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それにしてもなぜ仔牛が話したか否かを突然現れた部外者二人が気にするのか爽太さんには全く理解できなかった。
そもそも彼らは一体どこのどちら様で、理事長や学長を従えて登場したのか全く理解できない。
唯一確実に分っていることは須藤玲子と知り合いだということだけだった。
昨晩畜舎にて奇形種の仔牛を目撃したのは自分と山本さんと須藤玲子の三人。
この奇妙な二人に仔牛の事を話せたのは彼女しかいない。
しかし話を聞いたからと言って、どうして二人が大学を訪れたのか。
いくら考えても答えに辿り着きそうもない。
「道彦様。如何されましょう?」
「母牛は死んではいないのだろう? それもまた異なことよ。同時に産まれた仔牛もいると聞いた。そちらも一応見ておくとするか。理事長、案内せよ」
「はっ、はい。こっちらです!」
変な箇所で詰まった言葉を理事長が口にして、カクカクと手足を緊張させて歩き出す。
理事長たち五人と、素早く防護服を脱ぎ捨てた教授が金魚のフンの様に行列の最後尾につき、一行は解剖室から出て行く。
ずっと壁を見ていた三人の医師は誰が言うでもなく、気怠そうに防護服を脱ぐ。
床に倒れ込んでいる山本さんを揺すっても起きそうにないので、二人の医師が脇と足を持って保健室へと運んで行った。
解剖室にただ一人残された爽太さんは、解剖台に置かれたままの仔牛をどうしようかと考える。
一人で解剖することは出来ない。
九条翁にそこまで、と言われてしまい、理事長や学長は老人の言葉に従えという剣幕だったから、そこまでとは仔牛について調べるのはそこまで、という意味だったのだろう。
とにかく、だ。
この奇形種の仔牛が何だったとしても、放置しておくことは宜しくない。
人目に、特に学生の目に触れれば一気に噂が洪水のように流れてしまう。
なにせ人面に見える奇形種なのだ。
爽太さんは仔牛の下に敷かれたままになっていたバスタオルを綺麗に広げ直して、仔牛の体勢も昨晩の玲子さんがしていたように整えてやった。
すると頭が重かったのか、こてん、と首を傾げるようにこちらを仔牛が見上げる格好となり、爽太さんは息を止めた。
身体は牛なのに顔だけが人間の皮膚の色で、首を絞められ、うっ血したかのように赤黒い。
顔の大半を占めている単眼はど真ん中にあり、薄く瞼が上がっていて黒目が重力に逆らわずに床の方へと向けられていた。
ここで爽太さんは疑問に思った。
単眼とは字の如く、目が一つだけなのである。
人間も牛も目は左右にあるが、この仔牛の目は右目なのか左目なのか。
どっちでも構わないけれど、どっちなんだろうと。
爽太さんから見て、内眼角が右にあれば右目、逆ならば左目だ。
知ったところでどうなる訳でもないが、小さい頃から気になったものは無駄なものでも調べてしまうという悪癖がここに来て出てしまったのだった。
薄手の手袋をはめ直して触れた仔牛には既に体温はなく、けれども冷たくはなかった。
死後硬直が進んでいるはずの身体は柔らかく違和感を覚える。
毛並みはまさしく牛ではあるものの、顔面は人間の皮膚で、そこでまた分かっているのに再び違和感。
ただの奇形種だったなら毛がなくとも皮膚は牛であるはずで、白や黒の地肌であるはずである。
赤黒く変化はしているが、産まれたての時には肌色だった。
爽太さんは一旦検死の手を止めて、首を振る。
一瞬だけ。変な妄想が頭を過ったのだ。
昔、子供の頃にテレビで観た、どこかのお寺に保存されている河童の剥製を思い出した。
ワクワクして観ていたが結局はX線などで調べた結果、猫の首と作り物の胴体だったと夢の欠片もないものだった。
剥製にして年月が経てば継ぎ目が曖昧になり、後世の人間たちは近代まで作り物が河童だと信じていた。
けれど今目の前にあるものは決して人の手が加わったものでは無いことを自分は知っている。
花子から産まれ落ち、一時も目を離さなかった。
それにあの場で仔牛を挿げ替える必要のあった人物などいない。と思う。
もしそんな人物がいたならば、仔牛の身体と人の頭はどこから持ってきたというのだ。
紛れもなく本物である人面単眼の仔牛に再び手を伸ばして、瞼に触れればぶよりとした感触が返ってくる。
「少しだけ……見るだけ……」
誰に言い訳をするでもなく爽太さんは薄く開かれていた瞼をもう少しだけ持ち上げて、内眼角がどちらにあるのかを確認した。
内眼角は涙腺と共に右にあった。しかし左にもあった。
胎内で成長する過程で左右の目が融合し、一つになってしまい単眼になったのか。
いや、それにしては位置がおかしい。
内眼角は目頭にあるものなのだ。
融合したとするならば内眼角は『存在しない』。
外眼角が両端にあるはずだった。
的外れな予想だが左右の目が元々逆で融合したのかとも思ったが、現実的に考えられるのは左右の目がぐるりと反対側に回って融合したのではないかということ。
それなら外眼角は存在しない。
仔牛の頭を持ち上げて反対側の後頭部を恐る恐る確認してみたが、丸く綺麗な頭蓋骨の感触で違和感はない。
そもそも仔牛の眼窩はどうなっているんだ。
丸く一つだけなのか、二つが融合して歪な円になっているのか。
調べたい。解剖したい。
けれど、そこまでと止められてしまっている以上、ただの大学の一職員医師である自分が逆らえるはずもない。
いや、待て待て。
止められはしたが、彼らは既に立ち去った。仔牛の遺骸にはもう興味はない素振りで。
ならばもう用済みということではないのか。
だったら……。
爽太さんが脳内で色々と考えを巡らせていると、見つめたままだった仔牛の頭が再びこてん、と傾げる。
薄く開いたままの瞼の奥の黒目が徐々に重力に逆らって視点を爽太さんに向けて、あの時のように枯れた唇を薄く開いた。