1-7
「アンタ、その脚でよくやるねえ」
暴漢たちが倒れ伏す中、一人たたずむニコラスに対し、マダム・アンデルは驚愕と呆れをこめてぼやいた。ニコラスもしれっと答える。
「慣れりゃ問題ねえな」
「そうかい。ならそのまま頑張っておくれ。ほら第二陣が来るよ」
「へいへい」
ニコラスは右脚に体重をかけ、左脚を浮かしながら敵の来襲に備える。こうも戦闘続きだと負担が馬鹿にならない。
「さっきも言ったが銃の使用は禁止だよ。商品に傷がつく」
「そのハンデは酷くないか? 俺、近接戦得意じゃないんだが」
「そんぐらい動けるんならいいだろ。ほれっ、来たよ!」
咆哮のような怒声。第二陣のギャングが再び店内に突入してくる。
店の玄関脇にしゃがみこんでいたニコラスは細いロープを引っ張った。
玄関付近の柱に結ばれたロープがぴんと張り、なだれ込んできた暴漢は見事に足を取られてすっ転ぶ。
鋭利なガラス片が散らばる床に。即席の撒菱である。
二人が犠牲になり、上半身を血塗れにしてのたうち回る。三人目はロープを飛び越えたものの、ニコラスに足首を掴まれ顔からもろに突っ込んだ。眼球に破片が突き刺さった男の絶叫が外の連中を怯ませる。
次いでニコラスは立ち上がり、出入り口から少し奥、撒菱を抜けた先の陳列棚の間に陣取る。その道中、段ボール内に詰め込まれたままの未使用の雑誌を見つけた。
――こいつはいい。
雑誌を一部取ってくるくる丸めていると、マダム・アンデルが眦を吊り上げた。
「ちょいとアンタ、そいつは商品だよ!」
「知ってるよ」
そう返した瞬間、大柄な男が二人が突進してきて、つっかえた。
当然だ。小柄なマダムが切り盛りするオースティンの店内は酷く狭い。平均身長並みのニコラスですらつっかえる。だからここに陣取った。
雑誌を突き出す。一人目は喉に、二人目は右目に。突かれた部位を押さえて悶絶したところを間髪入れずこめかみに叩き込み、卒倒させる。
たかが紙、されど紙。一枚だけでは何の役にも立たないが、何枚も束ねて丸めれば特殊警棒並みの強度を誇る。
――やっべ。雑誌の先つぶれちまった。
途端、背中に殺気が突き刺さり始めた。誰からなどと聞くまでもない。
マダム・アンデルの憤怒に冷や汗を垂らしつつ、卒倒した男の一人を抱えると両足を踏ん張った。
左脚を軸に、右脚で男を出入口めがけて突き飛ばす。ビリヤードよろしく男は出入り口でサブマシンガンを構えていたギャングに追突、外へ消える。
次に足元に転がっていた男で一番小柄なのを掴み、自分の目の前にぶら下げた。肉盾だ。
外から舌打ちと悪態が聞こえる。
仲間想いなのか、単に味方ごと撃つ度胸がないからか。いずれにせよ、ニコラスはこのお陰で撃たれずに済んでいる。
「卑怯だぞ!」
知るかんなもん。最初から撃ってこないてめえらが悪い。
そう内心で罵ったニコラスと真逆に、カウンターから顔をあげた店主ことマダム・アンデルは大声で罵った。
「どっちが卑怯者だい!? か弱い老婆が切り盛りする店を大勢で襲撃しておいて!」
いや、か弱くはないと思う。
そうツッコむニコラスをよそに、マダムは「これでも食らいな!」と何かを投げつけた。弧を描いて玄関から外へと消えていく瓶の口が蝋燭の如く燃えている。火炎瓶だ。
ガラスが砕ける音と、悲鳴。
棚の影から覗くと、燃える炎の向こうでギャングが蜘蛛の子を散らすように逃げていく。ニコラスは全くもってか弱くない老婆を振り返った。
「商品を傷つけないんじゃなかったか?」
「やむを得ない犠牲だよっ、まったく」
溜息をつくマダムを横目に、踵を返したニコラスはぐっと口元を歪める。
酷い靴擦れを起こした時のような鈍痛と熱が左脚を苛んでいる。敵が退いてくれてよかった。これ以上の戦闘は無理だ。
ニコラスは痛む足を庇いながらバックヤードへ急いだ。きっとジェーンは怯えて泣いている。迎えに行かなければ。
「ジェーン……?」
居なかった。
代わりに厳重に施錠していたはずの裏戸がこじ開けられている。バックヤードには割れたマグカップが二つ分、床にぶちまけられたココアが虚しく湯気を立てていた。
刹那、裏戸の向こうで人影がよぎり、本能的にニコラスは床に飛び込んだ。
銃声。
マダムが用意した椅子が瞬時に四散し、砕けたコンクリート片が頬を掠める。
床で数度跳ねて、壁に跳ね返って転がった弾丸の、百合のように先端がくるりと花開いた弾頭を見るなり、ぞっとする。
ダムダム弾――あまりの殺傷能力に国際条約で使用が禁じられた一撃必殺の殺人弾だ。
「何だい今の銃声は!?」
「出るな婆さん!」
ニコラスはマダムに警告を叫んだ。だから一瞬、反応に遅れた。
銃声。衝撃。激痛が左脚から脳天めがけて駆け上がり、骨と神経を通じて全身を襲う。堪らず苦悶の呻きが漏れ、マダムが悲鳴に近い声で叫んだ。
「ニコラスッ!」
「っぐぁ…………! 駄目だっ、来るなっ!」
血相を変え駆け寄ろうとするマダムを怒声で制す。敵がまだ裏戸近くにいる。無防備に寄れば友釣りされる。
膝を押さえた指の隙間から、赤黒い液体がグジュ、と音を立てて吹き出す。全身の毛穴から脂汗が噴き出している。痛みで体が震え、身動きが取れない。
しかしギャングは痛みでのたうち回る自分に満足したのか、下卑た高笑いと罵りを残して立ち去った。
物陰から恐る恐る顔を出したマダムが、こちらを見るなり目を見開いた。
「アンタ撃たれたのかい!?」
「…………左、膝上を」
「ああ、なんてこったい……! いま救援を呼んでくるから!」
「大人しく待っているんだよ!」と叫んでマダムは走り去っていった。
ニコラスは傷口を見た。傷口は膝上、上膝動脈付近。左脚だ。
なら、まだ動ける。
ニコラスは腰エプロンを解いて患部をきつく縛り上げた。
「ちょっ、アンタどこ行く気だい!?」
マダムの制止を無視してニコラスは裏口から転がり出た。壁に手をつき、激痛の走る脚を引きずりながらなんとか走る。
急がねば。零れたココアはまだ湯気が立っていた。まだ遠くへは行っていないはずだ。
***
ヘルハウンドの仕事は三つある。
一つ、代行屋『ブラックドッグ』。
二つ、カフェ『BROWNIE』の用心棒兼ウェイター。
三つ、正直これは言う必要もないかもしれない。自分は黒妖犬、墓場を守ることこそ我が使命。
「こんなもんかね」
血の付いた皮手袋を床に投げ捨てたハウンドは、首をこきりと回した。
死屍累々であった。
首を折られて絶命した者、喉を潰され血の泡を吐く者、睾丸を蹴り潰されて白目をむく者。そこにはカフェを襲撃した暴力団の半数以上が床に倒れ伏していた。うち半分は死亡している。すべて、ハウンドが素手でやったことだ。
あまりの容赦のなさに、ライリーと暴力団はとっくの昔に尻尾を巻いて逃げ出していた。根性がねじ曲がっているばかりか、肝も小さいらしい。とんだ玉無し野郎だ。まあ実際に玉無しにしてやった奴もいるが。
ハウンドは己の服装に眉をしかめた。
ワイシャツと孔雀石のループタイに返り血が飛んでいる。せっかく店長とその奥方からもらった贈り物なのに。
ワイシャツの袖口でそれを拭いつつ、カウンター内の壁一面に酒瓶がぎっしり詰まった棚の上から五段目の、右から三番目のバーボンウィスキーを取り出し、カウンターに置いた。
仕事を終えての一杯、という訳ではない。
用があるのはその奥、バーボンの瓶で隠されていた指紋認証装置だ。
右手を当て、ロックを解除する。途端、棚が脇へとスライドし、その奥の空間が露わになる。
「店長、警報は」
「15分前に出した。もう皆、動いてるよ」
「ありがとうございます」
そう答えながら、ゆったり足を踏み入れる。
内装自体は表とそう変わりない。
禁酒法時代に興隆した隠し酒場。それを改造した戦闘指揮所には、密造酒を嗜む客の代わりに通信班所属のオペレーターが15名、24時間体制で張り付いている。
カウンター上を埋めるのは瓶やグラスではなく、無線機やノートパソコン、Wi-Fiルーターなどの電子機器。前方壁一面には三枚の大型ディスプレイが覆い、画面には街中に設置された監視カメラ映像がリアルタイムで映し出されている。
「第三種から第一種へ移行する。全ブロック、隔壁封鎖」
ハウンドが発すると、オペレーターが「了解」と声を張り上げた。
「総員、第一種戦闘配備! 繰り返す、総員、第一種戦闘配備!」
「各ブロック、隔壁封鎖を開始します!」
通信班が復唱と共に警報を発令する。
直後、監視カメラ映像に変化が現れた。
路上で作業中だったゴミ収集業者と宅配業者が、運転席や荷台に隠していた装備を手早く身に着ける。座りこんでいた浮浪者は、襤褸布の下に隠していた銃火器を手に立ち上がり、たむろしていた子供らは年長の子の口笛を皮切りに四方へ離散していく。
立ちんぼの老婆は耳に当てていた携帯電話をバッグに放り込み、代わりに取り出した無線機を手に、男たちへ指示を伝達する。
店の軒先で商売をしていた老人は、手慣れた様子で商品を店内に引っ込め、通行人と車両の誘導を開始した。
道行く車は一斉に指定の地下駐車場へと雪崩込み、戦闘員を詰め込んだピックアップトラックが入れ替わりで道路へと飛び出す。
ものの数秒で、路上は戦闘員へ変貌した民兵で溢れ返った。
数分後、全建物の窓と出入り口から防弾シャッターが下りてきた。
そのシャッター下を避難誘導の殿を務めた子供が小走りにくぐり抜け、銃で武装した老人らと合流したのち、見えなくなる。
「“国内”組はヴァレーリ・ロバーチ班のみ呼び戻せ。それ以外は第三種にて待機」
「“国外”組はどうします?」
「通常業務を継続。この程度なら問題ないっしょ。武器班・輸送班はB-29とC-12にて展開、国内組各班と合流せよ」
「ハウンド、シグマ隊より緊急連絡。G-8の隔壁が作動しません」
「またか……、現地の予備役で対処。それと、『雨燕』をやってくれ。どうせ出たくてうずうずしてるだろ」
「ははっ、まだガキどもの初陣にゃ早すぎますか」
「必要なら呼ぶさ。五分以内で済ませてくれ。最悪、建物ごと放棄していい。代わりに報告をまとめておくように。後日、施設班に対処させる」
「了解」との返答を聞き流しつつ、ハウンドは煙草を咥えた。
正直、今回のチンピラは数が多いだけでここまでの対処は不要だが、いい訓練だ。何より彼の実力を見ておきたかった。
その時、片耳の無線機に手を当てた店長が、僅かに眉根を寄せて口を開く。
「……ハウンド、良い知らせと悪い知らせがある」
「良い方から聞きましょうか」
「27番地で暴れまわっていたギャングが一斉に退き始めた。住民への損害も特にない」
「ほうほう。で、悪い方は?」
「ジェーンが連れ去られた。ニコラスが一人で追ってると」
「ありゃま」
緊張感も欠片もない返答をしたハウンドは頭を掻くと、オペレーターの一人が気を利かせて前方ディスプレイに地図を反映させてくれた。
地図上に点在する青、緑、赤の三色の光点。青が味方、赤が敵、緑は無関係の通行人だ。
「う~ん、一人で突っ走っちゃってますね~」
「ああ。このままだとニコラスが孤立してしまう」
『ニコラス・ウェッブ』のタグ付けがされた緑の光点は、27番地区の細い路地をゆっくりと進んでいる。
その前方300メートル先で、無数の赤が集結しつつある。その赤の中には『アッシュ・ライリー』の光点があり、そのそばに『目標』の黒い光点、ジェーンがいる。
このままだとニコラスは、態勢を整えた敵のど真ん中に一人突っ込んでしまう。
らしくない。なにを焦っているのか。
ハウンドは頭を掻き、ふと、ある解答に行きつくなり真顔になった。
――さてはジェーンを見て思い出したな。
六年前、ニコラスがイラクで救った子供。彼と再会の約束をした、ただそれだけの子供。
馬鹿な男だ。
あんな無責任な台詞を吐いたガキなど、忘れてしまえば良かったのに。
ハウンドが苦笑と呆れを込めて溜息をつくと、店長が意を決したように口を開いた。
「ともかく今すぐニコラスと連絡を取らないと、今ならまだ間に合う」
「いえ、私が出ます。店長、クロードと連動してサポートをお願いします」
「っ、二人でやる気かい……!? ざっと40人以上は――」
「問題ありませんよ。あのニコラス・ウェッブと一緒ですから」
ヘルハウンドは、ニコラス・ウェッブを知っている。
『偽善者』ではない、かつて彼が持っていたもう一つの異名も。
百目の巨人。
普くすべてを見渡す『普見者』にして、海神の人間の間に生まれし半神。数々の戦功を立てるも、その異形ゆえに怪物として扱われた悲劇の英雄。神々の下らぬ痴話に巻き込まれ、人間の英雄に討たれた憐れな巨人。
しかしてなお、彼の英雄が成した偉業は消えず。
標的の心を見透かしたが如き正鵠無比な見越し射撃、本来不可能と言われた動く的に当てるその技量は、まさに『百目の巨人』と称されるに相応しい。
「ニコなら大丈夫ですよ。なんせ、私が選んだ相棒ですからね。――隔壁の封鎖状況は?」
「たった今、完了しました」
「よし。回線をCからAへ切り替えろ。切り替え次第、アルファ・ベータ・ガンマ隊に指示を通達。作戦形態『D15』。目標地点はF-4、“ジェームズ通り”だ。狩り立てろ」
途端、威勢の良い返答が返ってくる。それに頷きで返して、ハウンドは指揮所を後にした。
***
「くそっ。こんな時に……!」
巨大な金属製ゴミ回収容器に身を隠した、というより倒れ込んだニコラスは、腹立ちまぎれに拳を地面に叩きつけた。
限界だった。
激痛は悪化の一途を辿り、患部に巻いたエプロンはもはや包帯としての役目を果たしていない。駄目だ。もう動けない。
息も荒く、ニコラスは積み上げられたごみの隙間から路地の先を覗き込んだ。
路地の突き当たり、ジェーンを連れ去った連中が立ち止まっている。ジェーンは気を失っているのかだらんと手足を投げ出し、それを大柄な男が肩に担いでいる。
と、そこに甲高い男の喚き声が聞こえた。
「っ、んの野郎……!」
見覚えのある紺のストライプ柄スーツ、ライリーだ。
一時間前の傲慢な態度と打って変わり、ライリーは酷く狼狽え焦っている。しかもその横には、今朝殺し損ねた筋肉だるまもいる。
姦しくなじるライリーを鬱陶しげにあしらいつつも、筋肉だるまは周囲に指示を出している。仲間だったのだ。
――どうする。
持っている拳銃では射程外、この距離からでの狙撃はまず不可能。音を立てて注意を逸らすにしても、この脚では瞬間移動でもできない限り今の自分にジェーンを救い出すのは無理だ。
「くそったれめ」
奥歯をぐっと噛み締めたニコラスは、汚物まみれの地面に爪を立てた。
瞬間。
「!?」
突き上げるような振動、直後、爆音が轟く。
はっと顔をあげると、建物の向こうに黒煙が立ち上っている。狼狽える暴漢たちの声を掻き消すように、一つ、また一つと爆炎が上がる。
背後から甲高いブレーキ音がしたのはその時だ。
「ハウンド!?」
剥き出しエンジンの大型二輪バイクが、目前でスライドブレーキして豪快に停止する。そんな鋼鉄の荒馬に跨った少女は、こちらを見下ろしてニヤリと笑った。
「は~い、ニコラス。調子はどう?」
ニコラスは混乱した。なぜここに? とういか、どうやってこちらの居場所を――。
そう尋ねようとしたその時、一際大きな爆炎が上がった。
舞い上がった火球は空中で四散し、隕石が如く地上に降り注ぐ。うち一つがニコラスの真横に落下した。
派手な音と火の粉がアスファルト上で爆ぜ、飛散して宙を漂う。赤い車体の破片に辛うじてくっついていたシボレーカマロのエンブレムが、炎の中で無残に焼け爛れている。
「おお、ここまで吹っ飛んだか。やっぱ高い車は燃やし甲斐があるね~」
「ハウンド、一体何が……?」
「あのすっとこどっこい御一行様の車両まとめて打ち上げ花火にしてやったのさ。あの能無しども、全員表通りにそのまんま路駐してたからね。うちの連中が張り切ってくれたよ」
直後、ハウンドの背後に数台のトラックが停車した。トラックの荷台が開く。そこから降りてくる人々を見るなり、ニコラスは唖然とした。
住民だ。小銃や短機関銃、散弾銃などの銃火器に、擦り切れた防弾チョッキやら防塵ゴーグルやら膝当てを身に着けている。老人、中年、少年少女らは倒れたニコラスを取り囲んだ。
否、これは住民ではない。
ニコラスは住民の眼差しに冷や汗を垂らした。
俺はこの目を知っている。イラクやアフガニスタンで嫌というほど目にした民兵の目、祖国を守らんといきり立つ兵士の目だ。
困惑と驚愕で狼狽えるニコラスのもとに、ハウンドが跪く。
「さてと。ニコ、まだ動けるよね?」
それは確認ではなく、確信を込めた問いだった。
いつもの暢気でお気楽さの欠片もないその真剣な表情に、息を呑み、ゆっくり頷く。
するとハウンドは、不敵に、上機嫌に笑った。
「そうこなくっちゃ! 行くよニコ、仕事の時間だ」
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作者の生きる糧になります。