明智十兵衛
信長は少し考えた後、前方を見ると岡崎の方向で煙が上がっているのが見えました。
「十兵衛、あれを見よ!」
十兵衛は空を見上げて驚きながらも冷静に、
「岡崎は落ちましたか。疾きこと風の如く、ですな。武田の真骨頂ですがしかし早い。勝頼様の本領発揮という事ですか」
「岡崎城が燃えていると申すか。それに勝頼だと!信玄よりも手強いという意味か」
十兵衛は無言で頷きました。もう家康は死んだか尾張へ逃げてくるか、ならば待ち構えるか、と信長は清洲へ引き上げることにしました。
「十兵衛、詳しく話してもらうぞ。余は何のために義昭を担いだ?そこから考え直さねばならんのかもしれん」
明智十兵衛は岐阜城まで連れていかれ軟禁されました。そこで信長とじっくりと話しあいました。
「そもそも十兵衛は濃姫の従兄弟であろう。余の下で働かぬか?」
「それがしを、でございますか?」
「濃姫からそなたの事を良く聞かされた。頭が良く勤勉で忠義者だとな。長良川では義父上に付いたのであろう、負けるとわかっていて」
明智十兵衛の叔母が濃姫の母親なのです。十兵衛は斎藤道三の時代には道三に仕えていました。そして戦に負けて美濃に居れなくなったのです。
「濃姫様からでございますか!道三様にはお世話になりまして義龍様側には付けませんでした。そのため家族を路頭に迷わせた愚か者でございます」
「それが今では将軍の家臣で最も信頼が厚い、と。大した出世ではないか。だがな、考えてみろ十兵衛。あの将軍に何ができるというのだ。余がいなければ何もできん、いや、余が手を引けば、その時は他の大名を頼るのであろう。例えば武田勝頼をな」
「信長様は義昭様を将軍にして政治を行おうとしていると見ておりました。それができるお方だと思い、義昭様に信長様を頼るようにお願いしたのです。ですが、今の信長様はご自分が天下を取ろうとしておられるように見受けられます」
「そう見えるか?最初はお主の言う通り公方を立てて政治を行おうとした。秀吉を京へ置いて連絡を密にとってだ。ところが、秀吉からの報告は義昭の無能さを伝える事柄ばかりだ。大人しく神輿に乗っておれば良いものを力もないくせにあれこれと口を出す。しかも摂津を始めとした幕府の重臣共は私腹を肥やし民のことなど考えてもいない。これが足利将軍の政治なのか?ならば無くてもいい。戦を無くしたいと公方は言った。どうやって、だ?だが余はそれでも公方に忠義を尽くした。公方を支えて世の中を変えようと試みた。そうであろう、十兵衛」
そこまで話してお茶で喉を潤した。十兵衛は信長の心の中の葛藤を感じていた。上手くいっている。何もかもが。
「そのように見えました。信長様が義昭様を立てて世の中を新しい物に変えようとしているように」
「だがな十兵衛。今回の戦はあの叡山のクソ坊主どもの悪行を懲らしめるために必要な戦だったのだ。朝倉は叡山とつるんでおる。世を変えるには仕組みを変えねばならん。幕府の重臣しかり、寺社の優遇もだ。朝倉を滅し、その後で叡山を攻める計画だった。公方の旗のもとでだ。だが、公方はこの戦を止めた。それでは世を変えられんのだ」
「叡山を攻められるのですか?神仏を相手に戦をしては…………」
「お主までそう言うのか。神仏を相手にするのではない。悪行を重ねる坊主どもを成敗するのだ」
「同じ事ではありませんか?」
「違う、違うぞ十兵衛」
話はまだまだ続きました。そして信長は公方がなぜ浅井長政の死を気にかけていたのかを十兵衛に聞きます。
「なぜだ?なぜ公方が長政如きを気にかける?」
「それは、それがしの口からは……」
「そうか。やはり十兵衛を家臣にするしかないな。余の下では不服か?それとも忠義者の十兵衛はあの足利義昭に付いてまた家族を路頭に迷わせるのか?」
「参りましたな。わかり申した。配下に加えていただきとう存じます」
「では、話せ!なぜ公方が長政を、浅井家を気にしているのだ?」
「ここは誰かに聞かれたりは?」
やはりそうか、人には聞かせられんのだな。
「部屋を変える!」
十兵衛は信長についていき、奥の小さい部屋に入りました。ここまでは十兵衛の作戦通りに進んでいます。
床下に潜んでいた秀吉の忍びは信長達を追おうとしましたが、床下が次の部屋に繋がってなく断念しました。ここまでの話でもかなりの内容の濃さです。秀吉は戦が中止になった理由がわからず、なぜか明智十兵衛と信長が城で話し込んでいると聞いて調べさせていたのです。この時代、力のある者は忍びを活用していました。信長は伊賀者、秀吉は蜂須賀小六の知り合いの甲賀者を使っています。忍びは秀吉に報告へ行きました。その様子は信長の忍びに見られています。
「十兵衛。岡崎を見に行った物見から報告があった。城は燃えて無くなっていたそうだ。武田軍は一部の兵を残して居なくなった。三河を制圧しておるのか?岐阜は動きがない。どうも武田は我らには仕掛けてこないと決めているかのような動きだが、どう思う?」
部屋を移ってからの話です。信長はさっきは誰かに聞かれている前提で話をしていたのです。ここからが本題なのでしょう。
「全ては武田勝頼の手の中」




