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あの日の夜の事を思い出し、私はゆっくりと肩まで湯に浸かる。
あの時。
私は須藤くんが考えを制止してくれなくても、彼とどうこうなるつもりはなかった。
たとえ五村の意志に逆らうことになっても、私は私を貫くつもりだった。
上守の家が無くなるとしても、だ。
家名が途絶えるだけで、そこに生きている人間が死ぬわけではないし、これからも血はどこかで脈々と受け継がれる。
神守という存在は名前ありきじゃない。
どの様な名前になろうとも、存在は変わらない。
そして占い婆が何と言おうと、私の子供の父親は玉彦以外に考えられない。
家庭を築いて、ずっとずっと死んでも一緒にいたいって思えるのは、彼以外にいない。
何もかも曝け出して、それでも共に歩むと決めたのは私たちだ。
ぶくぶくと顔を半分まで湯に浸からせて私がさらに考え始めていると、脱衣所に玉彦の影が現れて遅い、と文句を言い出したのでのぼせてしまう前に上がることにした。
遅いって、まだ夕餉が終わってすぐの八時前なんですけど。
そんなことを思いつつ、真新しい白い寝間着に袖を通す。
素肌に触れる心地が良く、湯上りで綺麗になった身体にはぴったりだ。
神落ちの件で負った怪我は既に癒え、体調も万全。
あとは、あとは……。
バスタオルを両手に握り締めて悶々と妄想し、私は鼻血を流しそうになった。
いかんいかん。
これから玉彦と神聖な子作りをするのであって、久しぶりのイチャイチャだからとか、あんなこととかこんなこととかしたりされたりとか、そんなのを妄想しちゃ駄目だ。駄目だ、駄目だ……。
でも、あれよね。
ダメって言ってるのにこう、優しくちょっと強引にとかそんな時の玉彦って……。
「あああああああああっ~! 煩悩退散!」
一人脱衣所で叫べば、外で湯あたりでもしていたら大変と待っていた玉彦が顔を覗かせて、意味あり気に笑って立ち去って行った。
叫ぶ私を残して。
澄彦さんが贈った玉彦の二十五回目の誕生日プレゼントは、豪華なお布団だった。
金ぴかなダブルのお布団。
大奥で将軍様が使うようなやつ。
寝心地はふかふかで良さそうだけど、色が金。無駄に、金。
部屋に運び込んでくれた豹馬くんはお布団を見て、なんつーか、頑張れ、と感想を言った。
言われた私は首を縦にだけ振り、玉彦は柱に凭れ掛かり無言だった。
そんなお布団が敷かれた部屋に静々と戻り、襖を開けると玉彦が文机に向かって姿勢を正し、筆を握っている。
さらさら筆先を走らせて、立入禁止と書いた半紙を持って部屋から出て行く。
きっと母屋と離れの境目の柱にでも貼りに行ったのだろう。
そんなに念を押さなくても、正武家関係者全員が解かっていることなんだから、と思ったけれど、だいたい私と玉彦のパターンはいつも良いところで邪魔が入ってしまう。
でも今回はあの澄彦さんですら、五村を揺るがす一大事じゃなければ二日間は絶対にお役目は入れないと断言をしてくれていた。
足取り軽く戻って来た玉彦はお布団の上に正座すると、畳の上の私を呼びよせて向かい合った。
玉彦の寝間着はいつもだいたい紺色とかだけど、今日はお役目着の様に白い物で、私とお揃いだ。
長い髪を赤い紐で後ろに結わい、解れた一房が頬を掠めている。
ふふふ、とお互いに微笑み合って、私は両腕を伸ばして玉彦の首筋に顔を埋めるようにして抱き付く。
玉彦の右腕が腰を抱き、天井に伸ばした左腕が蛍光灯の紐を引く。
パチリと明かりが消えてしまえば、お布団の色が金色だとか気にせずに済む。
腰を抱えた玉彦はそのまま身体を反転させて私を優しく組み敷くと、額に頬に口づけを落とす。
「比和子……」
それから玉彦は私の名を何度も愛おしそうに呼び、私も応えた。
「玉彦、た……っ……」
しっかりと握り合った指先は痛いほどだったけれど。
久しぶりに身も心も解かして交ざり合った私たちには大した問題じゃなかった。
晴れ晴れとした快晴の朝である。
ただし、玉彦の誕生日から三日目の!
普段から玉彦に我慢を強いると後々大きな波になって私に襲い掛かるのをすっかり忘れていた。
最初の一回目はそれはもう、あれやこれやでそういう感じで、玉彦が果てた時に私は今までに感じたことのない感覚を下腹部に覚えた。
見えないお力が私の身体に押し寄せて流れて包み込み、体中を駆け巡った奔流が一ヵ所に集束して小さな小さな命が宿ったのを確かに感じたのだ。
私に覆い被さっていた玉彦が身を起こして自身の身体を不思議そうに見下ろしていたから、絶対玉彦も揺らぎのお力が私に移ったことは自覚していた。はずなのに。
まだ、と強請る玉彦を受け入れ、もしかすると、と心配する玉彦の主張を聞き、念の為、と慎重な玉彦の言い分を通し……最終的に、あわよくば! と宣った玉彦の頬を両手で抓って私たちの営みは終了した。
日中は食事などの日常を過ごし、夜の営みは数日に分けていたので身体の負担はないけれど、玉彦の欲情に付き合っていたらせっかく宿った命が押し潰されてしまうんじゃないかと私は危機感を持った。
とりあえず妊娠が確定して安定期に入るまで再び玉彦には我慢をしてもらうことになるけれど、これだけ出し尽せば満足だろう。
そういう視線を私の隣で横になり微睡む玉彦に送れば、性欲は日々精巣の中で造られていると主張するので、どうしたものかと思う。
なんだかんだ言っても玉彦は私に無理をさせずに我慢してくれるだろうから、知らんぷりしておこうかな、と思ったり。
そんな玉彦は気持ちの良い朝にガバッと起き上がると、私を金ぴかのお布団から隣の敷き直したいつものお布団に移るように言って、澄彦さんからのプレゼントを腕に抱えて庭へと降りた。
寝間着を乱雑に気崩し、ほぼ半裸である。
お布団を干すのかと思いきや、玉彦は無造作に地面に捨てるように置くと、部屋に戻って来てマッチ箱を手に再び庭へ。
寝転がりながら何をするのかとぼんやり眺めていたら、マッチに火を点けた玉彦は薄く笑ってからポイッとお布団に火を落とした。
「なっ! 何してんの!」
私が起き上がって声を上げても玉彦は数本火の点いたマッチをお布団に落としてメラメラと燃やす。
お布団はぱちぱちと弾けて、中のガチョウの羽が良く燃えていた。
うん十万もした特注のお布団だって澄彦さんは言っていたのに……。
しかも誕生日プレゼントなのに……。
「ここまで汚れてしまっては使い物にならぬ。洗濯するにせよ、残された染みが比和子の痴態を想像させるゆえ、燃やして消してしまった方が良い」
尤もらしい理由を言ってるけど、絶対に面白がってた澄彦さんへの意趣返しだよね……。
モクモクと立ち昇る黒煙に気が付いた澄彦さんと南天さんが庭先へと駆け付け、私は慌てて障子を閉めた。
こうして玉彦と私の新たな生活はスタートを切ったのだった。