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代行屋『ブラックドッグ』~偽善者は一人だけの英雄になりたい~  作者: 志摩ジュンヤ
第6節 我、彼を撃つべし。彼が我を撃つ前に
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6-6

「さぁーて。ようやくお目当ての話といきますかー」


 またも口火を切ったセルゲイに対し、カルロはお替りのドリンクを人数分頼んだ。

 話の途中、店員が来るのを防ぐためだ。


 ニコラスはというと、店の外を気にしていた。


 ジャックには、30分だけ席を外してもらった。絶対にごねるだろうと覚悟したが、意外にもあっさり従った彼を気にかけていたのだ。


 親友が危険な目に合っていること、その親友が巻き込むまいと自分を突き放した事実が、ジャックに態度を改めさせたのだろうか。

 いずれにせよ、あの様子ならいつもの野次馬根性でトラブルに首を突っ込むこともあるまい。


 昼から夜の様相に変わりつつある鉛雲を眺めていたニコラスは、カルロの声に我に返った。


「ところで、さっきお前らが言ってた『雄鹿(スタグ)』ってのは何だ?」

「あーそれそれ。俺ちゃんもそれ聞きたい。色々調べたけど結局何もでてこねーし。そもそもその『雄鹿』が何だっての? ちょー重要機密事項とか?」


 おちょくるように問うたセルゲイは、真顔のまま黙るこちらを見るなり、表情を無にした。


「……マジ?」

「俺の調べた限りでは、な」

「『手帳』に関することか」


 カルロの問いにニコラスは頷く。

 そしてこれまでの調査で判明したことを軽く説明した。


 話を聞き終えたカルロは口元を手で覆い、セルゲイは真顔で腕を組んだ。


「……確かな話なのか?」

「つかその絵本っての実在すんの?」


 ニコラスは懐から例の絵本を取り出した。

 この絵本が手掛かりと確信してから、肌身離さず持っている。


 最後のページを開き、


「ライターあるか」


 カルロから放られたジッポライターで最後のページを炙る。そこに浮かび上がってきた文字に、二人は目を見開いた。


「うっわガチじゃん」

「塩化コバルト水溶液を使ってるな。内容のわりに随分と単純な仕掛けだ」

「恐らくだが、ハウンドが読むことを前提に書かれてあるんだと思う。子供じゃ小難しい暗号は解けないからな」


 なるほどね、と二人は嘆息した。


「しっかしまあ、ヘルハウンドが『手帳』の重要人物なのは察してたけどさー……」

「まさか合衆国安全保障局(USSA)が直接関与してるとはな」

「しかもそこの現役長官が黒幕かよ」


 深く長く嘆息した二人だが、立ち直るのも早かった。


「で、この絵本描いたの誰?」

「この五人だ」


 セルゲイの問いに、ニコラスはミチピシ一家当主のオーハンゼーから、伝書鳩ならぬ伝書鷲で受け取った一枚の写真を見せた。


 防水対策にジップロックに入れ、その上からそれぞれ五人の名を書いてある。


「この名前の下のは何だ、犬種か?」

「恐らくだがこの五人の呼称(コードネーム)だと思う。絵本にも出てくる。犬の胴体みてくれ」


 カルロの問いに、ニコラスは犬たちをライターで炙った。

 そこから浮かび上がった5人の名前に、二人は納得したように頷いた。


 セルゲイは写真を手に取り。


「おい。お前()やれ。俺ちゃん()()からいく」

「ん」


 それだけで役割を察した二人は、それぞれノートパソコンとタブレットを取り出して調べ始めた。


 互いの一家が誇る情報網を駆使して搔き集めたデータだ。間違いなく違法なモノも多い。

 だがしかし、今回ばかりは目をつぶる。ともかく情報が欲しい。


 カルロがタブレット搭載カメラで写真をスキャンしていると、セルゲイがキーボードに指を走らせながら尋ねた。


「番犬ちゃん、この五人の追加情報とかねーの?」


 ニコラスはしばし考えた。一人だけ心当たりがある。


「ネズパース族の関係者を当たってみてくれないか? 合衆国先住民(ネイティブアメリカン)で、アイダホ州を中心に居住してる民族だ。たぶん『ラルフ』と関係があると思う」

「この『ハスキー』男ちゃん?」


 セルゲイが絵本のシベリアンハスキーと写真の銀髪の青年を指差した。

 ニコラスは「そうだ」と頷き、しばし二人にどこまで話すべきか迷った。


 しかし出し惜しみしている場合ではないと判断し、正直に話すことにした。


「以前、ハウンドに聞いたことがあるんだ。『お前、むかし俺に似た奴にあったことあんのか』って」


 向かいのカルロの指がピクリと動いた。

 元相棒だったカルロは身に覚えがあるはずだ。自分ではない誰かの面影を探すように自分を見ていた、ハウンドの眼差しを。


「んであいつはこう答えた。表面的には正反対だが、本質は似てる奴が一人いたと。

 んでそいつの特徴が、おしゃべりで喧しくて馬鹿力でやたら態度と図体がデカい。体力はモンスター並みで基本雑。社交的でフレンドリーといえば聞こえはいいが、コミュ力お化けで底抜けの楽観主義者、だったそうだ。

 これに一番該当する犬種はハスキーだ。……この男がそういう性格だったかどうかは知らんが。ハウンドが言うには、俺はコイツに似てるんだと」


 そう返すと、セルゲイとカルロは頭を寄せ合って。


「どっちかっつーとドーベルマンか? しょっちゅう吼えるし噛むし」

「海兵隊なんだからブルドッグだろ。チビで頭が固い」


 聞こえてるぞてめえら。ひそひそ話し合うマフィア二人をニコラスは睨む。


 というか、俺が犬ならてめえらは猫だろ。

 塀の上から飼い犬をおちょくる性悪猫だ。絶対そうだ。


 ニコラスは、「ともかく」と咳払いした。


「この五人のうち、特にハウンドの思い入れが深いのは『ラルフ』だ。……話を聞く限りじゃな。だからまずは『ラルフ』を調べてくれ。俺もネットとかSNSで調べてみたんだが……範囲が広すぎたせいか、まったく出てこなくてな」

「だろうな」

「まあ腐っても総人口3億人以上の超大国ですからねー。まあ出てくるかどうか知んねーけど一応やるだけやって………………あん?」


 セルゲイは動きを止め、画面を注視した。「どうした」と問うもセルゲイは何も答えない。


 指を黙々と動かすばかりで、その顔がどんどん険しくなっていく。


「……番犬ちゃん、ロシア語いける?」

「翻訳があれば」

「んじゃ自動翻訳かけてやっからさ。んでさっきお前、五人に関する情報、全然出てこなかったっつったよな?」

「ああ。五人に関する情報は出てこなかった。それが?」

「出てきた」

「は?」

「『ラルフ』に関する情報。ビビるぐらいあっさり出てきた」


 そう言って、セルゲイはパソコンをこちらに反転させた。

 ニコラスはすぐさま翻訳文に目を通した。


 それは、生粋の白人でありながら先住民の居留地で、先住民の思想と価値観を受け継いで育った、一人の青年に焦点をあてた特集記事だった。


 紙面の記事をスキャンしたのか、画質がやや粗く文字が読みづらい。

 なので掲示板ユーザーが投稿欄に記事内容を書き出していた。



 本名は『ラルフ・コールマン』。

 出生地は不明だが、戸籍上の出身地はアイダホ州のラプワイ居留地。

 捨て子だったため両親の所在は不明、ネズパース族の女性の養子として、クリアウォーター郡ピアース近郊の私有林で育つ。執筆当時は19歳。


 16歳の時にコールマンの姓を名乗り、17歳でジョージア州フォート・べニングの陸軍歩兵学校へ入学。その後レンジャー学校に挑戦し、無事レンジャー肩章を獲得。

 現在は、第75レンジャー連隊に所属しつつ、休暇の間は故郷に戻り、かつて先住民が暮らした森で狼の保護活動に励んでいる――。


 ニコラスは手元の写真と、画面の中で二頭の狼に挟まれ悪戯小僧のような笑みを浮かべる大柄な青年の写真とを見比べた。

 だいぶ間が空いてはいるが、間違いない。同一人物だ。


「……これ、かなりヤバくね?」


 セルゲイの言わんとすることに、ニコラスは押し黙ることで応じた。

 言わんとすることは分かる。


 なぜアフガニスタン人の少女兵だったハウンドが、アメリカ陸軍の兵士と繋がりがあるのか。


 ――いや。そもそもハウンドは、本当にアフガニスタンの少女兵だったのだろうか?


 静観していたカルロが重々しく口を開く。


「………これまでの情報を踏まえると、ヘルがUSSAの現地工作員だった、というのが一番妥当だが」

「いやいやいや。あいつ今18だぜ? あいつが特区に来たのが3年前で、その直前まで工作員やってたとして、それでも14よ? いくら何でも無茶ぶりがすぎんだろ」

「……………………俺が初めて会った時は12だった」


 セルゲイがぎょっとした顔でこちらを凝視した。カルロはやはりといった顔で目を細める。


 ニコラスは、かつての彼女の姿を思い浮かべながら、ぽつり、ぽつりと語った。


「俺は過去に二回ハウンドと会ってる。最初は6年前のあのティクリート撤退戦の時だ。次に会ったのはその1年後だ。同じイラクのバスラで会った。……処置をした跡はあったが、爪が全部剥がれされて全身包帯まみれの死に体だった。元USSAの工作員と言われても、俺は驚かない」


 店内の空気が急速に停滞した気がした。

 生温い泥の中に全身を突っ込んだような空気は気分が悪かった。


「……クソ重い空気のところ大変申し訳ないんですがね? 追加情報いいすか。てかこっちの方が大問題かも」


 ニコラスが「どうぞ」と促すと、セルゲイは髪が引き抜けそうな勢いで髪を掻き混ぜながら答えた。


「このハスキー男『ラルフ』くんの記事ですけどね、元はアメリカ週刊誌の記事だったらしいんだが、5()()()に削除されてる」

「は? なんで」

「俺ちゃんが知るわけないでしょ。ともかく、出版社が自主回収してまでの削除だ。こいつが俺ちゃん愛用の超ローカル・ロシア人専用どマイナー掲示板で翻訳されてなかったら、完全にこの世から消えてたね、これ」

「ならどうしてここのは残ってたんだ?」

「誰かがここに垂れ込んだんだろーよ。でなきゃこんなディープなネタ、拾ってこれねえよ。こっちが気付く前に削除されてる。この掲示板はハッカー御用達のでよ。FBIに目つけられた奴とかインターポール相手に火遊びした奴とかがごろごろいんのさ。だからこそ、この手の情報への保護はかなーり手厚いのよ」

「グリーンベレー配属になったとかじゃないのか。あの手の特殊部隊は隊員情報を秘匿するもんだろ」


 カルロの返答をセルゲイは真っ向から否定した。


「こいつが削除されたの()()()5()()()だぜ? こいつが発行されたのが97年、つまり発行されたのは16年前だ。週刊誌なんて毎週刊行されんだから、直後ならまだしも、数年経ってから自主回収なんてまずしねえ。しかもこいつの場合、発行から11年も経ってから削除されてやがる。10年以上前の週刊誌取り扱ってる店がどんだけあると思うよ? 普通そこまでするか?」


 それに対し、カルロが何やら反論するが、ニコラスはまったく頭に入っていなかった。


 記事が削除されたのは5年前。――あのボロボロのハウンドと再会したのも、5年前だ。


 これは、偶然か?


 その時、カルロのタブレットが三度短いバイブレーションを鳴らした。すぐさま画面に目を落としたカルロは、眉間に深いしわを刻んだ。


「先ほど調査班に送ったデータの詳細が戻ってきた」


 そう言って、カルロは残り四人の情報を表示した端末画面をこちらに向けた。



 『ゴールデンレトリバー』の『ロム』――本名、ロメオ・ファンキーニ。

 1991年生まれ。出身はカリフォルニア州サンフランシスコ。両親はおらず、養父はカトリック系私立児童養護施設の所長だったサヴィーノ宣教師。双子でレームの兄。


 『ラブラドール』の『レム』――本名、レーム・ファンキーニ。

 生年月日・出身地・家族はロメオと同様。双子でロメオの弟。


 『ボクサー』の『ベル』――本名、ベルナルド・バンデラス。

 1985年生まれ。出身はアリゾナ州テューバ・シティ。医療従事者の妻をもつ。


 『コリー』の『トゥーレ』――本名、トゥールヴァルド・セーデン。

 1984生まれ。出身はカルフォルニア州アーバイン。娘が二人とミステリー作家の妻を持つ。


「『ラルフ』にならって陸軍に絞って検索したら一発で出てきた。入隊した年代は違うが、全員が陸軍所属だ」

「……年齢的にイラク・アフガン戦争に関わっててもおかしくない世代だな」

「ああ。そして四人とも、5年前の2008年を境にぱったり情報が途切れてる。ついでに言うと、『ロム』と『レム』の養父であるサヴィーノ宣教師はつい一ヶ月前に交通事故で死んでる。偶然にしちゃ少し出来過ぎだな」


 重苦しいカルロの返答に続いて、「それだけじゃねえよ」とセルゲイが追加情報を投下した。


「さっきのハスキー男の件だけどよ、そいつの出身調べてたら、妙な事件が釣れた。オカルト系のネタだけど」

「妙な事件?」

「山火事だ。このハスキー男のラルフくんと養母は、居留地じゃなくて近くの国有林近辺の山小屋に暮らしてたっぽくてよ。んで、そいつが燃えちまったんだと。しかも、こいつも5年前だ」

「……原因は。放火か?」

「近隣住民の目撃情報によると、隕石って説が一番有力だそうだ」

「隕石?」

「この記事によるとな。当時吹雪だったせいで、証拠になりそうな明確な目撃情報はねえが、轟音と飛び散った家屋の破片から、隕石に違いねえってオカルト民が騒いでやがる」

「ミサイルじゃないのか」

「そこまでは分かんねーよ。ただこの記事書いた奴曰く、山小屋があった辺り一帯が、警察ではない謎の一団によって封鎖されたんだと。それが隕石だって証拠なんだそうだ。確かに臭えっちゃ臭えわな。写真は……ああ、やっぱ削除されてんな。復元してみっか」

「できるのか」

「まぁーねー。この記事書かれたの3か月前だし。この手のブログ系記事は画像とかのデータは一定期間保存されんのよ。管理者権限あれば楽勝、楽勝」

「……その管理者権限はどうやってとるんだ」

「企業秘密ー♡」


 そう言って鼻歌まじりにキーボードを操作したセルゲイを、ニコラスは何とも言えない気持ちで眺めた。

 こいつ、普段はアレだが敵に回すと一番厄介なのではなかろうか。


 その横をちらと見れば、カルロが欠伸を噛み殺しながら傍観している。恐ろしいことにこれが平常運転らしい。


 そんなことを考えている間に、セルゲイはものの数分で画像を復元してしまった。


「おー出た出た。望遠カメラで撮影してんな。オタクの行動力こえー」


 カルロと共に画像を覗き込む。


「画像荒いな」

「俺ちゃんに言わないでくださいー、オタク民に言ってくださいー」

「これ補正できるか?」


 ニコラスの注文に、セルゲイは「へいへい、ちょい待ち」とキーボードとマウスを操作した。


 画像編集アプリを開き、一回、二回と補正をかけて画像を鮮明にしていく。三回目の補正をかけた時だった。


「……っ、こいつ……!」


 瞬時にセルゲイとカルロが鋭利な視線を飛ばすが、ニコラスはそれどころではない。

 そこには、見覚えのある男が映っていた。


 柔らかな茶髪に、健康的な赤みを帯びた白い肌。好青年という言葉が似合う凛々しい横顔だが、左目下に、ぽつ、とある泣き黒子がどこか得体のしれないミステリアスな雰囲気を醸し出している。


 嘘だろ。ニコラスは呻いた。


 そこには、かつてFBIを騙って27番地に侵入し、自分が捕らえ逃がしたUSSA局員の男が映っていた。




 ***




「…………オレ、ほんと何やってんだろ」


 ぽつりと呟いた言葉は、すぐさま雑踏に掻き消されて誰の耳にも届かなかった。

 ジャックは泣きそうになった。


 結局、何の役にも立てなかった。


 ウィルが送ってきた画像の謎は解けた。だが鍵はウィルが持っていて、その上ジャックはウィルとの連絡をかたく禁じられている。


『こちらの素性はすでに敵に割れていると思え。真っ先に殺されるのはウィルだぞ』


 ハウンドの言葉を思い出し、ジャックは身震いした。

 そうだ。一番危ないのはウィルだ。だから早く何とかしなければならないのに。


 何もできない。何もできてない。


 店を出たのはそういう理由だ。


 それでいい。どうせ自分がいたって何も変わらない。

 あの三人にしても、門前払いができてせいぜいしているだろう。


 いつだってそうだ。


 自分はウィルのような天才でもなければ、選ばれた人間でもない。

 ちょっと他人より機械がいじれるだけの普通の子供で、人見知りで臆病で、そのくせ人気者になりたい見栄っ張りで我儘なだけのクソガキだ。


 だから誰も見向きもしない。誰も自分を助けない。


 ――これもあれも何もかも、あの女のせいだ。


 ジャックは自分からネットを取り上げた代行屋のヘルハウンドを恨んだ。

 逆恨み上等だ。あの女は自分の唯一の居場所を、勝手に取り上げ抹消してしまった。


 あれほど苦労して築いたYouTubeとSNSアカウントはすべて削除された。

 あんなに必死でつくった居場所だったのに。


 ネットの中では、どんな相手にも堂々と物が言える不遜な毒舌キャラの『ジャック・オー・ランタン』でいられた。

 ネットにいれば、現実の駄目で役立たずな自分を見ずに済んだ。


 なのに今はそれができない。現実の自分から目を逸らすことすらできない。


 自分にはもう、ネットにすら居場所がない。


「なんだよ。どいつもこいつも……オレがなにしたってんだよっ……」


 悪いことをし自覚はある。

 匿名なのをいいことに、過激な悪口をネットで騒ぎ立てた。父親の会社のラジコンで爆弾を何発も作って人を傷つけた。


 だがそれだけだ。

 たまたま自分は発覚しただけで、隠れてやっている奴はいくらでもいる。


 そもそも実際、ヘルハウンドは悪人じゃないか。27番地の住民にとっては良い人なのかもしれないが、実際に悪いことだってしている。


 悪い奴を悪いと言って、何が悪いのか。

 自分は正しいはずだ。


 なぜ自分だけが責められなければならないのか。

 自分は腕をへし折られ、溺れ死にかけた。それで充分じゃないか。


 なのに。なのに、どうして皆、父親と同じ目で自分を見るのか。


 どうして許してくれないのか。


――人を殺したわけじゃない。ミチピシ一家だって、オレを責めなかったじゃないか。


 ジャックは、あの日へし折られた右腕をぎゅうっと握りしめる。


 ミチピシ一家は、自分に何も言わなかった。何もしなかった。

 ただ黙って自分を治療し、病室に隔離しただけだ。


 唯一、自分が傷つけたミチピシ一家改革派の補佐官が醜くただれ引き裂かれた傷跡を自分に見せつけたぐらいで、誰も自分を咎めなかった。


 誰も、誰も。

 ただ黙って自分を見るだけで。話しかけても無視されるだけで。


「なんだよ……」


 自分はもう十分報いを受けたはずだ。


 なのにどうして、誰も()()を見てくれないのか。

 ミチピシ一家も、27番地の子供たちも、ハウンドも、ウィルも。


 これでは、自分を傷つけたニコラス以外、自分の存在を認めていないということじゃないか。


 悪いことをしたら叱られる。それがいつものジャックの世界の常だった。


 では悪いことをしても叱られない場合は、どうすればいいのだろうか。


「パパぁ、これ買って!」

「おいおい。もうすぐサンタさんがプレゼント持ってくるんだぞ?」


 はっと我に返ったジャックは、自分が表通りに出てしまったことに気付いた。

 そしてすぐ出るんじゃなかったと後悔した。


 通りは家族連れや夫婦カップルで大賑わいだった。

 皆が皆、寒空の下で身を寄せ合い、笑顔で談笑しながら通り過ぎていく。


 誰も彼も、路地の入口に立つ自分には目もくれない。存在に気付いていないのではなく、端から存在しないと信じ切っているようだった。


 ジャックは思わず大声をあげたくなった。

 自分はちゃんとここに居ると、誰かに知って欲しかった。


 しかしその言葉は、一人の少年の言葉で引っ込んだ。


「だってボク、おっきくなったらパパみたいな消防士になるんだもん!」


 頬を紅潮させて宣言する少年を、父親らしき男性が大笑いしながら抱き上げた。その様を母親らしき女性が、微笑みながら寄り添うように歩いていく。


 ジャックは上げかけた拳を、だらりと降ろした。


 自分もああして憧れた時があった。


 あの時はまだ『父親』ではなく『父さん』だった。


 きっかけは、父親の真似事をしてラジコンを何となく分解していたら、父親が嬉しそうに解説してくれたのが始まりだった。


 嬉しかった。

 いつも仕事で忙しい父親が、自分と向き合ってくれた時間が好きだった。


 だから頑張って仕組みを覚えた。一からパーツを組み合わせて小型ドローンを作ってみせた時は、父は「天才だ」と大喜びしてくれた。

 母は「将来はパパと同じ開発者かしら」なんて言って笑った。


 以来、自分の夢は、父と同じ開発者になることになった。


 それが全て壊れたのは、母と妹が死んでからだ。


 5年前のクリスマス前だった。

 その頃、自分はもうすぐ生まれてくる妹のために、新しいラジコンを作ってやろうと躍起になっていた。


 だからニューヨークで最新ロボットの展示会があると知った時、すぐさま父に連れて行ってほしいとごねた。

 父は渋った。母が入院を控えていたからだ。


 しかし母は、


「連れて行ってあげて」


 と言ってくれた。


 思えば、母は妹に、父は仕事にかかりっきりで、一人ぼっちで部屋に籠ってラジコン開発ばかりやっている自分を心配していたのだろう。


 だから自分と父は、母を病院へ連れて行った後、二人で飛行機に乗ってニューヨークへ向かった。

 日帰りなら大丈夫だろうと父は思っていた。


 その晩、母は死んだ。

 腹の中の妹のためと病院の敷地内を散歩している時に、胎盤が剥がれて大量出血を起こしたのだ。


 発見が遅れたのはたった数分、しかしその数分が母の命を奪った。

 妹も助からなかった。


 以来、父はこれまで以上に仕事に没頭するようになった。


 自分も部屋に籠った。ラジコンをいじっている時が、一番心が安らいだ。


 やがて、父はラジコンいじりばかりでちっとも勉強しない自分に怒るようになった。


 酷く困惑した。

 これまでラジコンいじりで褒めてくれたのに、どうしてそんなに怒るのか。


 きっと、自分の作ったラジコンの出来が悪いのだ。そうに違いない。


 だから一生懸命ラジコンを作った。あのデンロン社で仕掛けた、空陸両用の遠隔操作型ドローンだ。これまでで最高傑作の出来だった。


 それを父に見せると、父は床に叩きつけて破壊してしまった。

 そしてこう吐き捨てた。


「お前がこんなものを作っているから母さんたちは死んだんだ!」


 その瞬間、今まで必死に支えていた何かがぽっきり折れてしまった。


 夢だった。父のような、立派な開発者になるが夢だった。


 だがそれは、まやかしでしかなかった。

 父はただ、息子が自分に憧れてくれたのが嬉しかっただけで、自分の夢を応援してくれていた訳ではなかった。


 こうして子供は夢を諦めて現実を目の当たりにし、大人になるのだろうと何となく思った。


 何もかもがどうでもよくなった。

 あれほど楽しかった、父が褒めてくれたラジコンたちが、全部ガラクタにしか見えなくなった。


 すべて壊してやろうと思った。


 あの男が自分に命令するたび、虫唾が走った。

 だから家を飛び出した。父のカードと家に隠していた現金、母がくれた工具箱をナップザックに詰めこんで家を出た。


 その結果がこれだ。


 父を否定して、周囲になりふり構わず当たり散らして、腕をへし折られて死にかけて。


 ――何も、得られなかった。


 残ったのは、前よりさらに駄目になった自分だけ。


「………………帰ろ」


 そう呟いて、ジャックは泣きそうになった。


 帰るといっても、どこへ帰るというのか。

 誰も自分を見てくれない街の、どこに自分の居場所があるのだろう。


 でも他に行く当てもなくて、仕方なく踵を返した、その時。


 肩を掴まれた。


「え」


 ジャックは凍り付いた。


 ニコラスの手ではない。ハウンドの手でもない。

 そもそも二人は、こんなに影が大きくない。


「迷子のようだな。送ってやろうか、小僧」


 あの『黒い男』が立っていた。ウィルをホテルの一室に閉じ込めていた、あの。


 とっさにジャックは、ポケットの中の小型ドローンのスイッチを入れて、男に投げつけた。


 フラッシュをたきながら自立飛行するだけの玩具だ。

 効くとは思ってない。それでも、やらずにはいられなかった。


 男は投げつけられたドローンが飛び立つより早く素手で捕えてしまった。

 しかし興味が湧いたのか、しげしげと手元を眺めている。


 その隙にジャックは表通りに飛び出した。


 なるべく人の多い場所を選びながら、必死に走った。

 いつの間にか知らない道へ出てしまったが、足は止められなかった。

次の投稿は4月19日です。

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