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「これって正武家の領分だと思うんですけど……」
私がそう聞けば、爽太さんは精悍な顔を満面の笑顔に変えて、白衣のポケットから印籠の様に一枚の御札を私の前に掲げた。
「ちょっと、良いですか?」
私は爽太さんから御札を受け取り、目を走らせる。
御札はもう既に全体を黒く染めてしまい、もうあとわずかで役目を終えようとしていた。
それだけこの御札はこの動物病院で力を振るってきたのだろう。
黒く染まる御札には微かに文字が記されていたのを確認出来るけれど、私が知る澄彦さんの流れるような文字や、今も胸元に仕舞っている玉彦の御札の綺麗な文字とは明らかに違っていた。
細筆で書かれているはずの文字だけれど、太く力強くひと際大きな癖字。
相変わらず何が書かれているのか解読不能だった。
でもこれは二人の御札ではない。
「先代のね、道彦様のなんだよね。もうそろそろ効果が無くなりそうだから代わりを貰ってこなくちゃなんだけど、この二羽くらいなら何とかなるかなーって」
「先代の、ですか」
先代道彦は玉彦が小学二年生の時に亡くなったと聞いている。
とすると最低でも二十年近く御札は使用されていたわけで、頻繁に不可思議なものがここに持ち込まれていなかったのか、道彦の御札がずば抜けて強力なのか。
色々と考えながら爽太さんに御札を返そうと思ったら、彼はヒヨコの頭を右手の指先で抓んでポキリと、首を折った。
え? と思って爽太さん以外の三人の動きが止まり、彼の手元に視線が集中する。
「ぐぎゃあああぁぁ……ああぁん……アァアアアァ……」
おじさんヒヨコの断末魔に須藤くんは両耳を塞ぎ、鈴木くんは尻餅をついた。
トレーの中のヒヨコはハッとして起き上がり反時計回りに狂ったように走り出す。
次は自分の番だと悟って必死に逃げ道を探しても四角いトレーの中に逃げ場はない。
「ちょっと失礼」
私の手から御札を抜き取った爽太さんは、首を直角に折られたヒヨコを寝かせてその上に御札を立てかけ手を合わせた。
するとヒヨコから立ち昇っていた黒い微かな靄が御札に吸い込まれるように消えて行き、徐々にヒヨコの亡骸も灰の様になって崩れ去る。
煙草の灰よりも細かい灰をカルテの紙で綺麗に掬い上げ、爽太さんは開けた窓から風に流す。
「前はね、跡形もなく消えたんだけどここ数年は灰が残るようになっちゃってね。でも灰になってしまえば問題ないよね。生き物は本来土に返るものだし、まぁ外に捨てちゃってもいいよね」
手を合わせるような信心を持ち合わせているのに、亡骸は『捨てる』と言っちゃう爽太さんはやっぱりどこか変人だ。
須藤くんのお父さんなのにごめんなさい。
「さてさて~。残りはコイツか~。オスだったとはなぁ。顔で判断しちゃダメだね」
どういう基準でメスと判断したのか疑問である。
爽太さんは逃げ惑うヒヨコを鷲掴みにして躊躇なく頭を抓んだので、私は顔を横に背けた。
人面ヒヨコとはいえ、命を奪われる瞬間は見たくなかった。
すると須藤くんが爽太さんの腕を取り、ちょっと待ったをかけ、首は折らなくても御札で何とかなるだろうと苦言を呈す。
「だからさ、前まではそれで大丈夫だったけど効力が無くなってきてて上手くできないんだよ」
「無暗にそんなことしてたら祟られるって」
「そうか? 父さんは毎日社にお祈りしてるし、何かあっても家には玲さんがいるから大丈夫だよ。むしろ祟られてみたいね。そんな非現実的なことが経験できるなら毎日折ってもいいぞ」
憑かれエキスパートの鈴木くんはそんな爽太さんを見て、あぁいう人ほど視えないし感じないんだよねぇとぼやく。
私は同意して頷くしかない。
視たい視たいと思うほど何も視えないのは経験済みだ。
小町と学生時代にこっくりさんとかしても何にも起きなかったもん。
待ち構えている人ほど視えないのだ。
「涼だっているんだから何かあったらどうにかしてくれるだろう?」
「どうにかなるような事態をまず回避しようよ……」
傍から見てると思わず脱力したくなるようなやり取りに感じるけれど、これは私と玉彦の間でもよく交わされている会話でもある。
危ないものには近付くな、首を突っ込むなって。
渋々爽太さんがヒヨコをトレーに戻すと、ヒヨコはこれ幸いと隅に走り込み身体をより小さくさせた。
そして腫れぼったい顔をこちらに向けて恨めし気に睨んでくる。
これは確かに祟られるかもしれない。
意思が薄いものなら曖昧な存在だけど、これだけ感情があってしかも負の感情を持つってことは、もう少し成長したら妖として立派(?)に大成するのだろう。




