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お昼ご飯は爽太さんには大変申し訳ないけれど、玲子さんのお弁当を私が頂き、三人は病院にあったカップラーメンを食べた。
私もカップラーメンで良かったのに須藤くんが身体に良くないと玉彦のような事を言い出して、栄養バランスのとれたお弁当は私の手に渡ったのだった。
「美味しかったでしょう? 玲さんのお弁当」
「はい。すみません。御馳走様でした」
「玲さんはね、料理が上手なんだよ」
「そうですね。美味しかったです」
須藤くんの料理センスは玲子さん譲りなのかも。
でも須藤くんよりもお料理が上手な南天さんを兄に持つ豹馬くんは絶望的な料理センスである。
同じお母さんから生まれているはずなのに。
と、考えてふと思う。
豹馬くんのお母さんの話って玉彦と一度もしたことがない。
あれだけ南天さんとスイーツを作りながら雑談をしていたのに、お父さんの宗祐さんの話題はあったけれどお母さんの話題は一度もなかった。
どうして今まで『意識しなかった』のだろう。
豹馬くんと結婚した亜由美ちゃんなら知っているだろうけれど、彼女に聞くのは違う気がする。
玉彦がお屋敷に帰って来たら聞いてみよう、と今さらながら思った。
「あーでも、玲さんは料理がというか、食材を捌くのがべらぼうに上手でね。自分が最初に玲さんに惚れこんだのはそこだったんだよねぇ」
「え?」
食材を捌くのに惚れるって、なんだろう。
そもそもそこって惚れるところなの?
「玲さんとはね、大学が一緒だったんだよ。ま、自分はその頃、もう研修医をしていて大学内の動物病院で働いてたんだけどね。ある日さ、研修医仲間が泣きついてきたんだよ。女子学生に鼻で笑われたってさ」
爽太さんはその時の事を思い出して、さも愉快そうに肩を揺らす。
「玲さんはね、獣看護師を志して入学してきたんだけどね、一年生だからまだ通常のカリキュラムを学んでいたんだ。三年生から研究室に入るんだけど、たまたま夜にね。とある研究室で豚の解剖をしていたんだよ。
泣きついてきた研修医が指導に付いて新三年生の初めての解剖ね。まぁ今まで解剖はしたことはあるけど先生の指導の下でしていた訳で三年生たちは自分たちであれこれと試行錯誤しながら試される儀式、なんだけどね。どういう訳か玲さんは解剖室にやって来て、そんなんじゃ肉が悪くなるって言ってさ、尖刃の小さなメスなのにね、それでスパパパパパパンッとそれはもう見事に豚を捌いたんだよ。
十八歳の女の子が顔色一つ変えずに豚を捌くってすごいと思わない!?」
確かにすごいと思う。
私が十八歳の頃なんて、簡単なお魚くらいは捌けたけれど鮭とかの大物は無理だ。今も無理。
まして豚を捌くのなんて絶対に無理。
ずうっと前にお祖父ちゃんの家で鶏を絞めるのを見たことがあったけど、二度と見たくないし、やれと言われても土下座をしてでも辞退する。
お店で当たり前のように売っているお肉はどこかで誰かが処理をしてくれているから、私の通山の家でも食べられていた。
そう考えると本当にありがたいことである。
でもさ、って私は思うわけよ。
確かに十八歳の女子が顔色一つ変えずに豚を捌くのは凄いことである。
でも、爽太さんがそこに惚れこむ要素って……。
やっぱり変人だと再認識したところで、須藤くんは家業だからなぁと苦笑いをしている。
須藤くんは中学一年生の時に須藤と白猿の因縁から解放されて、母親の玲子さんとは比べ物にならないくらいの普通の学生生活を過ごしている。
けれどそれまでに叩き込まれていた白猿討伐に関するスキルは今なお沁み付いており、たまに山でのお役目があると鹿など狩ってお膳に上がる。
そう考えると玲子さんは人生の半分以上を白猿討伐に費やしており、その期間は猟師を兼ねていた時間でもある。
十八歳の玲子さんが果たしてどれだけのレベルだったのかは分からないけれど、とりあえずは解剖に挑戦した三年生たちよりも経験値が格段に上だったことだけは理解できる。
「豚は猪の親戚です。ってセリフが一時学部内で流行ったくらいだったよ。玲さんは確かに捌くのは上手かった。間違いなく。でもさ、自分から言わせればあれじゃダメだったんだよね」
「どうしてですか?」
「だって玲さんのは『食べる』ため、自分たちがしなきゃいけないのは豚の死因を『調べる』ための解剖だったからさ。だから技術は一流だけど、成績的には零点」
「あぁ……玲子さん、残念」
「でも物怖じしないで出来るってことはそれだけでも凄いんだけどね。だから玲さんには獣看護師ではなく、獣医師を目指さないかって教授は何度も口説いていたけど、首は縦に振らなかったんだよね。時間が無いからってね。看護師は四年でなれるけれど、医師は一人立ちまで六年かかる。二年も無駄に出来ないってさ」
教授に勧められるってことは、玲子さんは技術もさることながら成績も良かったのだろう。
もし白猿討伐の為に鈴白村へ早急に戻る必要が無ければ、獣医師になりたかったのかな。
将来の選択肢が一族の因縁の為に奪われて、さぞかし悔しい思いをしただろう。
「まぁそんなこんなで玲さんは自分の後輩になったんだけどね。どうして彼女が時間を無駄に出来ないと言ったのか、知る機会があってね。それがまぁ……玲さんとの結婚を決めた時でもあったんだけどもさ」
爽太さんは照れ笑いしながら休憩室の窓へ視線を流し、近くに見える鳴黒村の山々を眩し気に見つめた。




