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午前十時。
開庁して間もなくの市役所の入り口にはズラリとスーツ姿の中年たちが並び、着物姿の若者と黒スーツの男二人を出迎えた。
市役所を訪れていた数人の市民は何事かと足を止めている。
「正武家様、でいらっしゃいますでしょうか……?」
おずおずと進み出た中年の男は出で立ちが一人だけ違う玉様に声を掛けたが、返事はもらえない。
こういうのは代わりに稀人のオレが対応しなくてはならないのだが、相手からすれば無視をされたと玉様との初対面の感想は最悪なものになる。
「正武家玉彦様です。市営住宅を管轄する部署まで案内をしてください」
「あっ、はい。あの、それで私副市長の阿部と申します」
両手で差し出された名刺を片手で制して受け取らない。
ここには事情を知る人間に話を聞きに来ただけで、依頼人ではない人間とは余計な関わり合いを持たないためだ。
それに名刺を受け取ってもこちらには名刺がないから交換すら出来ない。
「申し訳ございません。今回は非公式での訪問となりますので」
という尤もらしい理由を言って回避、こうして玉様とオレと高彬さんは副市長の阿部を先頭にして役所内に足を踏み入れた。
チラリとみた案内板には鈴木が配属されている市営住宅課は一階にあった。
にも関わらず、阿部は玉様を二階へと誘導する。
これだからお役所っていうところは面倒臭い。
既に正武家からとある伝手を辿り、干場史野市役所へ連絡が入っていたからこそ先ほどの出迎えだったはずで、その時に余計なことは極力しない様にと忠告がなされていたはずなんだがな。
ちなみにとある伝手とは、国絡みのお偉いさんに話を通しておけ、という感じのものだ。
正武家家人は一代に一人だけ、国政に深く関わる人物との伝手を作る。
澄彦様の場合は豊綱というテレビでもよく見かけるお馴染みの某党の政治家だ。
この爺は一癖も二癖も三癖もあり、対等に渡り合えるのは澄彦様くらいのものだと思う。
玉様は何故かこの爺に甚く気に入られていて、幼少の頃から孫のような扱いを受けていた。
ともかく爺から誰かに話が行って、そこから干場史野市役所の市長辺りに話が落ち着いたはず。
お役目に関係のない事柄で動くことは、玉様も、澄彦様も最も嫌うことだった。
なぜなら基本的に彼らは五村外でのお役目はさっさと終わらせてお屋敷へ帰りたい人間だから。
澄彦様はたまに温泉に入ってから帰るなど遊びがあるが、玉様は真っ直ぐ帰りたがる。
理由は稀人全員が承知していた。
特に暫くはこの傾向が強くなるのだろう。
そんなことを考えながら案内されるがままにオレたちは予想通りに市長室の前まで来ていた。
市長室の両扉は重厚な木製だったが、建物自体はコンクリートなのでそこだけ違和感がある。
そして、ぴたりと閉められているはずの扉から薄墨の空気が漏れだしており、オレは目を見張った。
同時に隣の高彬さんも息を飲んだので間違いない。
玉様だけは相変わらず何も視えていないのか不機嫌そのものの無表情だ。
「市長の御厨が挨拶をしたいと申しておりまして。大変申し訳ないのですが、最近具合があまり宜しくないようでして、ご足労いただいた次第です……」
阿部はここで土下座でもするんじゃないかという勢いで頭を下げた。
周囲の人間も彼に倣って直角に腰を折る。
一応、誰かの忠告を無視してしまったってことだけは自覚していたらしい。
玉様は一度溜息を吐いて、ノックもせずに扉を両手で押し開けた。
すると室内から溢れだした靄が待ってましたと言わんばかりに襲い掛かって来たが、玉様の後方に流れ出ることはなかった。
玉様の身体から立ち昇る白い炎が黒い靄を喰らっていく。
上守は白い靄と言っていたが、オレや兄貴の目には炎の揺らぎの様に視えていた。
不可思議なものは誰しも同じ形態で視えているとは限らない。
流石に実体化していれば別だが、曖昧な存在は視えている人間の立ち位置によって違うそうだ。
これは祖父の九条に教えられたことだから間違いない。
黒い靄は上守もオレも『良くないもの』という共通の認識がある。
そして正武家家人が背負う業の炎は『自分に危害を加えないもの』だ。
だから極偶に玉様が無駄に揺らがせる冷たく蒼い炎は、上守もオレも炎と認識していたが、オレが視える白い炎を上守は靄と認識しているから面白い。
上守、もとい、神守にとっては禍を喰らう白い炎は自身にとって危害を加える恐れがあるものと無意識に認識していた。
これは正武家と神守の立場を考えればなんら不思議なことではない。
神守は御門森や清藤と違い、正武家に仕える為の一族ではない。
彼らは正武家のお目付け役といったところだから、互いに牽制しあうことも大昔にはあったらしい。
だからこそ神守の眼には正武家の業の炎は靄として映るんだろうが、だったら蒼いのはどうなんだよって話なわけで。
上守は神守だけど、普通の神守ではないのかもしれない。とは祖父の言葉だ。
玉様は白い炎が靄を喰らい尽くすまで微動だにしなかった。
何かが自身に触れて白い炎が揺らいでいたのを感じていたからだろう。
数分後、清浄になった室内で御厨市長がばったりと机に突っ伏していた。
侘びし気な頭頂部がオレにも見えた。
「しっ、市長!?」
駆け寄ろうとした阿部を玉様は一睨みして押し留め、大事ない、とだけ言ってオレと高彬さんを中へと促し慌てふためく阿部たちを廊下に残して扉を閉めた。
そして、黒扇を手にして呟く。
これで玉様以外は扉を開けることは出来なくなった。




