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「こんな時間までどこに行ってたんだよ。小町ちゃんからメール貰って今から探しに行こうと思ってたところだったよ」
早歩きと言うよりもはや競歩で家まで戻って来たオレを須藤が家の前で出迎えてくれた。
「す、須藤ー」
怖い目に遭ってたんだよー、お前が助けに来てくれれば良かったのにーと思いつつ抱き付こうとしたら、須藤は軽やかに身を躱してオレはたたらを踏んだ。
男に抱き付かれるのがよほど嫌だったらしい須藤は感動の再会で目を潤ませるオレを汚物を見るように下瞼をぴくぴくさせた。
「鈴木。とりあえず風呂入りなよ。汗臭い」
「え? そう? ごめんな」
両腕を上げて脇の臭いを嗅いでみてもそんなに臭いはなくて、須藤があんなに避けた理由に納得がいかん。
でも自分の臭いは分かりづらいっていうし、オレは気付かずにとんだ異臭を振りまいていたのかもしれん。
さっきまで嫌な汗を流しまくりだったしな。
鍵を取り出し家に入る須藤の後ろ姿を見つつ、オレも何気なく後ろポケットに手を突っ込んだ。
御門森から鍵を預かっていたけど、今週末はもう家から出る予定もバイトもないし、大事なものは早めに須藤に預けておこうと思った。んだけども!
右のポケットに突っ込んだ指先に鍵の感触が無い。
慌てて前ポケットも引っくり返したけどスマホがあるだけで、鍵のかの字も無い。
う、嘘だろ?
自分の身体のありとあらゆるとこをまさぐっても、ない。ない。ない!
自分ちの鍵なら落としても盗まれる物はなくて、むしろ泥棒に入り込んでも汚部屋だから犯人が驚くくらいだから諦めは付くが、玉様の家の鍵はマズい。
ヒャッハーと舞い踊るくらい盗んで金になる物が溢れてる。最新家電とか。
玄関前で慌てるオレを見た須藤は早く入れと促すけど、それどころじゃねぇ。
ヤバい。どうしよう。子供みたいに鍵を落としちゃったって言えない。言えるはずもない。
しかもどこで落としたのかもわか……った。
尻餅をついた時だ。
蓑虫お婆さんの腹にヒップアタックをかました時だ……。
それ以外に思いつかん。
玄関の立派なドアを開けて待ってくれている須藤を凝視して、オレの思考は隠蔽かそれとも謝罪か揺れに揺れまくった。
隠しても御門森が帰って来た時点で絶対にバレる。そしてボロクソに罵られると予想できる。
なんてったって御門森だからな。
だったらここで須藤に白状した方がまだマシだ。
そりゃあ叱られるだろうけど、御門森のように人格否定するような罵り方はしない。
一緒に落としたところまで行って探す、と言ってくれ……るだろうけどそれはそれでマズい。
そうなるとまずお婆さんの話をしなきゃいけなくなるだろ?
んでもってそこからどうやって助かったのか紅美ちゃんのことも話さなきゃいけなくなるだろ?
彼女は須藤に秘密って言ってて、しかも背後にお婆さんがいると考えると迂闊に喋れねぇ。
板挟みにもほどがある。
「鈴木?」
「す、須藤~」
頼むから超能力でオレの思考を読んではくれまいか!?
そしたら喋ったことにはならんだろ!?
須藤の前に小走りに寄って、ちょっと見上げる。
濃い茶の目を訴えるように見つめていると、須藤は逸らさずに見つめ返して来る。
傍から見れば怪しい男たちだろう。
しばらくそうして須藤が面倒臭そうにはぁ~っと溜息を吐いて瞼を下ろした。
「なんかやらかしたんだろ」
「うん、うん!」
「家、散らかしたの?」
「そうじゃねぇ!」
そんなことしたら玉様に追い出されるだろうが。
「じゃあなんだよ。小町ちゃんになんかしたの?」
「そんなの怖くてできるか!」
小町ちゃんに変なことしたら返り討ちに遭うこと請け合いだ!
「だったら何をやらかしたんだよ……」
「それはだな……」
「涼くん! 鈴木くん!」
鈍感な須藤にヒントをくれてやろうと口を開けば、息を切らして紅美ちゃんが門の外に現れた。
オレは無意識に須藤の後ろまで下がった。
「紅美ちゃん? どうしたの?」
須藤はさり気なくオレを背後に押しやると、紅美ちゃんの前に進み出る。
彼女はさっきと同じ菫のワンピース姿で肩で息をしながら立っていた。
「あのね、さっき鈴木くんにたまたま会った時にね、これ落としていったの」
そう言って紅美ちゃんが手を差し出したので、須藤は受け取るように手のひらを出した。
カチャッと音をさせて緑の葉っぱのキーホルダーと一緒に家の鍵が渡される。
須藤は紅美ちゃんと鍵を見てからオレを振り返り、鍵を投げて寄越した。
両手で受け取ったは良いが、不気味過ぎて落としそうになる。
だってそうだろ。
紅美ちゃんはオレに背を向けて帰っていったんだ。
その彼女がオレが落とした物を拾えるはずなんかない。
考えられることは一つ。
別れたあと、お婆さんと会って渡された。ってことしかない。
不気味だと思ったのはお婆さんから戻って来た鍵もさることながら、紅美ちゃんもだ。
須藤には秘密と言っておきながらわざわざこうして落とし物を届けに来た真意とは一体……?
オレが喋っていないか探りに来たんだろうか?
ちょっと待てよ。
もし紅美ちゃんが時間逆行サービスを利用してるとして、もしかして別の時間軸のオレがこのタイミングで須藤に話をして厄介なことになったから戻ってやり直しをしているんだとしたら?
オレが余計なことを言わないように先手を打って現れたんだとしたら?
考えれば考えるほど色んな可能性が出て来て、須藤と楽しそうに会話して笑っている紅美ちゃんの笑顔が恐ろしく感じる。
そして不思議なことに彼女の身体には黒い影もなく、お姉さんも居なくなっている。
ということはやっぱりお婆さんには会っていないのか?
「彼女を送って来るから家に入ってて、鈴木。誰が来ても出なくていいから」
「お、おう」
須藤、行っちゃ駄目だ。
その子は絶対ヤバい。
喉元まで出かかった言葉は、須藤の肩越しにオレを見た紅美ちゃんの冷めた目に押し戻された。




