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代行屋『ブラックドッグ』~偽善者は一人だけの英雄になりたい~  作者: 志摩ジュンヤ
第6節 我、彼を撃つべし。彼が我を撃つ前に
78/194

6-7

巡礼始祖ピルグリム・ファーザーズ合衆国安全保障局(USSA)の関係性を調べろぉ?」


 素っ頓狂な声をあげるセルゲイを、ニコラスは睨んだ。


「いいから調べてくれ。恐らく関係がある」

「いやいやいや。根拠はなに? なんでいきなり清教徒(ピューリタン)どもの話になんのよ」

「ミチピシ一家で見たタペストリーだ」

「「タペストリー?」」


 セルゲイとカルロの疑問に、ニコラスは説明した。

 ミチピシ一家本部で見たあのタペストリーのことを。


 手を差し伸べる先住民の手を取る清教徒、その頭上に描かれていた『双頭の雄鹿』の紋章。そして、それを見た時のミチピシ当主オーハンゼーのただならぬ反応を。


 話を聞き終えた二人は無言で視線を交わし。


「いよいよサスペンス小説みたいな流れになってきたな。今度は紋章ときたか」

「ちょーぉっと出来過ぎな気はせんでもないけどねー」


 そう茶化すセルゲイだが、顔は一切笑っていない。

 一方のカルロは顎に手を当ててしばし思案すると、慎重に口を開いた。


「…………そのUSSAに関することなんだが。ヘルの出自を調べる過程で、USSAに関連した情報で奇妙な話が出てきた。この『手帳』に関連した情報かは分からないが……日本軍との関係だ」

「日本だって?」


 ニコラスは眉をしかめた。


「USSAが日本の自衛隊と接触してたっていうのか?」

「噂話に近い情報だがな。信憑性は低いが……特殊作戦群って知ってるよな?」

「知ってる。陸軍特殊部隊(グリーンベレー)の日本バージョンだろ? 確か9年前に設立したばかりの」

「その設立1年前の2003年に、その前駆部隊ともいえる組織がアフガニスタンで極秘作戦を行ったって話だ。んで、そいつらを手引きしたのがUSSAだと」


 ニコラスは腕を組んで唸った。セルゲイに至っては露骨に胡乱気な視線を向けた。


「眉唾もんに等しい話だな。あの平和ボケしたヤンキーのポチどもが、何をとち狂ってアフガニスタンなんかに出向いた?」

「その平和ボケした連中でも重い腰をあげざるを得ない事情が一つだけあるだろう」

「……邦人の救出か」


 ニコラスの返答に、カルロは頷き手元のタブレットを見せた。

 そこには一枚の写真が写っていた。


「……これ、背後に映ってるのバーミヤンの石像か?」


「ああ。シンジ・ムラカミという日本の考古学者だ。専門はアフガニスタン民族学と中東仏教。ソ連のアフガン撤退直後から現地入りして、破壊された遺跡の修復をしていた。それと合わせて、飢餓、水不足、感染症対策に大規模な灌漑工事を行ってたそうだ。政府の依頼ではなく、完全に個人の意思に基づく活動だ。もっぱら最近は考古学より灌漑工事に精を出していたようだが」


「へえ。そりゃあご立派なことで」


 セルゲイが投げやりに悪態をつく中、ニコラスは写真の中で微笑む小柄な初老の男性を見つめた。


 物静かで穏やかそうに見えるが、その静謐に佇む双眸はどこか底知れぬ力強さと迫力を感じる。

 何より、その周囲を取り囲む現地住民の顔を、ニコラスは凝視した。


「おい。これって」

「見覚えがあるだろ。ハザラ人だ。――ヘルの生まれ故郷の人間だ」


 カルロの声にニコラスとセルゲイは息を呑んだ。


「つまり、この日本人学者とハウンドに何か繋がりがあるって言いたいのか」


「そこまでは分からん。この学者も、ハザラ人とばかり交流していた訳ではないらしいしな。だがこれまでの話を聞く限り、無関係とはいいがたいだろう。この学者は2002年に現地の武装組織に拉致されている。9.11でアメリカがアフガン空爆を行った直後の話だ」


「ちょっと待て。逃げ遅れた外国人がいたのか? 空爆前に、アフガン国内の外国人には国外退去を勧告したはずだが」


「逃げなかったみたいだな。各国のジャーナリストや支援団体が撤退する中、この爺さんの団体は自国の勧告も無視して、最後まで居座ったそうだ。空爆の最中に食糧配給もやってたんだと。流石にリーダーのこの爺さんが拉致された直後は一時的に活動を休止したが、半年後には新しいリーダーが現地入りして活動を再開してる」


「……アメリカ政府への交渉材料として、同盟国の日本人を人質に取ったと?」


「うちの調査チームはそう分析してるな。そして特殊作戦群が極秘作戦を実施したのがその一年後だ。筋は通ってるだろ」


「どうかねぇ」


 カルロの話にセルゲイは訝しげに頬杖をついた。よほど信用できないのか、視線はこちらではなく店内を歩く店員を睨んでいる。


「あの国の人間は自己責任論が強い。手前の都合で紛争地域うろついて、テロリストに捕まった馬鹿を命懸けで助けにいくか? 第一、あの頃は『テロリストに屈しない!』とかいって人質救出を拒否すんのがブームだったじゃねーか」


「だが特殊作戦群の最終調整としては、これ以上ない機会だろう。アメリカ政府に泣きついたが袖にされて、渋々虎の子を出してきた、ってのが真相じゃないのか」


 言い争い始めた二人をよそに、ニコラスはこれまでの情報整理と考察を開始した。


 アメリカがアフガニスタンとの戦端を開いたのは2001年10月。

 9.11首謀者である国際テロ組織『アルカイダ』をアフガニスタンのタリバン政権が匿ったのが原因だった。


 元よりタリバン政権は、1979年のソ連侵攻による混乱の最中に樹立したイスラム原理主義者たちが建てたもので、欧米諸国への反発はかなり根強い。


 だからこそ、アメリカはタリバンらイスラム原理主義者たちを『アルカイダ』に次ぐテロ組織と断定し、世界規模の対テロ戦争を引き起こした。


 だが大半のアフガニスタン市民にとっては、無関係だった。


 タリバン掃討作戦による空爆。『北部同盟』をはじめとする軍閥の群雄割拠の再到来。その最中で頻発した略奪、強姦、私刑、殺戮。


 犠牲になるのは、いつだってアフガニスタン市民だった。


 ゆえに対テロ戦争に対し、世界からの反対の声は少なくなかった。この日本人も、アメリカの決定に反発した人間の一人だったのだろう。


――そしてUSSAが設立されたのは9.11直後の2001年9月末。


 米英連合軍がアフガニスタン空爆を行った、その直前ことである。


 当時は中央情報局(CIA)と競合する形で設立されたため、USSAとCIAの対立は国内だけでなく最前線の戦地でも激化した。


 イラク・アフガニスタンで誤爆が相次いだのはそのせいだ。

 USSAとCIAは功を競って情報収集に躍起になり、伝達速度と内容の重大性を重視するあまり、情報内容の正確性はおざなりになった。


 結果、現地部隊は大いに振り回された。

 派兵されていたニコラスも当時、「何でこんな時に新しい諜報機関なんぞ設立したのか」と苛立ったものだった。


 一説によれば、CIAが「イラクに大量破壊兵器がある」などというとんでもないガセネタを持ち出したのも、USSAを出し抜こうと功を焦った結果だとされている。

 迷惑千万な話だが。


「……ベネデット、その学者は今どこにいる?」

「分からん」

「分からない?」

「文句言うな。これ以上、情報がねえんだよ。うちのチームが調べた限りでは、特殊作戦群はUSSAの手引きで極秘作戦を実行し、みごと救出作戦を成功させて日本に帰還した。それ以上は分からん。人質が生きていたかどうかさえ不明だ」


 ニコラスは思わず天井を仰いだ。またも手詰まりだ。


 日本の特殊部隊に拉致された日本人。その日本人とアフガニスタン人の関係に、USSAとCIAの派閥抗争――。


「……ベネデット」

「なんだ今度は」

「お前、どうやってUSSAだと分かった」

「は?」

「さっき特殊作戦群を手引きしたのはUSSAだと言っただろう。どうしてUSSAだと分かった? 当時、イラク・アフガニスタンではUSSAとCIA局員が入り乱れまくってた。米兵(おれたち)ですら見分けがつかなかったのに、部外者のお前らがどうしてUSSAだと見抜いた?」


 途端、カルロが黙りこくった。その様をセルゲイがニヤニヤと見守る。


「今回ばかりは番犬ちゃんが一枚上手だったねー。みょうちきりんなとこで出し抜こうとすっからそうなんだよ」

「うるせえヒョロガリ」

「ひどっ! これでも俺ちゃんだってちゃんと鍛えて――」

「見抜いた方法についてだったな、番犬」

「話最後まで聞けよ!」


 ぎゃいぎゃい喚くセルゲイをガン無視し、カルロはタブレットではなく、懐にあった名刺入れを取り出した。


「今回限りの特別だ。確認したらすぐ返せ。それを見せる許可はもらってない。お前が今後も例の情報よこすってんなら見せてやる」

「………………いいだろう」


「言質は取ったぞ」といったカルロは、名刺入れから一枚のSDカードを取り出すと、タブレットに差し込んだ。


「確認しろ。()()()に見覚えがあるな?」


 差し出されたタブレットには、写真をスキャンしたと思われる画像が一枚写っていた。


 その画像の中のカルロが指差す、私服武装の日本人に囲まれ佇む人物――簡素なプレートキャリアに最低限のマガジンと無線機だけの軽武装と、トレッキングブーツを履いた男――に、ニコラスは頷いた。


「ああ、間違いない。俺が捕らえたUSSA局員だ」


 泣き黒子の男を、ニコラスは睨んだ。カルロは「やっぱりな」と嘆息した。


「……以前、お前らのシマに侵入したこいつの正体がFBIでないことには俺たちも気付いていた。だがそこから先が分からなかった」


「どういうことだ」


「ないんだよ、この黒子男の情報が。()U()S()S()A()()()()()簿()()()()()()()()()()()()()。少なくともヴァレーリ(うち)が国防省に潜り込ませたモグラは、この男を名簿上に見つけられなかった。分かっていることといえば、こいつが国防省に頻繁に出入りしていることと、アフガニスタンで現地メディアが偶然撮影したこの画像一枚だけだ」


 ニコラスは息を呑んだ。

 てっきり、FBI以外で特区に乗り込んでくるのはUSSAだろうと安易に考え、決めつけていた。


 この泣き黒子男が、USSA局員ではない? とすれば、


「……こいつが『雄鹿』の人間だって、言いたいのか」


「これまでの話を総括するならな。お前が持ってるその絵本が、何をために描かれたのかは知らん。だがその絵本にあっただろう。『リーダーはアーサー・フォレスター』だと。しかもご丁寧に『双頭の雄鹿に気を付けろ』とまである。これまでの情報を鑑みるに、この『双頭の雄鹿』とやらは、USSA子飼いの極秘組織である可能性が高い」


「下手すっとこいつらが本命で、今いるUSSAの特殊作戦グループ(SOG)準軍事作戦担当官(パラミリ)なんかはただのお飾りかもしんねーぞ。でなきゃ、お前らにボコられてすごすご引き下がったりしねーだろ」


 そう続けたセルゲイに、ニコラスは黙って画像を見下ろした。


 かつて27番地は、多数の死傷者を出しながらもUSSA実働部隊であるSOGを撃退した。


 彼らもかなりの強敵ではあったが、確かにちょっと訓練を受けた民兵レベルの27番地住民に撃退されるほど、SOGはお粗末な連中ではない。

 何より、なぜUSSAは黙って引き下がったのか。


 否、本当に引き下がっていたのか。


――俺の知らないところで、一体何が起こってやがる?


 再び嘆息したニコラスはジンジャエールのジョッキに手を伸ばして、眉をしかめる。ジョッキはすでに空だった。


 そこに、


「お替りいかがですか?」


 グラスが差し出された。

 匂い的にニコラスが好む辛口のウィルキンソンだ。


 最初のジョッキはカナダドライの甘口だったので一口飲んで失敗したと思ったのだが、この店員はそれを目ざとく見ていたらしい。

 しかもちゃっかりアルコールが入ってる。


 ニコラスは迷い、断ることにした。今は酒が飲める気分ではない。


「あー、今日は車で来てるんだ。悪いが――」

「ほ~ん。私の酒が飲めないって?」


 耳元で甘く囁かれた声に、ニコラスはぎょっ振り返った。


「ハウンド!?」

「はぁ~い、ニコ」


 ニコラスはハウンドを見て、慌てて目を逸らした。

 目前に白い谷間が迫っていたからだ。しかも下を見れば際どいビキニの下腹部と脚が見えて逃げ場がない。


「おまっ、お前っ、こんなとこで何してんだ……!?」

「なにって電話終わったから戻ってきただけじゃん」

「服は!?」

「ここの子に借りた。むっつりな彼を驚かせたいからちょっとだけ貸してっつったら喜んで貸してくれたぞ?」


 ハウンドが指差す方向を見れば、店員らが集結してきゃいきゃい騒いでいる。

「慌てちゃってかーわいー!」「あらあら初心ねぇ」「作戦成功だわ!」などと色めき立つ店員らにニコラスは本気で頭を抱えた。


 どうして女というのは色恋沙汰となると妙な団結力を発揮するのか。


「ほらな。絶対気付かねえって言ったろ」

「ほんとな。番犬のくせに鼻が利かねえでやんの」


 舌打ちしたセルゲイが差し出したドル札を、カルロが真顔で数え始めた。

 ニコラスは向かいのマフィア二人を睨んだ。


 こいつら、さっきから妙に店内ばかり見てると思ったら、ハウンドがいるのに気付いてたな? 

 しかも自分がいつ気付くかで賭けてやがった。


「そんなことより見てよ、この猫耳。尻尾までついてんの。可愛いでしょ~」


 そういって腰をくねらせ、尻尾を上機嫌に揺らすハウンドに、ニコラスは片手で顔を覆った。


 これは駄目だ。何がと言われると返答に窮するが、なんか駄目だ。

 特に髪と化粧がいつも通りに戻っているのが物凄く駄目だ。


 これは絶対あとで思い出す。明日からどうやってハウンドを見ろというのか。

 ただでさえ同居しているというのに。


 いたたまれなくなったニコラスは椅子に掛けていたライダースジャケットを手に取り、ハウンドに着せて上まできっちりチャックを閉めた。


 背後から店員の黄色い悲鳴と男性客からの舌打ちが聞こえるが、すべて無視する。


「え~もうお終い?」

「お終いだ。とっとと着替えてこい」

「こんな店に入っといて今さらなに言ってんの」


 俺が選んだんじゃねえよ。

 ニコラスは内心そう抗議するが、言うと何だか言い訳がましいので黙ってハウンドの肩を押す程度に留める。


 しかしハウンドは「そんなことよりさ」と袖を引っ張った。


「ジャック今どこいんの?」




 ***




 ジャックはこれまで自身の走力を、過小評価していたと気付いた。


 息をするたび肺が裂けそうになる。冷気が喉と鼓膜を刺して痛い。

 それでもまだ、脚は動いている。


 時おりもつれて転びそうになるが、その回転は止まらない。


――どうしよう、どうしよう、どうしよう……!


 考えはない。ただひたすら前を見て走る。

 それしか現実に抗う術は残されていない。


 ジャックは昔見た、自然系ドキュメンタリーのインパラを思い出した。

 猛スピードで迫る捕食者からジグザグ滅茶苦茶に走って逃げ惑う被捕食者。今の自分はそれだ。


 そのうえ自分の脚はインパラの十数倍は劣る。そして知恵も。


 だから、いつの間にか表通りから裏通りの、それも人気がまるでない細い路地に追い込まれていることにも、全く気付いていなかった。


 びゅっ、と、耳下を何かが掠めた。


 掠めた何かはジャックが曲がろうとしたブロック塀に突き刺さり、砕けたコンクリート片が白煙と四散する。


「そう逃げるな。急所を外すと後が苦しいぞ」


 塀に刺さった何かが背後の主の元へ戻っていく。


 大蛇がうねるようなその動きに、ジャックは思わず目で追った。


 昔、アクションゲームで見たことがある。中国系キャラクターが使っていた、縄の先にダガーに似た鋭利な錘を結わえた「縄鏢」という暗器だ。


 ゲームの中の話だと思っていた。あんな動き、実際の人間に出来るはずがないと。


 だが目前に迫る黒づくめの男は、その縄状の暗器を、蛸が自身の触腕を動かすが如き自在さで、平然と操っていた。


 しかもあんなに走ったのに息すら切らしていない。


 ジャックは再び走り出そうとして、転んだ。

 立ち上がろうともがくが、両脚に力が入らない。


 自分の脚はとっくに限界を迎えていた。


 男がわらった。それは笑いであり、嗤いだった。


 獲物を追い詰めた捕食者の愉悦であり、現実を受け入れられず無駄に逃げ惑った自分への嘲笑だった。

 唾液に濡れて光る白い犬歯が、やけに生々しかった。


 男が手を伸ばした。


 ジャックは眼前を覆う掌を、呆然と見上げて。


 その男の頭上に、影が降るのを見た。

 耳障りな金属音と共に、火花が散った。


 ジャックは信じられない光景を見た。


 ヘルハウンドが両手に握った銃剣二挺を、男の頭部に振り下ろしている。

 なぜ猫耳にサンタコスチュームを着ているのかは分からないが、問題はそこじゃない。


 男は、彼女の斬撃を縄一本で食い止めていた。


「炭素繊維を織り込んだ縄だ。切れず燃えずよく耐える。鋼以上に堅牢だぞ」

「へえ。そう」


 顔色一つ変えず告げた男に対し、ハウンドもまた動じなかった。

 上半身を捻って縄をはじき、後ろに飛んで距離を取る。


 不気味なうねりを立てて縄がハウンドに迫る。


 それを四つん這いで避けたハウンドは、地面すれすれの低姿勢で縄を掻い潜り、時にはじいて男に迫る。


 あまりに常人離れしたその応酬に、ジャックはただただ呆然と見入った。


 まるで大蛇と狼の戦いだ。

 変幻自在に縄を繰り出す男も、四つ足の獣の如き駆けるハウンドも、どちらも人間技とは思えない。


「ジャック、無事か!?」


 怒声に振り返れば、右奥の路地先からニコラスが全速力で走ってきていた。

 その背後では純白のマセラティ・グラントゥーリズモが停車し、マフィア二人が顔を出している。


 ジャックは震える脚を叱咤して立ち上がった。

 大人の怒鳴り声を嬉しいと思ったのは、後にも先にもこれが初めてだった。




 ***




 例の黒い男か。


 ジャックの腕を掴んで立たせてやったニコラスは舌打ちを隠さなかった。


 近接戦はハウンドと互角、武器は鞭のような中距離用。

 それが変則的に、かつ絶えず動いているときた。


 こんなに狙撃しにくい相手はいない。


「ニコ、そいつ下げろ! 邪魔だ!」


 顔面に飛んできた縄を弾いて、ハウンドが叫ぶ。


 ニコラスがジャックを背後のカルロとセルゲイの元へ押しやったのを確認したハウンドは、右腕を支えに左手を構えた。


 激音は、ニコラスが伏せた直後に轟いた。


 あまりの轟音に耳がキンと痛む。


 男は寸でのところで避けた。弾丸は背後の壁を穿った。

 野球ボール大の穴が陥没し、飛散した破片が近くの空き缶を切断する。


「スラグ弾か。威力はあるが鈍いな」


 飛び散る破片をすべて避けた男に、ハウンドが眉をひそめた。


「……?」


 ハウンドの鼻面にしわが寄る。


 なんだ、と思う間もなく、男が回収していた縄を再び繰り出し始めた。

 しかも左手には山鉈ほどの長さの直刀が握られている。


 右手に縄、左手に直刀。それらを構えて、男が襲い掛かった。


 ニコラスは加勢しようと思ったが、縄がハウンドを取り込む方が早かった。


 男の右腕が、縄と一体化しているように見えた。恐ろしいほどしなやかな肩だ。


 右腕が少しくねるだけで、縄が瞬時に軌道を変える。そこに直刀の峰を当て、遠心力で縄の軌道はさらに変則的になり、速度を増す。


 不覚にも、上手いと思った。


 これではニコラスは撃てない。ハウンドに当たる可能性がある。

 そして加勢もできない。縄がこちらの侵入を阻んでいる。


 ハウンドは上手く縄を避けてはいるが、銃を構える余裕はない。


 彼女の愛銃Mts.255リボルバーショットガンの12ゲージスラグ弾は、威力があるが反動もデカく、下手な体勢で撃つと手を痛める。


 どうする。


 ニコラスはこれまでの男の動きと武器を観察し、分析する。

 そして一つの結論に達する。


「ハウンド、止められるか!?」


 ハウンドはほんの一瞬こちらを一瞥し、すぐ戻した。

 返答はなかったが、それで通じたとニコラスは信じた。


 立膝でトーラスPT92自動拳銃を構える。


 男の動きだけでなく、ハウンドの動き、縄の動き、視界で動くすべてのモノを観測する。


 男が直刀を構え、ハウンドの眉間めがけて突進した。

 一方の縄は側面から弧を描き、ハウンドの死角から空を裂いて忍び寄る。


 ハウンドはその両方を相手にした。


 縄を弾いたハウンドの右手に縄が巻き付く。そこに男が切り込む。


 切っ先がハウンドの鼻先に迫った、刹那。切っ先が上へ跳ね上がった。


 ハウンドが直刀を蹴り上げたのだ。


 ハウンドは蹴り上げた勢いで後転し、背後へ飛ぼうとした。


 が、蹴り上げた脚を、縄が捕らえる方が早かった。


 男がニヤリと笑った。

 ハウンドも不敵に笑った。


 宙で身を捻じったハウンドは、銃剣二刀を縄に振り下ろした。

 そしてそのまま、地に突き立てる。


 石畳すきまに刃が食い込み、男は縄を縫い留められてつんのめった。


 縄がぴん、と張る。


 ニコラスは発砲した。


 縄に弾が当たり、火花が散る。


 ニコラスは構わず続けて引金を絞った。二発、三発、四発、五発――縄が切れた。


 男が驚いて背後に飛びずさる。

 千切れた縄の断面図を見て信じられないという顔をした。


 1センチ幅の縄の同じ個所を何回も撃って切断するなど、正気の沙汰ではないといったふうだった。

 一秒半の出来事だ。


 だがニコラスは、男が驚嘆する暇をやる気はなかった。


 続けざまに発砲し、残り一発で弾倉交換して、さらに引金を絞る。


 しかし男は後退せず、縄を捨てて低姿勢でハウンドに突っ込んだ。


「ちっ」


 またも掩護を封じられたニコラスは舌打ちした。


 素人ならまだしも、義足の自分は接近戦では不利だ。あんな化物相手では歯も立たないだろう。


 何か、次の手を――。


「おい番犬、手伝ってやろうか?」

「高くつくよーん」


 カルロとセルゲイの声に振り返って、


「てめっ、ふざけんなカメラ降ろせっ!」

「断る」


 運転席ドアの影からカメラを構えるカルロに、ニコラスはぶち切れた。


 こんな時に一体なにをやっているのか! しかも何だそのカメラは、大砲か。


「まあまあそう吠えない番犬ちゃん。良いアイテム寄こしてやっからさ」

「ハウンド、ちょっと被写体になってくれ。そしたら加勢する」

「てめえらほんと何しに来やがった!? 帰れっ!」


 思わず怒声を張り上げるが、所詮は蛙の面に小便である。

 けろりとした無駄にいい顔が実に腹立たしい。


 一方のハウンドといえば、打ち合いの最中にちゃんと話を聞いていたらしく、


「1枚いくら!?」

「200ユーロ」

「安い! 却下!」

「なら1枚500ユーロで、スフォリアテッラたらふく食わせてやる」

「許す!」

「許すな! あと撮るな! 見せもんじゃねえぞっ!」


 怒鳴るニコラスに「往生際悪いねー」といったセルゲイは、こちらにVz61短機関銃――通称「スコーピオン」をこちらに放ると、自身はGM-94グレネードランチャーを構えた。


 セルゲイが引金を引いた。


 ポン、と気の抜ける軽音と共に発射された弾は、男とハウンドの頭上で()()した。


 男とハウンドがすかさず互いの背後へ飛ぶ。が、一瞬男の反応が遅れた。


 宙で開いた白いレースの花弁が男の脚を捕らえ、絡みつく。


 ネットランチャー、警察や治安維持部隊が対象を生け捕りにする際に用いる非致死性捕獲器具だ。


 網が地面にべっとりへばりついているので、接着剤のようなものが付着しているらしい。


 ニコラスが発砲する。


 舌打ちした男はスラックスを引き千切って間一髪よけたが、肩と脇腹に命中させることに成功した。

 それでもかすり傷だ。


 カルロとセルゲイが追随で発砲する。

 PP2000マシンピストルとHK416小銃のフルオート射撃、加えて跳弾にも追われ、男はジグザグに飛びずさりながら退いていく。


 ハウンドがそれを追いかける。ニコラスもその後に続く。


 男が路地を抜け、表通りに飛び出した。

 ぶつかりかけた通行人の悲鳴が聞こえる。


 続いてハウンドも路地を出ようとした、瞬間。


「っ……!?」


 悪寒が走った。何かは分からない。だが直感で路地を出てはいけないと悟った。


「ハウンドッ!」


 ハウンドが急停止する。直後。


 ビシッ


 路地角がえぐれて飛散する。ニコラスの顔からさあっと血の気が引いた。


 狙撃だ。

 しかも、この角度は――!


 急いでハウンドが後退しようとしたその背に、ニコラスは飛びついた。


「ニコ!?」


 ハウンドが驚いた声をあげるが、ニコラスは構わず表通りに飛び出した。


 歩いていた家族連れが、悲鳴を上げる。

 しかしニコラスは路駐していた車の影にそのまま飛び込んだ。


 二発目が放たれたのは、その時だった。


 子供が持っていたバットモービルが真っ二つになり、驚いた子供が泣き始めた。

 突然のことに凍りつく両親のうち、母親を車体の影に引きずり込み、ニコラスは父親に「伏せろ伏せろ!」と叫んだ。


 ハウンドが子供を抱え込む中、何が起こったのか分からないといった父親は、困惑した顔でニコラスを向いた。


「なあ君、これ撮影か何かか?」

「俺が俳優に見えるのか!?」


 そう怒鳴ると両親はようやく事態を理解したらしく、真っ青な顔で震え始めた。


 ハウンドが子供を母親に預け、車体の影から向かい通りを覗こうとする。


「っ、ニコ」

「駄目だ」


 ニコラスは必死にハウンドを抱え込んだ。不覚にも震えが止まらなかった。


 この撃ち方を自分はよく知っている。


 訓練された人間を仕留める手法だ。


 一発目で敵の退路を誘導し、二発目で確実に仕留める。

 そうして警戒した敵部隊の足止めをする。


 一発目の狙撃に即座に反応でき、すぐに退避行動をとることができる熟練兵を射殺する戦法。


 ――『お前の眼であれば、こちらの方がやりやすかろう』――


 そう笑った老兵の、全く笑っていない無機質な目を思い出し、ニコラスは覆いかぶさるように全身でハウンドを抱え込んだ。


「絶対に出ちゃ駄目だ」




 ***




 ちゃんと覚えていたか、ウェッブ。


 教え子の反応の良さに、バートンはうっそり微笑んだ。


 手早くバイポットを折りたたみ、撤収の準備にかかる。

 もっとも当初から一撃離脱で想定していたので、数秒とかからないのだが。


 携帯が鳴った。


 すかさずバートンが出るが、相手は無言のまま一切言葉を発しない。


「抗議なら受け付けんぞ。君らが彼女を獲物とするように、あれは私の獲物だ」


 無言電話の主は、何も発することなく通話を切った。


 それに嘆息し、バートンは看板下から垣間見える通りで、二人が路地に逃げ込むのを見た。


――惜しいな。


 ウェッブも、彼女も。


 バートンは力なく首を振り、その場を後にした。

次の投稿は4月24日です。

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