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会話を交わしつつ進んだ先で蝋燭に火を点せば、冷やりと奥から空気が流れて炎が揺らめく。
これまで一切空気の流動がなかった窟の内部に何かの気配がする。
乾燥した空気に僅かに湿り気を帯びた臭気が混ざり、多門と目を合わせた。
あと十数歩進めば、その先にあるのは大きな空洞。
並んで歩いていた俺の前に錫杖を手にした多門と黒駒が進み出た。
「一つだけ約束してくれ。オレが逃げろと言ったら振り返らずに全力疾走で外に逃げろ。いいな?」
こちらを見ずに背中を向けたままの多門は錫杖を一度強く地面に突く。
しゃらんと遊環が鳴り響き、俺の返事を待たずに一歩踏み出した。
僅かに先行する黒駒は何故か尾を左右に大きく振っている。
懐中電灯で通路を照らし進めば、やはり拓けた場所に出て、頭上の圧迫感が僅かに弱まった。
多門の懐中電灯が十畳ほどの広さの空洞の奥を照らした先に、座禅姿の優心がいた。
「優心……!」
駆け寄ろうとした俺の肩を掴んだ多門は空洞の燭台を示し、火を点せと指示を出す。
こうも暗くては優心の手当てにも支障が出ると納得した俺は壁際に沿い、左右二か所に火を点す。
煌々とまではいかないが明るくなった空洞で、来た道を見れば多門は入り口付近で優心と遠く向かい合う様に胡坐を掻いた。
俺はどうして良いのか分からず、とりあえず多門の隣に腰を下ろした。
優心の怪我の手当てをしてやりたいが、無暗に近付いては危険だとなぜか感じるものがある。
多門と共に来たのは優心を捜索し、救助するのが目的ではなく、人としての領域を越えてしまった者を連れ戻す為だと解かった。
これは、日常ではない。
これは、事案なのだと。
そして対象は、優心なのだと。
今さらながら緊張感を持った俺は姿勢を正し前を見据えた。
「やり合う前に言い訳くらいは聞いてやる。だからと言ってオレは手を抜くつもりはないけど」
多門がそう言うと、優心は薄らと半目になり視線は地を見つめたまま、口を開く。
「約束を、したのです。決して覗かないでください、と」
女だと知ってしまったからなのか、優心の声は繊細で、か弱く、空洞に響く。
「誰と」
多門は優心に合いの手を入れ、先を促す。
「寺の皆々様です。決して部屋の中は覗かないでください、と」
「着替え中に覗かれて女だって知られてしまうからか?」
「左様です。知られずに、私は寺でただの僧として生きたかったのです」
「だったら別に男でも女でも関係ないじゃん。尼僧になれば」
「尼僧になってもあのような寺はございません」
確かに特異な相談事を引き受ける寺は数少ない。
特にそれに特化した蘇芳様のような方が貫主をされる寺は全国にも指を数える程度で、尼僧がいると聞いたことも無い。
どうしても僧侶の世界は男社会になってしまう。
「蘇芳様は全てを知った上で、私を置いて下さりました。行き場のない私を」
「まぁある程度蘇芳から事情は聞いた。で、そのどこにオレから管狐を盗む理由があんの?」
「それは……約束を破られたからです」
「はっ? オレ、お前と約束なんかしてねぇし。覗くなとか言われてないし、そもそも覗いてないし」
「約束を破られたのは、角如様です」
無意識に大きく吸い込んだ息が止まる。
角如様はここ数日間、連絡が取れない。
今月東北から優心と帰って来て二、三日は寺に居たがふっつりと行方は途絶えていた。
「でー、角如が約束を破ってどうしてオレに迷惑が掛けられてんの?」
あくまでも自分とどういう関わり合いがあるのかと話の中心部分を曲げたがらず、優心の話にも乗っているようで腰を折り気味の多門は、俺の作務衣の背中を捲り、札があることを横目で確かめた。
「寺から離れ東北へ角如様と赴き、竹筒を手にして一泊した際に、角如様は私の部屋を覗かれてしまったのです」
僅かに身を揺らした優心は眉間に皺を寄せた。
「女好きの角如に女だってバレて、黙っていて欲しければってレ……手籠めにでもされたか……?」
内容が内容なだけにデリカシーを発揮した多門は言い換えたが、内容は変わらない。
寄りにも依って角如様に暴かれてしまうとは……。
僧侶としての戒律を簡単に破られてしまう角如様は躊躇などしなかっただろう。