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鈴木くんはもうすっかり開き直って、斜向かいに座っていた須藤くんにその後紅美ちゃんはどうなったんだと聞いていたけれど、須藤くんは曖昧に笑って教えてはくれなかった。
多分、だけど。私には心当たりがある。
彼女が今もそこで療養しているのか解らないが、お役目で心神喪失状態になった人間はきっと私がまだどこにあるのか教えられていない正武家所縁の病院にいる。
多門のお父さん、清藤主門も恐らくそこに入院しているはずだ。
清藤の粛清時に記憶を無くしてしまった都貴の配下たちは警察に保護されていたが、記憶を無くしただけなので日常の生活に何ら支障はない。
しかし心神喪失状態になってしまうと日常の生活すら儘ならなくなる。
生きるために誰かの手を借りねばならず、残された家族にとっては大きな負担になってしまう。
彼女にも家族がいるんだろうけど、姉が亡くなり妹もそんなことになってしまった親の気持ちは計り知れない。
突然の事にどうすればよいのか解らず途方に暮れたことだろう。
そんな時に受け入れてくれる病院があるとなれば藁にも縋る思いで頼るに違いない。
正武家としても痛くもない腹を探られたくすらないので、彼らの事情を知る所縁ある病院を薦める。
そんでもってここからは私の推測だけど、恐らくそこで働く医師は美山高校の進学特化を卒業した人たちだと思っている。
進学特化を卒業した人たちは一旦五村を離れて、大学へと進学する。
大学を卒業したらそのまま村外で就職しそうなものだけれど、半分は五村へ戻るけど半分は戻らない。
この戻らない人たちは村外の正武家所縁のどこかへ就職しているに違いないと私は睨んでいた。
ささっと味わったのか不明な早さでババロアを食べ終わった豹馬くんが忘れろと言って鈴木くんを黙らせ、多門に視線を向ける。
「何時出発?」
「あー、このあと直ぐ出る。次代の帰宅待ちだったから」
「どこかに行くの?」
二人の会話から多門がこれからどこかへ行くのだろうけど。
「蘇芳のとこ。面倒な事案があるらしいよ」
「じゃあ澄彦さんと?」
「オレ一人。御指名」
「へぇ。坊主だから?」
「何気に比和子ちゃん、馬鹿にしてるでしょ?」
「そんなことないわよ。良いじゃない、坊主。多門は頭の形が綺麗だから似合ってるわよ」
膨れてガラスの器を片付けに立った多門を尻目に、私は蘇芳さんを思い出す。
蘇芳さんは玉彦曰く澄彦さんの悪友で、お坊さんだ。
あっさりとした顔立ちに細身の体型で、お坊さんだというのに両耳には赤いピアスをしている。
出会ってすぐの頃は無表情でお酒を呑み、何とも不気味な感じだったけれど、去年、とある事案を蘇芳さんから引き受けた時は普通に笑ったりもしていたから人見知りなのかもしれない。
その時の事案の際に瀬人という若い僧が心神喪失状態になってしまっていたけれど、彼もまた正武家所縁の病院に入院している確率が高そうだ。
正武家のお役目は当主次代が担うものと、他所へと振り分けられるお役目がある。
特に封じることに長けている蘇芳さんに振り分けられることが多いのは、それだけ澄彦さんが彼の能力を買っているということなのだろう。
「それでどんなお役目なの?」
私が聞いても多門はまだ知らないと言って、さっさと台所を出て行った。
準備に忙しいのではなく、私の詮索を避ける為だ。
追い駆けてまで質す必要もなく、私はそのまま隣の玉彦を見て肘で二の腕をつついてみた。教えてよ、と。
「俺も知らぬ。蘇芳から早急に多門を寄越せと父上に今朝連絡があったそうだ」
「そうなの。じゃあ澄彦さんは知ってるの?」
「わからぬ。多門が戻って来てから聞けば良かろう。間違っても父上の母屋へは行くなよ。比和子を座敷豚にさせるために無駄に栄養価の高い食べ物を台所に溜め込んでいると南天が言っていた」
「座敷豚……」
澄彦さんは私を座敷豚にさせたいんじゃなくて、ただ美味しいものを食べさせたいだけだと思うんだけど。
それが良いことなのか悪いことなのかはともかくとして。
竹婆の言葉は澄彦さんの耳を右から左へとそよ風の様に通り過ぎていったようである。
「ともかく比和子には関係のないことだ。しばらく多門は不在となるが、豹馬と須藤が居るゆえ不自由はあるまい。暇つぶしに鈴木も居る」
「オレ、暇つぶしに頑張るよ、比和子ちゃん!」
玉彦の言葉に乗った鈴木くんはガッツポーズをして私に力強く頷いたけど、暇つぶしに頑張るって何をしてくれるつもりなんだろ。
そんなこんなでそれからすぐに一つだけ旅行バッグを手にした多門が台所に顔を出して玉彦に出発の挨拶をし、私たち五人は嫌がる多門の後に続いて裏門で出征をする人間を送り出すかのように彼を見送ったのだった。
結局多門が外のお役目へと行ってしまったので、鈴木くんのお話は多門が帰って来てからということになったのだった。