生命の残滓よ 地を満たせ
*おめでとう!
君はこの、大地深くに根を巡らせ、力強い枝葉は天を覆うダンジョン【世界樹】を、ついに制覇した。
*これから後ここを訪れるすべての冒険者が君の足跡を辿るだろう。
*さて、ダンジョンクリアのご褒美だ。
世界樹の最上、雲を破りきらめく星々に手が届くこの場所には、世界を創造した神様がいる。
*【世界樹を踏破した者には創造神の祝福が与えられる。どんな望みでも叶えられるだろう】
*きっと君も、そんな伝説を耳にしてこの頂を目指したのではないかな?
*伝説は真だった!
今君の前には、創造神イシュタナが暖かく眩い光に包まれて目を細めている。
*繰り返し祝おう、冒険者――いや、偉大なる開拓者、アルバ。
*迷宮完踏おめでとう!
さあ、君の望みを告げるといい――。
―――――――――――――――――――――――――……………
「冒険者アルバよ、私はこの世界樹の守り神にして世界の創造主、イシュタナです。
よくぞここまで辿り着きました。その偉業を称え、何でもひとつ、願いを叶えてあげましょう」
透き通る水晶の枝葉で編まれた玉座に腰掛けた男が、心の中に響くような声でそう告げた。
相対する男、世界樹踏破という偉業をやってのけたアルバなる男は、故郷を出て伝説へと至るまで、ずっと抱いてきた望みをついに叶えるときがきたと、口を開いた。
「俺にとり憑いている悪霊を、追っ払ってほしい」
「えっ悪霊ですか?」
想像していた望みと違うなー。
イシュタナは意表をつかれたように瞬きする。
ここへ辿り着いた時点で力やら栄誉やら地位やらは得られているのだから、人間が願いそうなことといえば世界平和だとか、世の理を歪ませるような、例えば愛する人の復活だとか、はたまた復讐だとか、一生遊んで暮らせるお金だとか、なんかそんな感じだと思っていた。
「あれは五歳の春のことだった……」
アルバによる回想が始まる。
誰も訪れることのない神の間でひとり、地上の生物を見守ったりうっかり滅ぼしたりしていたイシュタナは、興味深そうに耳を傾けた。
「村の奥の禁足地だった森に、遊び仲間たちと入ってしまったんだ。まだ怖いものなんて知らない、馬鹿な子供だったよ……。そこでひっそりと祀られていた祠を壊しちまった、悪霊が封印されているとは知らずにな」
イシュタナはしばらく無言で頷いた。続きを促してあごをくいっとさせてみたが、回想は終わりのようだった。
思ったよりも短かった。
「ええと、その悪霊というのは、具体的にはどのような災いをもたらすのです?」
「おいおい、最高神なのにわからねぇのか? これまで何人もの祈祷師や聖職者に会ってきたが、その全てがコイツの悪魔祓いに失敗してきた。だから最後にすがったのがアンタ…聖職者たちのトップである最高神のアンタなんだ。頼むぜ、イシュタナ様」
ずいぶんと変わった望みを抱いて最難関ダンジョンの世界樹に挑んだものだが、こうして踏破してみせたのだ。
当人にとってはそれだけ重大な理由なのだろう。
ちょっと拍子抜けですねーと言おうか迷ったが、イシュタナは言葉を飲み込んだ。
「俺についた悪霊はな……うんこを踏ませるんだ」
………?
「……うんこを?」
「フッ……笑いたかったら笑えばいい。だがな」
「あ、ははは~おもしろいですね~」
「いややっぱり笑うな。はらたつ。俺がつまんねぇ冗談を言ってすべったみたいな雰囲気を出すな。…何も面白いことはないんだよ。コイツはな、あの五歳の春から今日までずっと、毎日、欠かさず、一日三個以上のうんこを踏む呪いをかけてきやがったのさ」
一日三個以上と言うのはその日の悪霊の霊的パワーとか気分とか天気の具合で変動するが、ノッっているときは七個くらい踏ませてくるとアルバは熱弁した。
そこはそんなに気になるところではなかったが、イシュタナは黙っていた。
「必ずだぞ? 室内に篭ろうとベッドで寝ていようと、必ず踏むんだ。足の裏に滑り込んでくるんだよ。おっと、犬のうんことは限らないぜ。そんなにうんこしまくる犬がいたらさすがに心配になるからな。大ねずみやら鳥やら…一定以上の質量を有したうんこを生産することが可能な生物が、入れ替わり立ち代わり俺の足元に飛び込んでくるんだ。まるで吸い込まれるように。
排便の瞬間は悪霊による何かしらの超常的な力が働くんだろう、驚くほど機敏なんだ。あっと思ったときにはもう遅い。柔らかな感触を感じているのさ、足の裏がな……」
真面目に聞くべきかそうでないか迷っていたが、ことは思うより深刻そうだ。
イシュタナは口の端に力を入れ神妙そうな表情を作った。
今までの鬱憤を晴らすように、止まることの無い愚痴は延々と続く。
要はこんな体質では彼女もできないから、そのうんこ踏ませ霊を追い払ってくれということなのだろう。
たっぷり五時間ほどアルバの恨み辛みを聞いて、イシュタナはそう結論付けた。
「上層90階…雲を超えた辺りからかな、モンスターが精霊や機械ゴーレムなんかの実体が無いヤツとか、無機物系になったろ? あれはいい、うんこをしないからな。中層のドラゴンやでかい悪魔たちはひどかった。あれはもう踏むとかじゃなくて突っ込むからな。この世の地獄を見たぜ……」
「貴方泥だらけだと思ってましたが、もしやそれ全部……?」
「ああ……うんこだ……」
神の力で清めの雨が降る。
大地を浄化する銀色に輝く恵みの雨により、アルバのHPMPが全回復し、体や衣服が綺麗になった!
「コイツはありがたい。途中にあった回復の泉は全部うんこまみれになっちまってるからな。体を洗える場所が無かったんだ」
「後続の冒険者たちが可哀相ですね……」
二人はしんみりと、後の英雄たちの不幸を悼んだ。
「さて……これで俺の望みはわかったろう。ただの一つだ、この悪霊を追っ払って、俺にうんことは無縁の生活を送らせてほしい」
「ヒトでいる限りうんこと無縁にはなれませんよ。……神になります? 神になったら排泄しませんよ。ここで一緒に暮らします?」
「やだよ。いや、俺が生み出すうんこはいいんだ。悪霊にも一分の情けはあるんだろうな、自分のブツを踏んだことはないんだ」
イシュタナがチッと舌打ちをする。
地上を管理するその役目のため、もうずっと、何百年も何千年も、この世界を創ったその日から。ひとりで過ごしてきたのだ。
なんでも願いを叶えるというエサを撒いてまで話し相手が欲しかった。
願いを叶えてハイさようならではさびしい。
うんこ以外の話も聞かせろ。
……そうだ!
「まだ身の上話が足りなかったか? そうだな……語るのをつい避けてしまっていたが、人糞についてはこんな悲しい思い出がある。俺はある辺境伯に騙されて、何人もの男たちと廃坑に閉じ込められたんだが……」
「わかりました! 貴方の望みはすべてわかりましたよ! なんせ私は全知全能の神様ですからね。むふふふふ。貴方にとり憑く悪霊を祓ってさし上げましょう。そして今までの不幸だった分の幸せを取り返せるように、福の神と取り替えてあげます」
「気遣いありがとうな。でももう何かに憑かれるのはこりごりだ。これからは一人で自由気ままに生きてみるさ」
「えーい! この男にとり憑く悪霊よ立ち去れ! そして入れ替わりで幸福の神よきたれ! ぴかー! ……アーシマッター! 優しくて強くて美しいパーフェクト幸福をもたらす神と取り替えようと思ったら、私だったー! うっかりやっちゃいましたー!」
「………は?」
アルバの言葉を遮りイシュタナが右手を振り上げ、辺りが白く眩い光に飲み込まれたかと思うと、先ほどまで心の中に語りかけるようだった神の声がすぐ後ろから聞こえた。
「………なんで?」
「いやーうっかりしてしまいました。とびきりの守護神をつけてあげようかと思ったら最高神が選ばれちゃいました。つまり私ですね。いやあうっかりうっかり。むふふふふ!」
水晶の玉座に腰掛けていたはずの創造神が、何故か今は背後で肩に手を置いて浮いている。
満面の笑みを浮かべながら。
「選ばれちゃいましたってオマエが選んだんだろ!? いや、え!? 創造神がとり憑くってなんだ!? えっ!?」
「これは仕方が無いですねぇ。貴方と共に冒険の旅について行くしかないですね! あ、ご心配なく。世界樹踏破後の裏ダンジョンとして虚空に浮かぶ城と海中深くに沈む神殿を用意してありますから。虚空城へはそこの玉座の裏にあるスイッチを押すとワープ装置が発動して……」
「まてまてまて! なんでそんなもの用意してあるんだ!? いや違うな!? 俺が気にするべきはそこじゃないな!??」
「人の世に神なんて不要! ってタイプの冒険者が来たとき用にです。私を倒した後に更なる残酷な世界の真理が」
「そうじゃないんだって!! なんでオマエ!? 創造神が一介の冒険者に憑いてくるんだ!? だいたいオマエここを離れていいのか!?」
「大丈夫です! 本来なら世界の管理者がいないとたちまち地上は荒廃するのでここを離れられないのですが、交換の要領で私と悪霊を取り替えましたから。これで私は自由ですよ! むふふふふ!」
晴れ晴れとした笑顔で言い放たれた言葉にぎょっとして振り向くと、玉座には先ほどまで己にとり憑いていた、嫌というほど見慣れた黒い靄がまとわりついていた。
「あれは、俺の悪霊……?」
「そうですよ。入れ替えで管理者に設定しておきました。世界樹が根を下ろす地上を統治しなければならなくなりますよ。私はもうずーっとひとりでその役目を担ってきたのですからね。人間たちにはもっと信仰して欲しいものです! 具体的には供物を毎日ささげてほしい! アップルパイが食べてみたいんですよね~。
……あっ! 私ったらうっかりです。もう自由なんでした。むふふふふ! 自分でアップルパイを食べに行けるのですね! 美味しいお店知ってますか? 祝杯がてら食べに行きましょう!」
「まてまてまてまて!! それってあの悪霊が、この世界を支配できちまうってことか!?」
「そうとも言いますね! ………あっ」
屈託の無い笑みを浮かべていたイシュタナから、表情が抜け落ちる。
それを見たアルバは瞬間的に「これは洒落にならないヤツ」だと気づいた。
慌てて玉座を見ると、それまで困惑したように揺らいでいた黒い影がすうっと伸び、どこにあるともわからない口が、笑みの形に歪められたような気がした。
玉座に駆け寄るアルバだが、黒い靄は揺らぎ、うねり、吸い込まれるようにして玉座へと消えていった。
「………どうするんだ」
「いやー……うっかり……しました……」
ふたりして無言のまま、いくばくかの時が流れた。
神の間が微かに揺れる。
地上の改変が始まるのを、ふたりはその振動に感じ取った。
「えーと……アルバに憑いていた悪霊って、うんこを踏ませるだけなんですよね?」
「……ああ……そうだ」
自分が世界樹を攻略したことが、世界にとんでもない影響を及ぼしてしまったのではないか。
放心するアルバに、世界に働きかける影響を失った元最高神(笑)がつとめて明るく声をかけた。
「それならきっと、全人類がうんこを踏むようになるだけですよ! 今まで貴方が踏んできたうんこを世界中の人が踏むようになるんです。考えようによっては……貴方の不幸が取り除かれたと言えるんじゃないですか? 全ての人に同じ不幸が訪れるのなら、それはもう不幸ではないのですよ。普通のことなのです。きっと、たぶん。はい」
長い長い時間がかかった。アルバが答えを出すまで。
アルバはイシュタナの言葉を耳に入れ、飲み込み、噛み砕き、脳の常識的な部分に届く前に考えるのを止め、問題をすげ替えた。
「そう……だな。俺が今まで踏んできたうんこを……そうだ。そうだよな。俺が息を吸うように踏んできたうんこを、全ての人間が踏むようになる。これって、別に普通のことだよな。
うんこを踏む俺を汚いモノでも見るかのように(実際汚い)見てきたアイツらが、これからは息を吸うようにうんこを踏む。いや、いっそうんこ吸えってくらいだ。ただそれだけの、話だったな……!」
そうですよ、とイシュタナは笑う。
つられて、アルバも笑った。
なんだかすがすがしい気分だ。こうやって笑っていると、全てがどうでもよくなってくる。
どうにでもなってくれ。
「さて…じゃあ帰るとするか。クソッタレな世界にな……!」
「もちろん私もお供しますよ! お供というか、もう最高神の力を失った私の意志じゃ離れられないんですけどね! アップルパイ食べに行きましょうアップルパイ! むふふふふ!」
「がはは! 最悪じゃねーか! 笑うしかねーな!! ははは!! はは…は……」
ふたりは神の玉座に、やらかしてしまった世界の行く末に、目を背けて歩き出した。
――こうして世界はうんこまみれになった。
後の世にうたわれる、暗黒時代の到来であった。
―――――――――――――――――――――――――……………
おまけ
アルバ
幼少の頃にとり憑かれた悪霊を祓うために旅を続けてきた冒険者。
一日に三回以上うんこを踏むので汚れが染み込まず洗いやすいように金属製のブーツを履いている。
世界樹はいわゆる死に戻り系のダンジョンであったが何故か入り口や前日に泊まった宿屋等ではなく生家に戻されるので、敗北するたびに故郷の村(世界樹まで一ヶ月以上かかる)から再出発を強いられた。
そのため強靭な足腰を持ち、ダンジョン内では洗いやすさよりも身軽さを優先したため軽い皮製のブーツを装備し、韋駄天のように駆けることが可能となった。
速さで敵を翻弄するスタイル。しかしアルバの足元にうんこを生み出す生き物は排便の瞬間だけ彼の素早さを悠々と越えていく。
下半身が特に頑強な42歳。
イシュタナ
創造神。人形遊び感覚で世界を創造したら生態系が独自に発展していって焦った。
悪霊とその座を交換するまでは世界の管理を行っていたが、大半は人間たち自身に委ねていた。
地上の営みを覗き見るのが好きで、ある日見たアップルパイをとても食べてみたくなった。でも誰も持ってきてくれないので嫉妬のあまりそのときアップルパイを食べていた全ての人間を滅ぼしたことがある。
アルバにとり憑いた後彼の故郷に立ち寄った際、その村がりんごの名産地だと知り狂喜乱舞した。
アルバの母親が焼いたアップルパイを食べた瞬間母親に乗り移ろうとしたがアルバにビンタされてやめた。
世界を管理する力は失ったが実力行使で世界を動かすことはできるので(創造主の力は変わらないので)、本当はアルバから離れることも可能。
しかし彼は世界のことはくまなく知っているが世間のことは何も知らないので、アルバか彼の母親にとり憑く以外の選択肢は浮かばない。
アルバよりでかい。
うんこ踏ませ霊
どんな謂れがあるのか、いつからそこに祀られていたのか、誰にも定かではない。
アルバに祠を壊されたその日から彼にとり憑き、一日に一定数のうんこを踏ませる。
世界の管理者の座を図らずとも譲られてから、いかにして世界中の人間にうんこを踏ませるか奮闘している。
一日に少なくとも人口×三個分のうんこを用意するとなると人間を除いた生き物たちの肛門に無理を強いてしまうため、うんこをするだけのケツ状の眷族を創り出した。
それだけの量の糞便が世を満たすと世界が臭くなる難問に行き当たり、無臭で土に返りやすく、また土壌を豊かにするうんこの改良に勤しんだ。
すると人間たちはそのケツ状眷属を捕まえて豊かなうんこを絞りとり、畑の肥料として活用し出すなど転んでもタダでは起きない根性を新たなる管理者に見せ付けた。
うんこ生産以外の管理業務は拙いながらも真面目に行っている。
裏ダンジョン
この世界の外側に位置する外宇宙の神が住む虚空の城、人間たちとは別の歴史、文化、信仰を綴ってきた海底人たちの住む海底神殿がある。
どちらの住人もイシュタナのことを認識していないので、勝手にダンジョンとして登録されていい迷惑である。
くじ引きによるお題
【1 ダンジョンで 何かに取り憑かれている人が うっかりやの神様と 交換した】
に沿った小説です
次回のお題は
【2 海の見える丘で 見た目が子どもの吸血鬼が 王子様(お姫様)と 賭けをした】
です