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花子を眺めながら目を細めた玲子さんを爽太さんはちょっと見直した。
ここ数年彼女を見ていたが、確かに成績は良く、実習も卒なくこなす。
けれどそこに動物に対して愛おしむという感情が一切見えなかった。
淡々と知識と技術を身に付けるために学んでいるという印象だったが、隣で微笑む顔を見ると自分の認識を改めた方が良さそうだった。
それから間もなく。
三人の人間に見守られ、花子は一次破水が始まり、二次破水は理想通りに一時間後。
胎児の足が視認できたところで爽太さんと山本さんは足にロープを絡めて介助に入った。
玲子さんはバスタオルを広げて生まれ落ちた仔牛の身体を拭くためにスタンバイをしていた。
「せーのっ!」
声を出してタイミングを合わせ、同時にロープを引くとずるりと花子の産道から仔牛が産まれ落ちて敷き詰めていた藁に抱かれる。
山本さんはそのまま花子の背中を撫でつつ労わるように様子を観察し、爽太さんと玲子さんは仔牛の身体をバスタオルや藁で優しく拭き上げた。
自発的に呼吸も出来ているし、五体満足。
元気な女の子だった。
「二百八十日でこれだけの肉量を生産できるって凄いことですよね」
「へっ? 肉?」
温かい仔牛の体温を手のひら一杯で感じられるように撫でていた爽太さんは、隣で仔牛を拭いていた玲子さんを思わず二度見した。
「四十キロ前後の牛が一年後には三百キロかぁ」
頬を若干赤らめてうっとりして何もない空中を見上げてニヤける玲子さんに、先ほどの認識を改めた方が良さそうという認識を再度改めた方が良さそうだと爽太さんは思った。
彼女にとって動物とは食物であって、可愛らしいなどの感情を抱く対象ではないようだ。
人間相手にしろ、動物相手にしろ、医学の道を志す動機には大体数パターンに分けられる。
親の跡を継ぐためや、幼い頃に医療に助けられて関心を持ったことが切っ掛け、お金が欲しい儲けたい、など大方予想できることが多いが、須藤玲子という学生はどのカテゴリーにも当てはまらない。
強いて言うなら彼女は……その他。
命を効率的に奪う方法知るために学んでいる節があるのは薄々教授たちも気付いており、度々問題視されてはいたが、何と言っても成績優秀で学生として品行方正でもあったために自分たちの考え過ぎなのかもしれない。と結論は出されていた。が、こうして彼女の発言を聞くとその結論も早合点だったように思える。
複雑な感情を悶々と抱えて爽太さんは仔牛を撫で拭く。
彼女は一体今夜、本当は何をしに訪れたのか。
貴重な場面とは言っていたが、感動できるとは言っていなかった。
「あ、あれ? これって……。おい、立花っ!」
花子の様子を見ていた山本さんに呼ばれて立ち上がると、爽太さんの目には花子の尻尾の下あたりに仔牛の足が飛び込んできた。
「まさかっ! ありえない!」
学生の授業で花子の腹の中は何度もエコーで確認されていた。
微妙な角度で超初期の頃は見落としてしまうこともあり得るが、ある程度成長してからならばまず見落としはしない。
それに花子の腹の膨らみ方はどう考えても仔牛が二頭いたとは到底考えられなかった。
しかし実際今目の前には仔牛の足が見えており、あり得なくても考えられなくても仔牛はそこにいるのだった。
「山本っ! 足にロープを巻け!」
縺れそうになった動揺する心を反映した足を踏み出して、爽太さんは花子の背後を取る。
山本さんが掴んでいる仔牛の足は先ほど生まれた仔牛の半分にも満たない細さで、ロープを巻きつけ引っ張れば折れてしまいそうだった。
「どうする、立花」
「普通に考えてこの大きさだったら、死産だ。小さすぎる」
「……だよな。でも中には一頭だけ、だったよな?」
「あぁ。間違いない。でも……」
二人揃って白く細い足を見て、確かに存在していることを見せつけられた。
「とにかく出してやろう。このまんまじゃ花子にも負担が掛かる。いくぞ。せーのっ」
再びずるりとした感覚が手に伝わり、ぼすんと藁の上に小さな小さな血塗れの仔牛が落下した。
ピクリとも動かず、既に大きさから死産だと分かってはいたが、爽太さんと山本さんは一応蘇生を試みようと仔牛を挟んで二人でしゃがみ込んだ。
玲子さんが予備のバスタオルを二人に手渡して、まずは身体を綺麗にしてやろうと彼らは仔牛の身体を動かした。
「なっ……んだぁ? 嘘だろ?」
「どうした、山本。……うっ、ああああああっ!?」
「どうしたんで……うっわっ。何ですか、これ。……単眼。……人面?」
医師二人は尻餅をついて後ずさったけれど、広げたバスタオルで両手を隠す様にして異形の仔牛の身体を玲子さんは拭き上げる。
というか、爽太さんには玲子さんが拭くついでに仔牛を隅々まで触診しているように映った。




