いぐらい、容易くやってやるさ」
エラスが涼しい顔で言い放つのを、ヴィは青い瞳で事の歯の真贋を考える。彼女は聡明だ、己の置かれている状況は解説しなくても理解できている。その上でエラスを頼らない選択肢を選ぶならば、それはヴィに勝算があるということ。もしそこまで言うのなら、エラスは言葉を重ねて説得する気はない。
だがエラスの勘は告げていた。彼女は強いが同時に、己の損得勘定がよくできる女だと。エラスが提案した内容に瑕疵がなければ、ヴィが断る道理はない。
「三つ、約束を決めましょう」
「いいぜ」
「一つ、私の目的が第一優先よ。終霊族の噂を確認したら率先して確認する事」
「ああ」
「二つ、エラスの目的は第二優先。平時は貴方の目的が私の生活を支えてくれるってこと、忘れないで」
「了解した、任せてくれ」
「最後の一つは、もし迷ったら貴方の意見を優先してくださって構わないわ」
「……いいのか?俺だってしょっちゅう間違えるぞ?」
ヴィの確認にエラスが慎重に言葉を選びつつ声を発する。端的ながら警句めいたその声に、ヴィはしかしエラスに笑いかけて頭を振った。彼女もこの短い時間で、エラスがどのような人物か理解しているようで。笑いながら彼女は己の銀髪を細い指で掬い上げながらニタニタと笑った。
「あなた、自分で自信がない風を装ってるけど。実際はそんなことないでしょ」
図星だが、エラスは抗弁せずに視線を逸らすのみ。エラスにとってみれば年端もいかない少女然とした女に己の痛いところを突かれて些か具合が悪いが、それでもヴィの云うことは真っ当であり、己にとって直視せざるを得ない現実だ。
黙ったまま車窓の景色を眺めてお茶を濁すエラスにヴィは意地の悪い笑顔を浮かべながら言葉を続けた。金を借りている男の陰視たりと些か楽しそうに、声を弾ませながら。
「一目見て分かったわ。エラス、あなた実力は相当あるのに、それを隠匿している。理由は何かわからないわ、ただあなたは実力を披露することを臆している節が見える」
「心外だな、俺は毎日全力をモットーにしてる。……ていうか、なんでそんなことまでわかるんだ?俺、昨日の酒で久しぶりにお涙頂戴の自己紹介でもやらかしたか?」
「そうね、あなたが存外偏食家ってことは理解したわ。ていうか、きゅうりも食べられないって何事?」
「あのな、きゅうりほど臭くて癖のある野菜なんてねぇぞ。あのしなっとした食べ物、喰う独特のにおいが口の中を占拠して嫌になるんだ」
「じゃあ、トマトは?系統が違うじゃない」
「あのぶにゅって感触の食べ物を食べろって?冗談じゃないね、しかもトマトとかいうやつ、あんな赤っいなりしときながらうらなりの時は青いんだ。おぞましいったらありゃしないね」
「随分と子供っぽいわねぇ。ともかくだけど、あなたは極度の野菜嫌いに関わらず普通の人よりも強い。私の見立て、侮らないでくださいね?」
呆れつつも底意地の悪い笑顔を見せるヴィに、なるほどこれが終霊族独特の嫌味たらしさなのかと理解した。ともあれ、エラスは嫌味僻みの部分は大得意なので気にしない。
「どう思ってくれても構いやしないさ。どうせこの先あんたに連れ添うなら嫌でも腕前を見せる時が来るだろうしな」
護衛の依頼を申し出た理由は別にあるが、どうせヴィがエラスの実力に興味があるならいくらでも披露してもいい。それにどうせ、エラスはヴィより弱い。ヴィがエラスの実力を見抜いたのと同じく、エラスもまたヴィが先の諍いで実力の半分も出していないことに気が付いていた。
ストライトの魔術の神髄は、「正確無比な多角芒星をどれだけ早く描き、どれだけ連続して繰り出せるか」にある。ライト派の直線を何度も描いて手数を稼ぐ分、一撃の質が低くなる魔術とは違い、ストライト派は若干のラグがあるとはいえ撃ってしまえばエラスのような戦士にはまず勝てない。実際、ヴィが寄り来る武闘僧たちに己の影すら踏ませなかった。どころか、最初の一撃目の五芒星は圧倒的に早く、ともすれば並のライト派魔術師ならば撃ち負ける速さを持っていた。それだけでなく描かれた五芒星は綺麗な角を描かれていて、歪んでも崩れてもいなかった。
(勝てるわけがない、この女に。しかも綽名が八芒星となれば、彼女の真価はそこだろう)
八芒星。実際に見たことがないエラスは評価できないが、魔力を充足して杖に流し、剰えそれを放出しつつ八芒星を描く。魔術を顕現するための長ったらしい祝詞がそれだけの行動に収まっただけまだましだが、戦場ではまず致命的。──ヴィを除いて。
(ヴィの圧倒的な描画速度……ライト派の連中でもあそこまでは無理だ。しかも魔術が得体のしれない動きをしていた。実力を俺が隠してるだって?あんたよりは劣るさ)
ともあれ、エラスはおどけるぐらいしか己の評価を隠匿するすべを持たない。それに、実力を隠している理由も、まだ彼女に話す気はなかった。
「話を変えるぜ。これから行く街だが、この地域の中心都市って言っても過言じゃない場所に行く」
無理やり話を行きつく先の話題へ切り替えたエラスだが、ヴィも何も言わず彼の言葉に返事を返す。気まぐれなのか、柔軟なのか。彼女の表情には人を詮索する類の色が消えていた。
「ええ。まずそこに行って何をするのかしら?」
「さっきの約定通りならば、まずは終霊族の居どころ探しだ。尤も、ここら辺は一度農地に開拓されつくされてるから、この近辺に住んでることはまずないな」
「じゃあ、商人や渡りの旅人に話を聞くのね?」
「そういうことになるな。あんたも別の大陸で試した手口だろうが、いかんせん人数が少ない。地道に路銀を稼ぎつつ、まずは次に赴く都市とか場所とかの情報が欲しい所だ」
個人でやると眩暈が起きそうだが、エラスの目の前に座る智誠溢れる女は数年この旅を続けてきたのだ。エラス自身が途方もないと嘆くつもりはなかった。さらに言葉を重ねれば、エラスがこの方法を取った理由は他にもある。
「それに、だ。仕事をしつつ情報を求めてりゃ名前も売れる。必然的に敵も作るが裏を返せば仲間も増えてく。ヴィ、あんたはすでに大きな敵を作ったんだ。少しばかし仲間を増やしてもいいと思う。だからこそ、今言ったやり方がもっとも正道だと俺は思うぜ」
エラスの言葉にヴィは己の顎に手を当てて黙考した。彼女の視線は自然と流れゆく土道を追いかけていく。郷里とは違うだろうその景色はヴィの心にどのように映っているのだろうか。
「わかったわ。では、その提案を丸ごと採用しましょうか」
ヴィは口に微笑を湛えて、御者の背中越しに向かう先へと視線を移した。大きな背中では隠し切れない、巨大な防壁がゆっくりと迫ってきていた。