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 朝の勤めと小食しょうじきを済ませ、いつもならばこれからの午前中は作務に入るはずの流れだったが、蘇芳様と俺と同僚の優心ゆうしんは共に来客用の宿坊へと向かっていた。


「仲違いせず穏便にするように。昨夜さくやのように喧嘩はご法度だ。あれは気性は荒いが能力は折り紙付きだ。早々に始末を着けねば被害は他所にも及ぶ」


 頭を揺らさず歩を進める蘇芳様は昨夜の俺の失態を窘めた。

 隣を歩いていた優心が心配気にこちらを見上げる。

 小柄で細く、坊主でなければ女でも通りそうな柔和な顔の優心の目が不安そうに揺れる。


「それはあちらの出方次第です」


「馬鹿者め。こちらがわざわざ頭を下げて来てもらっているのに何という言い草。己は立場を解かっているのか」


「……しかし」


「しかしもかかしもない。口は悪いが言っていたことは尤もだっただろう」


 それを言われると俺はもう閉口するしかなかった。


 昨夕、蘇芳様の旧友である正武家澄彦なる人物の元で働く多門という青年が寺へと来た。

 黒いスーツ姿で大型のバイクを駐車場に停めた姿を草むしりしてた僧侶たちが目撃し、寺中じちゅうに駆け込みちょっとした騒動になったのだ。


 寺に来客があることは珍しいことではない。

 問題なのはやって来た青年があからさまに不穏な気配を纏い、鼓動を持たない黒い狼を連れていたことだ。

 寺にはそういったものを感じ、視ることの出来る僧侶ばかりが滞在しているため、その異質な雰囲気に誰もが慄いた。


 寺に相談事を持ち込んでくる来客の中には世間で霊能力者と呼ばれるたぐいの人間もいる。


 総じて彼らは独特の雰囲気を纏っており、各々《おのおの》守護を受けている何かに影響されたものとなっていた。

 通常それらは攻撃的ではなく、どちらかというと包み込むような優しさを持ったものだが、野次馬の後方で俺が目にしたものはそんな生半可なものではなかった。


 禍々しい。その一言に尽きる。

 何がどう視えているのかと聞かれれば、何も視えない。

 ただ、そこに存在していること。それだけで腹の底が冷えるほど恐ろしい。


 怨霊級の何かが来たと誰もが思った矢先、黒光りするフルフェイスのヘルメットを取った青年の顔を見た一人の僧侶が蘇芳様の知り合いだ、と呟いた。

 と、同時に寺中に助けを求めに駆け込んだ僧侶に連れられた蘇芳様が門までゆっくりとした足取りで到着した。

 青年は足元にじゃれつく狼を撫でつつこちらへ来て、人垣を作っていた俺たちに一言放った。


「どけ。雑魚共。雁首がんくび揃えて出迎えとか、ちょーウザい」


 誰しもが殺気立った中、後方で蘇芳様の笑い声だけが楽し気だった。



 青年は蘇芳様にも悪態をつき、門を通る。

 しかし後を追った狼は数人の僧侶に遮られて中に入ることが出来ずに立ち止まった。


「獣は入ることはできない」


 そう言った若い僧侶が箒を持ち上げて追い払おうとした矢先、青年が踵を返して戻り、箒を取り上げた。


「なにしてくれてんの。来い、黒駒」


 黒駒と呼ばれた狼は僧侶たちの前で右往左往し、尾を下げる。

 すると青年は腕を振り上げ、その仕草を見た狼は高く跳躍して僧侶たちの頭上を軽々と越えて主の足元に着地した。


「前に来た時は駄目だって言われなかったけど? 寺の規則変わったわけ?」


 不遜に問われた蘇芳様は、はて? と小首を傾げる。


「まぁオレには関係ないけど。でもここで役目を遂行するために黒駒に今みたいなことされたら困るんだよね。で、なんなの? 獣が中に入っちゃいけない理由ってなんなの? 教えてよ。坊さん」


 詰め寄られた若い僧侶は青年から押し付けられた箒を両手に持ち、唇を震わせる。

 尊大な態度に腹を立て、本人には出来ないから狼に嫌がらせをしたとは蘇芳様が居られる手前、間違っても言えない。

 居られなくても格好が悪くて口が裂けても言えないだろう。


「神社は四足の獣には穢れがあるから神域に入っちゃいけないのは知ってる。神使の狐とか狛犬とかは良いのかよってオレは思うけどさ。何でもアリのこの寺で獣が入れない理由って、何? 最近はペットの散歩の不始末で犬の立ち入りを禁止しているとこもあるけど、まさかコイツがただのペットにでも見えちゃってんの? ねぇねぇ」


 煽っても答えようとしない僧侶を一瞥して、青年はハッと顔を輝かせた。


「あ、もしかして聞き方が悪い? そっかそっか。ここ、寺だもんな。じゃあ、作麼生そもさん! 作麼生作麼生!」


 まるで子供がクイズをする掛け声のように青年は禅問答の作麼生を口にした。

 作麼生と言われた相手は説破せっぱ応え、出される禅問答に答えねばならない。

 禅問答とは本来、悟りを開く為に修行者が師に問い掛けるものであり、こういったものではない。

 獣が寺に入れない理由など、禅問答に成り得ないのだ。


 唐突に始まった禅問答らしきものに、誰もが固唾を飲む。

 若い僧侶がどう反応するのか様子を見ているのではない。

 もし自分が問われた場合に何と答えるのか。それを考えている。そして他の者の答えを聞きたい。


 問われた僧侶は説破と応える度量もないようで時間だけが過ぎ、夕刻ということも相まってお山へ帰るカラスの鳴き声だけが場を賑やかす。

 青年はきっと誰かが説破と応え、問い、答えを聞くまで動かないだろう。

 誰が、恥を晒すことになるかも知れない禅問答に名乗りを上げるのか。


「まったく。どいつもこいつも不甲斐ない。晩飯は抜きだ。どれ、私が応じてやろう」


 そう言って青年の前に進み出たのは蘇芳様だった。



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