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人の背に負ぶわれたのはいつ以来かと思い出す暇もなく、明かりを追い、窟を迷わず走り抜ける豹馬氏の背中にしがみ付く。
途中、浮遊する僧侶の骸骨を見た豹馬氏は惜しいと言い、ミイラではないことを残念がる。
先を行く次代様は何も語らず、黙々と突き進む。
正面に僧兵が立ち塞がろうが、高位の袈裟を掛けた僧侶が横切ろうが目もくれずにだ。
居ない者として彼らを次代様が通り抜ければ、不思議なことに身体から蒼ではなく白い靄が浮き上がり、浮遊霊たちをたちどころに消していく。
経を唱えるでもなく、錫杖を振るうでもなく、一体どういう絡繰りで成仏させているのか見当がつかない。
「その、先です!」
背中から腕を伸ばし、前方を示すと二人は立ち止まり、豹馬氏は俺を背から降ろした。
じゃりじゃりと激しく争う足音と遊環の音が聞こえ、多門はまだ動いている。
もう少しで空洞というところには、明かりがあるにも係わらずに薄暗く視えるほど、形を保てない悪しき者たちが漂っている。
それはまるで成仏させてくれる者へと続く、行列のようだった。
「数はそこそこだけど、強くはない」
豹馬氏は屈伸運動をしつつ、先を視る次代様に声を掛ける。
小難し気に眉根を寄せた次代様は一つ頷いて踏み出す。
その時、こちらに気付いた人形が何かを振り翳して次代様に斬りかかったが、彼は臆することなく、というかまるで視えていない様に通り過ぎる。
普通は足を止めるか、動くものに視線を向けるものだが本当に視えていないかの如くの振る舞いだった。
通り過ぎられた人形は霧散し、窟の入り口へと流れてゆく。
消えゆく先を見ていれば、ばっかじゃねーの!? という多門の声に振り返る。
空洞の前に立つ次代様は中へはまだ入らずに、豹馬氏が中へと駆けた。
数十歩置いてけぼりになっていた俺は、小走りに空洞へと向かい、次代様の背後から中を窺い見た。
多門が力尽き掛け、優心が倒れ、黒駒と駒は相打ちになっている。
かもしれないと最悪の予想をしていたが、良い方向と判断すべきなのか、多門は錫杖を片手に『何か』と格闘し、うつ伏せに倒れ込んでいる優心の背には黒駒が片足を乗せていた。
それは優心を押さえ込むためではなく、浮遊する者たちと『何か』から護っているのだと理解するのに時間は掛からなかった。
あまりの光景に両膝をつき、無意識に手を合わせる。
次代様がひと足進めれば、空洞の空気は浄化したように澄む。
薄暗闇だったはずの空洞は豹馬氏が全ての燭台に火を点したことと相まって、中の者たちが一斉に照らされる。
澄んだはずの空気が俺の方へと流れ、僅かに帯びた臭気が鼻腔に届く。
濡れた獣の臭い。血生臭く、腐臭をはらむ。
腐った管狐とは違う臭いを目で追えば、そこには角如様が、居た。
いや、あれは、角如様と断じてよいものなのだろうか……。
多門の右腕に深く噛み付き血を滔滔と啜るのは、虚ろな目をした角如様で。
しかし身体は半身は、狗神の駒のもの。
土気色の右半身は男のもので一本足で立ち、右手で多門に掴みかかる。
駒の左半身の手足はぶらぶらと垂れ下がっている様にも見えたが、多門が壁際に角如様を叩き付けようとすれば壁を押し返すように意思を持ち、手足は踏ん張る。尾は無い。
格闘を繰り広げる多門を見遣り、次代様は優心と黒駒の元へと静かに歩み寄り、見下ろした。
何の感情も読み取れない横顔は、微笑むようで怒りを堪えているようにも見え、そして悲し気に俺の目には映った。
「退け、黒駒」
尾を一振りして従った黒駒は誰に言われるでもなく、多門を加勢する。
倒れ込んでいる優心を仰向けにさせた豹馬氏は、黙って黒いジャケットを肌蹴た優心の上半身に掛けた。
息は、あるのか?
足が動かず中へと入れない俺は、固唾を飲む。
「女難の相は続いている……」
次代様は呟き片膝を付くと、懐から出した先ほど小さな狗神を叩き落とした黒扇をコツンと優心の額に打ち付けた。
途端、優心は身体が跳ねるほど咳き込み、耐えきれなくなって四つん這いになると口から黒い液体を落とした。
ゴボゴボと吐き出された液体には血が混じり、ねっとりと唇に糸を引かせる。
「あっっ、ああぁぁぁっ……」
地に頭をつけ慟哭する優心の肩を豹馬氏が抱く。
「怖かったでしょう。もう大丈夫ですよ」
そう語り掛けながら優心を壁際へと添わせ、彼は隣で背を摩り、吐かせ続けた。