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1-4

「これで良しっと」


 ハウンドが少女の手当てをする様を、ニコラスは離れた場所から眺めていた。


――アイツもこのぐらいの歳だったな。


 目の前の少女と記憶の少年兵を重ね、ニコラスは目を細めた。


 二年も探し回ったのに見つからない、この国のどこかにいるはずのあの子は、一体どこにいるのだろうか。

 まだ辿り着いていないか、来る途中で命を落としたか。はたまた俺を欺いて嗤い者にしたかっただけなのか。


 それでもあの子との約束を忘れられず、国内をウロウロ探し回っているあたり我ながら未練がましいことだ。

 近年アメリカに流入する不法移民の大半は特区に行きつく。ここならば、多少なりとも手がかりを見つけられると思うのだが――。


 靴音が鳴った。ニコラスは我に返って振り返る。


「ありがとうございます、店長。開店時間を伸ばしてくれて」


「なに、気にすることはないさ。いつもお客さんが来るのは11時ぐらいだからね」

 カフェ『BROWNIE』の店長(マスター)はにっこりと笑った。


 グレーの髪と瞳、笑い皴の刻まれた柔和な顔。初老にもかかわらず、背筋をぴんと伸ばした凛々しいたたずまいは執事のようにも見える。


 ついさっきやってきた老人は少女に驚いたものの、事情を説明するとすぐに納得してくれた。


「事情があるみたいだし、怪我もしてるんだ。休ませてあげなさい。それにまずは服をどうにかしてあげないと」


「ああ。そうですね」


 店長の言葉に、ニコラスも少女へ顔を向ける。


 ハウンドの上着の隙間から覗く、かつては白だったはずのワンピースは大きく引き裂かれて泥まみれだ。もはや服としての機能を果たしていない。


「ふむ、私が縫ったのでよければ、数着ぐらい二階にあるが……」


「君、立てる? 立てたら、ちょっと店長と一緒に服選んでおいで」


 ハウンドがそう言うと、少女の顔が恐怖に染まった。その青い双眸は自分を見捨てないでくれと訴えている。


 同性で歳の近いハウンドに懐いた、というより少女には大人の男性はすべからく恐怖対象らしい。

 見るからに穏やかな店長ですらこうも怯えるとなると、よほど怖い目にあったのだろう。かくいう自分も先ほど怖い目に合わせたばかりだが。


 ハウンドは、今まで聞いたことのない優しげな声で少女に語りかけた。


「店長は私らの上司だ。この街で一番信頼できる人だよ。安心して可愛い服選んでおいで」


 少女はしばらく迷ったすえ、ようやく頷いた。




 ***




 店長に連れられた少女が階段を上がり、足音が完全に遠ざかった時。


「ニコ」


「なんだ」


「あの子の背中な、鞭みたいなので打たれた痕あった。治りかかって分かりづらかったけど」


「……ただの怪我じゃなくて?」


「背中の真ん中にミミズ腫れなんて普通できないっしょ。それも何筋も」


 ニコラスとハウンドはそろって溜息をついた。


 人は貧しくなるとモラルも下がる。犯罪都市たる特区の中でも最下層に位置する27番地とて例外ではなく、虐待・ネグレクトは珍しい話ではない。けれど、気分のいい話ではないのも確かで。


「にしても妙だな。あんな子、27番地(うち)にいたっけ?」


特区(ここ)の生まれじゃないんじゃないか? ワンピースも上物だったし、第一ここ出身のガキは一人で街をうろついたりしない」


「大人でも攫われるもんな~。となると、引っ越してきたか、誘拐されたか……」


 引っ越し、という言葉にニコラスはピンときた。思い出した。自分はあの少女を見たことがある。


「今朝だ」


「――へ?」


「あのガキ、ここに今朝きてる。そこの前の通りの突き当たりに特区の関所があるだろ? ここから200メートルぐらい先。朝五時半ぐらいかな、関所のとこで一台の車が停まってんの見た。その車のそばにあのガキと男が立ってた。たぶん父親だと思う。ガキの肩に手回してたし、目の色おなじだったし。確証はないが」


 そう言うと、ハウンドはあんぐりと口を開けた。


「いや、俺の目にはそう見えたんだが……」


「え、え!? ちょい待ち、てかどこで見た!?」


「この建物の屋上だよ。ここ、12階建てでそれなりに見晴らしいいだろ? 朝のトレーニングついでに街を――」


「見たの!? 肉眼で!?」


「当たり前だろ。朝っぱらから望遠鏡で周囲を見回す馬鹿がどこにいる? ただの不審者じゃねえか。それに白い服着てる人間は遠目でも目立つんだよ。特に明け方の薄暗い時間帯はな。あと瞳の色が薄い奴は目がぜんぶ白目に見えるから判別がしやすい。黒人で目の色素は薄め、白いワンピース着たガキなんてそういない――っておい、その顔やめろ」


 驚愕を通り越して虚無顔のハウンドをニコラスは睨んだ。あれだ、チベットスナギツネとかいうへんちくりんな狐の顔に似ている。


「イヤ、ナンデモナイゾ。ツヅケテクレ」


「なんで片言なんだよ……。まあ、身も蓋もねえ言い方だが、黒人系で青い目の奴珍しいだろ? たぶん混血だろうけど」


「青? ああ、空の色か」


 空の色? 妙なとこで詩的な表現をするな、こいつ。


「というか、そんなに珍しいことじゃないぞ? シモヘイヘだって300メートル先の敵スコープ無しで当ててんだから」


「私は人間の話をしてるんだ。『白い悪魔(バケモノ)』の話はしてない」


「フィンランド人に謝れ馬鹿野郎。フィンランドの国民的英雄になんてこと言いやがる」


 ニコラスの反論に対し、「ともかくだ」とハウンドは咳ばらいした。


「男つったな? どんな奴だった?」


「紺のストライプ柄スーツの男、髪は金髪、目の色は……たぶんガキと一緒だ」


「金髪碧眼ね」


「ああ。歳は20後半から30代。関所の人間となんか揉めてたな」


「ふむ、となると新参者(ギャング)かな?」


「いや、普通のビジネスマンに見えたぞ」


「特区にまともな神経の奴が来るわけないだろ。来るとしたら悪党か食うに困った貧乏人だけだ」


 ニコラスの視線が自然と鋭くなる。


「悪党が自分の子供連れてくるか?」


「売り飛ばすつもりかもしれないぞ?」


「やめてくれ。あのガキだと洒落にならん」


 人道も倫理観も排して考えるなら、黒い肌に青い瞳の人間は希少だ。この街では高値で売れる。

 ハウンドもそう考えたらしく、漆黒の瞳が剣呑に光る。


「ニコ、今朝見た車のこと覚えてる? どんな車かだけでもいいからさ」


「赤のシボレーカマロ、スポーツカータイプで四人乗り。ナンバープレートはミシガン州・DMC-2568」


「…………そこまで言えとは言ってない。目ん玉ビデオカメラかよ」


「狙撃手だからな」


 狙撃手は敵を撃ち殺すことに長けた人物と思われがちだが、その第一任務は偵察だ。監視と情報収集、これが狙撃手の最重要課題であり、主任務となる。


 これは狙撃手の選抜課程から試されることで、昔、車に乗って試験場に向かっていた際、教官から「いま六台の車を追い越した。うち、三台目のメーカーと車種、乗っていた運転手の特徴を答えろ」なんてテストされたことがある。


 むろんニコラスは答えた。だから今がある。六年前のことを考えれば、答えなければよかったのかもしれないが。


 そんなこちらの心情を露知らず、ハウンドは口元に手を当ててまま頷いた。


「とりあえずその男、特定しとくか。そこまで情報が掴めてんなら調べるのも楽だしな」


「ああ。あのガキの今後も考えないとな」


 そう言って、ニコラスは腕を組みなおした。その際、自分が無意識にシャツを指先で掻き寄せていたことに気付いて、舌打ちしたい気分になった。




 ***




「あの、ジェーン・ライリーです。助けてくれてありがとうございます」


 着替え終えた少女ことジェーンは、礼儀正しく挨拶と謝辞を述べた。


 俯きがちではあるが、ちゃんと両手をお腹の前で組んで背筋を伸ばしている。やはり育ちは悪くない。

 店長お手製のブラウスとハイウエスト・スカートもよく似合っており、顔に張られたガーゼがなければ、どこぞの引っ込み思案なお嬢様のように見える。


「その……助けていただいた、お礼とかは……」


「いいよそんなの。たまたまだし」


「あの、でもお礼しないと、パパから怒られちゃうので……」


「パパ?」


「……車で一緒に来たの」


――やっぱりあれが父親か。


 ニコラスとハウンドは素早く目配せする。


「じゃあ私らからパパの方に――」


「っ、ダメ!」


 叫んだジェーンは慌てて自分の口を両手で塞ぎ、うなだれた。言ってはならないことを言ってしまった。そんな態度だ。


 これはビンゴだな。背中の虐待痕に男性への過剰な恐怖反応。恐らく、少女を虐待していた相手は父親だ。


 そう思ったニコラスがハウンドを見やると、彼女は自分に任せろとばかりにウィンクし、おもむろにジェーンの前でしゃがみこんだ。


「迷子の子猫ちゃん、貴方のお家はどこですか?」


 歌うように韻を踏んで尋ねるハウンドに、ジェーンは目を丸くした。青い瞳が左右に忙しなく揺れ動く。


「………………分かりません」


「そっかそっか。じゃあ帰せないな!」


「え」


「だってお家分かんないんでしょ? 困ったなぁ~どうしよっかな~。――あ、そうだ!」


 芝居ぶった仕草でハウンドはポンと手を打つ。


「君、しばらくここに居なよ。君のお家が見つかるまででいいからさ」


「!」


 ジェーンの顔が輝き、慌てて無表情に戻る。だが緩んだ口元だけ戻っていなかった。


「……いいんですか……?」


「もちろん!」


 少女は長く息を吐いた。これが本心なのだろう。

 ようやく見せた安堵の表情に、ニコラスは微かに痛々しげに目を眇めた。

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