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その2-2:入学式終了後~金月集合~ホームルーム~放課後のイロイロ

一応完全版であるノクターンのR-18版からR-18要素を抜いた結果やや文脈に不自然な部分があるかもしれません。でも向こうは向こうでスケベ要素がオマケ程度になりつつあるのであんまり影響はないのかな?とにかく頑張って書いたので暇で暇でしょうがない時にでも読んでくれよな!

「ん~~~っ、ずっと座ってて疲れたよぉ~!」

入学式が終わり、今はこの後各クラスで行われるホームルーム前に小休憩を取っている所だ。

カンナは指定された教室へ向かう途中で大きく伸びをする。

ちなみに今はカンナ一人である。流石に女子のお手洗いにアイルを同行させるわけにはいかない。

キクリーナも誘ったが『はぁ?』と冷たい目で睨まれただけだった。連れションの趣味はないらしい。

「それにしてもおトイレまで豪華だなんて、あれじゃ落ち着いて出せないよ……」

本当に何から何まで金がかかっている。カンナが優秀とはいえ貴族でもないのにこんな所に住んで良いのだろうか。

「えーと……教室は4階の端っこかぁ」

身体をほぐすためにやや小走りで校舎の中へと入っていく。扉や通路の壁にも高貴な装飾があしらわれており、ついつい横目で見てしまう。

移動の途中、どんっと何かにぶつかる。不意を突かれたカンナは尻もちをついてしまう。

「わわっ」

「む……」

カンナが尻もちをついたまま見上げると、目の前にやや大柄な男が立っていた。よそ見をしながら走っていたせいで気づかなかったのだ。

男はカンナより年上で、恐らく20代だろう。黒い短髪にブラウンの瞳。そして何より魔法使いらしからぬがっしりとした体格が印象的だった。

衣服には自分と同じ金月のバッジが付いており、この男が間違いなく魔法使いである事がわかる。それも相当優秀な。

「すまん……平気か?」

見た目通りの低く太い声でこちらを気遣う男。

「あっ、全然大丈夫です!すみません先輩、あたしがよそ見してたせいで……」

「うむ……構わん」

静かに頷く男。無口な人だなぁとカンナは思う。無骨な外見で口数も少ないため、人によっては怖がられてしまうのではないだろうか。

カンナはぱんぱんと服の埃を払って立ち上がる。

「ところで先輩。あたし4階の教室に行きたいんですけど、階段ってどっちにあるかわかりますか?」

そう尋ねると、男は少し困ったように眉をひそめる。何か失礼な事を言ってしまっただろうか。

「いや……俺も……新入生……」

「へっ……?」

思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。てっきり上級生だと思っていたのだが。

「じゃあ、同じくらいの年なんですね! 同級生なんだ。あたしはカンナ。これからよろしくね!」

カンナが笑顔で言うと、男は何か言いたげな表情でまた黙ってしまう。やはりちょっと変わった人かもしれない。

「俺は……ボーデン。歳は……21」

辛うじてといった様子で小さく呟く。

「へえぇっ……?」

またもや素っ頓狂な声を上げてしまう。同期なのだから見た目より若いのだろうと思っていたのだが、見た目通りの年齢だったのだ。

「そーなんだ……ボーデン君、ボーデンさん?えーと、ごめんなさい。あたし田舎者で礼儀作法とか得意じゃなくって……」

「いや……楽な話し方で良い。年齢は……あまり気にしないで欲しい」

なるほど、とカンナは頷く。なんだか不思議な人だが、悪い人ではないだろう。

「そか、よろしくねボーデン君!折角だし教室まで一緒にいこ!」

カンナが言うと、ボーデンは遠慮がちにこくりと首を縦に振った。

***

少し前。

カンナがお手洗いへと駆けて行ったのを見届けると、アイルとキクリーナは先に教室への道のりを歩きだす。

アイルは校舎の入口に張り出されている紙を眺める。そこには今年の入学生の一覧とクラス分けが記されていた。

「今年の金月は僕たちを含めて7人いるようですね」

「貴方とわたくし、それにあの娘とブレッザを含めて4人。後の3人は聞き覚えのない名前ですわね。貴方はありますの?」

「僕もありませんね」

アイルがそう言うと、キクリーナはうんざりとした様子でため息をつく。

「はぁ……貴方もわたくしも知らない名前と言う事は、木っ端同然の下級貴族かそれ以下の平民出身という事ですわ。金月の過半数が低層階級出身って、何かの冗談ではありませんの?」

「それだけ貴族と平民の肉体的・精神的な格差が縮まっていると言う事です。これは国が豊かな証拠ですから、喜ばしい事なのでは?」

「ふん! 確かに、その通りかもしれませんけれど―――」

と、そこでキクリーナの言葉が途切れた。彼女は立ち止まると眉間にシワを寄せながら斜め前方―――校舎の側面に目を向けて短く舌打ちする。

「……早速木っ端同然の下級貴族のお出ましですわよ」

「え?」

アイルがキクリーナと同じ方向に視線を向けると、小さな人だかりができていた。数人の生徒が何かを取り囲んでいるように見える。

少し近づいて様子を見ると、囲まれているのが小柄な少女であることに気づいた。

ブルーアッシュの長い髪はぼさぼさの三つ編みで、闇を連想させる深紫の瞳が長めの前髪の間から見え隠れしている。衣服の襟元には金月のバッジ。

その小柄な身体と幼い容姿から年齢はアイルと同じかやや下に見える。が、今は彼女の独特な容姿よりも、彼女が置かれている状況が問題だった。

彼女を囲んでいる生徒の一人が突っかかる。

「ふーん。こんな弱そうなドチビが金月?」

「うそだろ? 絶対デマだって!全然強そうに見えねぇもん」

「何かインチキでもして入学したんじゃないのー?」

各々が少女に寄ってたかって暴言や嘲笑の言葉を吐く。

「うぅ……わ、わたし、そんな事してません……」

少女は怯え切った表情で弱弱しく反論するが、多勢に無勢だ。

「入学式早々いじめの現場に出くわすなんて……どこの世界にもああいう三下はいるんですのね」

遠巻きにそれを眺めていたキクリーナがため息をつく。

「昨日子供を引っぱたいていた人が何か言ってますね」

「だからあれはあの子供が悪いので―――ちょっと、どこに行くんですの?」

「先に行っていてください。すぐに戻ります」

キクリーナが静止する間もなく、アイルはいじめ現場の方へと歩いて行ってしまう。

「まったく……誰かさんの影響を受けすぎでは?」

キクリーナは本日何度目かもわからないため息をついた。

***

「さっきからウジウジしてるだけで全然反攻しないのねぇ。プライドとかないの?」

「きったねー髪……手入れの"て"の字もされてねーな。可愛げがないぜ」

取り囲んでいた生徒たちの一人がそう言うと、他の生徒達が一斉に笑い出す。

「あははは! それ言い過ぎだよ!」

「だって事実じゃん。お前鏡見た事あんのかよ? お前んち確かド底辺の下っ端貴族だったよな。下手したら平民より汚いんじゃねえの?」

一人の男子生徒がアイルの髪を掴んで無理やり上を向かせる。

「きゃ……!」

「うわぁ……マジだ。肌も真っ白だし目つき悪ぃし不健康そうな奴。女としての魅力ゼロじゃね?」

「あんたみたいなのに金月のバッジはふさわしくないのよ。私によこしなさいよ」

一人の女子生徒が少女の首元に付いたバッジを奪おうとすると、途端に少女が激しく抵抗する。

「やだっ……やめてください……!」

じたばたと暴れると、ばしっ、と少女の手が女子生徒の顔に当たってしまう。

「痛っ……はぁ?なんなのこの子?やる気?」

「やっちまおうぜ!」

「賛成!」

どぽん。

「えっ?」

ばしゃっ。

「うわっ!?」

「何!?」

「冷たっ!」

彼らの魔の手が少女に伸びる前にコップ一杯分の水塊がそれぞれの頭上に浮かび、ぶっかけられる。

この程度の水術ならわざわざ詠唱は必要ない。アイルは目を白黒させる生徒達にゆっくりと近づく。

「どうも、ドチビで弱そうな金月の生徒その2です。友人がお世話になったようで」

「はぁ?何だお前、いいとこなんだから邪魔すんじゃねーよ。やっちまうぞ?」

「ちょ、ちょっと待って。この子確か……」

生徒の内の一人がアイルの顔を見て急速に青ざめていく。有名人の辛い所だが、今ばかりはそれが都合の良い方へ働いたようだ。

「もしかしてあなたは、ルクスリバー家の……!?」

「げっ、それって王族を除けば五指に入るほど位が高いとも言われてるあの……?」

「それより、今この子の事"友人"って……」

やばくない?やべぇよな……とざわつくいじめっ子たち。

当然アイルはこの少女とは初対面だ。少女が遠慮がちにこちらを見て何かを言おうとするが、アイルは唇の前で人差し指を立ててそれを制する。

「でも、あんま強そうじゃねーぞ?一緒にやっちまうか?」

「そ、そうね。数はこっちの方が多いんだし―――」

どうやら彼らはより暴力的な手段に訴えかける事にしたらしい。あまり荒事は好きではないのだが……。

「わたくしはやめておいた方がよろしいと思いますけど」

「あれ、キクリーナ嬢?」

どういう風の吹きまわしなのか、先に教室へ行くよう促しておいたキクリーナがわざわざ加勢しに来た。

「また増えた……!」

「ちょっとちょっと、この人も確か上級貴族じゃ……」

「やばくない?私らやばくない?」

数の有利が無くなったことで更にいじめっ子達はざわつき始める。

「し、失礼しましたぁ~!」

結果。彼らは逃げる事を選んだようだ。一斉に散っていく彼らを見て、キクリーナはふんと鼻を鳴らす。

「やる事も三下なら、逃げ方も三下ですのね」

「意外ですね、貴女はこういった事にわざわざ介入しないように見えますが」

「ふん、ただの気まぐれですわ」

本気なのか照れ隠しなのかイマイチ判断はつかないが、彼女が来てくれた事で楽に事態を収拾できたのは確かだ。

「それより―――」

キクリーナは先ほどまで虐められていた少女の方を見る。少女はまだ助かった実感が湧かないのか、不思議そうに二人の顔を交互に見ている。

「いろいろと言いたいことはありますけれど、まずは……お礼の一つでも言ったらどうなんですの?」

彼女の言葉を聞いて、少女はハッと我に返った様子を見せた後、慌てて頭を下げた。

「あ、ありがとうございます……!えっと、あの、その……助けていただいて、本当に感謝しています!」

彼女はキクリーナに向けて深々とお辞儀をした。

「わたくしにではなく、こちらの殿方にですわ!」

苛立ったようにキクリーナが指摘すると、彼女は慌てたようにアイルの方を向いた。

「あっ、あの、えと……うぅ……は、恥ずかしい……」

アイルの顔をチラチラと見てはモジモジと体をくねらせる少女。

「助けられておいて!お礼を!!言わない方がっ!!!人として!!もっと恥ずかしいですわよっ!!!」

「ひゃうぅ……っ」

苛立ちを爆発させるキクリーナに少女はびくびくと震える。昨日の件と言い、彼女は子供の扱いが致命的に下手だった。

「まぁまぁ、そんなに怒らないであげてください。別にお礼を言われたくて助けたわけではありませんから」

「貴方もねぇ、そうやって甘やかすから礼儀知らずの底辺どもが…………っはぁ~、当事者同士が良いならもうそれで良いですわ」

勝手にしやがれですわ、と吐き捨ててキクリーナはまたため息をつく。そんなにため息ばかりついて老け込まないか心配だ。

「君も金月だよね?つまり僕たちと同じクラスなんだ。また絡まれても面倒だし、僕たちと一緒に行こうか?」

アイルが少女に手を差し伸べると、少女はびっくりした様な顔でアイルを見つめる。

「で、でも、わたし……その、家格とか、ふさわしくなくって……」

「んああぁ~~~もうっっ!!!」

いよいよ奇声に近い怒鳴り声をあげて少女に詰め寄るキクリーナ。

「貴女ねぇ!いい加減にしたらどうなんですの!?なるほど家格を気にする殊勝な心掛けは結構ですわ!でも慎ましさも行き過ぎると周りをイラつかせるだけですわよ!?」

「ちょっと、キク―――」

「だまらっしゃい!」

「はい……」

この場でイラついているのはキクリーナだけなのだが、こうなった彼女はもう止められない。

「いいこと!?貴女は腐ってもわたくし達と同格の金月なんですのよ!貴女がウジウジと弱気な姿を見せると、わたくし達まで舐められかねないんですの!!おわかり!?」

「ひぃ……」

「わたくし達が良いと言ったのならそれに従えば良いんですの!つべこべと言い訳をして差し伸べた手を払われる方が、こちらにとっては100倍屈辱的なんですのよ!これもおわかり!?」

怯えながらも半ば無理やりにこくこくと頷く少女。そろそろ止めようかとも思うが、彼女の主張がただの暴論ではないだけに止め辛い。

「あの下種共の言う通りのインチキ入学を、貴女がしたのではないなら!少しは胸をお張りなさい!でなければ貴女を優秀だと評価した学校にも、その貴女と同期であるわたくし達にも失礼ですわよ!」

「ひゃ、ひゃいぃ……」

ぷるぷるとゼリーみたいに震える少女が哀れで仕方がない。

「はぁっ……朝から血圧が上がりっぱなしですわ……もうクラクラしてきましたわ……」

(じゃあそんなに怒らなければいいのに……)

「何か言いました!?」

「言ってません……」

心の声まで読まれそうになってアイルは慌てて首を振った。

少女の方はと言うと、散々怒鳴られて怯えているのは変わらずだが、キクリーナの言葉に何か思う所もあったようだった。

おずおずと、本当におずおずと。アイルがカンナにそうした時とは比較にならない程ゆっくりと遠慮がちに、彼の方へと手を伸ばす。

ちら、と上目遣いで見上げる少女と目が合う。安心させるようににっこりと微笑んでみる。

やがて、たっぷり数十秒はかけてからようやく二人の手が触れ合い、繋がれる。

「はぅ……」

顔を真っ赤にして俯く少女。もしかして男と手をつなぐのは初めてなのだろうか?自分もカンナ以外の女性とは初めてだが。

「たったこれだけの事に、随分と長く苦しい道のりでしたわ……もうこの章はこれで終わりで良いのでは?」

「?」

「なんでもありませんわ……また面倒事に巻き込まれる前に、さっさと教室に行きますわよ」

キクリーナはずかずかと校舎の方へと歩いていく。

「それじゃ、僕たちも行こうか」

「は、はい……」

まだ顔の赤い少女を連れて、アイルはキクリーナの後に続く。

「そういえば……名前を聞いてもいい?」

「っあ……え、えと……」

びくりと震える少女。じろり、とキクリーナが睨む。もしかしてあれで背中を押しているつもりなのだろうか。

「あの……わ、わたし、は……」

「プディカ!やっと見つけたわ!」

やや遠くから響いた声にキクリーナはちょっと貴族のお嬢様がするべきではないような顔をする。

「もうこの際何が来ても驚きませんわよ。どーんと来いですわ……」

「貴女そんなキャラでしたっけ……?」

声のした方を見ると、一人の女性がこちらに早歩きで近づいて来るのが見える。

「あ……ミモザお姉ちゃん……」

なるほど、とこちらに向かう女性の姿を見たアイルは納得する。この少女にどことなく雰囲気が似ているのだ。

髪の色はプディカと呼ばれた少女よりも彩度の高いネイビーアッシュで、よく手入れされているぶん艶がかかっているように見える。

セミロングの髪を一本にまとめて縛り後ろに垂らしているて、瞳は少女よりも黒に近い紫。大きく違うのは平均よりやや高めのキクリーナよりも更に少し高い程の長身だ。

「まったく、飲み物を買いに行って戻ったらいなくなっているんだもの……探したわよ」

第一声よりもだいぶ下がったトーンで落ち着いて話すミモザと呼ばれた女性。性格や言動はクールな大人の女性と言った印象を受ける。

「ご、ごめんなさいお姉ちゃん」

「まぁ、無事ならそれでいいのよ。何かあったんじゃないかと心配したんだか―――」

ぴた、とミモザの視線が一点で固まる。遠慮がちにきゅっと繋がれた二人の手元だ。

「……ちょっと、どうして貴方は私の可愛い妹と手なんか繋いでいるのかしら?」

切れ長の瞳でギロリとアイルを睨みつけるミモザ。

「事と次第によっては私は貴方を消さなければならないのだけれど」

「えぇ……?」

「また何かヤバそうなのが出てきましたわね……」

怒涛の展開に困惑を隠せないアイルとキクリーナ。どういうわけかこの女も金月のバッジを身に着けている。クールな大人の女性という評価は改めるべきだろうか。

このまま消されるわけにもいかないので彼女を上手く宥める方法を考える。が、次の一言を発したのはアイルではなくプディカだった。

「だ、だめ……」

アイルの手を握る力が強くなる。もう片方の手で守るように彼の腕にしがみつく。

「そんなこと、しちゃ、ダメだよぅ……!」

ぷるぷると震えながら涙目で訴えかけるプディカを見て、ミモザは少し怯む。

「……どういう事?この子が知らない男相手にこんなに懐くなんて」

「ええと……お姉さん?これには深いわけがありまして。話すと長くなるのですが」

「なりませんわよ。ただその辺のいじめられっ子を片手間で助けただけですわ」

「???」

わけがわからないといった表情のミモザに、二人は先ほどの経緯を説明し始めた―――。

***

ざっくりとここに至るまでの流れを説明し終えると、ミモザはプディカの方を見る。

「……なるほど。貴方達は誘拐犯ではなく、むしろこの子の救世主だと。本当なのプディカ?」

姉に問われた妹は、こくりと小さくうなずく。

「う、うん……本当だよ。この人は良い人で……わたしの、ヒーロー……」

(……んん?)

"わたしの"という言葉に何やら妙な雰囲気を感じてキクリーナが横を見ると、プディカは真っ赤な顔で俯きながらも熱のこもった視線でアイルを見上げていた。

(ふむ……男慣れしていない幼い少女。悪者に囲まれ絶体絶命のピンチに颯爽と現れた歳の近い美男子。名も知らず所縁もないのに助けてくれて、しかも家柄は折り紙付き……)

まるで絵本の物語のようにお姫様を救いにきた王子様。そんなシチュエーションがあれば、年頃の少女ならば誰だってときめいてしまうだろう。

(なるほど、これは不可抗力ですわね。それにしても相変わらず罪づくりな殿方ですこと……これまで一体何人の女性を"こう"させたのでしょうか)

アイルの女性に対する苦手意識は家格目当てにすり寄る女性に責任があるのももちろんだが、それ以上に彼自身が無意識に女心をくすぐってしまう才能を持っているのも原因かもしれない。

もしこの少年が名門貴族ではなかったとしても、言い寄られる数が少し減るだけで本質的な部分は変わらないだろう。

(おそらく、あのカンナとかいう娘も似たような形でときめかされてふらふらと寄ってきたのでしょうが―――)

キクリーナは先刻まで共にいた少女の事を思い出す。そして伝わっていないのに尚もアイルを見つめ続けるプディカの方を見やる。

(―――こちらのほうが、面白そうですわね?)

キクリーナは決してカンナの事を憎んでいるわけではない。世間知らずの田舎娘と見下してはいるが、悪人の類だとは思っていない。

だがあの快活な少女が想い人を盗られるのではないかとやきもきする姿は余興として十分な退屈しのぎになるだろう。

そして予想通り互いが焦って強引に距離を詰めようとして、三文芝居さながらのドタバタコメディでも演じてくれれば観る側としてこれ以上面白い物もないだろう。

まかり間違ってアイルがどちらかと結ばれてしまってもキクリーナにとってはノーダメージだし、何なら焚きつけたキクリーナに感謝すらするかもしれない。

場合によっては自分が横から掠め取ってしまうのも一興だ。味方と思っていた相手に想い人を盗られた時の二人の顔を想像するだけで愉快な気分になれそうだ。

キクリーナはアイルに対し特別な感情があるわけではないが、どこぞの良く知らぬ輩と政略結婚させられるくらいなら彼の方がまだマシだと思う程度には彼を高く評価している。

キクリーナの価値観―――特に恋愛に関するものは人によっては歪んでいるように見えるかもしれない……この世界の貴族にとって、それは珍しい事でもないが。


ところで、ミモザの方は妹がこれまで見た事もないような表情で見知らぬ少年を見つめているのが面白くないようだった。

「プディカ……貴女もしかしてだけど」

「…………」

「プディカ?」

「………………あっ、はい!どうしたのお姉ちゃん?」

「この人の事を相当気に入ったみたいなんだけど、この人がどういう人なのかはもう知ってるの?」

「カッコよくて、優しくて、王子様みたいな人……」

「照れますねぇ」

この男は……女子にここまで言われても何も思わないのだろうか。推定年下の幼い少女は不信の対象でないと同時に恋愛対象にも入らないのかもしれない。

「そうじゃなくて……この人が何て言う名前で、どこから来て、どういう身分の人なのかとか、そういう事」

「…………あっ」

どうやら自分が惚れた相手の名前すら知らない事に今頃気づいたらしい。

その様子に呆れた姉は溜息を吐いてアイルの方を見る。

「ちょっと……そこの少年」

「はい」

ニコニコとお気楽な笑顔を振りまくアイル。彼は自分がどれほど危うい立ち位置にいるかまるで理解していない。

ミモザはアイルにぐいっと詰め寄り、上から下までじろじろと眺める。

「あの……?」

「ふぅん……顔は良し。さっきの話の通りなら器量も良し。家柄も……身なりを見る感じかなり良さそうね。よし、一次審査は合格」

「?? ありがとうございます」

20,000メル程賭けても良い。彼は審査の意味を理解していない。

「悪いんだけど……名前と出身とその他もろもろを簡単に教えてもらっても良いかしら?」

「構いませんよ。名前はアイル・ルクスリバーです。アスチルベの貴族で、水属性の魔法にはちょっとした自信があります」

「えっ」

「はい?」

「ルクスリバー……って、あの?」

「他にいるんですか?」

「…………マジ?」

「マジです」

「セントナスタの上級貴族キクリーナ・クリサンセマムが保証しますわ」

蚊帳の外でもつまらないので茶々を入れてみる。

「……プディカ、貴女すごい人達と知り合ったわね」

「う、うん……そう、みたい……」

「ところで、人様に名乗らせておいて自分たちは名乗りもしないんですの?これだから礼儀を知らない下民は……」

「ちょっと、何よその言い方……と言いたい所だけど、その通りね。私としたことが少し浮かれていたみたい。非礼を詫びるわ」

そう言って、コホンと咳ばらいをするミモザ。

「私はミモザ・アカーシャ。シンゴニ出身で、貴方達にとっては……取るに足らない下級貴族よ。家格だけを見るならだけど。それとこの子は妹の―――」

「プディカ・アカーシャ、です……あの……よろしくお願いします……」

アカーシャ姉妹は揃ってぺこりと一礼をする。プディカの視線はその間もずっとアイルに向けられたままだが。

「結構。ではいい加減教室に向かいますわよ。余計な時間を使いすぎましたわ」

「えぇ、行きましょう」

キクリーナを先頭に一同は校舎へ入り金月専用の教室へと歩きだす。

ふと、アイルの裾がきゅっと引っ張られる。後ろを見るとプディカが頬を染めながら上目遣いでアイルを見ている。

「あ、あの……もう……繋いでくれないんですか……?」

「……?あぁ、なるほど」

アイルがぎゅっとプディカの手を握ると、プディカは嬉しそうに微笑んだ。

(ふむ、積極性は負けていませんわね。いえ、単純な執着心だけならあるいは……)

少女の純真さとその裏に潜む危うさを鋭敏に感じ取りながら、キクリーナは4階への階段を駆け上がる。

***

少し後。

カンナとボーデンは校舎内マップと格闘しながらなんとか金月の教室の前へとたどり着く。

「いやー……思ったより校舎が広くて迷っちゃったね!」

「うむ……すまん」

「ボーデン君は悪くないよ!あたしが方向音痴なのに強引に連れまわしちゃったから……」

「気にするな……俺もあまり、道案内は得意じゃない……」

「フォローしてくれてるの?ありがと!」

「む……」

元気いっぱいに微笑むカンナにボーデンは少し照れたように頬を掻く。

無口で不愛想に見えるが、よく見ればちゃんと愛嬌もあるのだ。カンナは人の良い所を見つけるのが得意だった。

「ほら、多分あたし達以外はみんな来てるよ!早く行こ!」

がらっ、ばーんっ!

「やばっ……」

扉の滑りが良すぎたのか思ったより勢いよくドアがスライドして端に激突する。

幸い教師はまだ来ていないようだ。が、否が応でも中にいる者の注目を集めてしまう。

「どうも、カンナさん」

「相変わらずの野蛮さですわね」

見知った顔の二人が声をかけてくる。

「へへ……朝からうるさくてごめんなさぁい……」

カンナはばつが悪そうにすごすごと後ろの端の空いている席に座る。

続けてボーデンがひっそりと教室に入り、適当な席に座る。彼も相当存在感のある男だが今はカンナの悪目立ちの方が勝っていた。

カンナがちらりとアイルの方を見ると、彼の近くにはキクリーナと見知らぬ二人の女子生徒がいる。

一人は長身で恐らく年上の女性。もう一人は小さくて可愛らしい少女。体格差以外の容姿が似ているので姉妹だろうか。

(またアイル君の周りに女の子が増えてる……)

キクリーナや長身の女子生徒はともかく、小柄な少女の方がアイルを見つめる視線にカンナは本能的に自分と同じ匂いを感じた。

(あれは恋する女の子の瞳だ……あたしがちょっと離れてた間にいったい何があったの……?)

まぁ大体の予想はつくのだが。またアイルが天然の女たらしムーブでもかましたのだろう。

「『あたしと言う女が既にいるのに』とでも言いたげな顔ですわね?」

「うひゃ!?」

カンナが悶々としていると、いつの間にか近づいてきていたキクリーナに話しかけられびっくりしてしまう。

「キ、キクリーナ……ちゃん?」

「『ちゃん』ですって?身の程を弁えなさい……と言いたいところですが、まぁ特別に見逃しましょう。今はそれよりも―――」

にやり、と底意地の悪そうな顔をしてキクリーナが囁く。

「あの少女、先程いじめっ子に絡まれていたのをアイルさんに助けられてからベタ惚れみたいですわよ?」

「ふ、ふ~ん……それがどうしたの?」

努めて平静を装うカンナ。だがキクリーナはそんな事お構いなしに畳みかけてくる。

「あら、嫉妬なさらないんですの?あの子、顔はそこそこですが小動物的な愛らしさがありますわよ。あの幼さではアイルさんもまるで無警戒みたいですわねぇ。でもあの子の眼は"狩る側"の眼に見えませんこと?わたくしが見るにあれは気に入ったおもちゃを四六時中手放さないタイプの子ですわよ。全身隙だらけの男を虎視眈々と狙う少女……不意打ちで一気に落とされてしまうかもしれませんわね?あーあ、そうなったら貴女はめでたく失恋ですわ。わたくし的にはそれも面白いので良いのですけれど。それにしてもアイルさんも罪なお人ですわ。あんなにも純真無垢な女の子の初恋を奪ってしまうなんて。そう思いませんこと?」

「ちょ、ちょっと待って。そんなにいっぺんに喋られてもわかんないよ……」

「つまるところ、有力なライバルを目前にしてうかうかしていて良いんですの?ということですわ」

「どうしてあたしがアイル君の事を好きな前提で喋ってるの……!?」

「あら違うんですの?それは失礼致しましたわ。ではわたくしは大手を振って堂々とあの少女の応援ができますわね」

「えっ、ちょ……待って、ストップ。それは困るよ!」

「なぜ?」

「ぐっ……」

カンナは言葉に詰まる。別にアイルの事が好きなのは事実だし本人以外には隠すようなことでもないのだが、なんとなくこの意地悪なお嬢様にそれを打ち明けるのは気が引けた。

「まぁわたくしはその過程で面白いものが見られるのなら最終的に誰と誰がくっつこうがどうでも良いんですけれど?」

「悪趣味……」

「あの二人をくっつけてきますわね」

「待って!ごめんなさい許して!」

すがるようにカンナが引き留めると、キクリーナはにやぁっと邪悪な笑みを浮かべた。

「賢くもあなた方の恋模様を丸ごと把握しているこのわたくしが持つ影響力の大きさを理解したかしら?」

「した……したから、あたしの側について!」

「『ついて』?」

「うぐ……」

「あーあーこれだから物の頼み方を知らない下民は嫌ですわねぇ。これなら下級といえど貴族であるあの少女の方がアイルさんにはお似合いかもしれませんわねぇ」

「あ……あたしの……側に……ついて……くださいぃ……」

「『お願いします』は?」

「お願いしますぅぅ……」

あまりの屈辱にカンナは泣きそうになりながら懇願すると、キクリーナは満足げな顔でくすっと笑って言った。

「その台詞を地面に跪きながら言うのですわ」

「えええ……!?」

「ひ・ざ・ま・ず・け♡」

トントンとつま先で床を叩いて促すキクリーナの笑顔は今までで最高の邪悪な輝きを放っている。

「ぐっ……くっ……ううっ……」

物凄い顔で歯噛みしながらカンナはキクリーナを見上げる。

「ふふん、この辺りが潮時ですわね。まぁ跪くのはしなくても良いですわよ。十分良い顔が見られましたし。その気になればいつでもさせられますわ」

「ドSお嬢様は人の心とかお持ちでない?」

「何とでもおっしゃい。わたくしが上で貴女が下なのは変わりませんわ」

おーっほっほ!と悪役令嬢にありがちな高笑いをかましながらキクリーナが言う。

「まぁ、今後の戦いに際し一つヒントを差し上げるならば」

ぴっ、とウインクしながら人差し指を立てるキクリーナ。悔しいがその姿は様になる。

「あの少女―――プディカはおそらくそう遠くない内に過激な手段に出ると思われますわ」

「そうなの?」

「子供故に周りが見えておりませんもの。あまりに純粋で一直線な好意は時として容易に暴走をするものですわ」

「つまり?」

「例えば、あの子のがむしゃらな攻勢をいなし続けて精神的に弱ったアイルさんを"できる大人の女"らしく優しく癒して差し上げるのはどうかしら?」

「ほうほう……!」

「よろしいですの?"貴女にあってあの子にはないもの"を最大限武器として利用なさい。その無駄にでかい乳とか」

「…………」

「あら、どうしましたの?」

「うぅん。なんでもないよ。ありがとう、あたし頑張るね」

(冗談のつもりでしたのに、もしかして本気にしたんですの……?まぁ、それならそれで面白くなりそうですけど)

キーンコーンカーンコーン。

「っと、予鈴ですわね。まぁ困った事があったら相談なさい。"頼み方によっては"聞いてやらん事もありませんわ」

おーっほっほ!とまた悪い高笑いをしながらキクリーナは席に戻っていった。

(あれはあれで応援してくれてるのかな……?)

間違っても100%純粋な好意ではないだろうが、100%純粋な悪意でもないだろう。

上手く利用すれば、強力な参謀となってくれるかもしれない。下手をすれば最大の障害になるかもしれないが。

いずれにせよ、カンナの恋は前途多難だ……。

***

予鈴を聞いて金月の生徒は全員着席する。今年の金月7名の内ブレッザだけがまだ来ていない。

がららっ、と教室のドアが勢いよく開いて一人の女性が入ってくる。

「にゃっほーい☆栄光ある金月の新入生諸君!元気かにゃー?記念すべき最初のホームルームをはっじめっるよーん♪」

「……!?」

予想外の展開に生徒達は驚愕する。このふざけたノリと特徴的な言葉遣い。とても教師のものとは思えない。

だが普通は教師以外の大人は教室に入ってこない。つまりこの女性は間違いなく自分達の担任なのだ。

年齢は30歳前後だろうか?真っ赤な髪に真っ赤な瞳。そして鍛え抜かれ引き締まった手足。

それ以上に目立つのは程よく熟した豊満な胸と尻。そしてそれを強調するような露出の多い衣装。猫耳と短い尻尾が付いているが本物か飾りかはわからない。本当に教師か……?

健全な男子生徒には非常に目の毒ではないだろうか。カンナがアイルの方を見ると案の定顔を赤くして俯いている。ボーデンなどは目を見開いて固まってしまっている。

「はぁい、生徒諸君はじめまして☆私はキミたちの担任を務めるパキラだよん。よろしくネ!」

ばっちーん☆とウインクをかますパキラと名乗った女教師。

(うわあ……)

カンナ他数名はドン引きである。こんなのが自分の担任とかマジ勘弁して欲しい。

しかしそんなカンナの心の声を気にせずパキラは話を続ける。

「まず最初に言っておくけど、ここは世界一のエリート魔術師養成施設。これまで皆が通ってきた普通の学校じゃないからね?」

その発言に生徒たちは首を傾げる。

「どういう意味ですか先生?」

カンナは率直な疑問を口にする。

「簡単に言うと、指導も世界一厳しいってコトよん。特に私は王立騎士団外征部隊の元軍人だから、指導もビシバシ軍隊式でいくよーん」

「王立騎士団……!?しかも外征部隊ですって……!?」

キクリーナが驚いた声を上げる。カンナは騎士団についてあまり詳しくないが、キクリーナの驚き方からして超エリート軍人という事だろう。

「キクリーナちゃん、詳しいの?」

「王立騎士団はナスタ最強の軍隊。外征部隊はその中でも魔物退治や諸外国との"小競り合い"を担当する部隊ですわよ。戦争など有事の際には真っ先に駆り出される―――」

カカァン!とカンナとキクリーナの机にチョークが勢いよく投げ込まれる。勢いが良すぎてチョークは粉々に砕け散る。

「ッ……!?」

「はいそこ。私語は厳禁。さっきも言ったけどここは軍隊だと思ってねん。キミたちが喋って良いのは返事と挨拶、私の問いに答える時、私に質問をする時、その他私が発言を許可した時だけだから」

「…………」

口調は緩いままだが声色に底知れない威圧感を込めるパキラ。カンナとキクリーナは青い顔で黙り込んでしまう。

カッカッとパキラは黒板に文字列を刻んでいく。

~ナスタ王立魔法学園規則~

一、授業中の私語禁止。

二、授業中もしくは学習目的以外の魔法使用禁止。ただし、生活魔法の類を除く。

三、特別な理由のない欠席・遅刻・早退の一切を認めない。

四、生徒間および教師に対する暴言・暴力は禁止。生徒間で激しく意見が対立した場合は教師の仲裁、または教師の監督下での正式な決闘により解決する事。

五、貴族、平民に関わらず生徒の立場は平等なものとして扱われる。身分差別的な言動は禁止。

六、公序良俗に反するとされる行いは一切禁止。各自の良心に従って品行方正な行いを心がける事。

七、その他教師陣の指示には原則従う事。異議申し立ては正当な理由がある場合のみ許可される。

八、上記に違反した場合は違反の程度に応じて厳重注意・謹慎・退学処分のいずれかとする。

追記:当クラスの生徒は授業中に限り私を『教官殿』と呼称する事☆

以上。

と、書き終えたところでパキラはチョークを置いて教壇から離れる。

そして教室内の生徒たちを見渡してから話し始める。

「ま、こんなトコかにゃん。何か質問のある者は?」

と、そこで一人の生徒が手を挙げる。

「はい! 先せ―――教官殿!」

元気よく発言したのはカンナだった。あれしきでめげる少女ではない。

「猫耳とシッポ付いてますけどそれって何の意味がありますか!?あと何でそんなえっちな格好なんですか!?」

「私は規則に関する質問を募ったつもりだけど」

「えっ……ご、ごめんなさい……」

「ん、まぁ良いよ。質問の答えだけど、私は獣人族と人間のハーフだからコレは本物だよん」

ぴこぴこと動くネコミミを指差すパキラ。髪をかき上げるが"人間の耳"は見当たらない。

「はぇ~……すごい。えっちな格好の方の理由は?」

「ヒミツ☆」

「えぇ……?」

不満ではあるが、先程感じた威圧感のせいで強く聞けない。

「その……そのような過度に性的な衣装は、校内風紀に悪影響ではありませんこと?」

「学長に許可はもらってるよーん。火属性の魔法使いにはよくあるコトだから目をつむってねん☆」

「えぇ……?」

代わりに突っ込んだキクリーナも一蹴されてしまう。そもそも結局答えるのならさっき秘密にした意味がわからない。もしかして彼女はとんでもない暴君なのではないだろうか。

同じ火属性使いであるカンナもそれなりに露出の多い方ではあるが、正直一緒にしてほしくないレベルだ。あの格好は殆ど下着姿のようなものでは……?

生徒一同が困惑を隠せないでいると、がらがらと扉が開いて男子生徒が入ってくる。ブレッザだ。

「やぁやぁ、おはよう諸君!諸事情で遅れてしまったが許しておくれ」

「えーと、キミは……ブレッザ・スタジョナーレ君ね。事情は学園から聞いているから遅刻の罰則はなし。速やかに着席してねん」

「ふむ……?わかりました、教官殿」

「よろしい」

ほんの一瞬困惑の色を見せたが、周囲を見渡し何かを感じ取ったのかすぐに姿勢を正し一礼するブレッザ。状況判断能力も高いらしい。

「これで全員揃ったかにゃ?ほいじゃ、お決まりの自己紹介タイムといこうぜぃ☆今から少しの間は多少の私語を認めまーす☆」

パンパンとパキラが手を叩く。多少とはどの程度認められるのだろうか。

「遅れて来たコもいるし、まずは私から改めて☆私は担任のパキラでーす。姓はワケあって伏せまーす☆さっきも言ったけど気質は火。元・王立騎士団外征部隊の軍人で今は練兵教官だよん♪」

くるりと回って一礼する。尾と猫耳と胸と尻が揺れる。前二つはともかく後ろ二つは正直何とかしてほしい。必死に目を逸らす男子2名が可哀そうだ。ちなみにブレッザは全く動じていない。

「さっきの続きってワケじゃないけどぉ、私に何か質問のあるコはいるかにゃ?」

「はい!」

「はいそこの……えーと、キミはカンナちゃんだね。何かな?」

カンナは定番の質問をして空気を和ませようと試みる。

「せ……教官殿は何歳ですか?あと彼氏はいますか?」

パキィッ! チョークが折れた音が響く。

「…………。歳は乙女の秘密にゃ~ん。彼氏はいません。10年いません。募集中です。」

「……ごめんなさい」

和ませるとは真逆の結果になってしまった。推定30歳前後の女性にして良い質問ではなかったらしい。

「他は?何かあるかにゃ?」

この流れで手を挙げられる者がいたら勇者だろう。

「いない?じゃあ私についてはここまでねん。次は順番に生徒諸君の自己紹介DA☆」

明るい口調でパキラが言うと、若干だが微妙な空気が払拭される。

「必須事項は名前と気質と得意な魔法とか学問。年齢とか出身とかはどっちでも良いよ☆趣味とかも言える範囲でイロイロ言っちゃって☆まずは誰からいく~?」

「ふむ……ではボクから行かせてもらおうか」

がた、と立ち上がって教壇の前に立ったのはブレッザ。

「まぁ、一部の人にはわざわざ紹介するまでもないと思うけれどね。ブレッザ・スタジョナーレだよ。現国王の甥の息子、つまり由緒正しい王族の血を引くものさ。とはいえ規則では血の尊さは関係ないみたいだから無理に崇める必要はないよ。ボクの気質は風、得意科目は風術以外にもたくさんあるね!ま、強いて言うなら何でもできるのが特技かな?年齢は18歳だよ。別に隠す事でもあるまい?趣味も色々あるねぇ、なにせ何でも一通りはできるからね!はーっはっはっは!ま、よろしく頼むよ諸君!」

一通り自己紹介……というか自慢を終えた後恭しく礼をするブレッザ。

「ん~確かに実力は断トツだけど鼻にかけすぎるのは良くないかな?程々にしてあげてねん。はい拍手~」

ぱらぱらと控えめな拍手が巻き起こる。カンナは入学式での会話を思い出した。

(キクリーナちゃんは性格に難があるって言ってたけど、ちょっと自慢が好きなだけじゃないかな?自分を褒めてるだけで他人を見下してるわけじゃなさそうだし)

「よろしくね、ブレッザ君!」

「む……?」

カンナが挨拶すると、ブレッザは珍しそうにカンナを見る。

「ふむ、崇めなくても良いとは言ったがこうも陽気に接されたのは久しぶりだな」

「あ、あれ……まずかったかな?まずかったですか?」

「はっはっは!いいや構わないさ。男に二言はないし、そうでなくとも高貴なる者は些事には気を取られないものさ。好きに振る舞いたまえ」

「うん、よろしくね!」

がっしりと彼の手を掴みぶんぶんとシェイクすると、ブレッザはどこか懐かしそうに目を細める。

「握手など受けたのは何年ぶりだろうか……いいね、ボクはキミの事を気に入ったよ。ぜひ仲良くしてくれたまえ」

握手を終えるとブレッザは優雅な足取りで席へと戻っていく。

(やっぱり悪い人じゃないよね。キクリーナちゃんとそりが合わないだけなのかな?)

キクリーナの方を見ると、彼女はいかにも不機嫌な表情で座っている。この二人には何やら因縁がありそうだ。

「はい、次の方~」

「はい」

パキラが促すと、次に手を挙げたのはアイルだった。ゆったりとした足取りで前に出る。

「アイル・ルクスリバーです。出身はアスチルベで、気質は水です。得意科目は……ちょっと変則的な水術を使えます。それと座学は割と得意な方ですね」

「控えめな言い方してるけど、入試の学科テスト成績はアイル君とブレッザ君が共に満点で一位だよん。次点がプディカちゃんかな?」

ほう……と感嘆の声が周囲から漏れる。アイルは照れくさそうに微笑むと、自己紹介を続ける。

「正直、戦うのよりも本を読んで勉強したり何かの研究をしている方が好きです」

「わかる……」

「わかります……」

ボーデンとプディカが頷く。対照的な見た目であるこの二人はアイルと同じく平和主義者らしい。

「それで……ええと、趣味ですか?ボードゲームです。それに付随して戦術の研究も好きなので作戦立案とかもできるかもしれません。あと年齢は15歳です」

「えっ……!?」

「?」

驚いた声を上げたのはプディカだった。意図せず注目を集めてしまい、彼女は真っ赤な顔で口元に両手を当てて俯いてしまう。

(お、同い年だったんだ……年上だと思ってたよぅ……)

「15歳かぁ。平均17.8歳の今期入学生ではぶっちぎりの最年少だね。………若いねぇ、ピチピチだねぇ、美味しそうだねぇ☆」

じゅるり、と舌なめずりをするパキラ。なんだか嫌な予感がする……。

「教官殿?」

「はっ!なんでもないよ、なんでもない☆ところで、アイル君は恋人とかはいるのかにゃん?」

「え……!?い、いませんけど……」

彼がもっとも苦手とする妙齢の女性にじっとりと見つめられ、アイルの表情が若干強張る。

「教官殿、セクハラですわよ」

(ナイスブロックだよキクリーナちゃん……!)

カンナは内心でキクリーナに賞賛の声を送る。

「ごめんね、つい気になっちゃってさ!」

にっこりと笑って誤魔化すパキラ。この女……まさか婚期を気にして焦っているのか?

だとしても何故、より優秀で成熟した男である同僚の教師やブレッザ等ではなく、まだ少し幼さの残るアイルを?まさか―――

「えと……皆さんよろしくお願いします」

「はい拍手~!」

誤魔化すようなパキラの声で思考が寸断される。アイルの自己紹介は皆に好印象だったのか、先程より大きな拍手が起こる。

(うーん、やっぱアイル君は人気者の素質があるなぁ。あたしも気を引き締めないと)

「それじゃ次の人いってみよー☆」

「はい!」

「はい……!」

カンナと同時にもう一人が手を上げる。プディカだ。

(出たな恋のライバル(仮)……!)

なぜ内気そうに見える少女がこんな早い順番で手を挙げたのかなどわかりきっている。直前までアイルの立っていた場所に自分も立ちたかったからだ。

カンナはうっかり睨んでしまいそうになるが、努めて平静を装い彼女に順番を譲る。ここは大人の余裕というものを見せつけておこう。

もっともこの時点では二人はまだ交流がなく、プディカはカンナが自身の恋敵である事を知らないのだが。

引き下がったカンナを見て、プディカはぺこりと一礼をして前に出る。悔しいがとても可愛らしい。

「えっと、はじめまして……。わたしは、その……。あぅ……」

「うんうん、緊張しちゃうのはわかるよん。落ち着いてゆっくり話せばいいからね?」

緊張からか言葉に詰まるプディカにパキラが優しく声をかける。

「うぅ、でも、やっぱり恥ずかしい……」

「大丈夫だよ、がんばれ」

「……!は、はい!頑張ります……!」

(ちょっ、なんであの子アイル君にタメ口で励まされてるの!?羨ましいんだけど!?)

嫉妬するカンナをよそに、アイルの声援を受けて勇気を振り絞ったプディカは詰まりながらも自己紹介を始める。

「あの……プディカ・アカーシャです……気質は闇……です。その、特技は……薬学が、少しだけ」

「さっきも言ったけどプディカちゃんは学科成績が同期の中で上から2番目だったんだよね。それも3位とは結構差をつけての2位だから、もっと自信持っていいと思うよん?」

「えぅ……あの、はい……ありがとうございます……」

(頭脳では完敗かぁ……でも恋愛は頭の良さだけじゃないよね!)

「それで、その……趣味は色んな薬の調合と……星を見る事、です。それと……わたしも、戦うよりお勉強の方が好きです……」

ちらっ、とアイルの方を見るプディカ。よもや同じ価値観ですよアピールのつもりだろうか。

(残念ながら、その程度のアピールじゃまるでアイル君は気づかないんだよなぁ……)

アイルの恋愛経験の少なさからくるアプローチへの鈍感さは、彼女より先にカンナが身をもって実感している。

「それと……わ、わたしも15歳ですっ……」

「えっ……!?」

「?」

今度はアイルが驚いたような声を上げる。そして先程のプディカと同じように注目を集め、恥ずかしそうに身体を縮める。

(同い年だったんだ……年下だと思ってた……)

「また15歳?この二人が確実に新入生の平均年齢を下げているねぇ。若いって羨ましいにゃん……」

パキラが遠い目をしてアイルとプディカを交互に見る。そういう言動が年寄り臭いのだと思うカンナだが、口に出したら命が危ない気がしたので心の中にとどめておく。

「あの……よろしくお願いします……」

小さな頭をぺこりと下げるとぱらぱらと拍手が起こる。仕草の一つ一つがいちいち愛らしい。

「じゃあ次はあたしで―――」

「ごめんなさい、私でも良いかしら?」

次こそは、とカンナが立ち上がると背の高い女子生徒に遮られる。

「別に良いけど……」

「ありがとう。感謝するわ」

彼女はそう言うと悠然と歩いて行き教壇の前へ出る。すらっとしていて綺麗な人だなぁ、とカンナは思った。

「私はミモザ・アカーシャ。似てないかもしれないけど、先程自己紹介をしたプディカの姉よ」

なるほど、とカンナはわざわざ自分を制してまで彼女が前に出た理由を理解する。

「私も気質は闇。年齢は19歳。特技は……そうね、ちょっとした"手品"ができるわ。出身は妹ともどもシンゴニっていう小さな町。趣味は……これと言ったものはないわね。強いて言うなら釣りとか、水浴びかしら。ま、そんな所よ。よろしくね」

「シブいねぇ。ホントに10代?クールなお姉さんは皆好きかにゃ?先生は好きです。はい拍手~!」

ぱちぱちぱち、とまばらな拍手が起こる中、カンナは一人首を傾げる。

(手品って何だろう?趣味じゃなくて特技?何かの暗喩なのかな?)

「んじゃ、次の人どうぞん~」

「よし、じゃあ次こそあたしが―――」

「そろそろわたくしの出番ですわね」

「えぇー……」

またも名乗りを遮られるカンナ。今度はキクリーナが堂々とした歩き方で前へと出る。

「わたくしはセントナスタの上級貴族キクリーナ・クリサンセマムですわ。気質は光。六属性の中で最も希少とされる気質の持ち主ですわ。高貴なわたくしにはふさわしいですわね」

のっけからマウント取り全開である。学科試験の成績は3位以下の癖に……もちろんそれはカンナにも言えた事だが。

ちなみに六属性とは地水火風の四大元素、または基本四元素と呼ばれる4属性と光闇の神聖元素と呼ばれる2属性を合わせた6つの魔力属性だ。この世界の人間は生まれつきこの内1つを得意属性として持つ。これをマナ気質や魂の気質、あるいはそのまま略して気質と呼ぶ。キクリーナの言う通り、光か闇の気質を持つ人間は全体の1割にも満たない程希少らしい。

「年齢は18歳。得意科目はそのまま光属性の魔法ですわね。それと弓術をいくらか嗜んでおりますわ。趣味も弓を使った狩りや射的と言った所でしょうか。ま、身分の高貴さを抜きにしても、わたくしが魔術師としても人間としても優れている事はこれからの学園生活で証明して見せますわ。それでは皆様、よろしくお願いしますわね」

しゃらん、と髪をかき上げて決めポーズをとるキクリーナ。渾身のドヤ顔だ……。

「うーん、エレガント☆何ともテンプレートなお嬢様が来たねぇ。はい皆拍手~」

ぱち……ぱちぱち……と、イマイチ盛り上がらない拍手がまばらに起こる。

それをどう解釈したのかキクリーナは満足そうな顔で自分の席へと戻った。

「じゃあ残るはあと二人だねん。どっちがやる?」

カンナはちらりとボーデンの方を見る。向こうもこちらを見ていたようで視線がぶつかる。

「む……俺はどちらでも構わん……」

「そう?もうここまで来たらあたしは最後でいーよ」

出鼻を挫かれまくったせいでやや拗ねたようにカンナが言うと、ボーデンは困ったように頬を掻き、のっしのっしと前へ歩いて行く。

「うむ……俺もあまり口上手な方ではないが……ボーデン・ラントだ。気質は地。特技は……工作だ」

「んふっ、似合いませんわね」

「ちょっと、失礼だよ……!」

馬鹿にしたように吹き出すキクリーナを嗜める。

「構わん……自覚はある。あと、出身はグレートディモルフォ。魔法を学ぶために海を渡ってセントナスタまで来た……」

「へぇ、あの砂漠ばかりのディモルフォからわざわざご苦労ですわねぇ」

今度は感心したようにキクリーナが言う。ディモルフォはナスタとは別の大陸にある三大国の一つだ。グレートディモルフォとはその首都である。

「年齢は……21。すまん……俺だけ20代だが、気にしないで欲しい……」

「いいよんいいよん。学ぼうとする意志に年齢は関係ないからねぇ。何事も遅すぎるなんてことはないんだにゃん☆」

「結婚もですか?」

「おだまり」

「ハイ……」

ちょっとおちゃらけただけのつもりだが、思いの外きつく睨まれてしまいカンナは縮こまる。どうやら本気で気にしているらしい。

「あとは何だ……趣味か。趣味は筋トレと……アクセサリーの手作りだ……笑ってくれて構わん……」

「いやいや、女の子にモテそうな趣味じゃない?あたしは良いと思うなー」

率直な意見をカンナが述べると、ボーデンは気恥ずかしそうに微笑んで頬を掻いた。寡黙な大男だが、意外と愛嬌がある。

「見ての通り口下手だが……なるべく早く馴染めるように善処する……よろしく頼む……」

ぎこちなく礼をすると、ぱちぱちと割といい感じの拍手が起こる。彼はもっと自分の魅力に自信をもっても良いのにとカンナは思う。

「いいねぇ、気は優しくて力持ちって感じかにゃ?無口だけど誠実な男はおしゃべりで軽薄な男よりもずっと良いと先生は思いまーす☆」

「わたくしも同意見ですわね。先程の無遠慮な発言は謝罪しますわ」

「おお?キクリーナちゃんが謝った!奇跡だ!」

「ひっぱたきますわよ」

「へへーん、そしたら校則違反で謹慎だよ?」

「この減らず口が……」

「お、教師の目前で喧嘩とはいい度胸してるねぇ。二人とも謹慎しとくかにゃん?」

「すみませんでした……」

二人して大人しく着席する。その様子を見てアイルがにこにこと笑顔になる。まさかこれで二人が仲良しにでも見えたのだろうか。

「んじゃ、最後はあたしですね!やっと!あたしの!!出番ですね!!!」

興奮したキクリーナのような話し方で待ちかねたとばかりに壇上へ上がる。

「あたしはカンナ・アシラテンです!ド田舎のスイトピー村から来た17歳です!気質は火で、得意科目は格闘です!」

「ほう?魔法使いなのに格闘が得意なのかにゃ?」

「はい!あたしの戦いにおけるモットーは高火力の魔法を至近距離でぶち込む事です!」

「あっはっはっは!なるほど、面白いタイプの魔法使いだねぇ☆パキラ先生はそういうの嫌いじゃないよ!」

「ありがとうございます!趣味はお料理とスポーツです!元気と明るさがモットーです!皆よろしくね!」

散々焦らされたせいで半ばやけくそ気味に勢いよく礼をするカンナ。ぱらぱらと拍手を浴びながら席に戻る。

「なるほどねぇ、これは群雄割拠の金月クラスの中でも唯一無二の個性じゃないかにゃ?成長した彼女が最終的にどうなるかは先生楽しみです☆」

どうやら教官殿には好感を持ってもらえたようだ。アイルはにこにこ笑顔でこちらを見てるし、他の生徒の感触も悪くなさそうだ。

「よろしい。これで全員分の自己紹介が終わったねん。じゃあ、今日の所は全行程終了だにゃん」

「え、もう終わりなんですか?」

アイルが意外そうな声を上げる。他の生徒も概ね同じ意見のようで不思議そうにしている。

「ま~初日だからねん☆いきなり小難しい勉強とかしても頭に入んないでしょ?ちなみに明日は朝8時に教室に集合。その後全員で野外演習場へ向かい"現時点で皆がどの程度魔法ができるか"を見定めるためのテストをします。つまり模擬戦闘を含む実践授業があると言うわけだにゃん☆わかったらさっさと寮に戻って明日に向けてコンディションを整えろって事よん♪オーケー?それじゃ、今日の授業は以上!かいさーん☆」

パキラが解散の合図をすると、教師なのに早々に教室を出て行ってしまう。

「……なるほど、テストか。まぁ一番はこのボクだろうけどね。他の皆がどの程度やれるかを楽しみにしているよ。それでは諸君、また明日!はーっはっはっは!」

「相変わらずいけ好かない男ですわね……いつか目にもの見せてやりますわ」

「うぅ……お姉ちゃん、わたし上手くできるかな……?」

「大丈夫よプディカ。貴女は私より優秀な子だから」

「……よし」

皆がそれぞれ明日のテストへの思いを馳せながら帰寮していく。カンナも寮へ戻ろうとするが、アイルの姿を見て足を止めた。

(そういえば今日はほとんど話せなかったな……。せっかく同じ学園にいるのに)

それに、先程パキラがアイルを気に入っていたような発言もあったし、何となく嫌な予感がするのだ。

キクリーナの言葉を借りるなら、あの眼は狩る側の眼だった。想定できる最悪のパターンであった場合、今日にもアイルの貞操が狙われる事すらあり得るのだ。

(そう、例えば―――)

ほわんほわんほわん……

***

「ふっふっふ~ん♪ふんふふ~ん♪」

授業終了後、パキラは教員詰所で今日顔を合わせたばかりの新入生たちの事を考えていた。

いずれも皆優秀そうで性格も良い子だった。これからビシバシ鍛え上げるのが楽しみだ。

(んでも、一番気になってるのは―――)

アイル・ルクスリバーという少年の顔を思い浮かべる。賢そうな雰囲気に端正な顔立ちと若干のあどけなさを残す少年。

パキラは彼に一目見た時から心惹かれていた。彼女は俗にいうショタコンと呼ばれる性癖の持ち主だ。

別に大人の男を愛せないわけではない。だかうら若き美少年を見るとどうしても魂が高揚してしまうのだ。

パキラが29歳にして未だに結婚できない大きな理由の一つなのだが―――いまはそんな事どうでも良い。

(どうやって落とそっかにゃあ……地道に距離を縮めてもいいんだけど、結婚とかじゃなくて単純につまみ食いしたいだけなんだよねぇ☆)

教師としての立場を利用して強引に迫っても良かったのだが、さすがにそれではいけないと彼女のなけなしの理性が告げている。

(いやまぁそもそも教師が生徒に手ぇ出すなーっていう話なんだけどネ☆)

そもそも上手く喰えたとして、後の彼の学園生活と自分のキャリアに支障が出てしまうのはよろしくない。

ならば考えるべきは、いかにして他の誰にも悟られずに迅速かつ隠密に、そしてなによりアイルの心に爪痕を残さずにコトを成すかだ。

(そうなるとやっぱり襲った後の記憶処理は必須だよねぇ☆)

だが、パキラは優れた軍人であるとはいえ精神系の魔法にはあまり詳しくない。それに情報ではアイルはレジスト能力が非常に高いと聞いている。

(だったらやっぱり物理的な手段か……気絶させるか眠らせるかして、その間に……んふ♪)

魔法がダメなら物理で対処すればよい。幸いアイル少年は肉弾戦や薬物耐性に長けているわけではない。油断さえ誘えれば何とでもなるだろう。

(最初はクスリ路線で攻めて、失敗しそうなら物理で昏倒させてそれから部屋に連れ込む……これだ☆)

思い立ったら吉日。パキラは学園併設の薬学研究室へと向かい、知り合いの学者から即効性の睡眠薬を入手する。

あとはこれをいかに自然な流れで彼に飲ませるかだが……それほど難しくないだろう。

(んふふ、待っててね~ん。可愛い可愛い子猫チャン♪)

パキラはとめどなく湧き出る欲望を抑えながら、アイルの元へと向かう。

***

「……んあ~~~!!ダメダメ、ダメだって!!そんなのダメだよう!!」

ここまで妄想して、カンナはじたばたと身悶えする。

(てか!それ以前にあたしは証拠もないのに教官殿をドスケベ淫乱ショタコン教師扱いしちゃってる辺り最高に最低だよ……)

激しく自己嫌悪に陥る。下卑た妄想をして楽しむなど蛮族か悪徳貴族のする事だ……。

(でもでも、あの眼は絶対危ない事考えてる眼だったって!可能性はゼロじゃないって!)

カンナはパキラがじっとりとした視線でアイルを見ていた事を思い出す。カンナにはわかるのだ。あれは獲物を狙う獣の目だと……。

(アイル君が教官殿にレ×プされちゃったらどうしよう!?例えば―――)

更なる過激な妄想に身悶えするカンナ。どんな内容なのかはここではとても書き記せない。

「はぁ……はぁ……そんなのダメだよ……」

一通りの妄想を終え、カンナは荒く息を吐く。

「あたしって、最低だ……」

空想上とはいえ証拠もないのに自分の教師を強姦魔に仕立て上げてしまった。

そしてその強姦魔に想い人であるアイルが無理やり襲われる想像をして興奮してしまっている自分に激しい嫌悪感を抱く。

(そんな趣味は持ってないはずなんだけどなぁ……)

実際カンナに寝取られ趣味があるわけではない……はずだ。

(もしそうなら、あたしは心のどこかでアイル君にひどい事をしたいと思ってるって事……?それはそれで嫌だなぁ)

事実がどうであるかに関わらず、元々体温の高いカンナの火属性の身体は更なる熱を帯びてしまっている。

(あちゃ~……ダメだ、完全にスイッチ入っちゃってる……)

きょろきょろと周りを見回す。自分が不埒な妄想をしている間に他の皆は既に帰寮したらしい。

(ちょっとだけなら……いいよね……?)

…………。

んっ、アイル君……アイル君っ……!

はぁ…………はぁ…………もう、ちょっとで…………!

…………~~~~っ!!

…………ふぅ。

一通りのアレコレを終え、荒い息を整えてごろりと床に仰向けになると、押し隠していた自己嫌悪が待ってましたとばかりに襲い掛かる。賢者タイムだ。

(ああ……やってしまった……あたしって性欲の強いスケベな女なのかな……とんでもないド変態なのかな……きっとそうなんだろうな……)

こんなことをしている自分が恥ずかしくて仕方がない。もし誰かに見られていようものなら死んでしまうかもしれない。

(……とにかく、片付けて寮に戻ろう)

汚してしまった椅子や床を拭き取り、後始末をする。何が何でとは言わないがぐっしょりだ。

(……脱いじゃえ。どうせ寮に戻るまでの間だけだし。どうせあたしはヘンタイなんだし)

半ば自暴自棄の精神状態でそれを脱ぎ去り、ぼうっ!と魔法で燃やしてしまう。

焦げカスの破片になったそれを風に乗せて窓から放り出す。これで寮まで(自主規制)の状態で帰る事が確定した。

さすがにこの状態のまま校舎に長居をするわけにはいかない。続きをするならさっさと寮に戻って自室でしよう。

そう思ってカンナは教室のドアを開けて廊下へ出る。

「あっ……」

「……………………え?」

ドアの横にいた人物の顔を見て、思わず変な声を上げる。

そこにいたのはまさにカンナの意中の人であるアイル・ルクスリバーその人だったからだ。

彼は心底気まずそうな顔で目を逸らしながら突っ立っている。

(ウソ……見られてた……?どこから……?)

頭が真っ白になる。時間が止まったような錯覚にさえ陥る。

「ど、どうも……」

「……………………なんで」

俯いて、かすれた声で呟くように問うのが精一杯だった。

「暇でしたし、校舎の全体図を把握しておこうと一周していたんですよ。施錠されるまで時間があるみたいでしたし」

「……………………どこから見てたの?」

返答次第によっては―――

「その……ちょうど……の、上り詰めた所くらいから……」

「……………………そう」

だったら、彼の名を呼びながら(自主規制)をかき回していた所は見られていないかもしれない。

最悪の展開だけは避けられた。だがそれだけだ。とんでもなく恥ずかしい所を見られてしまった事実は何も変わらない。

カンナはがっ、と彼の手首を掴むと、そのまま女子寮へ向かって歩き出した。

「ちょ、ちょっと……カンナさん!?」

困惑の声を無視し、無言のまま半ば彼を引きずるように歩みを進める。

(最悪……見られた……絶対引かれてるよ……)

カンナは泣き出しそうになるのを堪えていた。

もう終わりだ。絶対に嫌われた。カンナ視点で清廉潔白の化身であるアイルはきっと貞淑な女性が好みだろう。こんな淫乱ド変態女ではなく……。

(……どうせ嫌われちゃうなら、いっそ好き放題やっちゃおう)

完全にやけっぱちになったカンナは、そのままアイルをぐいぐいと寮の方向へと引っ張っていく。

「待って……っ、ここ、女子寮じゃ……」

「うるさいっ!!」

「っ……」

恫喝するような声にアイルの身体が竦む。罪悪感に苛まれるが、どうせ今日までの関係だ。

幸いにも通路に自分たち以外の生徒はいない。皆自室で明日に向けて休んでいるのだろう。それともただの偶然か。

カンナは苛立ちに任せて乱暴に彼を自室の中に引き込むと鍵をかけた。

新品でふかふかのベッドの上に彼を投げ飛ばす。

「くっ……」

ぼふんっ、と柔らかな布団の上に叩きつけられるアイル。すかさずその上に馬乗りになると、両手を掴んで押さえつける。

彼は抵抗しようともがくが、体格も腕力もカンナの方が上であり、びくりともしない。

魔法で抵抗すれば良いのにとカンナは思うが、おそらく自暴自棄のカンナと違って校則違反を恐れているのだろう。

(……ならいいよ、そっちの方が好都合だもん)

「やめっ……やめてください、こんなことっ……」

「黙ってよ……ホントは興奮してるんでしょ?」

「そんな、こと……っ」

「しようよ、えっちなこと」

「……嫌です」

「…………なんで?」

殺気にも近い苛立ちを隠そうともしないカンナ。

「今の、カンナさんは……怖い、から」

「…………あっそう!!!」

怒りに任せて彼のローブを引っぺがす。ほとんどインナーに近いシャツと短パンが露わになる。

予想通りローブの下はカンナよりもずっと華奢な身体と真っ白な肌があった。簡単に壊してしまえそうだ。

「このまま貰っちゃうよ、アイル君のはじめて」

彼の短パンに手を伸ばし、強引に脱がそうとする。

「まってください、それだけは……!」

「うるさいっ!!なんでなの!?なんであたしじゃダメなのっ!?」

「だから、何をそんなに怒っているんですか……!?」

「~~~~~っ」

カンナの憤りは限界に達した。拳を思い切り振り上げ―――

振り降ろす直前、ぴたりと止まる。

代わりにその手をアイルの顔の横にそっと置く。

「…………なんでだろ」

ぽた、とアイルの顔に涙が落ちる。

「どうして、かな。なんでこんなにっ……うまく、いかないんだろ……ぐすっ……」

「カンナさん……」

彼女の目からは大粒の涙が次々と溢れ出していた。ぼたぼたと彼の髪に、顔に、首筋に雫が落ちる。

「ううっ……うううっ……うああぁぁ……っ」

泣き崩れるように彼女はアイルを強く抱きしめた。

アイルは抵抗しなかった。されるがままになっている。

やがて嗚咽も止まり落ち着いた頃。カンナはゆっくりと口を開いた。

「…………ごめんね、ひどい事して。何もかも台無しになっちゃったね」

「…………」

アイルは何も言わない。何も言ってくれない。当然だ。

「あたしさ……アイル君が思ってるよりずっとダメな子なんだ。2つも年上なのにアイル君よりずっとバカだし、心も未熟で感情を制御しきれない」

「…………」

「性欲だって普通の人よりずっと強くてさ……ホントごめんね?こんな淫乱女、大っ嫌いだよね……」

「…………」

「極めつけは、今こうして怒りに任せてアイル君をレ×プしようとしてる。理由は簡単で、オ×ニーを見られて恥ずかしさのあまりトチ狂ったのと、アイル君に嫌われちゃったのがショックすぎて……このまま嫌われて疎遠になっちゃうくらいなら、いっその事やりたいこと全部やっちゃおうって思ったからなんだ」

「…………」

「はは……あたしって、ホント最低の屑だよね。嫌われちゃうのも当然かな……」

「…………」

「ホントにごめんね?許してくれなくても良いよ。もう二度とこんな事しないし、これからの学園生活でもできるだけ近づかないようにするから……」

「…………はぁ」

アイルが小さくため息をつく。そのまますっとカンナの顔へ手を伸ばしてくる。

(ぶたれる……?いいよ、受け止める。あたしに抵抗する権利なんてないから)

ぺちん。

「きゃっ」

デコピンされた……。

「……ホントにバカですよね、カンナさん」

初めて彼に罵られた。あの品行方正にして清廉潔白である貴族の御曹司アイル・ルクスリバーにカンナは罵られたのだ。これは人類初の快挙ではないだろうか?

「いろいろと言いたいことはあるんですけど……とりあえず降りてくれませんか?」

「あっ、ごめん……重かったよね」

慌ててアイルの上から退く。号泣も、その後の懺悔も全て彼に跨ったまま行われたのだ。

「よいしょ……」

やっとの思いで彼は起き上がり、二人並んでベッドに腰掛ける形になる。

「まず一つ、その……アレを目撃してしまったのは事故とは言え僕にも非はあります。すみませんでした」

「アイル君が謝る必要なんてないのに。あたしがスケベな子だからいけないだけで―――むぐ」

ぴと、と彼の人差し指が唇に当てられる。舐めたいが自重する。

「二つ、確かにカンナさんは多少色欲が強い女性のようですが、そんなものは単なる個性の一つでしかありません」

アイルは理路整然と話を続ける。

「生活に支障をきたすとか、他者に危害を加えるレベルでなければ全く問題ないんですよ、そんなもの」

「でもアイル君に危害を加えようとしたし―――むぐ」

また指で唇を押さえられてしまった。舐めていいかな?

「三つ、それは未遂に終わりましたし、僕自身貴女の事を信頼していますから、貴女と懇ろな関係になるのは吝かではありません」

「……?ごめん、言葉が難しくてわかんない」

「要するに無理やりでなければ、もっと段階を踏んでの上であれば、事前に言ってくれればこう言った事に付き合うのも悪くはないと思っています」

「……?ごめん、言い方が遠回しすぎてわかんない」

「それわざとやってます?まぁ御託が長い自覚はあるんですけど……」

「あるんだ」

「こう言えばわかりますか?『えっちな事がしたいなら、無理やりじゃなくてもっと順を追って絆を深めて、そのうえで堂々と求めてください』と」

アイルはあくまで理知的で淡々とした口調で言う。だがその頬は真っ赤に染まっている。性的なワードを口にするのも恥ずかしいのだろう。

「顔真っ赤だよ」

「うるさいですね……」

また罵られた。なんだかそれが彼に信頼されている証のようで少し嬉しい。きっと彼はよく知らない相手に暴言を吐けるタイプじゃないから。

(うーん、このままだとマゾにも目覚めちゃいそうだなぁ。あたしってやっぱそうとうヤバい女なんじゃ?)

「僕も年頃の男ですから、そういう事にも多少興味はあるんです。ただちょっと、過去のいろいろのせいでそれが怖いだけで……」

「そうなんだ……」

「それに、好きとか嫌いとか、まだよくわからなくて……一時の感情に流されてそういう事をしてしまうのはお互いにとって良くない事だと思うんですよ」

「つまり?」

「もうちょっと時間をくれませんか……?」

察しの悪いカンナの反応にアイルは呆れたようにため息をつく。

いろいろと言いたいことはあるが、嫌われていないとわかっただけで万々歳だ。

「あぁ~良かったぁ!嫌われてなくてほんっっっとに良かったぁ!」

「僕もカンナさんが取り返しのつかない過ちを犯す前に踏みとどまってくれて本当に良かったです」

「ねえ、なんか今日辛辣じゃない!?あたし何かしたかな!?」

「してくれたでしょう。たっぷりと」

「あはははは……ホントごめんね」

「良いですよ、許してあげます」

「ははーっ、ありがたき幸せ」

漫才のようなやり取りをすると、二人で笑い合う。

「……ね、アイル君」

「ん……」

それから、腕を広げて優しく彼を抱きしめる。

「仲直りのハグ。ぎゅーっ」

「…………」

特に嫌がる素振りもなく、身体を預けてくれる。愛情に飢えているのだろうか?

いったい彼が過去に女性からどのような仕打ちを受けてきたのかはわからないが、そのトラウマを克服するには時間がかかるかもしれない。

結局彼との関係は"練習相手"から未だまともに進展していない。だが、身体を繋げるのは心が繋がってからでも遅くはない。

(あ、でもハグは嫌がらないんだ。ハグに嫌な思い出は無いのかな?それとも―――)

無自覚にカンナの事を好きになり始めている、とか?いやいやまさか。自意識過剰だとカンナはぶんぶんと首を振る。

「あの、カンナさん……?」

「あ、ごめんね?ちょっと考え事してたから……ん、あんまり男の子が女子寮に長居するのも良くないよね」

「はい……」

「今日の事はホントにごめんね?それと…………ありがとう」

ふんわりと柔らかく微笑む。アイルが僅かにどきりとした表情を見せるが、カンナは気づかない。

「それじゃ、また明日」

互いにそう言うと、彼はドアを開けて出て行った。

一人になったカンナは初日から淫行で穢してしまいそうになった寮の自室をゆっくりと見回す。

改めてみると豪華な部屋だ。村の実家のカンナの部屋より広さも豪華さも3倍はある。

(ホント、すごい特別扱いだよね……まるで貴族のお嬢様にでもなった気分)

ベッドはふかふかのセミダブル。備え付けの椅子と机も高級感のある木材だし、収納スペースも広々だ。

(こんないい所でらぶらぶえっちしたら、それはもうすっごく幸せなんだろうなぁ~)

その日が来るのはいつになるだろうか。そう遠くない内に実現してみせる。

登校初日、アイルと出会って二日目の夜は新たな決意を抱くと共に更けていく。

***

アイルはカンナの部屋から出た後、先程の出来事について思考する。

カンナが暴走しがちな性格なのは短い付き合いの中でも把握していた。だが今日のそれはこれまでのものとはまた違った感じがした。

ただ欲情していた、それだけではなかったのは彼女の様子を見るに明らかだった。

ただ教室でのアレを見られた恥ずかしさだけではない、それとは別の何か激しい感情が彼女をあのような蛮行へと突き動かしたのだ。

それは何故だ?おそらく無意識の内にアイルの中では答えが出せている。しかしそれを言葉にして口に出す勇気はまだ無い。

そして自分自身が抱くカンナへの気持ちも未だ確信に至るものではない。ならばもう少しこの曖昧な関係を続けても良いのではないだろうか。

(……だけど、本当に良いのだろうか。このままではなし崩し的にずるずると不適切な関係になってしまうのでは―――)

「……どうしてここにいるんですか?」

「……え?」

不意に声をかけられ思考が途切れる。声の主の方へ視線を向けるとプディカがいた。

(そうか、ここはまだ女子寮だった。男子禁制の場で思考にふけっている場合じゃなかったんだ……)

プディカの視線は最初は驚きと困惑が混ざったものだった。が、それはやがて失望と不信感、そして少しの憤りを含んだものへと変化していった。

その証拠に、徐々に彼女の瞳から光が消えていく。闇をイメージさせる紫紺の瞳はこれまでよりもさらに深い闇色を湛える。

「……どうしてアイルお兄さんが女の子の部屋から出てくるんですか?そこ、誰のお部屋ですか?」

(まずい、言い訳が思いつかない……)

そもそも今女子寮にいるのが事実である時点で現行犯であり、言い訳のしようなどないのだが。

「プディカさん、これはね―――」

「答えなくていいです。どうせ2択ですから」

ぴしゃりとプディカに遮られる。今朝会った時の彼女はこんなにはっきりと喋る人だっただろうか。

アイルが出てきたのは金月の生徒用の部屋。今季の金月の内女子生徒は4人。

プディカ本人はもちろん、今朝会ったばかりの姉のミモザがアイルを部屋に招くとは考え辛いし、なんならさっきまで一緒にいたのかもしれない。

必然的にアイルを招いた女子生徒はカンナかキクリーナの2択となる……どちらだと答えても結果は同じだろう。

「まぁ、十中八九カンナお姉さんですよね」

「違うかな。それに何もやましい事をする為に女子の部屋を訪れたわけじゃない。キクリーナの忘れ物を届けに来ただけだよ」

「嘘ですね。キクリーナお姉さんはさっきまでわたしと一緒にいましたから」

「…………」

「……カマをかけただけですよ?馬脚を露わしましたね」

やられた、とアイルは苦々しい顔をする。自分とブレッザに続く学年2位の才女を相手に腹芸を挑むのは悪手か。

「……それで、どうして、お兄さんが、カンナお姉さんの部屋から、出て来たんですか?」

ゆっくりと、まるでボードゲームで相手のコマを追い詰めるようにプディカが問いかける。

「別に、何てことない世間話だよ。僕たちは昨日出会って意気投合したんだけど、もっと仲を深めるために―――」

「えっちなことをしたんですよね」

「してない」

「嘘です。お兄さんの服から女のにおいがしますから」

「カマをかけられても本当にしていないんだからそれ以上言える事はないね」

「これはカマかけじゃないです。わたしは化学と薬学に明るいので臭気には人より敏感ですから」

「だとしても、君が適当な嘘をつく可能性は十分にある」

実の所、プディカの読みの大半は当たっているのだが……彼女の想像するような"えっちなこと"は本当に未遂に終わっているのだ。

もっとも、未遂とはいえ初日から女子の部屋に連れ込まれ淫行寸前の事態になりかけましたなどと堂々と認めるわけにもいかない。

そうなると何より危ないのは自分ではなくカンナの立場なのだから。口が裂けてもありのままを説明する事はできない。

結果として、非常に心苦しい事だがいい線をいっているはずの彼女の推理を否定し、彼女自身を疑うように立ち回るしかなかった。

が、それはこの場面では、特にアイルの事を強く慕うプディカ相手には最大級の悪手だった。

「……どうして、そんなひどい事を言うんですか」

ぷつんと何かが切れてしまったかのようにプディカの声色が低くなる。

ぞっ、と周囲に嫌な気配が満ちる感じがして、アイルの背筋が凍り付く。

「わたしはあの時助けてくれたアイルお兄さんの事が好きで、尊敬してて、憧れてて、だからお兄さんの事をもっと知りたくて……」

プディカの声は驚くほど冷たかった。その瞳からは完全に光が消え失せてしまっている。闇に沈んだ瞳でアイルを厳しく見据える。

「なのに、お兄さんはわたしじゃない他の女とえっちな事をして、わたしの問いをはぐらかして、挙句わたしを嘘つき呼ばわりするんですね……」

こつ……こつ……とゆっくりとした足取りでプディカがこちらに近づいて来る。15歳の少女が放って良いプレッシャーじゃない。

アイルは本能的に現状が生命かそれに準ずる何かの危機であることを察知する。逃げないとまずい。

(―――足が、動かない!?なんで!?)

だがどういうわけか、彼の足は前にも後ろにも1ミリたりとも動いてくれない。

(気圧されている?違う、仮にそうであってもそれだけでこうはならない)

「どうしてですか?わたしはお兄さんが大好きなのに、お兄さんはわたしを嫌うんですね……」

こつ……こつ……

(魅了か催眠か、何かしらの精神系の魔法の線は……これもない。相当強力な特化型でもない限り僕の対魔法防御(レジスト)は破れない)

「わたしはもっと近くにいたいのに、お兄さんはわたしを遠ざけようとするんですね……」

こつ……こつ……

(じゃあ何だ、何かしらの薬物か?彼女はそれに詳しいって言ってた。だけどこれも違う。薬物作用にしては特有の朦朧感がない。意識がはっきりしすぎている……!)

「わるいお兄さんには、おしおきが必要ですよね……?」

こつ……

(まずい、もう時間がない―――!)

ここまでか、とアイルは目を伏せる。ゆっくりと近づく彼女の影は、もうあと数歩の距離まで迫っていた。

(……影?)

「じゃあ、まずは―――」

「……来たれ柔き水塊っ、ジェリーボール!」

アイルが鋭く呟くと、彼の頭上にゲル状でこぶし大の水塊が数個生み出される。この程度の術なら縛られていようが朝飯前だ。

どぽぽんっ……。

「え……!?」

プディカが驚く声を上げる間もなく頭上の水塊は円形に薄く広がる。アイルの"影"を覆い隠すように。

直後、たたんっと大きくバックステップで彼女から距離を取る。

「動ける……やっぱりそういうカラクリだったんだね」

諦めずに抵抗を試みた結果、辛うじてだが首から上が動かせたのは良かった。そうでなければこの術の正体に気づく事はできなかっただろう。

逆に言えば、並の使い手なら成す術もなく完封されていた可能性もあるのだから恐ろしい戦法だ。

もし彼女が最初から殺す気で来ていたとしたら―――まぁそれでも負けはしないだろうが。

「影を操って動きを封じる魔法……面白い術だね。君の気質が闇だって知らなかったらこの答えには辿り着けなかった。まさに究極の所見殺しと言えるね」

「……っ」

「まさか破られるとは思ってなかった?余裕ぶって歩く暇があったらさっさと煮るなり焼くなりすればよかったのに」

プディカは悔しげな表情で俯く。

「闇の魔力を介して僕の影を"縫い付けた"んだ。けど、この手の術の弱点は影の形が変わったり、対象の影が別の影に覆われたりして無くなってしまうと容易に効果が消失または弱体化する事」

「…………どうしてっ。あと、ちょっとだったのに……っ」

プディカは肩を震わせながら恨めしげに呟く。

「言うまでもないけど、これって校則違反だよね。授業中もしくは学習目的以外での魔法使用は厳禁、だっけ?それに生徒間の暴力も禁止されてたはずだから、未遂とはいえ二重の違反だね」

「…………だったら、どうするって言うんですかっ」

プディカは泣きそうな顔でアイルを睨みつける。

「そうだなぁ……」

先程プディカがそうしたように、こつこつと悠然とした歩みで彼女に近づく。

怯えた様子の彼女に向けて手を伸ばすと、びくりと身体を震わせる。

その様子を女性にそうされた時の自分と重ねてしまい、アイルは毒気を抜かれて苦笑してしまう。

伸ばした手を、そのまま優しくプディカの頭に載せる。ぽふん。

「えっ……?」

突然の行動に混乱しているようだ。同い年のはずだが、どうも年下にしか見えないのでついこうしてしまった。これも悪手だっただろうか?

「特に、どうもしないかな?」

「ど、どうして……?」

「お互い様だからね」

載せてしまったものは仕方ないので、なんとなくゆっくりと撫でてみる。

手入れされていないぼさぼさの髪だ。年頃の娘にしてはおしゃれに興味がないのだろうか?

「ふぁ……」

呆けた声を出して身体を預けてくるプディカ。どうやら先程まで彼女の持っていた負の感情はこうする事でいくらか祓えるらしい。

アイルは一人っ子なのでピンと来ないが、妹がいたらこんな感じなのかもしれない。もしくは猫。

「確かにさっきのは重大な校則違反だけど、僕には傷一つ付いていないし……幸い目撃者もいないみたいだからね」

辺りを見渡す。おそらく誰にも見られていないはずだ。見られていたら今頃騒ぎになっているはずだから……。

「で、でも……」

「それに、男子がここに居るのが良くない事なのも事実だ。具体的な規則として記載がなくても、倫理的には不適切だらかね」

「……」

「だからこうしよう。君の罪と僕の罪、打ち消し合ってなかった事にするんだ。今日の事は全部忘れて、何事もなかったように明日を迎える。どうかな?」

正直無理のある提案だとは思うが、これがもっとも円満な解決策のはずだ。

「はい……。わかりました。ごめんなさい……」

しかし、彼女は意外にもすんなりと受け入れてくれた。やはり聡明な子だ。

「……めちゃくちゃにおしおきしてもらえると思ったのに」

「ん?」

彼女が俯きがちに呟いたせいでうまく聞き取れなかった。

「な、なんでもないですっ」

ぷいっと顔を逸らすプディカ。何を言ったのか気になるが、今は話を進める事にする。

「交渉成立だね。この事は僕と君だけの秘密だ。卒業するまで誰にも言わないように。いいね?」

「はい……えへへ、二人だけの秘密……」

今度は何か嬉しそうににやけている。どうも先程から様子がおかしいが、気にしすぎだろうか。

「それと、何で僕がここに居るかの理由……カンナさんの部屋から出てきた理由は今は言えないけど、いつかは話すから」

「……じゃあ、ひとつだけ教えてください。カンナお姉さんとは恋人同士なんですか?」

「…………違うよ。うん、違う。これは本当だ」

「…………」

じっ、とプディカがこちらの瞳を覗き込んでくる。嘘はついていない。アイル自身カンナに対し抱く感情の正体を掴みかねているのだから。

「…………わかりました。あぁ、よかったぁ」

信じてくれたらしい。何がよかったのかはわからないが。

「あぁ、それから」

「?」

「僕たちって、一応同い年……なんだよね?その『お兄さん』って呼び方はちょっとどうかなと思って」

「じゃあ……何て呼べばいいですか?」

「好きな呼び方で良いよ。だけど今より砕けた呼び方だと嬉しいかな?」

「じゃあ、アイルくん……」

プディカは恥ずかしげに頬を染めながらぽつりと言った。

「呼び捨てでも良いよ?」

「それは……まだちょっと勇気が……」

「ん、じゃあ無理しなくても良いよ。何せ今日会ったばかりだからね」

「あと……アイルくんもわたしの事もっと砕けた呼び方して……?"プディカさん"なんて他人行儀な呼び方じゃなくて……」

「ん゛」

予想外のお願いに思わず変な声が出てしまった。それはそうだ。こうなるのが自然な流れだろう。

「だめ……?」

うるんだ瞳で上目遣いをしてくるプディカ。まさか人に呼び方を変えさせておいて自分は嫌だなんて言えるわけがない。

「じゃあ……プディカちゃん?」

「呼び捨てでも……良いよ?」

「それは……まだちょっと勇気が……」

先程とまったく同じやり取りをしてしまう。二人して顔を見合わせ、同時に笑い出す。

「あはははっ」

「ふふっ……」

「僕たち、結構似た者同士なのかもね」

「そうだね……嬉しいな……」

プディカは心底幸せそうな表情を浮かべる。

「これならきっと仲良くなれるよね?」

「もちろん……わたしは、もっと仲良くなりたい」

「僕もだよ。それじゃ、これからよろしくね。プディカちゃん」

「うん……また明日ね、アイルくん」

ぎゅっ、と握手をしてから別れを告げる。

そしてアイルは急ぎ足で男子寮へと戻っていった。

***

(―――ふむふむ、予想以上の急接近ですわね。それも思っていたよりも遥かに平和的な)

二人が別れた後、通路の陰でキクリーナは満足そうに微笑んでいた。

アイルは先のやり取りが誰にも見られていないと思っていたようだが、それは大間違いだ。途中からだがしっかりと見ていた。

あのやり取りが騒ぎになっていないのは唯一の目撃者であるキクリーナが誰にも通報していないからに過ぎない。

狩りが趣味であるキクリーナは気配を殺す術に長けている。鋭敏な獣が気づけないのだから人間が気づけるはずがない。

(お互い性格が近いタイプの人間であり、歳も同じ。放っておいても自然と仲は深まるとは思っていましたが……それにしてもなぜアイルさんは女子寮にいたのでしょう?)

キクリーナが見たのはプディカがアイルを問い詰めているシーンからであり、その前のカンナがアイルを部屋へ引きずり込むシーンは見ていない。

『えっちなことをしたんですよね』

『してない』

『嘘です。お兄さんの服から女のにおいがしますから』

『カマをかけられても本当にしていないんだからそれ以上言える事はないね』

先の二人のやり取りを思い出す。プディカの言葉が嘘やカマかけでなかったとしたら、彼は本当にカンナの部屋から出てきたことになる。

(彼が自ら女の部屋を訪ねるとは思えません。間違いなく連れ込んだのはあの娘でしょうし、その場合結構な確率で性的なあれこれをした可能性がありますわね。合意の有無はともかくとして)

どうやらあちらもあちらで急速な接近をしているらしい。事態はキクリーナが手を出すまでもなく彼女の思い通りに進んでいる。

(そのうち互いの存在を意識しだしてドロドロな女の戦いが幕を開けてくれればわたくしとしてはベストですわね。とはいえ、あまりに教室内の空気が悪くなりすぎるのも考えものですわ……ううん、悩ましい所ですわね。修復不可能にならない程度にドロって欲しい所ですが……下手に干渉するよりもしばらくは成り行きを見守った方が安全かしら?でもそれだとわたくしが暇ですわねぇ……)

はてさてどうしたものかと考えながらキクリーナは自室へと戻る。彼女の悪趣味極まりない計画は果たしてうまく行くのだろうか。

***

「えへへ……えへ、えへへへっ……」

「どうしたのプディカ……?貴女今すごく気持ち悪い笑い方をしているけれど」

自室に戻ったプディカが先程のアイルとの接近を思い出して笑みを浮かべると、隣室から訪ねて来ていた姉のミモザは怪しげな視線を向けてきた。

「お姉ちゃぁん……えへっ、えへへへっ……えへぇ」

「割とマジでキモいわよ貴女……何か良い事でもあったの?」

プディカの顔は緩みきっている。普段の彼女からは想像できないような表情だった。

ミモザに問われると、待ちかねたぞと言わんばかりにプディカは語り出す。

「あのねっ、アイルくんがねっ……」

「ストップ。だいたい何があったかはわかったわ」

長くなるな、と察したミモザは制止しようとするがお構いなしだ。

「さっきねっ、偶然そこの廊下で会ったのっ。これって運命じゃないかなぁ……それでね、それでねっ、いろいろあって仲良くなってね、プディカちゃんって呼んでくれたのっ」

「うん……うん?そこの廊下?ここ女子寮よ?」

そうミモザが問うと、スッ……とプディカの目から光が消える。

「それが……どうかしたの?」

「そんな顔をしても誤魔化されないわよ。どうして彼が普通は男子が近づけない女子寮の廊下にいたのかしら?彼、覗きとかするスケベな男には見えないけれど」

「そんなのわかんないよ。カンナお姉さんの部屋から出てきたのをたまたま見ただけだもん」

「カンナの部屋から?それって―――」

「ちがうよッ!!!」

ばんっ、と勢いよく机を叩く。勢いよく叩き過ぎて手がヒリヒリする……。

「いったぁ……」

「前から思ってたけど貴女結構ポンコツよね。それで?何故彼はカンナの部屋から出てきたのかしら」

「そんなの、わかんないよ……でも、アイルくんはカンナお姉さんとは恋人同士じゃないって。嘘をついてる感じはしなかったもん」

「ふぅん?友達以上恋人未満って感じなのかしら。それとも、もっと不健全で爛れた感じの関係なのかしら?二人ともそんな事しそうな人に見えないけど」

ミモザは腕を組みながら首を傾げる。そんなのこっちが知りたいくらいなのに。

「わかんない……でも、恋人同士じゃないなら、きっとまだチャンスはあるから」

「だと良いわね。まぁ姉としては妹の恋路は全面的に応援するわよ。相手もかなり良い男だし」

「お姉ちゃん?もしかして―――」

「そんな目で見ないで。ほらほらハイライト戻して。私は別に彼に興味はないから」

「ほんとかなぁ……」

「ホントホント。4つも年下の男相手に鼻息荒げる趣味はないわよ」

「ふぅん……」

「ま、そんなに周りのライバルが気になるならもっとガンガン押してみなさいな。話を聞く限りだと現時点じゃたぶん妹みたいにしか見られてないわよ」

「アイルくんがお兄ちゃん……それもいいけど、やっぱりわたしのモノにしたいなぁ……」

「意外と支配欲強いわよね貴女……ほら、そろそろ寝ないと明日に差し支えるわよ?そんなに彼が欲しかったらテストで良い所見せて振り向かせてみなさいな」

「うん、わたしがんばるよ……!」

やる気に満ちる妹を見て満足げな顔をすると、ミモザは自室へと戻っていった。

(アイルくんは誰にもわたさない……絶対に……)

危うげな決意を胸に、プディカも布団へと潜り込む。

明日からも毎日彼の顔が見られると思うと、プディカは嬉しくて仕方がなくなってしまい、眠りにつくのはしばらく時が経ってからだった……。

***

[次章・実力テスト編に続く]

ホントはね

一週間に一回くらいの割合で更新したいんだ

でもね

それってとっても難しい事なんだって気づいたよ……

速筆の作家さんが羨ましいにゃあ……


あ、作品の感想とかこのキャラ好きですとかこの後こんな展開どないや?とか

ご意見はいつでも募集してます。褒めてくれると筆が早くなるよ。

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