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「じょなん……」
そう呟いた玉様は飯野美里に背を向けて、ドアを引き開ける。
素早く身体を滑り込ませてすぐにドアを閉めようとしたので、オレと高彬さんは慌ててドアをこじ開けて中に入った。
がちゃんと鍵を締めて、チェーンも下ろす。
玄関ドアと内ドアの二畳ほどの狭い空間で、男三人は顔を見合わせて何も言えなかった。
多分三人とも考えていることは同じで、玉様とオレは高彬さんを見て、高彬さんは諦めたように薄暗い天井を見上げる。
「あとで、な。俺が何とかしてやろう。あぁいう女は、まぁ客として来るからな。子供を預けてまで呑みに来るような女。あんま相手したくないんだけどな」
「……すまぬ。高彬」
自分だけ逃げようとした玉様に二の腕を掴まれた高彬さんは苦笑いを浮かべて、でもすぐに表情を引き締めた。
玄関まで浸食していた靄は玉様が踏み込んだことによりここの空間だけは消え去った。
居間に繋がる磨りガラスのドアの向こうは薄暗く、悪いモノが籠っている。
「視えないって、ある意味幸せだよなぁ」
高彬さんが言うように、視えない感じないことはある意味幸せだ。
こんなに生活空間が侵されているのに普通に生活できるのだから。
嫌な感じを受けることも無く、飯野美里は昨晩からそして今朝まで子供のことではなく、自分の事を考えてのほほんとしていたのだろう。
ただ、不思議なのはこんな場所にいたのに身体に不調を来していなく、鈴木の様に憑りつかれていないということだ。
「んで、これからの流れは」
高彬さんに聞かれた玉様は懐から黒扇を取り出して閉じたまま軽く振り下ろした。
「祓うのみである」
「オスキマ様の説得はしねぇの?」
「せぬ。意味がない」
「でもそうなると市長さんは困るんじゃねーか?」
御厨一族はオスキマ様に供え物を捧げることで、干場史野で栄華を手に入れた。
玉様がオスキマ様を祓ってしまうことは手にした栄華を手放すということ。
代々続いた旧家に斜陽の時代が訪れるのだ。
「そのようなこと、私は与り知らぬ。困ると言うならば今後己の手で自力で励むべきである。何かを犠牲にした上に成り立つものなどまやかしだ。お前は供物が何か知った上で、そのようなことを申しているのか」
「美味しい、食べ物? 旬のものとか?」
「馬鹿者。供物は人。御厨に産まれた女児である」
「……人間?」
小さく反芻する声に玉様は深く顎を引いた。
「御厨の一族は産まれた女児を生贄にしている。そうでなければ何代も一族を繁栄させることは叶わぬ」
「いや、だってそんなの今どき……」
「そう、今どき、だ。だから御厨は一郎の代で潰える」
「え、すまん。全然意味が……。稀人様よ?」
玉様としばらく共に行動していた高彬さんは、ようやく玉様が言葉足らず過ぎることを理解してオレに困惑顔を向けた。
こういう時、上守ならもっと突っ込んで玉様に説明を遠慮なく求め、言葉足らずを責めて自分の理解力は普通だと正当化する。
それは上守が玉様を対等に見ているから出来ることで、自分の主である玉様に高彬さんは無意識に遠慮することになる。
「御厨の一族は男子の系統で繋がれてきた一族のようです。一郎は三人の娘はいるけど、息子は居ない」
「それはさっき聞いた」
「恐らく、ですけど。男子が産まれれば跡継ぎが出来たということで、問題はない。でも女子が産まれても跡継ぎにはなれない」
「いや、なれるだろ、跡継ぎ」
「近代では寛容になってきましたが、昔はそうじゃなかったんです。家を男子継承で繋いでいかなければ守られなかったんですよ。娘に婿、外から男の血を入れるということは家が乗っ取られる、という可能性があったんです。簡単に言えば、婿養子の元々の家が乗り出して来て、自分の家の傘下だと主張してくる恐れがあったんです。
大体婿養子に出される男子は長男ではなく次男や三男なので、嫡男が跡を継いだ自身の生家の本家よりどうしても格下に見られることがあったんです。だってそうでしょう? 婿に出した次男の家柄が嫡男よりも上だったら、嫡男がいる本家は次男の婿養子先の傘下になる場合がありえたんですから」
「でも男が産まれないことだってあっただろう」