15
「なんじ、かの……なと…………にだ……をさ……りしゅく……をた……い……る。よってくだんのごとし」
か細く首を絞められた甲高い鶏のような声で。
息も絶え絶えに。
仔牛は、しゃべった。
それと同時に爽太さんの視界は暗転し、身体の力が吸い取られるように抜けて、昏倒した。
「えー。誰々? 川下っちの彼氏ー? ちょっと年上過ぎない?」
「何言ってんのよ。学校の先生よ。構内で獣医師してる人。残念ながらまだ婿養子候補はいないわよ。あぁ……入る大学間違えたかも。お父さん足を痛めちゃったから、一緒に山で狩りを出来る人を探してたんだけど」
「で、なんで獣看護師なの?」
「だってどうせだったら動物に詳しい人の方が白猿をどうにか出来そうな感じしない? 同じ学部であわよくば婿候補を一本釣りしたかったわけよ、一石二鳥を狙って」
「だったら僕なら細菌学の奴が良いと思うけどなぁ」
「どうして」
「だって山に細菌バラ撒けば白猿が感染して仕留めることができるだろう? 百歩譲って弱らせるだけでも上出来じゃーん?」
「……澄彦くんの理論を実践すれば山の他の動物も死んじゃうわね……」
「だからそこは白猿にだけ効果があるような細菌を開発してもらえばいいじゃないか。研究費ならいくらでも湯水のように出すよ、僕」
「そもそも白猿に効果があるかどうか調べるために白猿の組織片とか必要になるけど、毛ぐらいしか手に入らないじゃないの」
「僕、そういうの詳しくないんだけど、毛からクローンとか作ってさ、そういうのできないの?」
「……それこそ五村の、生命の流れに反することで何が起こるか分かんないわよ。一匹でも討伐出来ないのに無駄に増やしてどうすんのよ」
「あぁそうだねぇ。それは不味いねぇ」
爽太さんが意識を取り戻して、気怠さに瞼すら開けられないでいると、須藤玲子が珍しく男子学生と気軽に会話しているのが聞こえた。
一体自分はどこにいるのか疑問だったが、僅かに動く指先に伝わる感触はシーツで寝かされていることがわかった。
解剖室で意識が途切れて、山本さんの様に保健室に運ばれたのだな、と爽太さんは思ったけれど、ところがどっこい。
爽太さんが昏倒しているのを解剖室に戻って来た道彦と九条翁が見つけて、二人はそのまま意識を失っている爽太さんを鈴白村の正武家屋敷まで勝手に運んできていたのだった。
理事長や学長は正武家様の仰せのままに、と止めもせず。
どこからか誰かの圧力、もとい口添えがあって彼らは道彦と九条翁の行動を止めることは出来なかった。
そんなことになっているとは露知らず、爽太さんは大学の保健室ならもう少し寝ていようと太々しく思った。
起きて独身寮に戻って再び寝るよりはこのまま寝ていた方が楽だし、昨晩の徹夜の疲れがまだ身体に残っている様に感じる。
二十代半ばで徹夜の疲れが残るとは日頃の運動不足が祟っているのかもしれない。
ちなみに爽太さんが正武家屋敷に拉致されてすでに三日が経過していたが、爽太さんの中ではまだ半日も過ぎていない感覚だったそうだ。
「それはそうと、川下っちは見たんだろう? 例の『くだん』」
「見たけど絶対に死んでた。脈も無かったし呼吸もしてなかったから絶対」
「だけどこの先生は『くだん』の言葉を聞いたそうじゃないか」
「そこが分かんないのよね。本当に聞いたから倒れたんだと思う?」
「父上と九条の見立てだからまず間違いないだろうね。恐らく『くだん』が言葉を発したと思われる時刻に母牛と姉牛が死んだ原因はそこだろう。そうじゃないと母牛と仔牛が一緒に眠るように死ぬなんて考えられない」
「そこもね、不思議なのよね。『くだん』って託宣を下すわけでしょ? それこそ未曽有の何かの」
「一つ、訂正させてくれ。託宣って神や仏の言葉だよ。『くだん』は間違いなく神や仏なんかじゃない。紛れもなくあやかしだ」
「じゃあ、お告げ? を言って死ぬって伝承には残ってるじゃない? 産まれたと同時にお告げを言って死ぬっていうのにあの仔牛は死んで産まれたのよ。どうして何時間も経ってから蘇生したのかしら。それに産んだ母牛も絶命するっていうじゃないの」
至極真面目に二人は会話しているが、その内容に爽太さんは耳を疑った。
自分が触れていた単眼の奇形種の仔牛は、あやかしだった?
あやかしって妖怪のことだよな?
仔牛が話すことはないから妖怪だったと言われれば納得できなくもないが、その前に妖怪などこの世にいるのか?
けれど彼らは当たり前の様に居ることを前提で話をしていて、爽太さんは夢を見ているのかとも思ったが論理的に展開できる思考と身体に伝わる現実の感覚に夢ではないと結論を出す。
「そこね。そこ重要。何かが伝承の『くだん』とは違っているんだよね。九条が調べてるけどどうなることやら」
「澄彦くんは調べないの?」
「え、無理無理。父上や僕が触れればボンって消えちゃうもん、多分ね」
ボンと消えるとはどういう状態だ?
「兎も角。先生が起きて何を聞いたのか聞かないと話は進まないね。あぁ早く起きてくれないかなぁ。水でも掛ければ飛び起きると思う? 川下っち」
「……絶対に止めてよ?」
「絶対?」
「絶対」
断固反対してくれた玲子さんに感謝しつつ、彼女がなぜ川下っちと呼ばれているのか疑問に思った爽太さんだったが、うつらうつらと再び眠りに就いた。
その後、目覚めた爽太さんは道彦と九条さんから色々と事情を聞かれ、身体がまだ本調子にはならなかったことから、正武家屋敷でなく須藤家で数日過ごしたそうだ。