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 理事長は金の亡者と職員の間ではよく揶揄されており、対する学長は人情だけのどんぶり勘定タイプの人間で、大体いつも二人は対立していた。

 そんな二人が肩を並べて同時に頷き合っているので、解剖室の五人は呆気に取られて動きを止めた。


「三歩下がって後ろを向く。出来ませんか。子供でも出来ますが」


 老人はツカツカと解剖室に入り込むと、五人の肩を押して強制的に下がらせた。


「後ろを向け。何度も何度も言わせないでください」


 突然現れた人間にどうしてそんなことを言われなくてはならないのかと食って掛かろうとした山本さんは、老人から問答無用の一撃を首筋に受けて膝から崩れ落ちた。


 とんでもない暴挙に出た老人は次に爽太さんと目が合い、右腕を振り上げたので慌ててメスを持ったまま壁を向く。

 理事長や学長も暴挙を見ていたのに止める様子もない。

 それどころか早く早く言われたことに従えと言わんばかりに、胸の前で激しく手を振る。

 渋々従った医師たちは彼らが何者なのか知るために、解剖台に向けていた背中に意識を集中させた。


 どう見てもお役所の人間ではない。彼らは九時前に来ることはない。着物であるはずがない。

 かと言って仔牛を弔いに来た坊主とも考えづらい。呼んだ覚えがない。初対面の人間に暴力を振るう坊主がどこにいる。


「道彦様」


「……うむ。しかし九条よ。無体なことは慎め」


 老人を窘めた壮年の男性には常識があるのかもしれない、爽太さんはちょっとだけ安心したけれど。


「横たわった人間など邪魔で仕方なかろう」


「申し訳ございません」


 二人の会話に思わず天井を仰いだ。


「須藤玲子」


「はい」


 道彦が呼べば、背後で空気が動く。

 彼女はいつも静かに歩く。


「これに相違ないか」


「はい」


「……確かに。これは『くだん』であるな。『何か聞いたか』?」


「いえ。私が触れた時には既に死んでおりました」


「……他の者は」


「恐らくは聞いていないかと、存じます」


「それはことわりに反する。誰かが何かを聞いたはずだが。本当に聞いていないのか」


「……少なくとも私は聞いておりません」


「では……お前」


 道彦が誰に話し掛けているのかと思えば、ポンッと肩を叩かれて飛び上がる代わりに手にしていたメスをカランと落としてしまった。

 恐る恐る振り向いた爽太さんに道彦と九条と呼ばれた老人、そして玲子さんの視線が集まっていた。


「な、んですか」


 少しだけ視線を下げると、九条翁と目が合う。

 パッと見れば柔和に感じる顔だが、目つきは鋭く委縮させられる。


「昨夜、仔牛は何か話ましたか?」


「はっ?」


「……ですから仔牛」


「牛が話すはずないでしょう!?」


 人間とはそもそも声帯が違う。

 鳥は人語を真似するがそれは彼らの声帯が人間と同じという訳ではなく、舌や鳴管が発達しているから出来ることなのである。

 では牛や馬はどうかと言われれば、そも声帯が違うことに加えて声帯から口腔内の距離が遠すぎるために音を響かせることが出来ない、逆に類人猿は声帯と口腔内が近すぎるために出来ないのだ。


 いくら奇形種の仔牛が人面だったとはいえ……と考えて愕然とする。


 仔牛の首は『短かった』のではなかったか?

 通常なら離れているべきものが近い位置にある。

 加えて顔の造形から口腔内は人間に近いものと考えるのが妥当だろう。

 でもしかし。

 誰にも教えられていない言葉を話すことなど有り得ない。

 人間の子供ですら生まれてすぐは泣き声を上げるだけで、話し始めるのは一歳位だろう。

 それも単語のみで話すなどの会話が成立するのは先の事だ。


「わかりました。では貴方は何も聞いていないのですね。では……」


 常識的なことを口にした爽太さんの返事を聞き流し、足元に気絶して寝転ぶ山本さんに眉を顰めた九条翁は深く溜息を吐く。

 自分の仕業で山本さんがこうなってしまっているのに。


「彼が牛舎からここへ仔牛を運んだのですね。何か聞いていたと言っていましたか?」


 再び問われた爽太さんは首を横に振る。

 もし死んだ仔牛が包みの中から声を上げれば、山本さんは畜舎に確実に居る爽太さんのところへと駆け込んで来ただろうし、解剖前に報告をしたはずだ。



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