身近な軍師
勝頼は三雄との定期ミーティングを終えて諏訪上原城へ戻りながら今後の事を思案しました。答えは出ません。出ませんが1つだけ決めている事があります。人を上手に使い、民が豊かになり笑顔が溢れる。そんな国を守っていきたい。今はそれだけです。
勝頼が領地を出歩くと民が皆嬉しそうに寄ってきて話かけてきます。
「四郎様、見廻りでございますか。良かったらうちで蕎麦を召し上がりませんか?」
「四郎様。お待ちしておりました。この間教えていただいた米ができましただ。こんれがうまい、握り飯食べていってくだせえ」
勝頼はこの数年で民の生活を大幅に改善してきました。民は飢える事がなく、それぞれ自分の個性を活かせる仕事について毎日が充実しています。勝頼が行なってきた事で領民は豊かになり信頼を得る事が出来ました。勝頼が思うのはこの土地が敵に攻められる事があってはならないということです。
農民の周囲には武装した兵もいます。民の護衛兼訓練です。勝頼の領地には人が増え、武と民が分けられています。山では弓矢の訓練や体力、体幹というのだそうですが身体の軸を戦闘中に崩しにくくなる訓練も行なっています。
軍師は言いました。ただの兵ではダメだ。繰り返し訓練する事で人は何倍も強くなると。
軍師は言いました。平地では陣形が重要だと。戦いの変化に応じて陣形を変える事が勝利の近道だと。それには繰り返し訓練が必要だと。
勝頼は玉井伊織、寅三を使って兵の訓練を続けさせています。ですが訓練が単調になっていると不安がありました。初陣は城攻めになるそうです。それまでに指示通りに動く部隊を作り上げなければなりません。
軍師は言いました。戦って勝つ事だけが戦ではないと。敵を調略し味方にすれば、兵や武器を失わずに済むと。それには俺以外の、身近に軍師が必要だと。
軍師が薦める人材は武藤喜兵衛という男だそうです。勝頼はまだ会った事がありませんが、砥石攻めで活躍した真田幸隆の三男で、今は晴信の小姓をしているはずだと言っていました。それと可能であればともう1人お薦めの人材の紹介を受けました。
上原城へ戻り部屋に入ると徳が待っていました。
「難しい顔をしてますよ。殿は働きすぎです。たまにはゆっくりしたらいかがですか?」
勝頼の側女は今の所徳だけです。あのやんちゃな徳もすっかり女になっています。徳は体術の訓練もしていていざという時は護衛も兼ねています。徳は気を使ってあちこちの村から綺麗どころを集めて待女として雇い入れ、好きなの選んで楽しめ!と言ってくれていますが勝頼は気が乗らないのかまだ手を付けていません。本妻が来たらそっちに遠慮しないと何だから今のうちだぞ、と徳に急かされているのですが選り取りみどりがどれだけ恵まれているかをまだ理解できていない勝頼ちゃんでした。その待女達もある程度の訓練はしていていざという時は盾となって戦えるようになっています。
「そうか?やる事や考える事が多くてな。そうだ。徳は遠くにいる人とこの部屋から話ができるとしたら何を話す?例えばおやじさんとか」
「父ちゃんとですか?母ちゃんと喧嘩してないかとかですかね?でもこの部屋から話ができたらつまらないじゃないですか。部落まで歩いていくから色々な景色が見えるのに」
「…………」
こいつに聞いたのが間違い、いや確かにそうだ。電話とか言っていたがそれでは本当のところは伝わらないのではないか?情報を早く手に入れるのは効果は絶大だがそれだけではという事か。三雄殿は電話はこの時代では無理と言っていたし。勝頼は電話について考えるのをやめました。川中島の情報をどうやって得ようかと考えている時にスマホを見たのでそっちに引っ張られていたようです。ただ情報をどう活用するかが戦では重要な事は間違いありません。
徳とイチャイチャした後、吾郎を呼び新しい指示をしました。行き先は美濃です。
古府中は川中島の準備で大忙しでした。今、晴信は北条の要請で関東へ出馬しています。上杉政虎、後の謙信ですが北条氏の拠点、小田原城を10万の大群で囲んだのです。天下の堅城、小田原城。10万の軍くらいではなんともないぜ、と北条氏康は強がっていますが囲まれては生きた心地がしません。同盟を結んでいる武田に上杉の背後を牽制するように頼んだのです。上杉政虎は牽制とわかっていたものの軍を引き上げました。関東10万の軍勢といいましてもこの頃は、関東各地の国衆は上杉に従っているわけではなく、その時に強い方へ味方するというズルいやりかたをしていました。北条へ味方したと思えば上杉に味方するという感じです。もし武田が関東を荒らせば今は味方の国衆に裏切られるかもしれません。戻るしかありませんでした。その報告を受けた晴信は古府中へ引き揚げました。
その前年から、武田晴信は川中島を見下ろす千曲川添いに新しい城を築いています。その名は海津城。
山本勘助は桶狭間から戻った後、晴信から川中島を徹底的に調べるよう指示されました。決戦の場所は八幡原。そうなるように海津城を築きあげたのです。




