9
「そしたらね……」
小町ちゃんは辺り見渡してから、再びバッグの紐を握り締めた。
ゴクリとオレの喉も鳴る。
「ぐんにゃりその辺の景色が歪んで変なとこになっちゃったの!」
「お、おう」
変なとこってなんだろな。
「のっぺりした景色になってね、橋の向こうからお婆さんが滑ってきたの!」
「滑って?」
オレの脳内では腹ばいになったお婆さんが満面の笑顔で滑って来たけれど、小町ちゃんの話では浮かんでススーッと足を動かさずに目の前まで移動してきたそうだ。
どっちにしたって怖いことには変わりない。
「でね、そのお婆さんが小町に聞くわけ。『いつに戻る?』って」
「戻る?」
「そう、いつに戻るってずっと聞いてくんの。でね、小町は戻るんじゃなくて進んで家に帰りたいんだって言ったら……」
「言ったら?」
「……戻ってた」
「はい?」
「だから戻ってたのよ。遊んで帰る前の時間に。まだ家に居た時間に!」
「えっ……えええっ~!」
驚いたあまり車道に後ずさったオレは、慌てて小町ちゃんの前に戻る。
時間が戻ったって何だよ?
時間って戻るものだっけ?
……そんな馬鹿な話はない。
どんな金持ちでも貧乏人でも平等に流れているのが時間のはずだ。
「小町もびっくりしちゃってさ。スマホ見ても時間がおかしいし、家に居たママに聞いてもあんた何言ってんのって言われちゃって! んで部屋に戻ったら、居たのよ、お婆さんが、浮かんで!」
「何それ。怖い怖い怖い!」
二人で身を捩らせて怖がっていると、たまたま通りかかった帰宅途中のスーツのおじさんが橋を渡りつつオレ達に変な視線を送って目が合うとさっと反らした。
小町ちゃんとオレは立ち止まって話をしていたけど、何となくおじさんを追う様に歩き始める。
無意識にここにオレたち以外の誰かが居ることに安堵して、橋を渡ろうと思ったんだと思う。
橋を渡りきったオレたちはそのまま歩みを止めずに小町ちゃんの家へと向かう。
途中須田と比和子ちゃんの家の前を通り過ぎたけど、オレたちはお婆さんの話で盛り上がり横目で見ただけだった。
比和子ちゃんの家も須田の家もお出掛け中らしく、家の前に車は無かった。
「ででで、お婆さんは?」
「それがさー、今回はお試しだからタダでいいよって言うんだよ」
「ということは次回から有料になるってこと?」
只より高い物はないって言われるけど、どうせ今回の分を上乗せして次回請求されるんだろう。
で、三回目はお得意様だから安くしたって言うのがオチだ。
だから三回目の請求が適正価格なんだろう。
ていうか化け物のお婆さんの時間戻しサービスが有料ってなんかウケる。
「うん。次回からは小町の寿命を支払えって言われた」
「は? え? 寿命? そんなの支払いに使えんの? ぶっちゃけ寿命なんてプライスレスじゃん」
「お金としてならね。でもあのお婆さんは人から寿命を貰って生きているんじゃないかって小町は思ったんだよね。だって小町の前に会った人間からたんまり支払ってもらったからお試しで良いよって言ってたし」
「たんまり支払ってもらった……」
想像して太ももから二の腕に鳥肌が立った。
人間の寿命には限りある。
その限られた寿命から支払いってなると、どんだけの時間を巻き戻して、どんだけ支払わなくちゃいけないのか解らんが、蓑虫サービスを使いまくれば確実に本来の寿命から引かれて短くなるんだろう。
昔、何かのオカルト本で読んだことがある。
人に憑いてるだけの幽霊よりも、何かを要求してきたり、物々交換を持ちかけてくる奴はヤバい奴だって。
悪知恵が働いて、強力で悪いものなんだって。
「こ、ここここ小町ちゃん。まさかまたお婆さん呼んだりしないよね? それって絶対ダメなやつ!」
並んで歩いていた小町ちゃんが足を止めて、隣のオレを見てニヤリと笑う。
「呼んでみたいなって思うけど、呼ばない。だって小町は自分で選んだ未来に自信あるし、失敗してもやり直さないでそっからどう挽回するのかが面白いじゃん。しかも寿命を支払うとか有り得ないし」




