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 稀に。


 そう、ごく稀に動物病院で出産をした愛玩動物の奇形種を取り上げることはある。

 そういう奇形種である子供は、元々生き延びられないほど生命力が弱く、放って置いても死んでしまう。

 爽太さんも山本さんも研修医時代に一度だけ、同じ現場でそれを目撃していた。

 その時は大型犬の出産で、生まれた六匹の内の一匹は残念ながら奇形種で呼吸はしていたけれど前足が異様に短く、他の兄弟犬と比べれば一目瞭然とした違いがあった。

 飼い主の意向を尊重して子犬たちは母犬と共にしばらくの間入院していたけれど、奇形種の子犬は前足以外にも内臓の疾患があり、生まれた数日後には冷たくなっていたのだった。

 あの時、前足が極端に短いという子犬を見てショックを受けなかったと言えば嘘になる。

 人間、予想していなかったものに直面すると驚く。

 さも平気そうな顔をしている奴だって、内心はドキドキしているはずだ。

 特に医師は患者を不安にさせないために見た目の冷静さだけはどんな時にでも演じられるように心掛けている者が大半だろう。

 自分だってその内の一人で、山本さんだってそうだ。

 今は患者も飼い主もいない構内の畜舎で、医師ではなく一人の人間として驚いたって誰に責められるはずもない。と爽太さんは思ったけれど、異形の仔牛に尻餅をついてしまった医師二人を尻目に、学生である玲子さんがいつも通り『淡々』と処置をしているのを見て、思わず叫んでしまった自分が恥ずかしくなった。

 しかし、後日この一件を山本さんと二人で話した時に、さすがにアレは百戦錬磨の大教授でさえ叫ぶだろうと意見は一致した。

 手足が短いだとか、口が裂けている、成長が思わしくなく身体が溶けた様に形成されてしまった奇形種などどれもこれも一応は学術書で目にしたことはある。

 けれど今夜、花子の胎内から生まれ落ちたものは、見たことがなかった。


 小型犬程の大きさなのに、四足は細く長い。

 足だけ見れば成長不良の仔牛の足だが、全体を見ればアンバランス過ぎて何の生き物なのか分からない。

 花子の胎内から自分たちが引っ張り出したから仔牛であると分かってはいたが、予備知識なしで見せられたなら作り物か何かだと思ってしまうかもしれない。それほど現実離れしていた造形だった。

 首も短く、頭頂部にあるはずの両耳は頭部の横側に付いており、形は……人間の耳に見えた。

 そして……まずは蘇生を、呼吸の確認をと身体を仰向けにさせた時だった。

 人間の……牛の羊水や血に塗れた顔がそこにはあった。顔面のど真ん中に一つだけ大きな大きな瞼があり閉じていた。

 苦悶する様に額に皺をよせ、生まれたばかりだというのに枯れた唇を持ったおきなのような仔牛は薄く口を開いた。

 呼吸をするためだったのか、死んではいたが身体の向きを変えたために勝手に開いてしまったのか定かではないが、確かに口は開かれた。

 けれど、すぐにバスタオルを広げた玲子さんに視界を塞がれ、確かめることが出来なかった。

 そもそも確かめると言っても、自分も山本さんも単眼の奇形種の仔牛を目の当たりにして腰を抜かして動けなかったのだけども。


「呼吸も脈もありません。死産、ということですかね」


 足を手早く折り畳み身体を小さくさせてしまうと、玲子さんは手にしていたバスタオルで仔牛を包み、さらにもう一枚汚れていないもので包み直す。

 彼女はもう興味を無くしたようにぽすんと藁の上に白い包みを置き、花子と仔牛を見てから今更勉強がありますので、と畜舎を出て行った。


 残された大の大人二人はそこでようやく我に返って、残された包みを凝視して考えた。


 死んだ動物は基本的に火葬に回してしまうが、これは火葬にしてしまうには『惜しい』。

 出来れば解剖し、原型を整えてから標本として残しておきたいものである。

 エコーに映らなかった原因はどこにあるのか。

 どのような経緯で人面と思わしき発達を遂げたのか。

 遺伝子に異常があったのか。

 では同時に産まれた片方の仔牛の遺伝子はどうなっているのか。

 調べなくてはならないことが山積みで、このまま火葬などできるはずがなかった。


「どうする? オレはこのまま処分するのはどうかと思うんだが……」


 自分と同じ考えだった山本さんに同意して、爽太さんはこのあとまだ自分が花子と仔牛の様子を見ていなくてはならないため、山本さんに死んだ仔牛の遺骸を研究室に運ぶ様にお願いした。

 日が昇ってから研究室で、然るべきメンバーで解剖を行おうと言って。



 そして、それから。


 朝になり、一旦独身寮に帰った爽太さんは身支度を整えて研究室に直行した。

 そこには既に包みを解かれた仔牛が解剖台に乗せられ、山本さんを含む数人の医師に取り囲まれていた。

 どうやら爽太さん待ちだったらしく、皆無言で行動を開始する。

 何らかの病原菌に感染しているかもしれないと今になって教授が口にして、仰々しく四人の医師は滅多に着用しない防護服を身に付けた。


「感染でこんな状態になるって聞いたことないよな」


「でも、何があるかわからんし。ここが始まりになっても対策はしてましたってしとかないとまずいだろ」


「そんなこと言っても母牛と姉弟牛はそんまんままだ畜舎だろう?」


「とりあえずまだ隔離はしてる状態だけど……。学生たちが見に行ってるかもだなぁ……」


 手の消毒をしながら雑談して、再び中へ戻ると解剖を見学するだけの教授も防護服を纏い、腕組みをしてスタンバイしていた。


「じゃあ始めますか。よろしくお願いします」


 一同手を合わせて一礼してから、爽太さんが仔牛に手を伸ばしたその時。

 解剖室に男性の声が響いた。ここにいる誰の声色でもない。




「そこまで。皆さん、三歩下がって後ろを向きなさい」




 全員が揃って入り口を見れば、細身で小柄な黒い着物の初老の男性と、その後ろにこれまた黒い着物の大柄の坊主の壮年の男性、そしてその背後には犬猿の仲と噂される理事長と学長、もっと後ろには昨夜さっさと勉強の為に帰った須藤玲子の姿があった。




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