5-9
戦争前夜、って感じだな。
三等区と二等区の境目――19番地郊外に立つ廃墟ショッピングモール屋上に立ったニコラスは、双眼鏡越しにミチピシ本部前の有様を観察していた。
まずはミチピシ側。
本部を中心に蛇腹鉄条網が二重にとぐろを巻いている。
『一帯陣地』と呼ばれる、二重三重の防御「線」と、複数の火力拠「点」が組み合わさった多重構造の陣地形態である。
鉄条網内には土塁でU字状に囲われた砲兵陣地、機関銃陣地が点在している。
もっとも軍隊の教本に提示してある陣のそれとは程遠く、適当に土嚢を積んで、その中に人間と銃座を設けただけの非常に簡素なものだ。
中には鉄板で補強したフードトラックを、そのままトーチカがわりに使用する乱暴者までいる。
陣内では屋外灯に照らされた構成員が、働きアリよろしく駆けずり回っている。
彼らが駆使するキャスターのゴロゴロとしたタイヤ音がここまで聞こえてきそうだ。
本部から各陣へ物資を運び、空になったキャスタ―を押して、また本部へ戻っていく。
市街戦を嫌というほど経験したニコラスにしてみれば、わざわざ防御陣など築かずとも適当な建物内に引っ込んで、一撃離脱法を繰り返せばいいのにと思わなくもないが、まあ素人にしてはよくできている方だろう。
一方の救済連合の方は完全にお祭り騒ぎだ。
傍から見れば、本部前の公園でロックフェスティバルでもやっているかのように見えるが、群衆が掲げているのはペンライトではなくアサルトライフルだ。
実に物騒な祭りである。
集結した車両と群衆のあちこちに『天秤と剣』が乱立し、ハンドマイクで演説したり、撮影したり、屋外用ライトで照らしたりと何やら忙しい。
「おうおう、こりゃまた見事な三角形だな」
横に立つギャレットの発言に、ニコラスは本部前へ双眼鏡を向けた。
本部内へ戻っていく、2種類の働きアリの群れに。
構図は一見、救済連合対ミチピシ一家に見えるが、本部前のミチピシ一家は真ん中から綺麗に2つの陣営に分かれている。
恐らく、維持派と改革派だろう。
まさしく火薬庫だ。ちょっとした火花で一気に爆発する。
「んで、あの曲者爺さんと話をつける算段はついたのかよ、兄弟」
ニコラスの眉間のしわが深くなる。
ギャレットのような黒人男性が、親しみを込めて他者を「兄弟」と呼ぶことが多いのは知っている。
だがつい先ほどまで銃撃戦まで繰り広げた相手にこうも馴れ馴れしいと、逆に警戒するというものだ。
しかもこの男ときたら、夜になってもサングラスを外さない。
その表情が読み取りづらさが警戒を解けない一因だった。
ギャレットは、おどけたように肩をすくめた。
「そう警戒すんなって。これでも俺は心配してんだぜ? これから本部に直接乗り込みに行こうってんだ。最後の会話になるかもしんねえんだ。素っ気ないままお別れなんて後味わりいだろ」
「……お前はなぜアレサと連合なんて組んだんだ? 実力でも経験でもお前らの方がアレサたちよりずっと上手だろ。なんで従ってる?」
「頭を下げた覚えはないぜ? ここは先住民の縄張りだ。ここで生き残るってんなら、形だけでも先住民に従うのが道理だ。シカゴだろうとシスコだろうと関係ねえ。それが裏社会の掟ってもんだ。だろ、ブロンクスの兄弟よ」
ニコラスは軽く目を見開いた。
「よく俺の出身地が分かったな」
「堅物そうな顔のわりにスラングが多かったからな。それにちと語尾が早口だ。ブロンクスっ子の特徴だな。それにさっき、ちらっと本性見たしな」
ニコラスは気まずげに閉口する。
大人げなかったとは思っている。あれ以来、赤メッシュの少年には親の仇の如く睨まれるし、白人の少年は背中しか見ていない。自分の姿を見た途端、回れ右をして逃げてしまうのだ。
そんなこちらにお構いなく、ギャレットは腕を組んだまま前方を眺めた。
「しっかしまあ、今日も飢えた人間がわんさかいやがるなぁ。結構なこった」
「飢える?」
誰が、何にだ。
そう尋ねると、ギャレットは口の片端を器用に吊り上げた。
「救済連合のことさ。連中は常に『敵』に飢えてやがる」
「敵……」
「おうとも。連中は正義も主義主張もどうでもいいのさ。単純にイラついたことがあって、ぶん殴るのにちょうどいいもん探してうろついてやがる」
「サンドバッグ代わりか」
なるほどね、と呟いて、ニコラスは無意識に頬をさすった。
傷など一つもないのに、血の味がした気がした。
「……何となく、分らんでもないな」
「おっ、兄弟にもそんな頃があったか?」
「親類に、な」
「マジか。そりゃあ災難だったな。まっ、いずれにせよ、連中はそれで犯罪都市まで来ちまうのさ。『敵』ほしさにな。ゾンビも真っ青な執念深さだぜ」
ゾンビの真似をして両手をぶらぶらさせたギャレットは、ふと表情を消した。
先ほどまでのひょうきんさを削ぎ落したかのような、無に。
「憐れな連中だとは思うぜ? 誰も助けてくれなかった。だから自分を差し置いて、他人が幸せになるのが許せねえ。だからゾンビみてーに仲間を求めて彷徨いやがる。『てめーも不幸になれ』ってな。その点、ミチピシなんざぁいい標的だ。犯罪者になってでも同胞を救う先住民、これほど殴り甲斐のある相手はいねえ。救済連合なんて言っちゃいるが、連中が救いたいのは自分たちなのさ。いいねえ、とびきりのブラックジョークだぜ」
くくっと笑うギャレットに、ニコラスは目を瞬かせた。
「……意外とよく人みてんだな」
「おいおい。俺は学なしだが馬鹿ってわけじゃねえぜ? ま、それなりに世の中ってやつを見てきたからな。偉大なセンパイからのありがたーいお小言さ」
と、その時、地上のケータから声がかかった。準備が整ったらしい。
ギャレットは27番地搬送チームが用意してくれた潜入用トラックの近くで、熱心に説明を聞くアレサの背を見つめながらぼやいた。
「頼むぜ、兄弟。ちゃんとアレサを連れ帰ってやってくれ。アイツは自他ともに認める甘ちゃんだが、自分の甘さを認める度量がある。今アイツにいなくなられると困る」
「好都合なんじゃないのか?」
「うるせえ皮肉ってんじゃねえよ。俺だって好きでギャングになったわけじゃねえ。たとえロリポップにチョコソースかけて粉砂糖まぶした甘ちゃんだろうと、仲間を守るために奮闘する奴を嗤ってたまるかよ」
なるほど。道理でデカい態度のわりに素直に従っているわけだ。
アレサもギャレットも、行き場のない仲間を守りたいという根っこは同じなのだろう。
苦笑したニコラスは拳を突き出した。
「分かったよ。任された」
「おう、頼んだぜ兄弟」
拳同士を突き合わせ、ニコラスは屋上を後にした。
***
「…………で、お前いつ帰るの」
背後のテーブル席で不貞腐れるヘルハウンドが見れて、セルゲイはすこぶる気分がいい。
「私が帰ると判断した時までだ」
「んじゃなんでトイレにまで部下寄こすの?」
「お前が便所で電話をするからだ。さっき渡した端末はどうした?」
「だってあれ連絡帳なにも入ってないじゃん。使いづらい」
「ほう? では相手はお前が電話番号を覚えていない相手か。それなりに絞られるな」
思い切り舌打ちしたヘルハウンドは、真向かいに座るルスランを無視して自身の端末をいじり始めた。
電話が使えないのでチャットメールで対応する気らしい。
まあ、そんな彼女の端末もすでにハッキング済みなのだが。
27番地が仕入れている電子端末の機種は以前から把握していた。予め機種に応じてハッキングソフトをいくつか開発しておいたのが功を奏した。
当然、番犬に支給された新しい端末もすでにハッキング済み、盗聴アプリも仕込み済みだ。
――お、動いたな。
セルゲイはノートパソコン上に映る衛星画像の赤枠に目を光らせた。
一家が保有する軍事衛星は、ニコラスたちが乗ったトラックを完全に捕捉している。
さらに、ミチピシ本部の監視カメラ制御システムにはウイルスを仕込んでおいた。
セルゲイの合図一つあれば、ニコラスの周囲のありとあらゆるものが、彼の動向を逐一監視する。
と、その時。画面の端でメッセージbotが開いた。
ヘルハウンドが送信中のチャットメール内容を保存したという申告だ。
どれどれ。
セルゲイはチャットメールアプリを開いた。
《ニコ~助けて~怖いのがいるよ~(´;ω;`)ブワッ》
《ルスランのことか?》
《そうだよ~ずっとついてくるんだよ~(ノД`)・゜・。トイレにまでついてくんのよ? 部下だけど。ヤバくね???》
《トイレは……流石にヤバいな》
《でしょでしょ? 何が悲しゅうてこんなムキムキマッチョマンの男どもにストーキングされにゃならんの。どうせなら猫がいいわ、猫。ルスランちょっと猫になれ》
《画像添付(猫耳とωの画像加工がされたルスランの画像)》
――こっんのクッソ女~~~~!!!
セルゲイは内心で頭を抱えた。ここが自室だったら床を転がっていたところだ。
なんてことしてくれてんだ! この記録全部ボスに提出するんだぞ!
しかも! 俺ちゃんが! 提出するんだぞっ!?
番犬も「ちょっと笑った」とかぬかしてんじゃねえ!
テメエの端末のポルノ履歴拡散すんぞ! ポルノ見てっか知らんけど!!
セルゲイは大荒れな胸中をひた隠し、ポーカーフェイスを貫き通す。
ロバーチで鍛えられた表情筋である。
気を取り直して、セルゲイはニコラスの端末にメールを送った。切り札である。
『ミチピシ当主、オーハンゼーは3年前の27番地譲渡前から、ヘルハウンドと密会をしていた』
ヘルハウンドと真っ先に同盟を結んだのは我がロバーチ一家だが、実は彼女が一番最初にコンタクトを取った五大はミチピシ当主のオーハンゼーだ。
確実に何かある。そして番犬は必ず動く。
はてさて。あの曲者老人はどう出るだろうか。
――さあ仕事の時間ですよ、番犬ちゃん。
せいぜい俺たちのために、獲物を狩りたててちょうだいな。
***
ミチピシ本部裏、搬入口。
「止まれ!」
二人の男がミチピシ構成員に呼び止められた。
野球帽から作業着まで、全身灰色で統一された男たちである。
男たちは滑車に乗せた1.5メートルほどの木箱を運んでいる途中だった。
ミチピシ構成員は、スリングを掴んで小銃を背中へ回し、両手を差し出した。
先住民式手話の合図だ。
左人差し指を、右人差し指でとんとんと刻む。そして突き出した右手の親指と人差し指で先の空いた輪をつくり、すっとしたに下げた。
〈我、シャイアン族。夕暮れ〉
それを見た男の一人が、右手を首の前でさっと水平に振った。
〈我、スー族〉
さらに男は、両手で手刀をつくり、手の甲を前にして突き出す。右手の小指を左人差し指に重ね、右手をすっと上へ上げた。
〈夜明け〉
迷いの一切ない男のジェスチャーを見て、シャイアン族の構成員は満足げに頷いた。
「中身は?」
「ツァスタバが三挺」
「よし、通っていいぞ」
男たちはほっと安堵し、本部内へ足を踏み出そうとした、が。
「待て。箱を開けろ」
男の一人が一瞬硬直する。
だがもう一人は躊躇することなく開けた。
中に入っていたのは、ツァスタバM70AB2自動小銃と、7.62×39㎜弾だ。
男は慣れた手つきで小銃を取り出すと、弾を詰めてから構成員に渡した。
構成員は銃の端から端まで眺めると。
「悪かないな。行っていいぞ」
男たちは礼を言って立ち去った。
***
搬入口から中に入り、人気のなくなった廊下で。
「…………顔は確認しないんだな」
ニコラスが呟くと、アレサは頷いた。
「ええ。本当は顔認証システムみたいなのがあればいいんだけど、今のミチピシじゃ金銭的に厳しいし、構成員の入れ替わりも激しいから、こういうアナログの方がかえって効率がよかったりするの。現代じゃ先住民でも手話を使える人間は限られる。私みたいにお爺ちゃんから教わってた人間はともかくね。だからこういう密偵対策には有効なの。使うジェスチャーは部隊によって異なるのだけれど、大抵は相反する言葉を用いることが多い。合っていてよかったわ」
ニコラスは、アレサがいてくれたことに心底感謝した。
作戦当初、ニコラスはケータとともに潜入する予定だった。
しかし、ミチピシ構成員は背が高く骨格が太い人間が多く、小柄な体格のケータはどうしても目立つ。なので、彼より背丈のあるアレサが選出されたのである。
なにせアレサの身長は176センチ、ケータより11センチも高い。出撃直前、ケータがちょっと涙目だったのはここだけの話だ。
ちなみにケータは搬送チームとともにトラックで待機している。
退路の確保と、外部の情報を知らせてもらうためだ。
しかし今回ばかりは、アレサについてきてもらって正解だった。
「で、どこからいく気なの? 階段もエレベータ―も見張りがついてるけど……」
「ああ。だからまずはこっちから行く」
ニコラスは自ら先導し、建物の裏口を目指した。
コソコソとせず、堂々と顔をあげて歩く。
そのお陰か、裏口にいた構成員らは見向きもしなかった。
裏口を出て、屋外渡り廊下を数メートル進んだ先。
フェンスに囲まれた、やたら壁の分厚い一戸建てがある。
「ここって……」
「ああ。警備詰所だ」
セルゲイから事前に、ミチピシ本部の構造や配置情報を入手していたニコラスは、本部の全セキュリティシステムが警備詰所で管理されていることを知っていた。
早い話、ここさえ押さえてしまえば、あとは楽勝ということだ。
どうする気だと強張った顔のアレサを横目に、ニコラスは無線越しに助っ人を呼んだ。
「ナズドラチェンコ、中は」
『暇そーなのが二名。一人はイヤホンしてる』
そいつは都合がいい。是非ともそのまま楽しんでもらおう。
ニコラスはフェンスに設置されたインターホンを押す。
「差し入れだ。開けてくれ」
『ザザッ――中身はなんだ?』
「分からん。ただオーハンゼー族長は『渡せばわかる』と言っていた」
『族長が……?』
億劫そうから訝しげに変わった声音の後に、ガチャリとロックが解除される。
ニコラスはキャスターの手すりと木箱の合間にツァスタバ自動小銃を隠しながら、先へ進んだ。
「どうする気なの……?」
「まあ見てろ」
不安げなアレサにそう返し、ニコラスは詰所の玄関を三回ノックした。
数秒後、ドアノブが回り、銃口がにゅっと出てきた。
「物はどれだ。見せろ」
ドアの隙間から不満げな顔を見せる構成員こと警備員に、ニコラスは木箱を指差した。
舌打ちした警備員は、木箱が通れるだけドアを開けた。人間が十分通れるスペースだ。
「おい、さっさと寄こせ」
苛立たしげに迫る警備員に、ニコラスは木箱を地面に降ろし、ドアの前において。
そのまま蹴り飛ばす。
空の木箱は警備員の脛に直撃し、警備員は苦悶に上半身を折った。
即座にニコラスは帽子で顔を覆い、片腕を首にまわして締め上げる。
十数秒後、頸動脈を圧迫された警備員は、白目をむいて失神した。
ニコラスは警備員を近くの椅子に座らせ、もう一人に目を向けた。
セルゲイの情報通り、もう一人はイヤホンをつけたまま、タブレットの西部劇に夢中だった。
開いた右手には拳銃があり、手持ち無沙汰に時おりクルクルと回っている。
もちろん同僚の様子にまるで気付いていない。
ニコラスは半ば唖然としているアレサに小銃を渡し、腰からトーラスPT92自動拳銃を引き抜いて、背後から近づく。
タブレット内では、先住民と対峙した白人俳優が決めシーンのガンスピンをかましている。
それを口汚く罵っているところで、ニコラスは警備員の肩を叩いた。
「なあおい、下手くそなスピンだな」
「ああ、まったくだ。これなら俺の方が――」
と、振り返ろうとして警備員は固まった。
こめかみに銃口を押しあてられたためである。
凍りつく警備員を前に、ニコラスは小首を傾げた。
「奇遇だな。俺もガンスピンできるんだ。こいつよりは上手いと思うぜ」
***
「…………随分と手慣れてるわね」
上から降ってくるアレサの声はいかにも不審げだが、ニコラスは顔もあげない。
今は手元の細工に忙しい。
ニコラスは詰所で入手した戦利品の一つ、ガムテープを、接着面を外側にして輪っかを作りながら返した。
「そりゃあ一応訓練うけてたからな」
「そっちもすごいとは思うけど。なんていうかあなた、犯罪慣れしてない?」
「育ちが悪いもんでね」
「そうじゃなくて……まあいいわ。聞くほどのものでもないし。ていうか、それ何?」
「ちょっとした玩具だ」
そう言ってニコラスは細工とガムテープをキャスターの木箱にしまった。
これで準備は万端。手榴弾は一発しかないが、他のラインナップは充実している。弾も大量だ。
これだけあれば十分だろう。
アレサはドアに耳を当てたまま、呆れかえった。
「へえ。今どきの玩具は弾薬を使うのね」
「ハロウィンが近いからな。舐めくさった大人を脅かすにはちょうどいいだろ」
「はあ。……ん。行ったわよ」
ドアから耳を離したアレサは、手元の端末を操作した。
途端、目の前のドアが解除される。
詰所の戦利品第二号だ。
この端末ひとつで、建物内のドアロックすべてを操作することができる。
そして今、これを施錠したり解除したりすることで、先ほどから見張りを誘導しているのだ。
突然部屋に閉じ込められた見張りは、さぞや慌てていることだろう。
ちなみに先ほどの警備員二名は椅子に座っておねんね中である。
ニコラスは立ち上がり、ツァスタバ自動小銃を手に、ドアの外を確認する。
目と鼻の先のエレベーターホールは空だった。
ニコラスはアレサを振り返り、アレサは端末を操作した。直後、エレベーターが開き、ニコラスたちは乗り込んだ。
ここまでは順調。
残る関門は最上階。
執務室にいるオーハンゼーを拘束し、頃合いを見て、資料室にある非常階段で脱出する。
それで任務完了だ。
そうこうしているうちに、最上階に着いた。
降りようとして、止まる。
人の声だ。
「位置的に会議室からだな」
「まずいわね。この声、幹部連中よ」
静かに舌打ちするアレサに、ニコラスは脳内の間取り図と現実の光景を確認する。
エレベーターホールに通じる廊下は会議室まで一直線。
曲がり角は会議室前のT字路しかない。
逃げ場はなかった。
***
「――待て。いま物音がしなかったか?」
維持派代表、ビリー・ルタの発言に、維持派所属の族長らが口をつぐんだ。
一方、アラン・サンプソンをはじめとする改革派族長は侮蔑の表情を浮かべた。
「おいおい、ボケるのはオーハンゼーの爺さんだけにしてくれよ。まさかアンタらもビジョンクエスト (精霊から啓示を受けるための儀式)始めようってんじゃないだろうな」
「獣だけでなく人の足音すら聞けなくなったか、この大馬鹿者めが。戦士が聞いて呆れるぞ」
維持派族長らは懐から拳銃やナイフを取り出し、警戒を厳となす。
それを見て改革派族長も目の色を変えた。
刹那。前方の廊下を何かが跳ねながら転がってくる。
それを見るなり、族長たちはすぐさま左右の通路に飛び込んだ。
炸裂。
手榴弾が起爆した。
白煙が廊下を吹き抜け、左右に身を潜めた族長に襲いかかる。
「くそっ」
サンプソンは護衛のUZI短機関銃を捥ぎ取って廊下に躍り出た。
そして廊下にあるものに目を見開いた。
木箱だ。キャスターに乗った木箱がこちら目がけて突っ込んでくる。
――馬鹿が。んなもんが盾になるものか。
サンプソンは発砲した。木箱はあっという間に蜂の巣になった。
破砕された木片が飛び散り、木箱内のものが剥き出しになっていく。
「待てっサンプソン!」
ルタが叫ぶがサンプソンは止まらない。引金を引き続ける。
木箱が十数メートルの距離に迫った時、サンプソンの放った弾丸が木箱内のものに跳弾して火花が散った。
引火。撃発。
突如出没した爆炎は、廊下を走ってサンプソンらを飲み込んだ。
***
「………………生きてる?」
「生きてるさ。でなきゃ困る」
ニコラスは義足の指を曲げ、親指から飛び出していたワイヤーカッターを収納しながら答えた。
よもやこのお笑い便利機能がこんなところで役立つとは思ってもみなかった。
足元には薬莢と弾頭が無数に転がっている。弾薬を抜き取られた7.62×39㎜弾の残骸である。
抜き取られた弾薬は木箱内の弾薬箱、500発分の上に振りかけておいた。先ほどの爆炎の正体だ。
それをニコラスは、族長たち目がけて蹴り転がしたのである。
閃光発煙筒を使ってもよかったが、どうせ音を出すなら節約しておきたかった。
「弾ってのはそう簡単に燃えないようになってる。火薬振りかけて火をつければ、そりゃ引火はするが、爆発したりはしない。車や人間が吹っ飛ぶのは映画の中だけだ」
「でも引火した弾が当たったりしたら」
「撃発した弾丸の威力は石膏板に傷入れるのが関の山だ。最近の弾薬には消炎剤や緩燃剤が入ってること多いし。人体に当たれば無事じゃ済まないが、命に関わるほどじゃない」
はずだ。
ツァスタバ自動小銃を構えたニコラスは、踵をブーツの中に押し込みながら足早に廊下を進んだ。
すぐに異変を聞きつけた構成員が殺到してくる。早くこの場を離れなければ。
会議室前に来ると、族長らと護衛が顔や耳を押さえて蹲っていた。
見たところ、大怪我をした者も命に別条がある者もいなさそうだ。
「行こう」
「う、うん」
戸惑うアレサに先立ってニコラスが会議室内に入った。
扉という扉を開けるが、目当ての老人の姿は見当たらない。
「いないな」
「おかしいわね。ここに居ないとなる……」
と、その時。警報が鳴り響いた。
先ほどの爆炎で火災報知機が作動したのだ。
同時に、こちらに迫ってくる荒々しい足音が多数。
「ちょっとっ、資料室はこっちよ!?」
「そこで籠城したら居場所教えるようなもんだろ!」
ニコラスは会議室脇のドアを開け、待合室にアレサを押し込む。
そしてドアを閉め、先ほど用意していたガムテープ付きの閃光発煙筒を張りつける。
あとはリングピンに結んだワイヤーを壁に張りつければ、開けたらボカンの即席トラップの完成だ。
「ドアが開いたら廊下に出るぞ!」
「はあ!?」
「廊下に出て、一周して資料室にいく!」
そう言うと合点がいったらしく、アレサは神妙に頷いた。
廊下に通じる扉を背に、待合室のドアを注視する。
直後、盛大にドアが開き、構成員がなだれ込んでくる。ピンも弾け飛んだ。
「今だ!」
ニコラスとアレサは廊下に飛び出した。
耳を塞いで、扉脇に避難する。
爆音。炸裂。
音が鳴りやまぬうちに、ニコラスはアレサの手を引いて駆け出した。
「行くぞ! 壁に張りつくな、跳弾が当たる!」
ニコラスたちは廊下を走った。
右、左、左、右、左。
行き先を覚られるようジグザグに走る。
「ドアをロックしろ! 閉じ込めるんだ!」
「OK!」
アレサは走る片手間、片っ端から部屋をロックしていく。
カッティング・パイで各部屋を掃討する余裕もないので助かる。
七つ目の角を曲がろうとした時だった。
急停止したニコラスの背にアレサがぶつかり、アレサが抗議するが、即座に息を殺した。
前の角から足音が聞こえる。
「おい、警備班との連絡はまだ取れないのか?」
「さっさと呼び出せ! セキュリティを解除させろ!」
足早に近づいてくる音に、ニコラスはアレサに手ぶりで柱の陰に隠れるよう指示する。
そして自分は角のすぐ近くでしゃがみこんだ。
荒くなった息を整え、静かに小銃を構える。
左の角から、声と人影がどんどん大きくなっていく。
靴先が見えた。
発砲。
爪先を撃ち抜かれた男が絶叫する。
ニコラスは角から身を投げ出し、床をフルオートで薙ぎ払う。
脚を撃ち抜かれた構成員らは、ものの5秒で無力化した。
「アレサ!」
ニコラスは待つ間もなく駆け出した。
背後でアレサが「ごめんなさい」と小さく呟いたが、聞かなかったことにした。
ようやく、念願の資料室が見えた。
ドアノブに飛びつくが、開かない。
「解除!」
「待って! さっき片っ端からロックしたから……!」
冷汗で滑る指先をこすりながら、アレサは懸命に端末を操作する。
またも足音が近づいてくる。今度は廊下の両側からだ。
早くしないと挟み撃ちになる。
だが急かしたところで、慣れてないアレサはますます慌てるだけだ。
ニコラスは焦りながら、辛抱強く待った。
「あった!」
アレサが端末を何度もタップした。
ガチャリ。
運はニコラスたちに味方した。
すぐさま資料室に飛び込み、即座に施錠する。
喧しくなる鼓動音に邪魔されながらも、外の音に耳をそばだてる。
構成員たちは、喚きながら走り去っていった。
ニコラスとアレサはほっと肩の力を抜いた。
「……ひとまず脱出しよう。成果ゼロは痛いが、長居しても結果は同じだ」
「そうね。えっと、非常階段は――」
キュゥイィ――――!
頭上の甲高い鳴き声に凍り付く。すかさず小銃を構えて振り仰ぎ。
「は? 鷲……?」
思い切り面食らった。
金属ラックの上、白頭鷲がこちらをじろりと見下ろしている。
1メートルにも及ぶ巨大な翼を羽ばたかせ、嘴をこれでもかとかっぴらいて威嚇している。
ニコラスが戸惑っていると、アレサが息を呑んで口元を覆った。
「ワキンヤン……!」
「コイツの名前か?」
「え、ええ。お爺ちゃんが飼ってるの。ワキンヤン、お願いだから静かにして……!」
アレサは必死に鷲をなだめようとするが、鷲は羽ばたきを強め、ますます声高に鳴き始める。
先ほどの騒動を聞きつけて興奮しているのだろう。
致し方ない。
ニコラスは作業着を脱いだ。
そして鷲がアレサに気を取られているうちに、金属製ラックの裏からよじ登って、そっとにじり寄る。
気付いた鷲が振り返った瞬間、ばっと上着を被せた。
しかし鷲はさっとかわし、鋭い鉤爪であっという間に作業着を掴んでしまった。まさに鷲掴みである。
だがお陰で隙ができた。
ニコラスは飛びかかり、翼を両手で抱き込んだ。
次いで頭を後ろから押さえつけ、嘴を封じる。目ん玉をえぐられるのはごめんだ。
さらに、鷲が掴んでいた作業着をぐるぐると胴体に巻き付け、袖の部分を結んで縛り上げる。
動けなくなって観念したのか、鷲は渋々大人しくなった。
「――騒がしいな」
しゃがれ声にハッと振り返る。
人影が立っていた。
窓の外の煌々たる屋外灯に照らされた、厳格な面持ち、よく洗われた麻の衣服。
定規でも入っているかのようなまっすぐ伸びた背筋は、老人とは思えぬほど逞しく精悍だ。
「どこの悪童が迷い込んできたかと思えば、お主たちか」
ミチピシ当主、カレタカ・オーハンゼーは不機嫌そうに顔をしかめた。
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