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ニコラスは目の前の光景の場違いさに眉をしかめた。
「素敵なカフェですね。あら。この机、もしかして象嵌細工ですか? この柄は十九世紀のものかしら」
「お嬢様。あまり歩き回ってはなりません。危険です」
「大丈夫ですよ、スザンヌ。ここはあの代行屋さんの事務所ですもの。マクナイトさんが保証してくださったでしょう」
「何が大丈夫ですか。ならず者の巣窟に変わりはないでしょう」
合衆国安全保障局襲撃から二月。
完全に修復されたまだ真新しいカフェ店内に、二人の貴婦人が闊歩している。
お忍びだろうか。服装こそ地味だが材質が見るからに上物だし、所作や言葉遣いから育ちの良さが隠しきれていない。しかも二人そろってかなりの美人だ。
一人はワイシャツにジーンズ、緩くウェーブのかかった蜂蜜色の髪をシュシュでまとめ、鳶色の瞳を輝かせながら周囲を見回している。
もう一人はグレーのタイトスカート・スーツ、栗色の髪をひっ詰め、青い瞳はうんざり気味だが警戒を怠らない。
ニコラスは柔道着から紺色の制服に着替えたケータに尋ねた。
「まさかと思うがあれか?」
「ああ。彼女が護衛対象、元リベラルモーターズ社のご息女、ローズ・カマーフォード嬢だ。お隣は秘書のスザンヌ・ガイラー」
「リベラルモーターズ社ってあの自動車会社の?」
「ああ。経営破綻直後、アストルム社に吸収合併された。けどその影響力はいまだ健在だ。今期のアストルム社幹部には、元リベラルモーターズ社から半数近くが抜擢されたらしいからな」
「へえ、雲上人は待遇が違うな」
「全くだ」
男二人で密談を交わしていると、カウンターからハウンドが声をかけた。
「お二方、お茶が入りましたよ。少々古臭い店内で恐縮ですが」
「とんでもない。私、こういったアンティークに目がないんです」
こういう時のハウンドの対応ぶりには舌を巻く。
自分なら日頃の粗暴ぶりが露呈するので無理だ。
とはいえ、令嬢とキャリアウーマンの美人が二人、男装の美少女が一人。
店内は息苦しいまでの華やかさで、男性陣二人にはすこぶる居心地が悪かった。
ようやく依頼人が席に着き、教養と礼儀のちりばめられた挨拶の後、ハウンドは早速本題に切り込んだ。
「さて、ミス・カマーフォード。今回の依頼はあなたの護衛と承っておりますが、その詳細についてもう少しお聞かせ願えますか?」
「ローズで構いませんよ、ミス・ヘルハウンド。ええっと、こちらは偽名なのですよね?」
可憐なと呼ぶに相応しい容姿のローズ嬢は、偽名で呼ぶのは無礼ではないかと流麗な眉をひそめたが、ハウンドは営業スマイルで返す。
「お気遣い無用です。この街では本名を名乗る者の方が少ないですから。私のことはハウンドとでもお呼びください」
そう言って煙草を咥え、ライターを手にしたハウンドに、秘書がぎゅんを眉間のしわを深くする。
お嬢様の前で煙草を吸う気かと言わんばかりに睨む秘書を、令嬢がそっと手で押さえるが、その気遣いはすぐ無用のものとなる。
非行少女の背後から、ニコラスが秘密兵器を投入したからだ。
「…………ニコ」
「なんだ」
「紅茶は前のお二方の分だけでいいんだけど?」
目の前に差し出されたティーカップをつんと突いたハウンドに、ニコラスは「そうだな」と素知らぬ顔を通す。
ガキは大人しくソフトドリンクでも喫んでろ。
ハウンドは自身のカップだけから香る正山小種(茶葉の一種)の燻製香に、渋々煙草をしまった。
喫煙キャンセル成功である。
「……失礼。依頼の詳細についてもう少しお聞かせ願えますか?」
眼前のやり取りに目を瞬かせていた令嬢は、我に返ると慌てて秘書を振り返る。
一方、当然の処置と満足げに頷いた秘書は、鞄から書類を取り出して令嬢に手渡した。
それを受け取って、令嬢は大事そうに差し出す。
「実は護衛任務を依頼したのは実家の方で、本当にお願いしたいのは護衛ではなく、特区での活動許可の申請なんです」
「活動、ですか?」
「はい。特区26番地、通称ロバーチ領三等区と呼ばれていますが、そちらの方でボランティアをしたいんです」
「ボランティア?」
思わず口を挟んだニコラスに、対面の秘書から批難がましい視線が飛んでくる。が、ニコラスは渋面を隠さなかった。
流石はご令嬢、随分とまた世間知らずでいらっしゃる。
この無法地帯で、しかも五大マフィアの勢力下で慈善活動とは。
ニコラスの反応にローズ嬢は悲しげに眦を下げたが、目は逸らさなかった。
「非難は承知しています。ですが、慈善団体『救いあげる手』の代表として現在の特区三等区の住民の、……マスメディアは棄民などと失礼な呼び方をしていますけど、彼らの現状は見過ごせるものではありません。27番地は特区で唯一住民による自治独立を勝ち取った区画とお聞きしています。どうかそのお力を、私共にお貸し願えませんか?」
ハウンドは書類をめくりながら質問を重ねた。
それを上から盗み見たニコラスは苦虫を噛み潰す。
――『特区三等区住民への慰問のため花の苗を無料配布』だと?
「活動内容はこちらに書いてある通りですか?」
「はい。今のところ予定ですが。無論、住民の皆さんの要望に応じて臨機応変に対応する準備は整えております」
「馬鹿か」
隣でぎょっとした表情のケータが振り返るが、気に留めることなくニコラスは続ける。
この令嬢、比喩ではなく本気で頭の中に花畑があるらしい。
「アンタ一体何考えてんだ。ボランティアは結構さ。やりたきゃ勝手にやればいい。けどなんで花なんだ? 明日の飯すらおぼつかない連中がごろごろいる中に花を配りに行こうってのか。そんなもん貰って何の役に立つ?」
「もちろん、花だけでなく住民の皆さんの要望に応じて臨機応変な対応を――」
「花なんてとち狂ったもん渡そうとしてる奴に適切な対応ができるのか?」
ローズ嬢は見事に口ごもって、見かねたハウンドが「ニコ」と袖を引っ張るが、ニコラスはその手を片手で抑える。
どうしても言っておきたいことがあった。
「それにアンタ、あのリベラルモーターズ社の人間だろう? この特区設立の元凶の」
令嬢の顔がさっと蒼褪めた。やはり自覚はあったか。
特区設立の元は、リベラルモーターズ社が本社のあったデトロントに低課税地域を設けるため計画したものだ。
それを五大マフィアに奪われた。
しかも五大が隠れ蓑として使っていた民間企業は、リベラルモーターズ社の子会社だった。
特区住民の中には、反社会組織として悪評を一手に担う五大以上に、倒産したとはいえ一切の咎を受けることなく存続しているリベラルモーターズ社を恨む者は多い。
ニコラスは沈痛な面持ちのローズ嬢を気の毒に見やって、それでも警告を続ける。
「……自分の立場に自覚があるなら止めておけ。この特区にはアンタの会社からリストラされた連中がわんさかいるんだ。特に三等区にはな。そんな場所にノコノコ行ってみろ。八つ裂きにされるぞ」
「ちょっとあなた無礼でしょう! お嬢様が会社の仕事に携わったのはここ数年の話よ。リストラとは無関係だわ」
金切り声で詰め寄る秘書をニコラスは一刀両断した。
「失業者にそんな言いぶん通用するか。自分の職を奪った張本人の家族としか思わねえよ」
秘書は顔を真っ赤にしてなお詰め寄ろうとするも、令嬢のか細くも芯のある声が割って入った。
「自分たちが恨まれているのは分かっています。ですが、だからこそ私共が支援をしなければならないのです。故意ではなかったとはいえ、いま特区で苦しんでいる人々の原因は我が社に責任があります。特にロバーチ領三等区は他領の三等区以上に食糧や医薬品が逼迫しています。すでに、死者も……」
俯くローズ嬢にニコラスは目を見開いた。
「アンタ独自に現地調査してたのか? まさか中に入ったんじゃ……」
「いえ。流石にそこまでは調べられませんでしたが、特区に出入りする運搬業者や関係者の方に金銭と引き換えに情報提供してもらいました。あとネットからも少々。半分近くが嘘の情報でしたけど」
ニコラスは先ほどの評価を改めた。
ただの温室育ちのお嬢さんではないらしい。
ロシアンマフィアであるロバーチ領は他領と比べかなり排他的で、領内の情報が把握しづらい。
かなり根気と時間をかけて情報を搔き集めたのだろう。住民を救わんという一心で。
だが、だからこそ彼女は関わらない方が良い。
ニコラスは苛立ちとやりきれない思いを紛らわせようと乱雑に頭を掻いた。
「アンタの熱意は分かった。けどもう特区に関わるのは止めておけ」
「ミスター! 私は本気で皆さんを支援したいと――」
「あのなぁ。皆みんなアンタみたいな善良じゃないんだよ」
溜息交じりの言葉に、今度こそローズ嬢は口を閉ざした。
必死に唇を噛み締める様が痛々しかった。
「アンタの言葉も決意も立派だ。誰にもできることじゃない。けどアンタの善意を真に受けて感謝するような人間は、アンタと同じく純粋な心の持ち主だけだ。憎悪に歪んだ奴はアンタの言葉を免罪符に堂々と報復する。それにアンタが反論することは許されない。自分で選んだことだと骨の髄まで貪られるのがおちだ」
ニコラスは己が過去を苦々しく噛み締める。
兵士になったのは己の意志だった。望んで国に身を捧げ戦い続けた。
見返りなど願ったことはないが、自分で見返りは要らぬと言うのと、他者から見返りを望むなと強要されるのではまるで違う。
6年前、ティクリート暴行事件の冤罪をかけられ、国民ならびにマスメディアの中には極刑を望んだものも少なくなかった。それが冤罪と分かれば一変して、兵士になったお前が悪いと罵られ、運が悪かったのだと諦めるよう強要された。
ゆえに、ニコラスは骨身に沁みて理解した。
他人に尽くしても、報われることはない。
人は己の利益になる行為にだけ感謝し、己にとって無関係の行為にはどれだけ努力しても気付かない。それどころか己にとって不利益と分かれば声高に非難し妨害を始める。
「……アンタが悪いんじゃない。アンタが責任を負う必要もないし、自分の命を守る行動は正しいことだ。支援活動は止めておけ」
重苦しい沈黙が降り立った。
無言に俯くローズ嬢の背に、同情に満ちた顔の秘書が手を添える。
「お嬢様。もう十分でしょう。支援すべき地区が分かっただけでもかなりの成果です。支援活動は特区外から送金するだけで――」
「それでは皆さんの手元に入りませんっ。どうせ五大マフィア連中の懐に入るだけじゃないですか!」
ひび割れた声を荒げたローズ嬢は両の拳を白くなるまで握りしめた。
「何でもいいんです。お金でも食べ物でも薬でも何でもいい。花を選んだのは、花なら五大に奪われないと思ったからです。悪党は花なんかに興味を示しませんから」
可憐な顔に似合わぬ自嘲の笑みに、ニコラスは顔を歪めた。
なるほど。おしとやかな世間知らずのお嬢様などではなかった。
愛らしい顔の下に、これほどの激情をひたすらに押し隠していた。
「……現地調査の際に特区の関所に出向いた時、関所の者に食べ物を恵んでくれと訴える人々を見ました。関所の者は、彼らを銃撃しました。撃ち殺したんです。中には、女性も子供もいたのに……」
震える彼女の声はそれ以上言葉にならず、ニコラスは天井を仰いだ。
参った。これは説得しても飛び出していきそうだ。
それでも何とか止めようと時間稼ぎを図ってみる。
「マクナイト、警察本部の方はどうなんだ? そっちにも許可申請とかいるんじゃないか」
「うちがそんな勤勉なわけないだろ。話も聞かずに素通りしたよ。完全な放任さ。一応護衛はつけてくれるらしいが、当てにしない方が良いぞ。案山子にもならん」
身内をボロクソに扱き下ろすケータに、ニコラスは酸っぱいものを飲み下した顔で呻いた。流石はお飾り組織。
といっても嘆いていられない。
仕方なく、ニコラスは最後の頼みの綱たる相棒を見やった。
だが、ハウンドは場違いなほど間延びした声で。
「う~ん。支援自体は別に悪くないんだけど。場所がなぁ」
と言い、ニコラスは度肝を抜く。
「正気か? あの『殺戮』のロバーチ一家領内で活動するんだぞ」
ニコラスの言葉に蒼褪めたケータが小刻みに頷く。
ロバーチ一家の恐ろしさは特警のケータが骨身に沁みて理解しているだろう。
『流血の滝事件』――連邦捜査局と連携した特警がロバーチ一家幹部2名を拘留しため、ロバーチ一家から凄惨な報復を受けた事件だ。
当時、特区設立直後で世論から猛批判を受けていたFBIは功績を立てることに躍起になっており、強引に特警と連携を組んだうえ、捕縛した幹部を餌に交渉でもっと大物をおびき寄せようした。
だが実際ロバーチ一家は交渉なぞ歯牙にもかけず、一家総出で特警東区本部を襲撃したのである。
特警もFBI-SWATチームも鏖殺された。
本部内にいた人間は皆殺しにされ、犠牲者から流れ出た血は玄関先の階段にまで及び、滝のように流れ出た。
捕縛され醜態を見せた幹部2名もただでは済まなかった。
破壊を免れた署内の監視カメラには、解放された幹部らに自害用の拳銃を手渡される様子が映っていた。
後日、応援部隊が署内を確認したところ、銃弾を受けすぎて原型をとどめなくなった肉塊が二つ、拘置所に転がっていた。
以来、特警はロバーチ領に駐在所を設けていない。
設置できなかったのだ。
そんな場所でボランティアなぞ、冗談ではない。
「彼女らは一般人だ。いくら護衛つったって無理が――」
「ああいや。ロバーチ一家に関しては問題ない。三等区だからな」
こいつの説明の言葉足らずは何とかならんのか。
ニコラスが不平を吐く前に、おしとやかさを投げ捨てたローズ嬢が食いついた。
「ミス・ハウンド、それは私共の活動を許可してくださるということですか?」
「決定事項ではありませんがね。ですが、うちの住民は確実にあなたの支援活動を支持するでしょう」
「本当ですか!?」
「ですが、今回の活動予定地のロバーチ領三等区となりますと、少し話は別でして、その。
……実はロバーチ領は連邦制なんですよ」
「「「連邦制?」」」
秘書を除く3名の言葉が重なる中、ハウンドは渋い顔で頷いた。
「ロバーチ一家は五大の中で唯一、支配体制がちと特殊でな。名目上はロバーチ一家なんだけど、実質的には一等区以外は別の人間が管理してるんだ。要するに、ロバーチ領三等区には別の支配者がいる。ロバーチ一家とは全く別のな」
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