18
ふたたびそれから、である。
四人の酒宴から四時間ほど。
本殿に運び込まれていた五つの酒樽は最後の一つがもう底を尽きかけているというのに、神大市比売は全く変わりなく、澄彦さんも同様である。
対して息子二人は既に限界を迎えていた。
だって酒樽一つで大体桝で二百杯もあるのだ。
五つということは千杯。
神大市比売の呑むスピードは速く、観察していた私の計算だと一人で酒樽二つと半分は呑んでいる。
そして澄彦さんは一つと半分。
でもって息子二人でようやく樽一つ分、といったところである。
二人で樽一つでも充分健闘してるといえる。
しかし親二人はその上を行っていることからもう少し頑張って欲しいところではある。
とりあえずもうお酒は尽きるから宴もお終いだろうと本殿内の人間は皆思っていて、稀人が屋台から買ってくる酒菜も追加されることがなくなった。んだけれども。
まだまだ呑み足りない神大市比売はお酌をしていた南天さんに次の酒は無いのかと催促し始め、一同空気が固まった。
「母よ。まだ呑むのかえ……っええっ……げっふ」
止めに入ってくれた御倉神の額を人差し指で弾いた神大市比売はまだまだ祭りはこれからと宣言する。
「せっかく人がおるのだ。楽しい宴に水を差すでないわ」
頬を膨らませた神大市比売を胡散臭い笑顔で眺めていた澄彦さんはうんうんと頷き、腕を組んだ。澄彦さんが胡散臭く笑うとき。それは……。
「ではもっと人が居るところで呑みましょう。境内にね、村人が集まっているんですよ。みなにも呑んで貰いましょう」
「しかしただ人が居るところで呑んでも楽しくはない」
「それがですね、良いものがあるんですよー。比和子ちゃん、注連縄持って来て」
言われるがまま御倉神の腰に巻き付けていた竹婆特製の注連縄を澄彦さんに手渡す。
澄彦さんは注連縄を神大市比売の前に置いて目を細めた。
「これはですね、神の身体に巻き付けると人間の目に映ることが出来る注連縄なのです。五村でしか使えませんがね。どうでしょう? これを腰に巻いて村人との酒宴に参られませんか?」
快諾した神大市比売だったけれど、流石に本当の神様といって村人の前に現れることは大混乱を招くので、正武家がお祭りの為に他所から招いた神様役の女性だとして境内で呑んだくれている村人たちの輪に飛び込んだ。
境内で呑んだくれていた村人たちを巻き込んだ大宴会は、本当に三日三晩朝も昼も夜も続き、未曽有の二日酔いの人間を生んだ。
正武家様に何事かあり、鈴白神社に勢揃いしていると聞き付けてやって来ていた他の村の人間も同様である。
そしてお酒が呑めない宗祐さんと骨折している多門、未成年の竜輝くんを除いた稀人も必然的に巻き込まれた。
ようやく村内全てのお酒が尽きかけ、最後の一升瓶がどんっと神大市比売の前に置かれたのはお祭り最後の三日目の夜。
神大市比売一人に対して大人数で挑んだにもかかわらず、勝負は一進一退だった。
鈴白神社の夏祭りは最終日に等身大の雛壇を焚き上げて終わりを迎える。
呑んだくれて動けない大人たちに代わり、活躍したのは竜輝くんが指揮する高校生たちだった。
雛壇を手際よく解体し、積み上げて火を放つ。
燃え盛る炎の前に設けられた祭壇に神大市比売が座り、澄彦さんが対峙する。
澄彦さんは常に彼女と共に呑み続けており、量こそ減ってはいたものの不眠不休で呑んでいた。
ここまで来ると澄彦さんは本当に人間なのか怪しくなってくる。
そうして玉彦はというと、五村で不測のお役目が起こった際に酔っている場合ではない、ということで二日目のお昼に離脱した。澄彦さんとのじゃんけんに勝たなければ、今頃彼女と対峙していたのは玉彦だっただろう。
私はといえば、規則正しい生活をということで、きちんと三食お屋敷で頂き、お昼から夜まで神社へと赴いた。
食事が終わって神社を訪れる度に増える、累々と酔っぱらった村人の屍に戦慄を覚えたのはいうまでもない。
その中には私のお祖父ちゃんも光次朗叔父さんもいた。
ぱちぱちと弾ける雛壇を眺めていた神大市比売はついっと澄彦さんを見る。
微笑みを浮かべていた澄彦さんは正座したままふらっと後ろに倒れて、背後に控えていた宗祐さんがその背を支えた。
「久方ぶりに楽しめた。礼を言おう」
「それはなにより、です」
口元を押さえて返答した澄彦さんは本当に心身ともに限界を迎えているようで、軽く眉を顰めて笑っていた。
「最後のこれを呑みつつ話を聞こうではないか」
神大市比売は手酌で並々と桝に注いで澄彦さんに突き出した。
受け取るかと思いきや、澄彦さんは桝を凝視して手を伸ばすのを躊躇い、口元を押さえていた手に力が入った。
「私の酒が呑めぬか?」
いやー、もう充分に呑んでいたと私は思うんだけど。
ここまで来て神大市比売の機嫌を損ねることはできないと、一緒に二人を見守っていた隣の玉彦が見かねて一歩踏み出せば、澄彦さんの背後から桝を受け取る手が現れた。
それは宗祐さんの手。
全くお酒が呑めなくて、一口呑んだだけでも顔を真っ赤にして一週間は寝込む宗祐さんの手だった。