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以前もこの小説(本当に初期のもの)を投稿してたんですが、前回のpv数を一日で超えそうです。
本当にありがとうございます。
午後二時。カフェは大盛況だった。
ニコラスがホールと厨房を忙しなく往復する一方、店長は調理に、ハウンドは盛り付けにひたすら勤しむ。
ようやく注文が途切れて一息ついたニコラスは、賄いを作る片手間、周囲を見回した。
一番混みあう時間帯ということもあり、店内は満席で大変騒がしい。
英語以外の様々な言語が笑いとともに飛び交い合う。時おり怒号も聞こえるが、それを止める周囲の慌てた声や、子供たちが踊るヒップホップ、老人たちが吹き鳴らす管楽器の即興ジャズがかき消してしまう。基本的には明るく賑やかな光景だった。
しかし店内に初めて来店した者がいれば奇妙に思ったことだろう。
子供と老人しかいないのだ。
20代から40代の男女は一人もおらず、特に女性は十代前半と思しき少女たちしかいなかった。
「よぉ、ニコラス。調子はどうだ?」
しゃがれ声に目を向けると、常連客の一人、クロードがカウンター席に座っていた。
アングロサクソン系、やや後退気味の髪を野球帽で隠した、アメリカのどこにでもいそうなおっさんだ。腹はビール樽のようにせり出しているが、がっしりとした二の腕に立派な顎髭はおとぎ話のドワーフにも見える。
その右手に握られた琥珀色のグラスを見るなり、ニコラスは眉をしかめた。
「いいご身分だな、真っ昼間からウィスキーか」
「お堅いこと言うなよぉ。朝っぱらから仕事と喧嘩の仲裁もしてきたんだ。ぱぁっとやったっていいじゃねえか。ま、ともかくだ。少しはこの街に溶け込めたか」
「……」
「そう睨むなって。同じ『棄民』のよしみだ。これでも俺ぁ、気にかけてたんだぜ? お前さん人付き合い得意じゃなさそうだからなぁ」
『棄民』――特区での居住と引き換えに、市民権を自ら放棄し、合衆国の公式記録からすべての情報を抹消された“棄てし者”。
特区市民は公式上、特区の運営に携わる関係者とその家族、もしくは支配者たる五大マフィアから別途許可を得た者だけとなっている。それ以外のものは存在しない。
五大マフィアが考案した棄民政策――公式には『特区就職支援制度』と称されるそれは実に巧妙だった。
特区に住みついた貧しい人々、正確には自分たちに上納金を納めなかった無礼者を、名称・国籍不明の未確認人物とし、居住先と就職先の斡旋を引き換えに、市民権を買収する形で剥奪したのである。
存在しないものなら、いくら奪っても問題ない。
棄民という名の亡霊は、五大マフィアと特区市民双方の食い物となった。
若い男女は皆連れていかれ、余り物の幼すぎて使えない孤児や働き盛りを過ぎたホームレスがこうした国境沿いの区画に溢れ返っている。27番地もそういった区画の一つだ。
今やっているカフェも月に20ドル払えば、毎食メニューから料理を一つと水が提供される。加えて15歳以下は無料だ。店というより炊き出しに近い。
酒類に関しては、通常の飲食店と同じく注文する形になるのだが、このおっさんはスコッチウィスキーに目がなく、入荷直後に瓶ごと買い占めてしまうのだ。この街でスコッチは貴重だというのに。ニコラスは仏頂面で答えた。
「まあ、イラクやアフガンよかマシだな」
「なるほど。愚問だったな帰還兵」
「それよかスコッチじゃなくてバーボン飲めよ、バーボン。そっちならいくら買い占めても文句言わねえよ」
「あれエグイ味すっから嫌い――ん? おいニコラス。あの嬢ちゃん誰だ?」
振り返ると店奥の階段、踊り場の手すり越しにジェーンが恐々と階下を見下ろしている。二階の空き部屋で休ませていたのだが、どうやら好奇心に負けて出てきてしまったらしい。
ああして恐る恐る階下を覗き込む様は、母猫から離れて周囲を探検する子猫のようだ。
「今日の依頼人だ。名前は――」
「ジェーンって名前だよ、クロード。今朝ニコが助けた女の子だ」
「おお、お嬢!」
ニコラスの背後からひょこっと顔を出したハウンドに、クロードは顔をほころばせた。27番地区のマドンナ的存在であるハウンドは、当然ながら客の反応も自分とはまるで違う。そんな彼女は、こちらの腕の中を覗き込んで。
「今日の賄い、なに?」
「ソーセージキャセロール」
「ソースはクリーム? トマト?」
「トマト」
「やった~。チーズたっぷりがいい」
こちらの返事を待たず、上機嫌にスツールに腰かけたハウンドは、
一人の少年を指で呼びつけた。
「なに、ハウンド」
駆け寄ってきたのは痩身でいかにもすばしっこそうなプエルトリコ系の少年だ。孤児で結成された少年団『雨燕』のリーダー、ルカである。
「あそこに女の子いるだろ。面倒見てやってくんないか?」
「どこどこ? わお、可愛い子だね。任せて!」
ルカは意気揚々と階段を上がっていく。突然現れた少年にジェーンはぴゃっと文字通り飛び上がったが、歳が近いことと人懐っこそうなルカの笑顔に、徐々に警戒心を解いていく。
それを微笑ましげに見送ったハウンドは、すぐさま真顔になるとクロードに向き直った。
「で、どうだった?」
「ん、電話で言ってたカマロの持ち主な」
クロードは懐から丸めた雑誌を取り出した。今は亡きリベラルモーターズ社のスポーツカー専門のカタログである。
どうやらクロードはハウンドの頼みで今朝の車を調べていたらしい。
「ナンバーの方はパソコンが得意な連中に調べてもらってる。俺は型から調べてんだが……。おい、ニコラス。お前が見たのどれだ?」
クロードからカタログを受け取ったニコラスは、何ページかめくると一つの車を指さした。
「…………こりゃまたえらく高え車だなぁ。桁いくつだ?」
「これリベラルモーターズが潰れる直前の最新モデルだぞ」
「いかにも成金が乗り回してそうな車だなぁ。お嬢、コレの持ち主の面、分かってんのか?」
「その辺は今、通信班の連中に調べてもらってる。そろそろ報告が……あれ、タブレットどこ置いたっけ?」
「さっき厨房の方でいじってなかったか」
「そうだっけ?」
スツールからひょいと飛び降りたハウンドが厨房へと向かう。それを横目に、ニコラスはキャセロールをオーブンに突っ込み、ふと振り返ってジェーンたちを一瞥した。
ハウンドに案内を一任されたルカは同年代の子供たちへの紹介を優先したらしく、ジェーンは少年団メンバーに囲まれていた。
特に少女たちは大はしゃぎで、あまりの騒ぎようにルカがジェーンとの間に入って諌めている。同性の人物がハウンドぐらいしかいない少女らにとって、新しい女の子との出会いはやはり嬉しいのだろう。
しばらくして慣れたのか、ジェーンはルカに手を引かれながら一階へと降りてきた。
微笑ましさに僅かながらも口元をほころばせ、ホールに再び繰り出す。
さあ、もうひと踏ん張りだ。キャセロールが焼き上がるまでに、空いた皿を下げてしまおう。
そう思い、近くのテーブル席の皿に手をかけた、その時。玄関のベルが鳴った。
新しい客かと振り返ったニコラスは凍り付いた。
「すみません。代行屋『ブラックドッグ』はいませんか? 人探しをお願いしたいのですが」
紺のストライプスーツ、金髪碧眼、30代後半の見るからに温和な紳士は困ったように微笑んだが、ニコラスは気付いてしまった。
その見覚えのある容姿に。青い瞳の奥でちらつく冷徹な憤怒に。
マズい。こいつ、ジェーンの父親だ。
ニコラスはとっさに少年団の一団、特にジェーンの前に自然な動作で立ちふさがった。
「いらっしゃいませ。今、代行屋をお呼びしますので少々お待ちください」
そう言いつつ後ろ手に『下がれ』と手を振る。途端、姦しかった少年団がピタリと黙り、無言で厨房へと遠ざかっていく。賢い子らだ。
ジェーンを虐待していたのが父親という確証はないが、用心に越したことはない。
注意を前方に戻すと、なぜか男はこちらの顔をしげしげと眺めていた。
「……何か?」
ニコラスが尋ねると、合点がいったのか男は納得顔で頷いた。明らかな侮蔑と嘲笑をこめて。
「これは驚いた。誰かと思えばアメリカの恥さらしじゃないか」
後頭部を殴られたような衝撃に耐える。
今更なんだ。この程度の暴言は慣れっこだろ、黙っていればいい。言い返したって碌なことはないのだから。
だからニコラスは無言で立ち尽くすしかなかった。
「いやはや、まさかこんなところで悪名高き『偽善者』と会うとは。やはりこの街は君のような性犯罪者にはもってこいの場所のようだね。私は知っているよ。君、イラクで未成年の奴隷に手を出したそうじゃないか。ここでもまだ子供を漁っているのかい?」
「おい」
見かねたクロードが間に割って入ろうとしたが、寸でのところでニコラスは遮る。いくら不快な客とはいえ、ハウンドの客に暴力は駄目だ。迷惑がかかる。
そんなこちらの態度を不満げに一瞥したクロードは男にまくし立てた。
「でまかせ言うんじゃねえ。こいつはイラクの民間人を保護したんだ。レイプも暴行もしてねえ。大体、三年前に国連が公に謝罪しただろうが。俺はその時テレビで見てたんだ」
「そりゃ謝罪するだろう。我が国は超大国、我が祖国はこんな取るに足らない一兵卒が貶めていい国ではないんだよ。政治的圧力というやつさ。君のような学のない人間には理解できないかもしれないがね」
「何だとてめえ!?」
「ではなぜ被害者の奴隷たちが謝罪報道に出てこないんだい? それこそおかしいじゃないか。この男がしでかしたことが濡れ衣と言うなら、被害者がちゃんと謝罪すべきだ。自分たちの告発は嘘でした、とね。それを言わないということは、やはり何かやましいことがあったんじゃないのかい?」
「…………クロード」
ニコラスが言うと、クロードは渋々引き下がった。
「……代行屋はすぐ来ます。もう少々お待ちください」
「おや、言い返さないということは事実ってことだね?」
ニコラスは反論しなかった。反論しても男を喜ばせるだけと分かっていたからだ。
案の定、男はつまらなそうな顔をした。いたぶり甲斐のない獲物に失望しているのだろう。その手に乗るものか。ニコラスはぐっと奥歯を噛み締め、耐えた。
店内に満ちていく険悪な空気、それを乾いた三拍の手音が断ち切った。
「はいは~い。喧嘩は表でやってくださいね~。おやニコ、そちらの御仁は新しい依頼人かな?」
厨房から颯爽と現れたハウンドは、ニコラスが止める間もなくするりと男と自分の間に入った。
「申し遅れました。私が代行屋『ブラックドッグ』。黒い仕事から白い仕事まで、費用次第でどんな依頼も承る便利屋にございます。ご依頼の方ですか? ご用件を伺っても?」
ゆるりと宣伝文句を諳んじたハウンドに微笑みかけられ、男は見事に面食らった。まさか代行屋が若い女だとは思っていなかったのだろう。
男はハウンドの足先から頭のてっぺんまで値踏みするように眺めると、満足げに頷いた。
「ああ、そうだよお嬢さん」
「そうでしたか。では席を――」
「お嬢さん、コレは君の連れかな?」
俺の反応が余程つまらなかったのだろう。男はこちらを顎でしゃくり、軽侮を込めた口調でハウンドに説教を始めた。
「悪いことは言わない。お嬢さん、今すぐ追い出しなさい。この男はね――」
「失礼、ミスター。私の連れが何か粗相でも?」
「そうかっかしない。君は若いから理解できないかもしれないが、私はアメリカ人の一人として恥ずべき者を――」
「失礼、ミスター。英語が通じないようですね。私の連れは、今、あなたに何か危害を加えましたか?」
横っ面を引っ叩くような、毅然たる口調。
男は目に見えて鼻白み、ニコラスは目を見開いた。男の真後ろで中指を立てたクロードが舌を出しているのがやけにシュールだった。
「店長」
「うん。ニコラスはいつも通り対応していたよ」
「では問題ありませんね。結構。――人払いを」
ハウンドの言葉に、店長は玄関へ向かうと扉を開け放った。途端、店内の客が一斉に沈黙のうちに去っていく。
料金は月初めにまとめてもらうので、会計で立ち止まる者もおらず、店内はあっという間にがらんどうになってしまった。
完全に場を掌握したハウンドは、目の前で凍り付く男を無視し、ハウンドはニコラスの目と鼻の先にメモを突きつけた。
「ニコ、頼まれてた荷物、裏戸に置いてある。この住所のところに持っていけ」
「あ、ああ」
いつにも増して命令口調な彼女の言葉に追い立てられ、メモに目を落としたニコラスはすぐさま厨房へ向かった。
すべて大文字で書かれた赤ペンの文章。緊急時の合図だ。
――煙草屋『オースティン』――
《ジェーンを連れて煙草屋『オースティン』に避難せよ》
メモはそう言っていた。