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代行屋『ブラックドッグ』~偽善者は一人だけの英雄になりたい~  作者: 志摩ジュンヤ
第6節 我、彼を撃つべし。彼が我を撃つ前に
74/194

6-3

「こないだも話したけど。ウィルとはオンラインゲームで知り合った仲でさ」


 ケータと合流を果たしたニコラスは、鏡越しに後部座席のジャックを見つめる。

 ジャックは両膝に手を置き、俯きがちに話した。


「オレの趣味がラジコン改造で、ウィルの趣味がプログラミングだったんだ。だからすぐ意気投合してさ。オレが特区に来る前は、よく一緒に新型のドローンとかつくってたんだ」

「じゃあ、そのウィルってのがハッカーだって、なんで分かった?」

「『ライシス・サーガ』やる前にやってたゲームで、ものすごい不具合(バグ)が出たことあったんだ。いつまでたっても解消されなくて困ってたら、ウィルがソフトいじって直してくれてさ。こう、文字とか数字がばーって並んでるやつ。ソースコードっていうらしいんだけど、あれをちょいちょいっていじっててさ。んで詳しく聞いてみたら……」

「ハッキングをやっていたと」

「うん。……けどウィルは犯罪者なんかじゃないよ。ちゃんと大学もいってるし」

「大学?」

「ジャック、そのウィルって子、何歳?」


 ニコラスに続いて、ハウンドが変装用ウィッグを取りながら尋ねると、ジャックは我がことのように胸を反らした。


「オレの一個下。12歳でスコットランドのセント・アンドリューズ大学に入ったんだよ、すごいでしょ」


 ニコラスはハウンドを見た。


 嘘を言っているようには思えない。それに今どき、飛び級というのも珍しくはない。


 ニコラスはさらに尋ねた。


「んで、その天才児がなんだってアメリカにいるんだ?」

「eスポーツに出場するためだよ」

「eスポーツ?」

「ゲームの大会みたいなもん。もうゲームはスポーツと同じ競技の一種なんだぜ? 賞金だって出るんだ。中でもウィルは最年少のゲーマーでさ、北欧代表のソロプレイヤーとして参加するんだ」


 鼻高々に語るジャックに「へえ」とだけ返す。

 我ながら気のない返答極まりないが、実際に興味がないのでしょうがない。


 現実世界で散々命のやり取りをしてきたニコラスにとっては、わざわざ仮想世界にまで行って娯楽として戦いに興じるその思考回路が分からない。

 そんな暇があるなら寝たい。


 親友フレッドや同部隊の連中は「現実じゃないからいいんだよ」とか言っていたが。


「んで、今回の種目には特別に『ライシス・サーガ』も組み込まれることになってるんだ。本当はあーいうRPGアクションはないんだけど、今回は20周年記念ってことで、大会専用の特別クエストが配信されるんだ。ウィルたちがやるのはそれ。オレら外野のプレイヤーはクエストには参加できないけど、ゲーム内のアバターで観戦できるんだぜ」

「はあ」

「どうも実在する子っぽいね~」


 背後から突き出されたハウンドのスマートフォンを見れば、エストニア語と思しきネット記事が映っており、そこには一人の少年の顔写真が載っていた。


 インドレク・ヴィルタネン。


 エストニア屈指の天才児と称され、9歳の時に、市販のセキュリティソフトを一から再現してみせたという。


 記事は、そのヴィルタネンがスコットランドのセント・アンドリューズ大学に飛び級合格した旨が記されていた。


 藁色の金髪で肌は白というより青白い。

 眼鏡越しに見える気弱そうなライトグレーの瞳も相まって、薄命な印象を受ける少年だ。


「だからさっきから本当だって言ってるじゃん」


 唇を尖らせて抗議するジャックに、ハウンドは素っ気ない。


「どんな情報にも虚偽は混じる。どんな情報も必ず誰かを媒介して伝達されるからな。ネットに関しても同様だ。この情報過多の現代で、百パーセント正しい情報があるなんて信じてると痛い目みるぞ。まずは疑ってかかるのが常識だ」


 いつになく真剣な声音のハウンドに、ジャックは黙りこくった。


「けど……ウィルは嘘いったりしないよ。あいつ、良い子だから」


 また『いい子』か。


 ニコラスは訝しんだ。


 ジャックはウィルのこととなると、やけにむきになる。日頃は腹立たしいほど厚顔で生意気なくせに、親友が絡むと途端にしおらしくなる。

 自分の非はちっとも認めないくせに。


 庇っているのだろうか。それとも友人を馬鹿にされて怒っているのか。


 いずれにせよ、これは会ってみる必要がある。


「んで、行き先が()()か」

「うん。昨日メールで確認したら、ここだって。この通りの先にあるホテルが北欧チームの宿泊場。複数(マルチ)プレイの選手も一緒に泊まってるって」


 ニコラスは車窓外に流れる邸宅を眺めた。


 学園都市、イーストランシング。


 州都ランシングから東へ6キロ離れたこの都市は、ミシガン州立大学をはじめ、数多くの教育機関と博物館、美術館を擁している。

 人口は4万6千人ほど。うち8割は白人で、7割以上を30歳未満の若者が占める。


 ニコラスは街の至る所に生える植物に着目した。


 枝だけになった街路樹の隙間から見える邸宅は、茶色く変色した芝生に囲まれて実に寒々しい。しかし、よくよく見ると歩道の芝生の合間に土が見える。市が設置した公共花壇だ。


 幹や枝を見る限り、街路樹の種類も豊富だし、居並ぶ邸宅はどれも大きく、柵に至るまで手入れが行き届いている。

 荒れているものがあるとすれば、積雪で傷んでひび割れたアスファルトぐらいなものだろう。


 吐瀉物と使用済み注射器が浮かぶ水たまりを跨ぎ、弾痕と風雨でひび割れたゲットーのビル街を見上げて育ったニコラスにしてみれば、居心地が悪いぐらい平穏安泰な街だ。


「ひとまず、お前の親友とやらに会ってみるか。話はそれからだ」

「……! うんっ」


 ジャックは目を輝かせて嬉しそうに頷いた。初めてみせる少年の年相応の姿に、ニコラスは複雑な気持ちになった。




 ***




 ウィルが仕事場にしているというホテルに到着するなり、ニコラスは警戒レベルを跳ね上げた。


「……ジャック、お前の親友は両親ときてるのか」

「いいや? 一人のはずだよ。それよりもすごいでしょ、このホテル。さっすが五つ星、ロビーからして超クール」


 五つ星に恥じぬ、洗練されたアーティスティックな内装と調度品に、ジャックは大はしゃぎだった。

 一方のニコラスは、屋内の数か所に突っ立っている、明らかにホテル従業員ではないスーツ姿の男たちに気付いた。


 競技出場のためとはいえ、一人息子を他国へやろうというのだ。護衛の一人二人はつけたっておかしくない。

 だが、この数は異常だ。一階のロビーだけで五、六人はいる。


「これはケータを置いてきて正解だったね~。連れてきてたら確実につまみ出されてるよ」


 バーバリーのスーツ姿に戻ったハウンドに、ニコラスは頷く。


 ケータは今、ホテル近くのコンビニエンスストアで待機してもらっている。悪目立ちを避けるため、と彼には説明したが、ニコラスの思惑は別にあった。


 挙動が不審すぎるのだ。


――署に戻る素振りもねえし……なにを考えてやがる?


 ワーカーホリック気味のケータは日頃、無線と携帯電話を手放さない。

 万年、人手不足かつ人材不足の特警にとって、ケータのような不正を行わないまともな警官は貴重で、しょっちゅう応援に駆り出されるからだ。


 だが奇妙なことに、今日の無線は沈黙している。

 いつもはコールセンター張りにひっきりなしに無線が入ってくるのに、今日はうんともすんとも言わないのだ。携帯も同様だ。


 まるで、ケータ一人をフリーにして、単独捜査にあたらせているようだ。


 そもそも定時連絡すらしないというのが妙だ。

 確実に何かある。


 それでニコラスは、ハウンドにケータを置いていくよう進言したのだ。


「で、どうする? ジャックの話じゃ最上階にいるって話だが」

「間違いなくフロアごと警護されてるね~。はてさて、すんなり会わせてくれるものか……」


 ハウンドが顎に手を当てて思案していると、一通りはしゃいだジャックが戻ってきた。


「ちょっと二人とも何やってんの。早くウィルの部屋いこうよ」

「あのな、こっちにも段取りってもんがあるんだよ。てかお前、ここに来たことあんのか?」

「全然? あ、エレベーターは2階から使うからね。そこの階段、上がってこ。見てよ、この壁! これぜんぶ現代アートだぜ、すっげー格好いい」


 壁一面に敷き詰められた額縁に釘付けのジャックに、ニコラスは苦虫を噛み潰す。


 状況がまるで分っていない。

 下手をすれば、親友がデンロン社へのサイバー攻撃に関わっているかもしれないというのに。この様子だとロビーにいた護衛にも気付いていまい。


 一人勝手に階段を上っていくジャックを見送って、ハウンドは、うんと一つ頷いた。


「よし、このまま行こう」

「大丈夫か?」

「大丈夫、大丈夫。平和的にって言われたらどうしようかと思ってたけど、すでにきな臭いなら話は別だ」


 私流儀でいくさ。


 そう不敵に笑った少女を横目に、ニコラスは後悔した。

 もっと拳銃の弾を持ってくればよかった。


 ウィルの仕事場である最上階、プレジデンシャル・スイートの扉前には、案の定、護衛が二人立っていた。


 護衛が着るジャケットの前ボタンは外され、その両脇は傍目に見て明らかに不自然な膨らみがある。


「……eスポーツってのは随分物騒な競技らしいな」

「銃持った護衛つけなきゃいけないって相当だと思うけどね~」


 ニコラスはエレベーターホールに隠れ、ハウンドと共に廊下を確認する。

 視認した限り、護衛は扉前の二人だけのようだ。


 ニコラスは振り返り、ハウンドに指示を仰ごうとした。

 しかし、ジャックはニコラスの手信号の制止を無視し、勝手に廊下に出ていってしまった。


 ニコラスは舌打ちを堪えた。

「どうする気だ?」とハウンドに目で問えば、彼女は肩をすくめた。


「馬鹿にいちばん効く薬は経験だよ。ま、お手並み拝見ということで」


 護衛が即座にジャックの前に立ちふさがる。二人ともさほど背は高くはないが、首が太く頭を前に突き出している。

 膨張した筋肉で、自然と猫背になっているのだ。


 一方、ジャックはさほど慌てず、両手を掲げた。


「ハーイ。ウィルに会いに来たんだけど、今いる?」

「誰だお前は」

「ウィルの親友さ。『ライシス・サーガ』の『ジャック・オー・ランタン』っていえば分かるよ。今、中いる? 30分でいいから話していい?」


 ジャックが言い切る前に、護衛はああと声をあげた。口元を侮蔑に歪めて。


「お前もその手の信者か。生憎と、お前みたいなのは()()間に合ってんだよ」

「知ってるよ。だからそんなに時間は――ってちょっ! 痛い痛い! ちょっとっ。右手はやめてってば、骨折治ったばっかなんだよ!」


 右腕を捻じり上げられたジャックがもがくが、護衛の返答は冷ややかだ。


「どうやって居場所を突き止めたのかは知らんが。誰も通すなとのご命令だ。とっとと出ていけ」

「お、オレはウィルの親友だぞ!」

「へえ。こっちにそんな話はきてねえなぁ。お前、本当に親友か? お前の勘違いじゃなくて?」

「こっちはお前みたいな馬鹿の突撃訪問は慣れてんだよ。消えろ」

「ちょっ、まっ……!」


 なすすべもなく引きずられ、蒼褪めたジャックがこちらを振り返る。


 ニコラスは溜息をついた。言わんこっちゃない。


 と、そこでようやくハウンドが歩き出した。薄ら笑みで堂々と近づくハウンドに、護衛二人の嘲笑に、下卑たものが混じる。


「おいおい、今度は女かよ。今日はやたら多いな」

「よお、嬢ちゃん。アンタもこの部屋に用か? 悪いがうちの雇い主は手が離せなくてな。代わりに俺たちと別室で――」


 好色にぺらぺらと舌を回す護衛の鼻先に、ハウンドは一枚の名刺を突きつけた。


「案内人が失礼しました。お初にお目にかかります。パンテラ・ロッソ社、専務取締役のリンファ・ロッシーと申します」

「はあ? なんだそりゃ。そんな会社きいたことも――」

「では言い換えましょう。『戯曲家(ドラマトゥルーゴ)』の遣いとして参りました。よもやご存じない?」


 途端、護衛二人の顔がさあっと蒼褪めた。


 戯曲家(ドラマトゥルーゴ)――五大マフィアが一つ、ヴァレーリ一家現当主フィオリーノ・ヴァレーリの二つ名だ。


 そして先ほど出した名刺は、ヴァレーリ一家が経営する看板企業のひとつで、よくハウンドが仕事先で肩書に利用している。

 無論ちゃんと実在するし、ハウンドも書類上は社員として在籍している。一度も出社してないが。


「……はったりだ。こんなとこに五大の連中が来るわけが――」

「おや、門前払いですか。承知いたしました。ではこちらも本社に連絡を取りますので」

「ちょ、ちょっと待ってくれ」


 護衛が慌てて無線で問いかける。


 しばらくすると、スイートルームの扉が開いて、ぬっと銃口が顔を出した。

 扉の影に沈んで、顔は見えない。


「名刺は?」


 護衛が銃口の主に名刺を差し出す。


 しばし黙りこくり、やがて地を這うが如き声音が胡乱気に問うた。


「……本物である保証は?」

「そちらの電話番号にかけてみては? 一発で判断がつきますよ」

「………………五大が一体なんの用だ」

「それはあなた方に話すべきことではない。私たちが雇いたいのは、あなた方ではありません」

「我々は、競技者の護衛を一任されている。彼らの集中を妨げる真似はできない」

「それは彼自身が決めることでしょう。第一、うちが出す報酬は大会報酬の全額の倍ですが?」


 銃口の主はまたも黙った。


 しばらくして、扉の影から人影が現れた。闇が凝縮して、人の形をとったかに見えた。


 そのぐらい、得体のしれない男だった。


 褐色の肌に、刈り込んだ黒髪。やや彫りの浅い顔立ちからして東アジア系に見えなくもないが、それにしてはガタイが良すぎる。195センチはあるのではないか。


 東南アジア系、アフリカ系、メラネシア系、チュルク系……どの人種、どこの出身といわれても、納得してしまう曖昧な外見の人間だ。


 唯一頭に残る特徴といえば、頭頂から足先まで黒一色で統一された服装ぐらいなものだった。


「5分だけやる。とっとと済ませろ」


 それだけ告げ、“黒い男”は扉を開けて自分たちを招いた。


 入室して真っ先に抱いた感想は、緑の部屋。


 壁紙や家具が緑を基調としているのもあるが、それ以上に目についたのは、部屋中に設置された画面が発する緑光だ。

 長時間ゲームをプレイするうえでの眼精疲労に気遣ったのか、画面背景が緑一色なのだ。


 それでも眼の良いニコラスには、煌々たるゲーム画面との差異で逆に目に沁みる。


「すっげぇ……」


 ジャックが溜息まじりに漏らす。

 緑光に目が慣れてきたニコラスは、緑の画面以上に異様な室内の様相に唖然とした。


 10代半ばから後半にかけて、七、八名の少年が、部屋中に設置された画面を憑りつかれたかのように凝視している。

 全員ヘッドホンを着けているため、キーボードを弾く音とパソコンの空調音だけが無味乾燥に鳴り響いている。


 あまりに生気を感じない空間に、ニコラスは薄気味悪く思った。


「君がウィル君かな?」


 ハウンドの声に我に返る。見れば、部屋の最奥――軍情報部の指令室並みにモニターが乱立する寝室のさらに奥、椅子に埋もれる小柄な体躯が背もたれ越しに見えた。


 あの少年が『ウィル』。

 エストニアの幼き秀才、インドレク・ヴィルタネンか。


「ウィル、久しぶり!」


 ジャックが少年――ウィルに飛びついた。勢いが良かったのと、華奢だったせいか、ウィルは大きく傾いて、つけていたヘッドホンが外れてしまった。


 ウィルは一緒に巻き添えでずり落ちた眼鏡を、不愉快そうに指で押し上げた。


「あっ、ごめん! けどほんと久しぶり。元気してた? ここ最近ずっとチャットもしてなかったしさ。今、練習中?」


 矢継ぎ早に質問を浴びせるジャックに、少年は何も答えない。


 そこで、様子を見守っていたハウンドも口を開いた。


「練習の邪魔をしてごめんなさいね。私は――」

「一人」


 ぼそりと呟かれた声音は低く、不快さを隠しもしなかった。


「……話すの、一人だけにして。うるさい」

「あ、ごめんごめん。忘れてた」


 慌てて口をつぐんだジャックが、小声でこちらに囁いた。


「ウィルは聴覚過敏なんだ。だからいつもイヤーマフしてるの」


 なるほど。先ほどずり落ちたのはイヤホンではなく、イヤーマフだったらしい。

 理解したハウンドはゆったりとした口調で話しかけた。


「初めまして。パンテラ・ロッソ社のリンファ・ロッシーです」

「……知らない」

「だろうね。会うの初めてだし。この部屋にいる子も同じ選手?」

「……そんなとこ」

「そ。若い子が多いんだね」

「……要件は」

「新型マルウェアの作成の依頼を」

「…………帰って」


 心底不快げに顔を歪めた少年は、そっぽを向いて画面に向き直ってしまった。


 ジャックが慌てた。


「待って待ってっ。今のはただのジョークだよ。大会前の大事な時期に申し訳ないと思ってる。けど、話だけでも――」

「――誰?」


 ジャックが「え」と固まった。

 振り返ったウィルは、ライトグレーの瞳を冷淡に眇めた。


「さっきからうるさいけど……君、誰? 『ライシス・サーガ』にいたっけ?」


 ジャックの表情が一気に強張った。

 暗がりでも分かるほど、顔から見る見るうちに血の気が引いていく。


 背後から“黒い男”がやってきた。


「話は済んだようだな。帰ってもらおう」


 愕然と立ち尽くすジャックを見て、ハウンドは嘆息した。


 接触失敗だ。


「ひとまず本社に連絡しても? こちらも命懸けですので」

「許可する」


 “黒い男”が見張る中、ハウンドはこちらに鞄を預けて、堂々とイタリア語で通話を始めた。

 もちろん演技だが、アドリブでここまで演じきれるのは流石というべきか。


 そしてハウンドの鞄の中にあったものを見たニコラスも、己が演じるべき役を覚った。


「なあ、お前。どうしてもだめか? マルウェア開発までとはいかなくても、既存のやつ改良するだけでもいいんだが」


 ウィルは答えない。

 一切合切を無視して、画面内で暴れるモンスターの攻撃を淡々と回避している。


 予想通りの反応だ。


 ニコラスは大げさに溜息をつき、渋々といった感じで先ほどハウンドが持っていた名刺を差し出した。


 そこにある箇条書きのうちの、一文を指差して。


「なら名刺だけでいいから受け取ってくれ。こっちもタダでじゃ帰れねえんだよ」


 ウィルは鬱陶しげにこちらを一瞥し、軽く目を見開いた。


 ――『デンロン社のハッキング騒動の原因はあなたですか?』――


 ウィルはしばし黙り、メニュー画面を開いて戦闘をいったん中断した。

 そして装備を整理する片手間、机の指をトン、と一回叩いた。


 回答は、イエス。


「……何度言われても受けないよ。悪党に手を貸す気はないから」

「言ってくれるな」


 ニコラスは人差し指をずらした。


 ――『ジャックにデンロン社関連のメールを送ったのはあなたですか?』――


 ウィルは一回指を叩いた。

 イエス。


 ニコラスはさらに指をずらし、ふと机にあったチラシに目をやった。


『ライシス・サーガ』がeスポーツの種目として選出された際のものらしい。賞金額や参加対象者の条件が記載されている。


「そいつが例のゲームか? 『ライシス・サーガ』、だったか。変わった名前のゲームだな」


 ――『表の見張りを雇ったのはあなたですか?』――


 ウィルは指を二回叩いた。

 ノー。


「……『溶解』って意味だよ。『リュシス』って言ったりもする。化学物質とかが細菌の細胞壁を溶かして破壊する、の溶解。“世界中の人々と溶け合って一つになり、細菌のように増え続ける困難に立ち向かう”っていうのが、このゲームのテーマ」


 真横で立ち尽くしていたジャックが、ピクリと動いた。

 ニコラスはウィルの横顔に一瞬だけよぎった表情を見逃さなかった。


「へえ。最近のゲームは高尚だね。ガキ向けのくせに」


 ――『あなたとデンロン社に関係はありますか?』――


 ウィルは今度は指を一回叩いた。

 イエス。


「おい、いい加減にしろ。苛立っているのが分からないのか」


 指を叩くウィルの様子を苛立ちをとった“黒い男”が、背後から肩を掴んできた。

 その握力の強さに顔を歪めながらも、ニコラスは最後の一文に指をずらすことは諦めなかった。


「そこで電話かけてる女に言ってくれ。粘ってるのはそっちだぜ?」


 ニコラスが背後を振り返ると、ハウンドは首を振った。潮時だ。


 “黒い男”の指がいよいよ肉に食い込んでくる。

 引き千切らんばかりの膂力に、ニコラスはたまらず立ち上がった。


 ウィルが振り返った。


「……二度とこないでね」


 そう言って、彼は指を二回叩いた。

 回答は、ノー。


 答えは聞けた。十分だろう。


 ニコラスは名刺をポケットにしまい、ハウンドの後に続いて寝室を出た。


 我に返ったジャックが「待って、まだ」と腕にすがるが、ニコラスはその手を強く握って黙らせる。


「邪魔したな」


 ニコラスは背後を歩く“黒い男”に声をかけるが、男は何も答えない。

 声もまとう空気も『無』のまま、足音も無く自分たちの後をついてくる。薄気味悪い男だ。


 リビングを抜けて玄関へと向かう途中、ニコラスは部屋にいた少年の一人のゲーム画面に眉をひそめた。


――……? 何だありゃ。


 ゲーム画面横にエクセルの表が提示されている。

 少年は、エクセルとゲーム画面を見比べながら、何やら作業していた。


「おい。止まるな」


 止まりかけたニコラスの背を“黒い男”が強く小突く。青痣ができそうな威力のそれに背をさすりながら、ニコラスはジャックと共に廊下へ出た。


 “黒い男”は即座に扉を閉めた。

 扉を施錠する音が、空々しく廊下に響いた。




 ***




「……………………ねえ」


 ジャックが口を開いたのは、ホテルを出て歩いて5分経った頃だった。


「ねえ。これからどうするの?」


 自分から話を持ち込んでおいて、こちらに指示を請うのはどうかと思うが、いまはそれに答える余裕がない。


「ハウンド、たぶん二人だ」

「さっきの廊下に立ってたの?」

「ああ」


 こちらの会話に、ジャックが眉をしかめる。


「ねえ、何の話――」

「親友を助けたいなら黙って俺たちについてこい。無駄口は一切たたくな」


 ジャックは息を呑み、声を潜めて尋ねた。


「どういうこと? ウィルさっき、オレらに『二度と来るな』って言ったじゃん」

「そりゃそうだろうさ。自分の意思で来たわけじゃないからな」

「え……!?」


 ジャックが勢いよく顔をあげるが、ニコラスはハウンドと共に前を見続ける。


 背後に追手が迫っているからだ。恐らくあの“黒い男”が放った監視役だ。


「多少訓練はしてるみたいだけど、まだまだ詰めが甘いね~。――私についてこい。遅れるなよ?」


 そう言ってハウンドは、いきなり路地裏に飛び込んだ。

 ニコラスもそれに続き、ジャックも慌ててそれに続いた。


 そこから先は、説明するのも面倒な道のりだった。


 路地を抜け、車道を横断し、スーパーマーケットに入ったかと思ったら中をぐるりと回って外に出て、近くの邸宅の庭を通り、鍵の空いている納屋に隠れたと思ったら、また外に出てジグザグに庭を抜けていく。


 そして結局、先ほどまでいた通りに戻ってきた。


「走るぞ。あのバスだ」


 ハウンドが停留所に停車していたバスをめがけて走り出す。

 ニコラスとジャックも、全力疾走でバスに駆け込んだ。


 それに気付いた追手が慌てて走ってくるが、バスの扉が閉まる方が早かった。

 追手を置いてけぼりにして、バスが走り出す。


 それを確認したジャックが興奮気味に話しかけてきた。


「どういうこと、それ。ウィルが脅迫されてるって言いたいの? どうやって……」

「ロビーであんだけ監視を配置してる相手が、すんなりウィルに会わせてくれるわけないでしょ~? だからちゃあんと準備してたのよ。ね?」


 上目遣いに見上げるハウンドに、ニコラスは頷く。


 先ほどの名刺は、ジャックが護衛をひと悶着起こしている際に、ハウンドが走り書きしたものだ。そのうち、最後の質問は――


 ――『あなたがここにいるのは、あなたの意思ですか?』――


 回答は、ノー。


 つまり、インドレク・ヴィルタネンは自分の意思によらず、強制的にここへ連れてこられたということになる。


 何より、ジャックを一瞥したあの横顔がその証拠だ。

 罪悪感と悲嘆、それらに塗り潰されそうな、微かな期待の色。


 間違いない。あの少年は助けを求めてジャックにメールを送ったのだ。


 さらに言うと、デンロン社のハッキング騒動を引き起こしたのも彼だ。


「とりあえず、あの糸目男を調べる必要がありそうだね~」

朱晧軒(シュウ・ハオ・シェン)の思惑はともかく、ウィルと何らかの関係がある可能性はあるかもな。……ん?」


 ニコラスはスーツのポケットをまさぐった。そして愕然とする。


「ニコ、どしたの?」

「――ない」

「は?」

「名刺がない。お前の名刺。ウィルに見せる質問書いたやつ」


 ハウンドの顔が瞬時に強張った。


 事態がよく飲み込めていないジャックに、ハウンドは鋭く問う。


「ジャック、お前がデンロン社に仕込んだドローン、動かせるか?」

「ここから? 無理無理。ここ障害物おおいし、せめて2キロまで近づかないと」

「なら位置は? GPSつけてたろ」

「ああ。それなら」


 そういって、ジャックは鞄から例のカメラ型収納ボックスから端末を取り出した。

 プレイステーション・ポータブルのような形状で、ドローンの操作と位置確認を行うためのものだ。


「……あれ?」


 ジャックは首を捻った。ナイフの刃で背筋の産毛をなぞられた気がした。


「どうした」


 ニコラスは自分の予想が外れてほしいと願った。だが現実は無常だった。


「ドローンが見つからない。電池、3日はもつはずなのに」




 ***




 耳障りな着信音が、空を裂いて響き渡る。


 全身が粟立った。背後のリビングにいた年配の子供らが身を竦めたのが、手に取るようにわかった。


「出ろ」


 男が言った。神託を告げる使徒が如く。


 『彼』は男を忠義の臣下といったが、少年はあまりそのことを信じていない。

 それほどまでに、この男は恐ろしく、何を考えているか分からない。


 たかが企業家一人に首を垂れるほど、この男が大人しいとは思えなかった。


 少年は恐々とデスクで光る携帯電話に手を伸ばす。


『例のDVDの調査はどうなってる?』


 口を開く間もなく発せられた宣告に、少年は生唾を飲み込んだ。


「……とくに変わりありません。あれから何回もスキャンしてみましたが、何も出てきませんでした。ただの()()()()()()()()()()()()()()です」

『そんなはずはないのだがね』


 ボイスチェンジャーを何重にもかけられたしゃがれ声は低く笑った。


 少年の俯いたまま、手汗まみれの両手をスウェットに擦り付けた。


 暗に使えない奴と言われているのは何となく分かる。

 けれど、どうしようもない。


 本当にただのDVDなのだ。


 強いて言うなら、一枚目のアニメはモノクロで、二枚目のスライドショーは音が出るということぐらいで、それ以外は何もない。


 ウイルスも極秘情報も。市販と自作、さらにはダークウェブで取引される違法ツールまで使って調べたが、何も出てこなかった。


 だから少年は、この二枚のDVDになぜここまで『彼』がこだわるのか、理解できなかった。


『――まあいい。君ですら手に負えないなら、私の配下の者ではなおさらだ。話を移そう。先ほど、君の元に招かれざる客が来たはずだ。そのことについてだ。君はどんな印象を持った?』

「………‥男、ですか。それとも女の方?」

『女だ』


 男じゃないのか、と少年は少し拍子抜けする。

 どう見ても男の方が年上だったし、行動も大胆だった。


「……ぼくが見ていた時はずっと誰かに電話をかけてました。演技、ではなかったと思います」

『ふん。さもありなんだ。あの女はヴァレーリ一家と深い繋がりがある。事前に打ち合わせて口裏を合わせたか、それとも報告したか……“ディ・イー”』


 『一番』と呼ばれた男が「はっ」と踵を鳴らして背筋を伸ばす。


「女の会話はすでに解析しています。あと数分もあれば済むかと」

『翻訳如きに数十分も掛けるのがお前の限界だ、ディ・イー。代行屋が来ることはあらかじめ伝えていたはずだ。あの『六番目の統治者(シックスルーラー)』相手に、何の準備もしていなかったというわけか』

「返す言葉もございません」


 少年は両膝に手を置いて、俯いたまま黙っていた。


「ヴァレーリ一家」も「代行屋」も「シックスルーラー」も何も知らない。

 だがそのことで口を挟む権限は自分にない。


 この人が言っているのはただの独り言、平たく言えば愚痴だ。自分の役目はただ黙って話を聞き、その内容を忘れること。

 学級発表の主役の背景に立つ木の役と同じだ。言葉も行動も端から期待されていないし、許されてもいない。


「男の方は顔が割れました。ニコラス・ウェッブという元海兵隊員です。5年前のイラク派兵中に不祥事で降格されたとか」

『海兵隊? 特殊部隊でも何でもないのか』

「調べた限りでは、武装偵察部隊(フォース・リーコン)所属の狙撃手だったようです。不祥事以降は海兵隊遠征隊(MEU)に戻されています」

『ほう。――では、その程度の男に出し抜かれたというわけか、ディ・イー』


 合成音声でもはっきり分かる怒気に、男とその部下が即座にその場に跪いて低頭する。


 少年の背後で子供の一人が小さく悲鳴を上げたのが聞こえた。


 男は「申し訳ございません」と押し殺した声音で謝罪する。

 カーペットと後頭部の合間から見える顔は相変わらずの無だが、口元がやや歪んでいる。頭を下げるという屈辱的な好意を腹立たしく思っているのかもしれない。


 しかし、少年はそれどころではなかった。


 全身から嫌な汗が噴き出してくる。


 今、彼は「出し抜かれた」といった。なら、


『ああ、そうそう。君のお仕置きの話なんだがね』


 立ち上がった男が、ポケットから取り出した何かをデスクに放った。

 少年は「ひっ」と声にならない悲鳴を上げてのけ反った。


 名刺だった。

 真ん中の名前と役職名の下の空白に、小さな文字で五文が箇条書きにされている。


 先ほどニコラスという男の人が、機転を利かして自分とコンタクトを取ってくれた際に使用したものだ。


 それをこの男は盗み取り、この人に報告した。

 まだ彼らが出ていって数十分と経っていないのに。


『君の働きに免じて、君の言動はかなり甘く見ていたが、今回ばかりはいただけないな。しかも我が社にハッキングまで仕掛けるとは。――二人だ。連れてこい』

「まっ……!」


 立ち上がろうとして男に取り押さえられる。片手で肩を掴まれ椅子に座らされただけだが、骨を粉砕せんばかりの握力に少年は身を捩る。


 背後で悲痛な声が上がった。

 少年より年かさの少年が二人、必死の抵抗もむなしく男の部下に引きずられていく。


 少年の頬を涙が伝った。

 肩を萬力で押さえられた痛みだけではない。


 連れていかれた子供はこれで八人。

 その彼らが()()()()()()を自分は知っている。


 見せしめに送られてきた写真を見た時、少年はあまりのおぞましさに、以来食事をまともに取っていない。

 飲み込もうとしても喉を通らなかった。


――ジャック。


 少年は心の中で親友の名を呼んだ。


 生まれて初めて、自分に“普通”に接してくれた子供。

 巻き込むまいと突き放した最初で最後の友人。


 きっと彼は自分を恨んでいる。それでも助けを求めずにはいられなかった。


『一週間後には大会も控えている。さあ、()()に戻るんだ。早く家に帰りたいだろう?』


 少年はすべての動きを停止した。思考も、動作も、呼吸も。


「……………………はい」


 声の主は満足げに『いい子だ』とだけ言って、通話は途切れた。

 少年は携帯電話を戻すと、再びキーボードに手を戻した。


 無心に黒の正方形の鍵盤を奏でながら、少年はもう顔もおぼろげな両親に問いただす。


――お父さん、お母さん。


 エンターキーを弾く。いつも以上に力を込めて。

 それ以外に、感情のぶつけどころが見つからなかった。


――二人がぼくに叶えて欲しかった夢って、これ?

次の投稿は4月4日です。

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