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 そうして一騒動があり一夜明け。

 蘇芳様と優心と俺は青年、多門の元へと向かっている。


 本音を語ってしまえばかなり憂鬱だ。

 俺は昨夜、口では言い負かされ、思わず出てしまった手は触れること叶わず、目にも止まらぬ身のこなしをした多門に一本背負いを喰らって畳に叩き付けられ気を失ったのだった。

 目覚めれば朝で、僧房で、俺は起き抜けに枕に顔を埋めて叫んだ。


「兎も角。あれがヘソを曲げていないことを願うばかり」


 そう言った蘇芳様は多門の宿坊の前で一度手を合わせてから、声を掛け襖を開けた。

 多門は既に身支度を整え、黒いスーツに身を包み立っていた。

 そして両手に白く薄手の生地の手袋を嵌めて、動きを確かめるように指先を何度も開いたり閉じたりしている。


「お早う」


「おはよー」


 ちらりと俺たちを見た多門は視線を手元に落として再び指先を動かす。


「オレ、昨日の夜のこと、謝らないから」


 その言葉は明らかに俺に向けられていた。

 無礼を働いたのは俺で、謝罪をしなくてはと思っているのに唇は頑なに動かなかった。


「しかし暴力はいただけない。お前も信久しんきゅうも」


 寺の貫主でもある蘇芳様が寺中での行いについて咎めると、横顔の多門の口端が上がる。


「オレには関係ない。坊主じゃないから。こんな頭してるけど。オレはやられそうになったらやるよ。やられてからじゃ遅いじゃん。痛いの嫌だし。それにオレ、言われてんだよね」


「何を」


「『やられたらやり返すのよ、多門! 舐められちゃ駄目だからね。一発ぎゃふんと言わせてやるのよ。んでもってやるならやり切る。叩くなら折れるまで叩いて木っ端みじんにするのよ。出る杭は叩きまくって地面にのめり込ませて砂をかける。ここまでやって一人前よ』って」


 女の声色を使い、笑いを堪えた多門に蘇芳様は呆れて肩の力を抜く。


「それは次代の嫁御殿の言葉か」


「うん、そう」


「しかし次代はその様なこと」


「え? 次代はそういう事態になる前にやられる前にやればいって言ってたよ?」


「……似た者夫婦か」


「当主はいじめられたら解決したフリして早く帰って来ても良いよって、言ってた。外の事案よりも屋敷内の護りを重視したいからって」


「……」


「それにここ。寺町。妙な圧迫感があって嫌な感じ。前はそんなことなかったのに。しかも坊主たちは最初から敵意剥き出しだし。オレだってそれなりに感じるものがあるから先手を打って牽制するよ。舐められたくない」


 片手で顔を覆った蘇芳様は深く深く溜息を吐いた。


「それでお前はどうするつもりでいるんだ」


「きちんと役目は果たすつもりー。面倒だけど。嫌だけど。早く帰りたいけど」


 三段構えで否定的な言葉を連ねたがどうやら引き受けてくれるようで、俺は内心安堵する。


「とりあえず中に入ってもっと詳しい話を聞かせろよ。そこのド素人二人が。使えないヤツでも目にしたものを話すだけなら出来るだろ。あ、無駄な話は無しな。それはもうあっちでうんざりしてるから」


 俺は問題解決までこの男と一悶着起こさずにいられる気がしない。


 部屋の隅に積み上げられていた座布団を手裏剣よろしくこちらに投げて寄越した多門は、自分だけさっさと腰を下ろして胡坐を掻いた。

 そう言えば、と思い室内を見渡しても狼の姿は見えない。

 寺中を勝手に闊歩しているのかと心配になったが、俺の様子に気が付いた多門は軽く右腕を振り上げた。

 すると座る多門の影から黒い狼が姿を現し、伏せをして頭を多門の膝頭に乗せる。


「黒駒。元は狗神だ。今は正武家当主の式神として存在している。お前たち坊主が十人集まっても瞬殺出来るくらいの力は持ち合わせてるから、ぞんざいに扱うなよ。昨日みたいなこと、オレの前だったらなんもないけど、単独行動してるときは主命第一だから人間だろうと何だろうと噛むよ」


 噛むよ、と軽く言うがこの狗神に噛まれたら只では済まないことくらい見れば解る。

 僧が十人集まっても太刀打ちできない狗神を従えるこの男と、その上にいる正武家当主とはどのような者なのか。


 古株の僧侶たちの間では正武家という一族について暗黙の了解があるようで、度々正武家から持ち込まれる依頼は、率先して手を挙げる者が多いほど人気が高い。

 それは寺の外で行う依頼が多数だからだ。

 いつもは相談者が寺を訪れ、解決へと導く。

 たまに外に出なければならない相談もあるが年に数件ほどだ。

 依頼がなければ寺から出ることも叶わず、日々修行に励むだけ。

 ここ最近は正武家から持ち込まれた事案が多かったことから外へと出向く僧が増え、それに伴いみな外食をしてから戻るものだから体重が増加していた。

 人手が足りなくなることはなかったが、これほどの依頼を正武家という一族は数人で数日の間に済ませてしまうのだという。

 少なくとも自分たちは話を聞き、策を立て、実行するまでに最低でも三日は要する。

 準備に手を抜けばこちらの身が危ういことは重々承知しているので、どうしても慎重になるのだ。

 それを数人で数日の内に解決できるとなると、なるほど確かに狼の様なものを使役できる人間ならば可能なのかもしれなかった。


「起承転結をはっきりと説明しろよ?」


 しかし如何に能力が高かろうとも、このように人格に難がある人物に依頼したくなくこちらへと来る相談者が後を絶たないだろうと思う。

 だから最近正武家経由の相談者が増えているのかもしれない。

 早く話せと苛立たしさを隠す気もない多門を見て、俺は二つの意味で頷いた。




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