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代行屋『ブラックドッグ』~偽善者は一人だけの英雄になりたい~  作者: 志摩ジュンヤ
第6節 我、彼を撃つべし。彼が我を撃つ前に
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6-1

 〈西暦2013年12月9日午後2時30分 アメリカ合衆国ミシガン州 特区27番地〉


 イソップ寓話に、『羊飼いと少年』というものがある。


 羊飼いの少年が暇を持て余して「狼がきた」と村人に嘘をつき、そのせいで本当に狼がやってきた時、誰も助けてくれなかったという話だ。


 嘘をつき続けると、信用を失うという教訓だが、別の見方もあると思っている。


 羊飼いの少年は、孤独に耐えかねて、村人の気を引きたかっただけではないのか。

 ともすれば、この寓話は、人は嘘をついてでも愛情を欲するということを、伝えたかったのではないか。


「だからぁ、今度こそマジネタだって。本当だよ」


 掌をカウンターテーブルに叩きつけて身を乗り出す狼少年――ジャックに、ハウンドは顔すら向けない。

 すまし顔のまま、ふうっと、長く紫煙を吐き出すだけ。


 実に冷たい態度だが、ニコラスからすれば顔に煙を吹きかけないだけ、まだ温情があると思っている。


「こないだも全く同じ台詞だったな」


 ものの見事に言葉を詰まらせたジャックだが、すぐさま気を取り直して訴えかける。


「だからちゃんと証拠(ソース)調べてきたんじゃん。ほら、目ぐらい通してよ。『金になりそうなネタもってきたら仕事免除する』って約束でしょ」


 ジャックは綺麗に整った白い爪先で、手書きのノートと端末を指差すが、当然ハウンドは見向きもしない。

 ニコラスは小さく溜息をついた。


 カフェ『BROWNIE』にジャックがやってきたのは、二週間前のこと。

 付添人は、五大マフィアが一つ、ミチピシ一家現当主の孫であるアレサ・レディングだった。


「お願い、この子をしばらく預かってくれないかしら」


 始終真顔だったハウンドに対し、ニコラスは警戒を顕わにした。


 自称、特区潜入ジャーナリストの『ジャック』――本名、ジャクソン・ラドクリフは今年で14歳。

 アングロサクソン特有の朱みある頬に、金髪碧眼。そばかすの散った頬といい、垂れ目がちな目元といい、線の細い大人しそうな少年に見えるが、とんだまやかしだ。


 この少年は、つい先日ミチピシ領で連続爆破事件を引き起こした爆弾魔だ。

 視聴率ほしさに爆弾を仕掛けた、俗にいう迷惑系ユーチューバーである。


 この一件でミチピシ一家はあわや抗争勃発の一歩手前、いや半歩手前にまで追い込まれ、同じ五大であるヴァレーリ一家とロバーチ一家の仲介により、なんとか事なきを得た。


 元から火種があちこちに転がっていたミチピシ領ではあったが、かといってその火種の一個一個に爆薬を仕掛けた人間が許されるわけではない。


「いったんうちで拘留して、親が見つかりしだい突き返そうって話だったんだけど……この子の父親がね」


 魂が全て抜けてしまったような消沈ぶりのジャックを見やって、アレサは歯切れ悪く事情を説明した。


 早い話、ジャックの父親は息子の引き取りを拒否したのである。「そんな恥知らずはうちの息子じゃない」というわけだ。

 数々の炎上騒ぎを引き起こした迷惑系ユーチューバー、しかも連続爆破事件の張本人である。親が拒絶するのも、無理のない話だった。


 とはいえ、このはた迷惑な少年をミチピシ一家が許すわけもなく、「このままでは本気で殺される」と見かねたアレサが、代行屋の門を叩いたのである。


「こっちの方で世話代と食費は払うから、しばらく面倒みてやってくれない? 父親の方は、私の方から何とか説得するから」


 こうして一時的だが保護されることになったジャックは、カフェ『BROWNIE』の住み込み店員をしながら、独り立ちを目指すことになった……のだが。


「ちょっと真面目に聞いてよ。今度は本気でヤバいんだって。ミシガン州知事候補の汚職疑惑だよ? 今度の州知事選の有力候補だよ? 大スクープでしょ!」


 めげずにハウンドとの交渉を試みるジャックに、ニコラスは失笑を通りこして溜息しか出ない。


 利き腕を骨折したばかりで力仕事は無理としても、注文取りと食器下げぐらいはできるだろうに、ちっとも仕事をしない。

 隙あらば、ハウンドから支給された端末でゲームをしている。


 ようやく動いたかと思えばこれだ。

 金になりそうな情報をハウンドに持ちかけてはあしらわれるを繰り返している。


 SNSもユーチューブのアカウントもとうに削除されているというのに、過去の栄光(という名の悪行)がどうしても忘れられないらしい。


 ハウンドもハウンドだ。「そんなにウェイターが嫌なら自分で仕事探してこい」などというから、情報屋気取りのクソガキができ上がるのだ。

 変な期待を持たせるような発言は控えてほしい。


――父親に見限られて多少は反省したかと思ったが……本質はそうそう変わらない、か。


 それとも、見限られたからこそ必死になっているか。


 傍から見れば迷惑千万のガセネタ満載動画チャンネルも、ジャックにとってそこが唯一無二の居場所であり、自己表現できる場であったのかもしれない。


 それを取り上げられ、チャンネルを閉鎖され、肉親にも見放されたとなれば、ジャックにはもう逃げ場がない。憐れといえば憐れではある。


 が、それはそれ。これはこれだ。ニコラスはジャックの首根っこを掴んだ。


「話は済んだな。仕事に戻るぞ」

「ちょっと! まだ話は――」

「また腕へし折られたいか?」


 途端、ジャックの顔が凍った。


 前回の連続爆破事件の際、ニコラスは自爆を図ったジャックにかなりきつい灸を据えた。

 爆弾を不活化するためでもあったが、少々行き過ぎた仕置きだったと反省している。後悔はないが。


「お前がサボった分、ジェーンたちにしわ寄せがいってんだ。頼まれた仕事ぐらいしろ。お前、ジェーンより年上だろ」

「え? あっ、わたしなら大丈夫ですよ」


 突然話題にされたカフェ最年少の従業員、ジェーンは一瞬戸惑ったが、すぐさま笑顔を取り繕って食器下げを再開した。10歳とは思えぬほどよくできた子だ。


 一方、残りの子供たちと言えば。


「僕も構わないよ。気にしてない。そこの()()にやらせるより、僕らがやった方が早いし」


 素っ気なく言い放ったのは、27番地所属の少年団『雨燕(アンドリーリャ)』のリーダー、ルカである。


 プエルトリコ系特有の濃褐色の髪と瞳をもつ少年は、細っこい体格に似合わず、両手に何十枚もの食器を掲げて悠々と運んでいる。

 歳でいうなら、ルカはジャックの一個下なのだが、精神的な面では遥かに勝る。


 ルカはやや厚めの唇を冷淡に歪めた。


「流石は大手玩具メーカーのご子息だ。人を顎で使うのに慣れていらっしゃる」


 歳にそぐわぬ痛烈な皮肉に、ジャックが顔を真っ赤にして椅子を蹴倒した。

 が、ルカは構うことなく黙々と片づけを再開した。


 他のメンバーに至っては見向きもしない。

 ジャックが居ようが居まいがどうでもいいという態度だ。ジェーンがあわあわと固唾をのんで見守っているのが、唯一普通の反応だった。


 思えば、ルカたちの態度はジャックがここへ来た時からそうだった。彼らは、ジャックの存在をひたすら無視し続けていた。

 幼き頃より自力で身を守るしかなかった彼らには、ジャックのような恵まれた環境の人間が自分たちに関わること自体、不快なのだ。


 ニコラスにはそれが分かる。自分も特区に負けず劣らずの貧民街で育った。

 したり顔でさも自分こそ貧民を救う救世主と信じて疑わぬボランティアの金持ちどもが、不愉快で仕方なかった。


 そして、そいつらが差し出す飯を食わねば生きられぬ自分の、なんと惨めなことか。

 金が無いというだけで、明日食う飯と寝床に困るだけでなく、人間としての尊厳も誇りも何もかも失う。


 衣食住足りて礼節を知るという言葉は、非常に正しい。

 貧しくとも清廉潔白、なんてものは現実の見るに堪えない悲惨さを、宗教的な美徳で覆い隠した理想像に過ぎない。


 本来なら決して交わることのない雲上人が、興味本位で劣悪な下界にやってきて、自分たちが死に物狂いで守っている縄張りを引っ掻き回す。

 ルカたちにしてみれば、元爆弾魔のジャックは、きわめて度し難い存在なのだ。


 それは分かる。痛いほど分かるのだが――。


――分からねえ奴に言ってもなぁ。


 ニコラスは頭を掻いた。


 育った環境が違うということは、価値観からなにから何まで違うということだ。

 そんな人間と相互理解など、容易なことではない。


 こちらの不快感を説明したところで、ジャックにはピンとこないだろうし、ルカたちがジャックのために手間暇かけて意思疎通を図るなど、それこそ業腹だろう。

 正直、無視してしまうのが一番手っ取り早いのだ。


 そもそも本来、子供が勤労をする必要はない。


 ジェーンにしても、名目上、従業員として扱われているのは、「等価交換の関係を学ぶ」ためであり、「大人の言うことを断る」訓練のためだ。


 虐待児だったジェーンにとって、他者、特に大人の言うことは絶対服従だ。

 勤労という対価を支払えば、必ず報酬を貰えるという等価交換の関係は、彼女にとって未知の領域なのだ。


 子供といえど意思はある。しかし、できないことも多い。

 だからこそ、「自分ができないことは周りに頼む」ということに慣れさせている。


 他者の言うことを断っても見捨てられることはないし、周りの助けてくれる奴はちゃんと助けてくれる。それをジェーンには教えている。

 それが、ジェーンがここで働く最大の理由だ。


 でなければ、ジェーンは自分のような大人になってしまう。

 他者の役に立つことだけが、己の存在意義だと信じこみ、ひたすら他者の願いを叶え続けた、自分のような。


 そしてルカたちはジェーンを手伝って、こうして一緒に食器を下げてくれている。

 その行為自体は大変ありがたいし、微笑ましいが、強制されるべきことではない。


 子供は働かないのが当たり前、というジャックの態度の方が本来、子供らしい態度なのだ。


 ニコラスとしては、前回、灸を据えたことでジャックへの憤りはチャラになっている。

 だがルカたちはそうではない。


 さて、どうしたものか。


 ルカたちの冷ややかな沈黙に堪えたのか、ジャックは渋々食器を集め始めた。

 片づけを再開するか、ジャックに話しかけるかで迷っていたジェーンの皿を奪って、足音荒く厨房へ引っ込んでしまった。だが不平を言うことだけは忘れなかった。


「……取りあえずノートだけでも見て。今回はオレだけで集めた情報じゃないから」


「信用できると思うよ」と不貞腐れたように呟くジャックに、ニコラスは溜息をもらす。


 反省はおろか、謝罪すらしていない者が他者からの信用を望むのは、どう考えても無理があると思うのだが。


 ニコラスの感じた徒労は、カウンター上にわざとらしく開いて置かれたノートに目を通すなり、さらに増大した。


 曰く、現在ミシガンを沸かせている新人の州知事候補が、支持者から集めた選挙資金を不当に使い込んでいるという趣旨の内容だった。

 印刷したとみられる会計報告書の表も挟んである。


 選挙というのは存外、金がかかる。選挙運動をすれば広告費に移動費、雇ったスタッフの人件費がかかり、事務所を構えればその維持と管理に金がかかる。

 新人であれば、ツテと人脈作りによりいっそう支持者確保に走り回らねばならず、さらに金が飛んでいく。


 しかもジャックが入手してきた情報は、候補者自らネット上に公開しているものだ。

 一体どこの世界に自分が不正した証拠を自ら公開する馬鹿がいるというのか。しかも献金応募ページに。


 大方、新人候補者の資金繰りの変動が大きいことに目をつけて邪推したのだろう。

 言いがかりも甚だしい…………ん?


 ニコラスは印刷された会計報告書を手に取った。

 表のところどころが赤丸で囲われているが、ニコラスが目をつけたのは別の部分。


「おい、ジャック。どこネタだ?」

「信じてくれるの!?」


 ガシャンと投げるように皿を置いたジャックに眉をひそめる。

 ジャックは慌てて皿が割れてないか確認したが、それがフリでしかないことにニコラスは気付いていた。


「……皿は後でいい。お前、このネタどこで仕入れた?」

「候補者の公式ページだよ。なんだっけ、デンロン・カンパニー? ともかくそこの本社のページ、その場でスクショしたんだ。ちゃんと存在するれっきとした公式サイトさ」

「その公式サイトはこんな長ったらしいURL使うのか?」


「え」と声をあげたジャックは、ニコラスが指差す部分を見るなり固まった。

 会計報告書の左上、ページのURLを表示する欄に、ネット通販ページ顔負けの数字と記号の羅列が、暗号文の如くびっしり埋まっている。


「こっちがさっき俺が開いた公式のURLだ。ロゴから目次の配置も会計表の数値までまったく一緒だが、URLだけが違う。お前、これどこから引用したんだ?」


 ニコラスが睨む中、ジャックはそぞろに視線を彷徨わせた。


 遠巻きに見ていたルカたちの視線がさらに冷え込んだ。「そら見たことか」と睨む彼らの視線は、さながら狼少年を眺める村人だ。


 ニコラスは眼力を強めて圧をかける。すると、ジャックはのろのろと口を開いた。


「………………友達」

「あ?」

「友達。親友、だと思ってる。オレは。この『ライシス・サーガ』で知り合って。『ウィル』っていうんだけどさ」


 そう言って、ジャックは端末を見せた。

 画面には、中世の冒険者風の格好をした少年少女が、剣や弓を構えて『Lysis Saga(ライシス・サーガ)』という題目の前に立っていた。ジャックが隙あらばやっているオンラインゲームだ。


「ウィルとはゲームの中だけじゃなくて、直にもあって遊ぶ仲なんだけど。そんなウィルがこないだ、電話してきたんだ。今回の州知事選でヤバいことしてる奴がいるって」

「んでそのウィルってのがこの会計報告書の提供源か」

「うん。んでこの会計報告書が画像で送られてきて」


 呆れた。話にもならない。


 ニコラスがノートを突き返すと、ジャックは慌てて食い下がった。


「待って待って! 本当なんだよ。ウィルはあんな悪ふざけする奴じゃないんだ」

「どうだか」

「本当だって、信じて」

「お前なあ。これまでのお前の振る舞いで、どこのなにを信じろっていうんだ。ミチピシでお前なにやった? お前の罵詈雑言と迷惑行為でどれだけの人間が傷ついたと思ってる?」


 ジャックは瞬時に色を失した。顔を強ばらせ、所在なさげな両手が無意味に空を掴む。

 それでも、何とか声を絞り出した。


「本当なんだ。ウィルは嘘ついたりしないんだ。ウィルは、ウィルは……オレと違って良い子だから」


 震える声で呟くジャックに、ニコラスは眉間のしわを深くする。


 今日はやけに食い下がってくる。

 ふてぶてしく舌打ちをして、離れた場所から小声で悪態をついて諦めるのがいつものパターンだというのに。


 どう反応したものか迷っていると、不意にハウンドが鷹揚に声をあげた。


「少し、調べてみるか~」


 ニコラスは耳を疑った。ルカも「えっ」と声をあげる。


「正気か? URLが違うだけだぞ?」

「うんにゃ。まあそうなんだけど、ちょっとターチィから妙な依頼が入ってね」

「ターチィって、あの五大マフィアの?」


 ハウンドが聞く姿勢になって元気が出たのか、ジャックがおずおずと尋ねる。


 ハウンドは「うん、そう」と相槌を打ちつつも、気もそぞろに後頭部を掻いた。


「そのターチィがね、その新人候補者、調べてほしいってさ」

次の投稿は3月25日の午後5時です。

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