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代行屋『ブラックドッグ』~偽善者は一人だけの英雄になりたい~  作者: 志摩ジュンヤ
第6節 我、彼を撃つべし。彼が我を撃つ前に
82/194

6-11

 人の往来を一切拒むほどの冷気に満ちた、夜半12時。


 ニコラスはエントランス前で、目前でそびえ立つ塔を振り仰ぐ。


 街が宵闇に沈む中、紅い龍が天へ昇っている。


 太陽と火を司る神龍、『燭竜(デンロン)』は伝承通りの人面赤尾ではなく、赤色LEDライトで現界している。

 しかも1分後には別のイルミネーションへと様変わりし、これが9種類たえず街を一晩じゅう彩り、道行く人を魅了する。


 その龍がナニを守っているかなど、人々は知る由もない。


 無意識に腰に手をやっていることに気付いて、すぐ降ろす。

 自分は今、丸腰だ。


 そういう作戦である。


 警備のライトが一気に点灯する。


 白光の群れに晒されたニコラスは、腕で目を守り、光の中から無数の人影が自分を包囲していることに気付いた。


 ニコラスは、無言で、ゆっくりと両手をあげた。




 ***




 さっそく食いついたか。


 ハウンドは手袋をはめつつ、ニコラスの健闘を祈った。たぶん大丈夫だと思うけど。


 運転席の住民に別れを告げ、ハウンドはゴミ収集車トラックから素早く躍り出た。


 すぐさま地面と()()に生える植え込みの低木の根元を掴んだ。


 市営ゴミ収集車に偽装したトラックが、デンロン本社敷地内を抜けていく。


 それを見届けたハウンドは、静かに植え込みを()()()()()


 デンロン本社は俗にいう壁面緑化した建築物で、建物の壁に植物が生えている。


 大半は壁に穴をあけてそこにプランターをはめ込むタイプなのだが、デンロン本社は直に生えている。

 各階層にベランダ庭園があり、それらが上下の階層と連結してらせんを描きながら屋上庭園へと続いているのだ。


 壁面緑化というより、ビルに雑木林が生えている、と表した方が正しいだろう。


 ゆえにかなりの急勾配ではあるものの、登ること自体は不可能ではない。


 そして、そこの庭木に結わえられた電飾が、デンロン本社に巻き付く紅龍の正体だ。


 さらにこの龍は、1分経つと、10秒のインターバルを置いて別のイルミネーションへと様変わりする。


 つまり、インターバルの10秒間だけイルミネーションは切れ、建物は闇に溶け込む。


 その間隙をぬって、ハウンドは建物を登っていた。


 ニコラスが陽動、自分が潜入というのが、今回の作戦だ。


 階層が上がるにつれ、風が徐々に強くなっていく。


 命綱はない。ハーケンもない。頼りになるのは、己の四肢と平衡感覚、膂力のみ。

 それで充分だ。


 切り立った崖に等しい山地で生まれ育ったハウンドには、この程度の地形を音もなく登ることなど、造作もない。


 しかもありがたいことに、庭木の大半は常緑樹で、生い繁る葉がこちらの身を隠してくれている。

 闇もまたこちらの味方だ。強いて注意すべき点があるとすれば、揺れた樹々から葉が落ちないようにすることぐらいか。


――上手くやれよ、ニコ。


 ハウンドは慎重に枝から枝へ足を運びながら、助手の身を案じた。




 ***




「待て待て待て、いま外すから!」


 ニコラスは金属切断機を持ち出した警備員を見て、慌ててスラックスの裾をまくった。


 拘束された両手で何とかボルトを緩め、義足を外す。


 改良されたばかりの義足が真っ二つだなんで冗談じゃない。専属装具士に殺される。


 警備員らは義足を奪い取ると、引きずるように個室へと連行した。

 片足というハンデを酌む配慮は当然ない。


 個室に入るなり背を蹴飛ばされたニコラスは、辛うじて受身を取った。

 が、間を置かず脇を蹴られ、逆側から腹を蹴られて不覚にも息を吐いた。


 なんとか立ち上がろうと藻掻いていると、眼前に黒一色のコンバットブーツの爪先が現れた。


「女はどこだ」


 『黒い男』は口元以外の表情筋を一切動かすことなく尋ねた。


 ニコラスは息を整えながら答えた。


「俺が代理だ。ここにはいない」


 顎に衝撃が走り、直後吹っ飛んだ。


 後頭部をもろに打ち、視界で白い星が瞬く。

 顎と腹を蹴られたなと、口内に広がる血を味わいながら思った。


「女はどこだ」


 再び質問を繰り返す『黒い男』に、ニコラスは血混じりの唾をブーツに吐きかけた。

 それが返答だった。


 当然それに対する応答は、もっと苛烈だった。




 ***




 尋問というより、集団暴行か、拷問に近い光景だった。


 ウィルは画面越しに、暴行に耐え続ける男をじっと見つめる。


 先日、会場地下で女が言ったことを考えていた。


 『DVDの謎、解けた?』


 エストニア語で語られた問いだった。


 間違いない。

 あの女は、シュウが寄こした二枚のDVDのことも、その謎も知っている。


 どうやって知ったのかどうかは分からない。


 だが、自分にはもう選択肢がない。


 あれらの謎を解かなければ、自分がこれまでしてきた事が、両親に暴露されてしまう。


 殺される事はどうでもいい。けれど、ばらされるのは嫌だ。


 ずっと両親のためだけに生きてきた。


 自慢の息子だと、自分の存在が誇りだと言ってくれた。

 極度の口下手とあがり症で友達もいない、ガリガリで痩せっぽっちの病弱な自分でも、褒めてもらえる特技があるのが唯一の自慢だった。


 物心ついた頃から自分を見向きもせず、まったく笑わなかった両親が、笑ってくれるのがとても嬉しかった。


 両親の『夢』を叶えることが、僕の『夢』だった。


 もし両親にこれまでしてきたことが知られれば、両親はもう褒めてくれない。

 笑ってくれない。

 誇ってくれない。


『いい子』で『天才』のインドレイク・ヴィルタネンでなければ、愛してもらえない。


 嫌だ、嫌だ、嫌だ。


 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ――!


 嫌われたくない、叱られたくない、無視されたくない。


 帰る場所がないのは、嫌だ。怖い。


――ジャック。


 ウィルは監視カメラ映像の隅で蹲る、小さな背に手を伸ばす。


 ジャックに出会って、自分は『ウィル』になった。他の『普通』の子供と同じように、ニックネームを貰った。


 だが。


 ウィルは手を引っ込めた。


 自分はもうインドレイク・ヴィルタネンだ。自分がそうした。


――どうして。


 どうして助けに来たの。自分が一番助けてほしいくせに。


 あんなに酷いことを言った僕を、どうして助けに来たの?


 分からなかった。

 ジャックが助けに来てくれた理由も、自分がジャックに助けを求めた理由も。



 分からないのは嫌いだ。曖昧なものは気持ちが悪い。イライラする。


 ウィルはヘッドセットをかなぐり捨てた。

 膝を抱えて蹲り、眼鏡がずり落ちるのも構わず、髪を掻きむしった。


 どうしたらいいのか、分からない。


 ここには両親もジャックもいない。ディ・イーは尋問の真っ最中だ。


 聞ける相手は、一人しかいなかった。




 ***




「ニコラスッ、ニコラスッ! しっかりして!」


「おいコラ揺するんじゃない! 脳震盪起こしてるかもしれないだろっ」


 ハンカチで鼻を押さえるケータの手を、ニコラスは上から押さえた。


 二度、三度まばたきをして、全身の惨状を確認する。

 激痛を堪えて大きく息を吸う。胸部にのたうち回りたいほどの痛みが走るが、音はしなかった。


 あばら骨は折れてない。ひびは入ってるかもしれないが。


 右手と目も無事だ。これならまだ撃てる。伊達に殴られ慣れていない。


「鼻の骨、折れたか?」


「いいや。それより左腕が酷い。青痣だらけでゾンビみたいになってる。折れてないがひびだらけだな。レントゲン撮ってみないことには分からないが」


「し、し、しけっ、止血っ」


「落ち着けジャック。頭部の傷は血が出やすいんだ。押さえればすぐ止まる」


 手際よく手当てをするケータを、ニコラスはじっと見つめた。


「何だ?」


「……俺に何か話すことがあるんじゃないのか?」


 ケータが動きをぴたりと止めた。視線を左右に彷徨わせ、深く長い息を吐いて項垂れる。


「首、見えるか?」


 ケータが髪をかき上げ、生え際の部分を見せてくれた。


 ジャックが小さく悲鳴を上げ、ニコラスはその傷口を凝視した。


 普通の縫合痕ではない。

 盛り上がっているのは、発信機か何か埋め込まれているからか。


「……おたくは散々な目に合ったが、俺はここに来てよかったよ。携帯も盗聴器も何もかも取られた。警棒ポーチと防弾ベストの中に縫い込んであるやつまでな。俺じゃ気付けなかった」


「何があった」


 間髪入れず問うと、ケータは唇を噛み締めた。


「爺ちゃんを人質に取られた。家で襲われて、気がついたら特区外の病院に移されてて、首はこんなになってた。……すまない。お前とハウンドを監視するよう命じられてた」


「誰がやった」


「分からない。だけど特警はもう駄目だ。『奴ら』の仲間がうじゃうじゃいる」


「『奴ら』?」


「爺ちゃんを連れてった一味だよ。俺の上司もグルだ。五大じゃない。何か別の組織が、特区に入りこんでる」


 ニコラスは鉄錆味の唾液を嚥下した。


 迂闊だった。

 合衆国安全保障局(USSA)が特区に手を付けるなら、真っ先に狙われるのは特警だ。


 お飾りで汚職の巣窟とはいえ、特区唯一の国家機関だ。強権を発動すれば動かせる。


「ねえ『奴ら』ってなに? ウィルやオレらを捕まえた連中ってこと?」


「あーいや、」


「『知らない方がいい』なんてなしだよ。もうこんな目に合ってるんだから!」


 ジャックに先手を打たれ、ケータは怯んだが首を縦には降らなかった。


「いいや、変わる。命を奪われなくて済む」


「そんなの今だって変わらないよ! ニコラスがこんな目に合ってるんだよ!? 今さらオレらがタダで返してもらえるはずないじゃん!」


「ジャック」


 ニコラスが呼ぶと、聞きたがりの少年はびくりと肩を跳ね上げた。


「……『奴ら』については、お前にも話す。だがそれは、今じゃない」


「ちょっと! オレだって、」


「いじわるで言ってるんじゃない。ガキだから話さないんじゃない。俺たちが話さないのは、お前が弱いからだ」


 ジャックが雷に打たれたように硬直した。ニコラスは真っ直ぐジャックの目を見た。


「ガキだろうが、大人だろうが関係ない。自分の身を守れない奴には話さない」


 強くなれ、とニコラスは言った。


「ガキ扱いが嫌なら強くなれ。守られるのを待つのを止めろ。自分で戦え。それができたら話してやる。いいな?」


 ジャックは不承不承ながらも、こくりと頷いた。


 ゴン、ゴン、と金属扉が盛大に鳴った。


 三度施錠が解除される音が響いて、ゆっくり扉が開かれる。


「面会だ。お前たちに聞きたいことがある」


 そう言い放った『黒い男』の横に立つ人物に、ニコラスたちは息を呑んだ。

 ウィルだ。


「ウィル――」


「来ないで!」


 親友の拒絶に、ジャックがぴたりと止まる。もはや絶叫に近い悲痛な警告だった。


「…………僕が話したいのはそこのウェッブさんだけ。他の人に用はない」


 見る見るうちにジャックがしぼ萎えた。丸まったその背を、ケータがそっと支えてやった。


 ニコラスは空っぽの左脚を床に、立膝になった。


「ご指名に預かり恐縮だが、生憎とこの脚でな。ここじゃ駄目か?」


「別室に連れていけ」


 有無を言わせず『黒い男』が手下を呼んだ。


 しかし、意外なことにウィルが待ったをかけた。


「……分かった。あなたたちは出ていって」


「却下だ。お前の意志は関係ない」


「……監視カメラ見てればいいでしょ」


「お前は何も分かっていない。この男は危険だ。密室で話し合うなど、冗談ではない」


「……シュウさんの命令でも?」


 そこに至り、『黒い男』の表情がやっと動いた。


 無だった顔に、苛立ちと怒りといった人間らしい要素が初めて加わった。


「…………怪しい動きをすればすぐ乗り込む」


 『黒い男』は、ウィルとこちらを睨みながら、手下を連れて立ち去った。


 またも施錠音が三度鳴り響き、部屋に静寂が戻る。


 おもむろにウィルがポケットからスマートフォンを取り出し、操作した。


「……ここの監視カメラには細工しておいた。音も。これならたぶん気付かれない、と思う」


 ぼそぼそと告げたウィルは、だらりと手を下げた。


「…………僕の話、聞いてくれますか……?」


「内容によるな。すでに実害が出てる」


「ちょっ、ニコラス!」


「お前、大会会場の地下にあるもん、知ってたな?」


 そうウィルに問うと、いきり立っていたジャックが口を閉ざした。ウィルの拳がさらに白くなった。


「知ってて協力したのか」


「……」


「いつからだ」


「…………2年前から」


「他のガキどもはどうした? 仲間も売ったのか?」


「違う!」


 叫んだウィルは、こちらと目を合わせるなり、ぐったり項垂れた。


「……違う、けど、違わない。あなたは正しい。僕は、僕たちは、『ライシス・サーガ』で遊んでる子供を呼び出して、売っていた。シュウの友達の大人に。それが僕に科せられた命令」


 ジャックとケータが絶句する気配がした。ニコラスは視線をさらに鋭くした。


「あのホテルにいたガキどもも、お前と同じか? お前より4、5歳年上のがいただろ」


 ウィルはこっくりと頷いた。


「……eスポーツっていうのは、表向きの肩書。僕らは選手なんかじゃない。今回の大会には、先着の招待観戦があって、」


「無料観戦を餌におびき寄せたガキ捕まえて売り飛ばす算段だったのか?」


「……それも、ある。けど、シュウさんの目的はもっと別。このビル入る時、スマホ、回収されたよね?」


 ニコラスは「ああ」と答えて、はたと気付く。


 そういうことか。


「参加者の端末から個人情報を抜き取る気だったのか」


「……半分当たってる。実際は抜き取ったんじゃなくて、仕込んだ。『トロイの木馬』って言われる、マルウェアの、進化版。ダウンロードすると、各ユーザーの機種に設定されてる、標準アプリを自動的に削除して、それに擬態するんだ。プロでもまず気付かない。あとは擬態したまま、個人情報を自動選択して、飼い主に送信する。僕が開発した」


 ニコラスは苦虫を噛み潰した。


 なるほど、わざわざリスクを冒してまで顧客を集めていたのはそういうわけか。


 年齢・性別ともに多種多様ではあったが、会場地下で見たリストに載っていた人間は、それなりに社会的地位の高い連中ばかりだった。

 政治家、資本家、経営者、軍人、NPO法人代表、教会関係者。


 この手の連中が持つ個人情報は、機密情報の宝庫だ。

 扱い方によっては、児童売買以上に莫大な対価を得ることができる。


「……そして今回の大会は試験」


「試験だって?」


「……今大会で仕込む予定のマルウェアはテスト用。いずれは『ライシス・サーガ』のアップデートの際に、全ユーザーに仕込む。1億ユーザーはいるから」


 なんて奴だ。


 ニコラスは舌打ちした。


「仲間はどうした?」


「……連れていかれた。僕が、裏切ろうとしたから、見せしめに」


 ジャックが真っ青な顔でよろめいた。あまりの告白内容に、ついていけないようだった。


 ニコラスは努めて冷静に尋ねた。


「今どこにいる? 国内か、国外か?」


「……分からない。けど、ここ最近はドタバタしてたから、国外じゃないと思う。ここか、ミシガンを出てるか」


()()()()の中だ」


 そう断言するケータを見れば、彼は歩道に散乱した生ごみを見るような渋面で吐き捨てた。


「さっきジャックが動かしてたドローンで、最中を見ちまったんだよ。女子の声は幼かったが、男子の方は明らかに声変わりしてた。ズボン降ろしたジジイと一緒の部屋にいる子供なんて、他に何が考えられる?」


 それを、ケータと同じような顔で聞き遂げたニコラスは、改めてウィルに向き直った。


「これからどうする気だ?」


「……」


「言っとくが、もう謝罪のタイミングはとっくに過ぎてるぞ」


「ニコラス! そんな言い方っ」


「あのなあ、ジャック。どんな過去も境遇も、そいつの罪がチャラになる理由にはならねえんだよ。お前はそのこと、もう知ってるだろ?」


 ジャックが目に見えて怯んだ。

 定まってない視線は途方に暮れていて、上げられた手は、結局下へ降ろされた。


 ニコラスは唇を噛み締めた。


 どんな人間も、己が犯した罪は償わねばならない。そこから逃れることはできない。

 それは、逃げようとして逃げられなかった自分が、骨身に沁みて理解している。


 たとえ子供であろうと、逃れられはしないのだ。


「………………分からないんだ。どうしたらいいのか」


 ぽつりと呟かれた声は、次第に嗚咽まじりになって、床に滴った。


「……僕、とても悪いことをしたんだ。パパとママが、『この人たちの言うことを聞きなさい』って。言われたとおりにすればいいからって言われて、この国にやってきた。僕はシュウに逆らえない。逆らったら僕のしたこと、全部両親にばらされる。それは、とても困る。パパもママも、『悪い子』の僕は要らないから」


 必死に泣くのを堪える少年を、ニコラスはただただ見上げていた。


 子供が泣くのを我慢する理由は二つある。

 一つは周囲に泣くことを禁じられたから。もう一つは、自ら泣くことを禁じたから。


 この少年の場合、恐らく両方だ。

 愛情を担保に抑圧され、恐怖を枷に支配された。


 ウィルの周りの大人は、彼の天賦の才を、利用することしか考えなかったのだ。


「よし。じゃあ言い方を変える。お前、このままでいいか?」


 ウィルは濡れた眼を見開き、フルフルと首を振った。


「じゃあここから出たいか」


「………………できるの?」


「できるさ。ただし、出た後のことはお前が決めろ」


「……僕が?」


「ああ。悪いが俺の手は、自分が思ってた以上に小さいらしい」


 ニコラスはかつて救おうとした親子を思い出した。

 恩人を恨む真似はしたくないと、必死に息子の死を一人耐え抜く母親の丸まった背を、ニコラスは知っている。


 所詮自分は偽善者だ。人を救うようにはできてない。


「心配するな。ちゃんとここから出してやる。俺たちはそのために来たんだからな」


 ニコラスはスラックスの裾をまくり、義足接合部を剥き出しにした。


 壊れてないといいのだが。


「それって」


「コントローラ―、か?」


 ジャックとケータが目を真ん丸に見開いた。ウィルは口も開けていた。


 接合部内腿にテープで張り付けていたコントローラーを手に取り、ニコラスはにやりと笑った。


「今回の秘密兵器さ」




 ***




「解析はまだか」


「もう少しです」


 警備員の返答に、ディ・イーは溜息を飲み込む。


 エックス線検査など毎日やっているだろうに、なんと手際の悪い。義足一つ調べるのに、こうも時間がかかるとは。


「状況は?」


「依然変わりありません。ずっと話してます」


「音声は?」


「声が小さくて聞き取りづらいのですが……どうも英語以外の言語で対話をしています。現在解析にかけています」


 ディ・イーはふんと鼻を鳴らした。

 大方、逃げる算段をつけているのだろう。小賢しい。


 所詮は鼠の浅知恵だ。窮鼠になろうにも、片足でどうやって喉笛に食らいつこうというのか。


「――ん?」


 ディ・イーは顔をしかめた。

 視線の先には、もう一度、検査用ベルトコンベアに乗せられている義足があった。


 今、義足が動いたような……。


 瞬間、義足がひとりでに折れ、跳ね上がった。


 釣り上げられた魚の如くビヨンと跳ねて着地した義足に、全員が凍りついた。


 義足が勝手に動いた。それは見た。

 だがなぜ義足が勝手に動いているのか?


 そう思った矢先。


 ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ


「うわぁあああああああああああああ!」


 突如、振動を始めた義足に警備員が一斉に悲鳴を上げた。

 未知のものに出会った恐怖による、本能的回避行動だった。


「落ち着け馬鹿者! これは遠隔操作だ、今すぐ――」


『おかしいな。こうしたら膝が曲がるはずなんだが……』


「義足が喋ったぁああああああああああああ!?」


 警備員は大混乱に陥った。


 厳しい訓練を受けたはずの警備員たちの体たらくに、ディ・イーは舌打ちした。役立たずどもめ。


 ディ・イーは義足を掴み、壁に叩きつけようとした、が。


「っ!?」


 爪先が飛んできた。


 見れば、義足の膝関節がギュオンギュオンと回転している。

 制御不能の魔法の棍棒と化した義足に、ディ・イーはたまらず放り捨てた。


『あれ? これでもないな……』


『だあああもうっ! なんっでそんな下手くそなの!? カメラ付いてる方ぶん回すとか馬鹿なの!? 目回るじゃん!』


『無茶言うな。操作すんの初めてなんだよ』


『あー、ニコラスってもしかして、マリオカートとかで身体動いちゃうタイプ?』


『……操作、僕やろうか?』


 一体こいつらは何を言っている?


 ディ・イーは右往左往する警備員の腰から警棒を引き抜き、喋り続ける義足に振り下ろした、のだが。


 ビヨーン


 義足が跳んだ。というより、滑った。


 膝を直角に曲げ、床を蹴ってそのまま滑ったのだ。


 あたかも海老が天敵から逃げるような動作に、流石のディ・イーも気味が悪くなった。


 なんだ、この義足は。


『いよっしゃきた神回避! どうよ見たか!』


『お。やるなぁ坊主』


『……』


『……気にしなくていい。誰にでも初めてはあるから』


 こいつら、おちょくっているのか?


 ディ・イーは頬がひくつかせ、額に青筋を浮かべた。


「監禁部屋のアメリカ人とガキを連れてこい! ガキの見せしめにしてやる!」


「は、はい!」


 手下が駆け出そうとした直後、床が大きく揺れた。


 突き上げるような震動に、警備員からさらなる悲鳴が上がった。


「今度は何だ!?」


「42階の応接室で火災発生! 報告では、爆破されたと……!」


 そういうことか。ディ・イーは己の失態を悟った。


 男はただの陽動。本命の女は、すでに建物内に潜入していたのだ。




 ***




 夜風に乗って流れる口笛が小気味よい。


 ハウンドは外壁に新たな爆弾を設置しながら、ベランダ庭園の影から不安げに見上げる少年少女らを見て、眉尻を下げた。


「すまないね、カーテンが服代わりで。逃げる算段はつけてたんだが、着替えは用意してなくてっさ」


「あの、本当にこのまま降りて大丈夫なんですか? また捕まったりとか……」


「心配ない。この火災だ。すぐに通報でパトカーか消防車がすっ飛んでくる。彼らの前じゃ、ここの連中も手荒な真似はできない」


 それに、白いカーテンを身にまとった子供が外壁伝いに降りてくる様は、遠目からでもかなり目立つ。


 真っ先に消防隊が気付くだろうし、万が一に備えて、地上には27番地の強襲班3個小隊を待機させている。


「……お姉さんは、どうするの?」


「ちょっと悪者退治に。さ、行きな」


 少年少女らが、順番に梯子を伝って降りていく。


 それを見届けて、ハウンドは再び頂を目指した。




 ***




「今の振動なに!?」


「ハウンドだ。動いてくれたんだろう」


 ニコラスはそう告げ、床に耳をつけた。


 案の定、こちらに駆け寄る足音が聞こえる。2人だ。


「俺に任せてくれ」


 ケータが扉脇に立つ。

 それを見てニコラスは反対の扉脇にて待機する。


 足音が間近に迫ったところで、ケータは扉をガンガン叩き、中国語で叫んだ。


『嘿,帮助! 有一个杀人的半机械人在逃!(おい助けてくれ! 殺人サイボーグが暴れてる!)』 


『什么!?(なんだと!?)』


『愚蠢! 这不可能……(馬鹿な! そんなはずが……)』


 施錠が解除され、勢いよく扉が開く。


 真っ先に飛び込んできた一人にケータが組み付き、ニコラスは足払いをかける。


 ものの数秒で肩関節を外して無力化してしまったケータと裏腹に、ニコラスは手こずった。

 やはり片足が無いと不便だ。


「帮助! 被杀手机器人杀死!(助けてくれ! 殺人ロボットに殺される!)」


「なんて言ってんだ?」


「あー、助けてとか痛いとか、そういう感じ。うん」


 つまり、ギブってことか。


 気まずげに視線を彷徨わせるケータよそに、勝手に納得したニコラスは腕の力を強め、そのまま締め落とした。


「ジャック、俺の足どこいった?」


「今こっちに向かってるとこ。ほら」


 ジャックが指差す方向を見れば、廊下の突き当りから、ウィーンという駆動音と共に、義足が現れた。


 履いたままのコンバットブーツを滑り止めに、屈曲と伸展を繰り返して進んでいる、といえば聞こえはいいが、要するに芋虫の動きである。


 我が足ながら、ぶっちゃけ、かなりきしょい。


「お前もうちょっと動きとか考えろよ」


「これが一番効率がいいんだよ」


 そうジャックが不平を言った瞬間。


 通路脇から男が喚きながら飛び出した。

 警備員の一人で、胸高にサブマシンガンを構えている。


 反応に遅れ、しまったと思った、矢先。


 ビヨーン


 義足が男の股下に滑り込んだ。そして膝関節を逆屈曲させ、男の股間を蹴り上げる。


 男は「はぅあっ」という情けない声とともに撃沈した。


「やるじゃねえか」


「まあね」


 床で悶絶する男を気の毒そうに見やるケータを横目に、ニコラスはジャックと拳を合わせた。


 一人 (一本?)大活躍した義足を拾い上げ、しっかりと装着する。


 ようやく立ち上がって、ふと。


「おい、ウィルは?」


 ハッとしたジャックとケータも、監禁部屋と廊下を覗くが、見当たらない。


 どこへ行った?


 その返答は、背後通路から転がってきた、一発の手榴弾が答えた。


 ジャックを小脇に、ケータの襟首を掴み、すぐさま監禁部屋に飛び込んだ。


 扉を蹴り閉めるのと、爆発はほぼ同時だった。


 轟音。扉のわずかな隙間から炎と黒煙が噴き出す様に、ゾッとする。


 焼夷手榴弾(サーメート)だ。少しでも閉めるのが遅れていたら、丸焦げだった。


 爆炎で蝶番が弾け飛んだのか、扉が倒れてくる。

 表は真っ黒に焦げ、木のネームプレートに火がちらついている。


 ニコラスは咳き込みながら、這って廊下の様子を窺おうとしたが、銃弾の群れに阻まれた。


 瞬時に頭を引っ込めたニコラスだが、廊下先で『黒い男』に引きずられるウィルの姿は、しっかり捉えていた。


「くそっ」


「連れていかれたのか!?」


「ああ。武器もってる……わけないよな」


「全部取られたからな。あるとすれば、この2人が持ってる分だけだ」


 ケータは先ほど伸した手下2人の腰から自動拳銃2丁と弾倉を抜き取った。


 悪名高きコピー銃トカレフではなく、ベレッタモデルのノリンコ社のOSZ-92である。性能は悪くないが、2個小隊規模の相手に自動拳銃二挺と弾倉一つずつではあまりに無謀だ。


 銃弾の勢いがますます強くなる。その時、ジャックが耳を押さえながら叫んだ。


「ニコラスっ、検査室に行こう! さっき義足調べてた部屋! カメラで見たんだ! 検査室の真横の警備員の待機ルーム、ガンロッカーあった!」


「検査室ってどこだ!?」


「部屋でて右へ真っ直ぐ! 突き当り左に曲がって、2つ目の角の右手側!」


 難問だな、とニコラスは思った。


 敵は今のところ、廊下左側の十字路から撃ってきている。

 検査室へ向かうとなれば、この銃撃を背に進まねばならない。


 しかも、進行方向に敵が回り込んでいる可能性もある。


 そして時間もない。

 このまま待っていても、廊下両側から挟まれてジリ貧だ。


 ニコラスは振り返り、部屋の中と、身に着けている物を確認した。


 そしてフロアの間取りを脳内で再確認し、現時点の条件からいくつかシュミレートを実行する。


「……よし。ここを突破する。2人とも、協力してくれるな?」


 質問ではなく、確認を込めて問えば、2人は戸惑いながらも力強く頷いた。




 ***




 飛沫が顔にかかって、ハウンドは訝しんだ。そして上空を見上げて納得する。


 滝だ。

 屋上から50階の噴水めがけて滝が流れ落ちている。その脇に生える樹々に掴まっていたハウンドは、その飛沫を浴びたらしい。


 このビル自体の階層が70階であることを考えれば、それなりの落差である。


 生い茂る木の葉の合間から、建物内を覗く。

 敵の動きが慌ただしくなっている。どうやら、ニコラスたちが暴れまわってるらしい。


 急ごう。


 イルミネーションがないことをいいことに、ハウンドは枝をつたう手足を早めた。


 滝の脇に垂れ下がった、幾重にも絡んだアイビーの蔦をロープに、屋上へと辿り着いた。


 すぐさま樹々から低木の茂みに移動し、監視カメラに映らぬよう細心の注意を払って、様子を窺い。


 大いに面食らった。


 空中庭園が広がっている。


 それも巨大な池と川が流れている。先ほどの滝は、この川と繋がっていたらしい。


――これはこれは。


 ハウンドは池の真ん中に鎮座する宮殿に呆れ果てた。


 無数の殿堂が、幾何学模様の飾り窓が施された渡り廊下でつながっている。


 渡り廊下を支える石柱は、凹凸のある岩を用いられている。

 太湖石という、古来より中華皇帝が好んで使った天然石だ。


 一つ一つの殿堂はこじんまりとしてはいるものの、屋根の瓦は黄色で、四方の隅がとんがり靴のように反りかえっている。

 反り返った棟には、緻密精巧な幻獣の石像が多種多様に設置してあり、今にも動いて天に駆け出していきそうだ。


 さらにそれら宮殿三方を取り囲む漆喰づくりの塀の上には、五本指の石龍が宮殿を鎮護している。


 随分と大きく出たものだ。


 黄色の屋根も、五本指の龍も、本来は皇帝しか使うことが許されぬ特別な装飾だというのに。


 職場にこんなものを造るとは、シュウという男はよほどの暇人か、金を持て余しているらしい。


 それはさておき。


――橋は、ひとつか。


 ハウンドは川を隔てて宮殿と庭園を繋ぐ、ジグザグの石橋に目を細めた。

 この石橋が、ハウンドのいる庭園と宮殿を繋ぐ唯一の橋らしい。


 見たところ、エレベーターなどの昇降機はないようだが……残念だ。あったら爆破してやろうと思ったのに。

 あと一つ、爆薬が残っている。


――ま、一つだけじゃないだろうし。


 ハウンドは低木の中を四つ足で忍び寄り、忍び歩いた。


 無音に散策し、一点で停止する。


 庭園中央、白石のタイルが敷き詰められた広場中央に、ヘリコプターが着陸している。


 ローターもエンジンも回っていないが、操縦士と副操縦士が待機しており、機外には4人の見張りが臨戦態勢で巡回している。


 ハウンドは訝しんだ。


 重装備のわりに、数が少なすぎる。


「!」


 咄嗟にハウンドは飛びのいた。頭上から棒状のものが、生垣ごと串刺しにする。


 槍が降ってきた。


「おう。やはり生きがいいな、小娘(ウーゴゥ)


 穂先の横にトッ、と軽やかに降り立った主を、問答無用で切りつける。


 足の甲に銃剣を突き立てられそうになって、主は「おっと」と飛びのいた。


「やれやれ。存外血の気が多い小娘(ウーゴゥ)だ」


 短槍を支柱にくるりと躱す『黒い男』を、ハウンドは胡乱気に睨む。


 巨体のわりに、随分と身軽なことで。


 が、それも一瞬。ハウンドはすぐさま駆け出した。


 銃撃が奔った。

 弾丸で粉砕された木屑や木の葉が、白波の如く巻き上がる。


 綺麗に整えられた垣根は、一気に無残な姿となった。


 天然の巨岩の影に飛び込んだハウンドは、愛銃の弾丸を12ゲージスラグ弾から照明弾に換え、打ち上げた。


 空に紅い華が、パッと咲く。

 その華に照らされた数から、敵数を概算する。


 ざっと30。ちと多い。


 意表を突かれたはずなのに、敵はどよめくどころか一切の動揺を見せない。

 むしろ打ち上がった位置からこちらの居場所を逆算し始めた。


 ハウンドが奔り、弾痕が追う。


 照明弾で昼間並みに明るいが、木陰は別だ。さらに影が濃くなった。しかも樹葉が遮ってくれるので、敵は音と動きを頼りに撃ってくる。


 そのぶんこちらの視界も遮断されるが、ハウンドには何の支障もない。

 元より耳と鼻が頼りだ。


 ハウンドはわざと枝を蹴り、小石を投げ、幹を揺らして走り抜ける。

 その都度、弾丸が跳んでくるが、すでにそこに自分は居ない。


「待て。無暗に撃つな。奴は獣だ。熱探知(サーモ)に切り換えろ。監視カメラもだ」


 銃撃が止んだ。と思ったら、真っ直ぐこっちに飛んできた。

 樫の根元に隠れていたので助かったが、幹が徐々に削れていく。


 連中め、夜戦装備をもってやがる。


 どうする、と考えていたら、銃撃が止んだ。代わりに真横から穂先が飛んでくる。


 間一髪で頭を下げ、穂先が幹に突き立つ。


 だが『黒い男』はそこで止まらず、すぐに短槍を引き抜き追ってきた。

 そこで銃撃が再開される。


 戦闘はあたかも狐狩りの様相を呈してきた。

『黒い男』が駆り立て、銃撃が仕留めようとする。


 夜目が利くのか、『黒い男』は執拗に追ってくる。

 しかも弾丸が庭を荒らしていくため、次第に隠れる場所がなくなっていく。


 こいつはマズい、と思い始めた矢先だった。


「動くな小娘(ウーゴゥ)! こいつが見えないか!?」


 足を止めることなくそれを見やって、ハウンドは舌打ちを飲み込んだ。


 川岸向こう、宮殿前で『黒い男』がウィルのこめかみに銃口を突きつけている。


 嘆息を一つこぼして、ハウンドは愛銃を掲げて立ち上がった。


 空を切る音がして、両手に激痛が走る。

 打ち据えられた衝撃で、愛銃が飛んでいく。


 すかさず膝裏と脇腹を蹴られ、ハウンドは地にねじ伏せられた。


「……やっぱりお前ら、双子か」


 頭上と、ウィルを連れて歩み寄る2人の『黒い男』を、ハウンドは睨んだ。


 道理で微妙にニオイが違うわけだ。


 ウィルを手下に預けた方がつかつかと歩み寄った。


 ひゅっ、と風圧を感じたと思ったら、顎を蹴り上げられていた。

 受け流して辛うじて歯が砕けるのを防いだが、唇を切った。


「手こずったな、弟者(ティーティー)。遊んでいるからだ」


「そういう兄者(グゥグゥ)は気が立っているな。狩りは楽しむものだ」


「そう言ってこないだ取り逃がしたのは誰だ?」


「だが今度は捕まえた」


 押さえつけている方が、掴んだ首をグッと絞めた。

 このまま息の根を止められそうな握力だ。


 一方の兄の方は、蹴り一発では気が収まらないらしい。


 兄が拳を握った。これはもろに食らうな、と覚悟したその時。


「止め!」


 と、叫ぶ声がした。見ると、宮殿に男が一人立っている。シュウだ。


「『一番目(ディーイー)』、『二番目(ディーアー)』、客人をこちらへ」


 首根っこを鷲掴みされ、無理矢理立たされる。


 引きずられるように引っ立てられるこちらを見て、シュウは出会った時のように人好きのする笑みで微笑んだ。


「またお会いしましたね、ミス・チュエ。それともヘルハウンドとお呼びしましょうか」


 ハウンドは返答がわりに鼻を鳴らした。

 なので兄に頬を強かに殴りつけられた。


 二発目に備えたところで、シュウが手で制した。


「客人と言ったはずだ。下がれ」


 兄弟は不承不承、一礼して引き下がった。同時に手下たちも無音に銃を下げ、背後で待機する。


 解放されたハウンドは、首筋を撫でながら口元の血を拭った。


「で、要件は」


「話の続きを。あの時は邪魔が入りましたので」


 そう言って、シュウはうっそりと微笑んだ。


「改めまして。ようこそ、我が城へ。『双頭の雄鹿』の“銘あり”の一人として、貴方を歓迎いたします」




 ***




「ねえほんとコレ大丈夫なの!?」


「だいじょばなくても行くしかないだろ!?」


 疑問に疑問で返すのは、余裕がない証左だった。


 そして狼狽えるジャックとケータ背後に控え、ニコラスは振り返るゆとりすらない。


 圧倒的な劣勢に追い込まれている。


 1発撃ち返すと50発ぐらいは返ってくる猛攻ぶりだ。


 味方の射線も跳弾も意に返さぬ面制圧は、意図的ではなく無知ゆえの無謀だ。

 だからこそ恐ろしい。


 壁がコンクリート製だったからよかったものの、これが通常の壁ならとっくに蜂の巣だ。


 作戦はいたってシンプル。


 敵の射線を掻い潜り、検査室に放置してある武器を取りに行く。

 そしてこの場を離脱する。


 ルートも単純だ。


 部屋を出てすぐ右へ真っ直ぐ、突き当りを左折し、2つ目の角の右手側。


 そして現在、敵は左側通路の十字路から撃ってきている。


 普通なら隙を見て右へ走るところだが、それは蛮勇極まる最後の手段だ。


 敵が左手側の連中だけとは限らないし、すでに回り込んでいる可能性もある。しかも、それがどこに潜んでいるか、ニコラスたちには知る由もない。


 さらに言うと、この廊下はかなり長い。

 弾幕を掻い潜ったとしても、この直線では逃げ場がない。背中を撃たれて死ぬのがオチだ。


 ゆえに、取るべき手法は一つしかない。


 眼前の敵陣を突破して、逆ルートから目的の部屋を目指す。


「準備はいいか!?」


「いつでもっ」「どうぞっ!」


 破れかぶれに絶叫するケータとジャックに頷いたニコラスは、()()()()を近づけた。


 先ほど伸した警備員から剥ぎ取ったベルトに、自分のネクタイを巻きつけたものだ。

 火が付きやすいよう、ネクタイ布は裂いて細かくしておいた。


 それを未だ燃えくすぶる扉に近づける。


 糸端が熔け、雫をつくって滴る。百パーセントポリエステル仕様の安物ネクタイならではの燃え方だ。


 火がついたところでニコラスはベルトをぶん回した。


 投石の要領で、それを廊下右側めがけて投げ込む。


 悲鳴が上がった。


 化学繊維は一度火がつくとなかなか消えない。しかも熱で溶解して皮膚に張り付く。

 さぞ熱いだろう。


 次いでニコラスは第二陣にも火をつけ、今度は狙いすまして投げ飛ばす。


 反撃しようと顔を出していた敵は慌てて角に引っ込み、ベルト松明は床を転がった。


 それが狙いだった。


 カーペットに火が燃え移り、一気に火柱が上がる。

 フロア一帯が毛足の長い高級絨毯で覆われているため、炎の歯止めが利かない。


 火災報知器が姦しく鳴り響き、廊下一帯にスプリンクラーが作動する。


 火に次いで水攻めまで喰らって、敵は大混乱に陥った。


「行くぞ!」

「あいよっ」


 ニコラスはケータと扉を持ち上げた。


 今はこの監禁部屋の金属扉が防弾シールド代わりだ。完全ではないが、無いよりマシである。


 銃撃が再開する。


 だが混乱のせいか先ほどより弾幕が薄い。これなら即席防弾シールドを貫通されずに済むか。


 角から顔を出したばかりの男に突進する。

 一人を弾き飛ばし、二人目を扉で押しつけ、扉ごとそのまま蹴り飛ばす。


 ケータが低姿勢で躍り出た。


 近くにいた男に飛びつく。男が小銃を構えようとするが、間に合わない。

 ケータは銃身を小脇に挟んで封じ、男の首に足を引っかけて押し倒した。


 飛びつきからの腕ひしぎ十字固めだ。流麗だが容赦のない業である。


 負けてられない、とニコラスは腰から拳銃とベルトを引き抜いた。


 ケータを狙っていた男を撃ち、真横から殴り掛かった男の目にベルトを叩きつける。

 そのままベルトを首に巻き付け、男の背後に回る。


 同僚を盾にされ、敵が怯む。その隙を見逃すニコラスではない。

 肉盾を前に銃を構え、敵を次々と無力化していく。


「先に行け!」


「了解!」


 ケータが先陣を切り、次いでジャックが続く。


 一つ目の弾倉が切れた。潮時か。


 ニコラスは、男の防弾チョッキにぶら下がっていた手榴弾のピンを抜いて、脇の通路に突き飛ばした。


 轟音と爆風を背に、ニコラスは二人の後を追った。

 壁に湿った何かが叩きつけられる音がしたが、聞かなかったことにした。


「行くぞ、走れ! GO、GO、GO!」


 ニコラスたちは通路を駆け抜けた。


 敵も当然反撃してくるが、予想外のルートから突然現れるこちらに反応が遅れる。

 しかもスプリンクラーが良い具合に視界を遮断してくれている。


 ニコラスたちは、走って、走って、走り続けた。


「あった! そこの部屋!」


 息も絶え絶えに叫ぶジャックの指先に、目的の検査室が見えた。


 先頭のケータが肩から部屋に飛び込んだ。

 続いてジャック、ニコラスの順で部屋に転がり込む。


「あったぞ!」


 ケータが検査室脇にある、警備員待機ルームのドアノブに飛びついた。が、鍵がかかっている。


「銃!」


「弾切れだよっ」


 悲鳴に近い声音のジャックを「どけ」と押しのけたニコラスは、義足を駆動させた。


 空圧シリンダーに水素が送り込まれ、腿裏に内蔵された小型水冷式ラジエーターが急速起動する。


 膝継手が、空圧式から水素エンジンに切り替わった。


 ニコラスは後ろ回し蹴りを放った。


 踵がドアノブを直撃し、破壊されて扉が解放される。


「全員防弾着(アーマー)を着用しろ、弾は持てるだけ持て! 急げ!」


「あ、ああ」


 呆気にとられていたケータが慌てて防弾着を手に取った。一方のジャックは自作ドローンのリモコンを確認し、ふと廊下を見て。


「待って。敵、来てなくない?」


 言われて初めて気づいた。


 追手がいない。


 火災報知機もスプリンクラーもいつの間にか止まっており、廊下は不気味なまでの静寂に包まれていた。


「諦めた、わけないよな」


「ああ」


 ケータに返答しつつ、ニコラスは奥歯を噛み締めた。


 このタイミングで敵が退く理由など、一つしかない。


 ――ハウンド。

次の投稿は5月14日です。

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