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何も言えないでいると蘇芳様は二度頷いて目を多門に向ける。
「もう、気付いているのだろう?」
問われた多門は珍しく正座をしており、握った拳を腿の上でさらに硬くさせた。
「最初から疑ってはいた。血の臭いがしたから。でもどちらか判らなかった。結局はどっちでもあったけど」
二人の会話が見えない俺は中途半端に身を起こしたまま、多門を凝視した。
自分の瞳が不規則な左右の動きをする。
そんな俺にようやく視線を向けた多門は大きく肩を上下させて呆れた表情を見せた。
「鈍感にも程がある。思い込みにも程がある。優心は女だ」
「う、嘘だろ……?」
半年共に生活し、そんな素振りは微塵もなかった。
今にして思えば優心の裸を見たことがないと考え及ぶが、そも裸を目にしなかったことは気にもしていなかった。
声も男にしては高いと最初は思ったが、優心の体躯を見れば何となくそういうものかと納得していた。
胸のふくらみの有無はゆったりとした服装の為に知る由も無い。
それに男ばかりの寺に女が紛れ込んでいると誰が想像できるだろう。
二の句が継げない。
どれだけ優心との半年の生活を思い起こしてみても、女であることに思い当たる節がない。
「蘇芳様は……」
一体いつから気が付いて、優心をこの寺に置いていたのか。
この男所帯の寺で。
「角如が連れてきた初日。優心と二人だけで話をした。優心の名は『ゆうこ』と読む。角如は、あれは詰めの甘い男で所縁ある寺の次男だと私に紹介をしたが、見れば尼僧で驚いた。優心の実家である寺は彼女を外聞的には男だと言っていたようだ。角如はそれを鵜呑みにした」
「なぜそのような真似を? 角如様はご存知ではなかった?」
事案で遠出する時には身の回りの世話をさせるために優心を伴うことが多かった角如様は女であると知らなかったということか。
「優心は幼い頃から依代として優秀であるが故に、親御は憂慮した。寺の娘としてどこかへ嫁に出し、嫁ぎ先で異能の力を発揮することを恐れた。寺の醜聞に成り得る優心の存在は隠さねばならなかった」
「なぜ隠さねばならないのです!」
「誰でも彼でも視えない世界を信じる訳じゃないってことだろうが。普通の人間が圧倒的に多い世の中で、異端の力を持つ者は疎外される。特に依代となった優心を見れば、気が狂ったか演技をしていると思われて尚更だろうな」
蘇芳様の代わりに答えた多門は伏し目がちになり眉間に皺を寄せた。
「ぽつぽつと語った優心によれば、義務教育を終えたあとしばらくは進学せずに家で過ごしていたそうだ。元々友人も左程いなかった優心はその存在を隠すために三年、家族以外の人間との関係を絶った」
高校へ進学した友人たちは新たな出会いと生活の中で優心という存在を忘れた。
そう言えばあそこの寺に同級生が居たな、でも良く知らないしどうでも良いと思ったのだろう。
わざわざ連絡をするほど関係があった訳でもなし、といったところか。
「対外的に優心の存在を隠せたが、一生外へは出られない。そこで親御は角如に優心を度々預けた。角如という僧侶が異端であること、そしてこの寺から誘いを受けていることを知ってのことだ。性別さえ隠してしまえば異端視されないこの寺へ入ることは優心の幸せであると親御は考えたのだろう」
人間の幸せとは。
異端視されないことだけではないはずだ。
たとえそうなってしまったとしても、幸せの在り方は親が決めるものではなく、自身で感じるものであるはずだ。
女であることをひた隠し、過ごすことが優心の幸せであると俺にはどうしても思えない。
「私は一目で優心が女性であるとわかった。男と違い、女性は陰の気を纏う。依代として男女を降ろしていた優心は境界が曖昧になりつつあったが、陰の気が勝っていた。おそらく……」
「この周期に会ったんだろうな。女特有の月に一度の月経」
多門の言葉にハッとする。
初対面で優心を血生臭いと言っていたのはその為だったのか。
しかし、しかしだ。
優心が女であったとしても、多門から管狐と狗神を盗んで行った理由にはならない。
むしろ問題を起こせば自身の秘密が周囲にバレてしまうと考え、盗みなど働こうと普通は思わない。
何が優心をそうさせてしまったのか、二人の会話にそこが出てこない。
けれど理解していないのはこの場で俺だけのようで、二人は暗黙の了解をしているようだった。
多門は話に区切りが着いたとしてすっくと立ち上がる。
手に嵌めた白い手袋の具合を確かめ、同じく立った黒駒に手を置く。
「行ってくる。取り戻して連れ帰る。ただし怪我の有無は保証できない。さっきの状態を見れば仕方ないだろう。一発ぶん殴って気絶させれれば簡単なんだけどなー」
俺に手荒なことをした多門でも流石に優心が女だと知り、躊躇するものがあるようだ。
先ほどの騒動の時も殴ったりはしていなかったと思い返す。
黒駒を連れ部屋を出ようとした多門に身を捩って振り返った蘇芳様が声を掛けた。
「これこれ。忘れ物だ」
「ん?」
「信久を連れて行きなさい」
「はぁぁぁっ!?」
「えっ……?」
飄々と当然だと云わんばかりの蘇芳様に、俺と多門は一時停止した。
黒駒の揺れる尾だけが視界で動いていた。