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南天さんに出掛けることを伝えて裏門で待っていた私と鈴木くんのところへやって来た須藤くんと、澄彦さん用のシルバーの車に乗り込んだ。
助手席には鈴木くんが座り、私は運転席の後ろ側に座るように指示をされる。
その指示を聞いた鈴木くんはオレの命が軽んじられていると冗談を言った。
どうしても事故が起きると咄嗟に運転している人間は自分を優先して助かる方向へハンドルを切る。
なので運転席の後ろ側に座るということは自然とそこに座る人間も守られるというカラクリだ。
須藤くんの運転を信用していない訳ではないけれど、私は後部座席に座ってシートベルトを締めた。
三人を乗せて車はお祖父ちゃんの家の前を通過し、高田くんの家、亜由美ちゃんの家を経てしばらく進み、三人組が通っていた小中学校を横目に商店街。
都度都度須藤くんの解説が入り、疎らにでもある建物の説明に鈴木くんは興味津々だったけど次第に彼が求めていたはずの田舎の景色が延々と続きだして須藤くんの口も閉じ、鈴木くんのテンションは下がって行く。
まぁ現実はこんなものよね。
そうこうしているうちに鈴白村を半周した辺りで、右手側に真っ白な白壁が視界を埋める。
ここは嫌でも見覚えがあった。
白猿に追い掛けられて死ぬ気で走り抜けたところだ。
苦々しい思い出に思わず苦笑すれば、ミラー越しに須藤くんも苦笑いしていた。
須藤くんは門から車を中へ入れるとゆっくりとブレーキを踏む。
目の前にはお祖父ちゃんの家よりもずっと大きく古い日本家屋。
庭先には白衣の洗濯物が風に揺らめき、その奥には産土神の社が見える。
ここは須藤くんの実家。
「ちょっとここで休憩ね」
私たちが車を降りたのと同時に、須藤くんのお母さんが玄関から訝し気に顔を出して息子の姿を見てから私を発見し、ずんずんと歩いて来たかと思えば須藤くんの二の腕をバシンと叩いた。
「何をやってるの、涼! 比和子ちゃんを連れ出すなんてお母さんは申し訳なくて玉彦様に顔向けできないわよ! さっさと玉彦様の元へ比和子ちゃんをお返ししなさい!」
「何を言ってんだよ……」
「あのう、鈴木和夫です。遊びに来ました」
私たちから少し遅れて車から降りた鈴木くんを見たお母さんは、片手を頬に当てて目をぱちくりさせる。
「あらやだ。もしかしてお母さん勘違いしてる?」
「してる」
素っ気なく答えた須藤くんは家の引き戸を開けて私と鈴木くんを迎え入れた。
須藤くんの家を訪れたのはこれで三度目だ。
高校から鈴白村に住んではいたけれど、須藤くんの家に訪れたことは中学一年生からなかった。
須藤くんやお母さんとは学校や正武家屋敷、お祖父ちゃんの家で会うことがほとんどだったので家にお邪魔する事はなかった。
お屋敷から遠いこともあったし、何よりも私は大抵玉彦と一緒だったので玉彦を優先する須藤くんは自分が足を運んで当たり前という考えだったからだ。
玄関から上がり、短い廊下を通って茶の間に通されて、私はその空間にホッとする。
ちゃぶ台と観やすい角度に置かれたテレビ。
ローサイドボードにはグラスや湯呑みがあり、上には誰かからの木彫りの熊のお土産品などが並んでいる。
壁に掛けられた大きめの実用的なカレンダーにはお母さんの予定が書き込まれていて、山、鳥、肉とあった。
そこから少し視線を下げれば、固定電話が置かれた三段のカラーボックス。
中には写真立てが幾つもあって家族写真と、あとは須藤くんの子供の頃の写真が飾られていた。
そしてお祖父ちゃんの家と同じく畳の茶の間なのに、畳の上にはグレーのじゅうたんが敷かれていて獣医であるお父さんが落としてしまったであろう煙草の火種の焦げが三つほど。
普通の家庭の生活感がある空間に久しぶりに触れた私は何となく落ち着いた。
正武家のお屋敷に住み始めてもうここが自分の家だと思ってはいる。
けれどお屋敷には公にされている茶の間というものがない。
食事は当主の座敷で頂き、食後に家族そろってテレビを観ながらのんびりすることは一回も無かった。
お正月の期間以外は。
正武家の一族は家族を溺愛する割にはどこかドライな部分もあって、家族としての慣れ合いはほぼ無い。
玉彦と私はもう夫婦で家族で、これから子供も生まれるけれどどういう生活を送ることになるのか想像も出来なかった。
二人だけの部屋ならいつも通りだけど、そこに子供が一人増える。
大きくなれば自分の私室を持つことになるんだろう。
そうなったら家族の会話はどこでするのかな。
当主の座敷の食事の席では時間が短すぎる。
かと言って現在井戸端会議場になっている台所には稀人がいて、一家団欒という感じにはならない気がする。
玉彦は以前子供部屋をどこにするか考えていたけど、私たちの茶の間的部屋の事は頭になさそうだ。
これは玉彦と話合う必要がある。
そう考えていると、須藤くんのお母さんの玲子さんが冷えた麦茶を四つお盆に乗せて私たちに振舞ってくれた。




