3-11
色合い的には、夏休暇をカリフォルニア海岸で過ごして日焼けした狐といった感じか。狐は日焼けなんてしないし休暇もないが。
「おお、綺麗に口が割れたね」
「はい! オオカミさんお口ぱっかーんです!」
ニコラスの両脇から嬉しげに覗き込む老紳士と少女、現在休業中のカフェ『BROWNIE』の店長と、彼の養子であり新人メイドのジェーンの目は、つい先ほどオーブンから取り出した焼き立てのスコーンに釘付けだった。
レシピの画像よりやや色が濃いがギリギリ狐色の範疇であるスコーンは三角形で、大口を開けた狼のようにぱっくりと真横に割れ目が入っている。
上手く焼けた証拠だ。
「すごいじゃないかニコラス。初めてのお菓子作りなのに大したものだ」
「おいしそうです~!」
はしゃぐ二人にニコラスはこそばゆく思った。
褒められるのは慣れていないし、上手く焼けたのは教えてくれたのが店長だったからだ。
「味見、お願いしていいですか?」
「これなら必要なさそうだが……せっかくだから頂こうか、ジェーン」
「はい!」
満面の笑みで頷いたジェーンはさっそく小皿やスプーンの準備を始めた。
以前の委縮っぷりはすっかり鳴りを潜め、子供らしい反応も見せるようになったジェーンの姿に、ニコラスは口元をほころばせる。
虐待児として育ったがゆえ慇懃な言葉遣いは相変わらずだが、それでも同じ碌でなしの親元で育った身としては、ジェーンの前向きな姿に心底胸を撫でおろす気分だった。
「にしても私が知らない間にとんでもないことをやったそうだね、ニコラス」
「好きでとんでもないことをやったわけじゃないですよ」
「知ってるよ。褒め言葉さ。君とハウンドのおかげでこうしてスコーンを焼く余裕ができたわけだし。あと見知らぬのっぽの商人さんのおかげでね」
おかげ、というほど自分は大した活躍はしてないが、それを口にするのは失礼な気がして苦笑に留める。
一方、のっぽの商人さんは今や27番地の英雄的存在だった。
ロバーチ一家所属となった商人テオドールの行動は驚くほど早かった。
商談の3日後には、河上のカナダ国境線沿いギリギリで回頭できる横幅の中型貨物船が停泊し、大量の水と食料、日用品、医薬品、さらに煙草・酒・コーヒー類などの嗜好品まで届けられた。
住民は大いに沸き立った。とりわけ子供たちへの文具用品や、数人の少女のためにと生理用品まで積んでくれたことには、ハウンドから直々に感謝の一報を入れたほどだ。
ロバーチ一家の後ろ盾を得て特区への物資運搬がスムーズにいったというのもあるが、それでもヴァレーリ一家襲来からたった一週間で27番地の食糧事情を回復させたのは、テオドールの手腕あってこそのものだろう。
「にしてもこれだけの量の物資を、どうやってこんな格安で仕入れてきたんだろうね? いくら商売とはいえ、犯罪都市に物資を回してくれる人間は多くないだろうに」
「昔デトロイトを市場にしてた食品系企業に片っ端から声をかけたそうです。向こうも棄民とはいえ民間人相手ならと喜んで売ってくれたとか。むしろ、余り過ぎた在庫を何とかしてくれと泣きついてきたところもあったそうです」
「ああそうか。特区ができたせいで以前あった市場は潰れてしまったからね。彼らにとっても渡りに船だったというわけか」
甲高い電子音が鳴り響く。冷蔵庫に張り付けたキッチンタイマーだ。
「お、そろそろ紅茶も頃合いかな」
「はい」
「魔法瓶は温めた?」
「はい」
ニコラスは砂時計の砂粒が完全に滑り降りるのを待って、慎重に紅茶を魔法瓶へ注ぐ。
蒸気と独特の香りが立ち上る中、横で見守る店長の口元に笑みが浮かんだ。これは上手くいった証拠だ。
彼曰く、注いだ時の香りで紅茶の味の良し悪しが分かるのだという。
注ぎ終えたらしっかり蓋をして、店長お手製のジャム瓶と一緒に籠に入れ、その上からキッチンペーパーに包んだスコーンを詰めれば完成だ。
「いやはや。最初頼まれた時は驚いたが……完璧な仕上がりだ。ここまで優秀な教え子は初めてだよ。これならきっとハウンドも喜ぶだろうね」
「だといいんですが」
「味見用のお皿もってきました! ……あれ? 何だろうこの匂い、チーズ……?」
居間から戻ってきたジェーンが興味津々で鼻をひくつかせる。
ニコラスと店長はちらっと視線を合わせると、含み笑いをした。
「さて何の匂いだろうね」
「ジェーンには少し早い味かもな」
「大人の味ってやつですか?」
しごく神妙な顔つきで声を潜めたジェーンに店長の笑いが弾ける。それを見たニコラスも目元を和らげた。
ニコラスは普通の両親も家庭も知らない。だが2人のように血が繋がっていなくともこんな関係を築けるなら、血縁など些末なことに過ぎないのだろう。
「あ、そうだ。これを忘れてた」
いそいそとペンを手に取る店長にニコラスは首を捻る。
「何やってるんです?」
「ん? ああ、ジャムの名前を書いてるんだ。こうしないとハウンドが困るから」
「けど今日のジャム、杏と林檎でしょう? 店でも出してるやつじゃないですか」
ハウンドは料理の盛り付け担当だ。
流石の彼女も仕事でしょっちゅう扱うジャムを知らないはずがないと思うが。
と、その時。再び甲高い電子音が鳴った。
今度はキッチンテーブルの上に置いてある店長の携帯電話だ。表示された名前を見ればハウンドからである。
「おや。噂をすれば」
いそいそと出た店長はしばらくして振り返った。苦笑を浮かべて。
「ニコラス、悪いがスコーンの感想は今度伝えさせておくれ。どうもハウンドの元に困ったお客さんが来てるみたいだ」
***
新たな隠れ家、50階建ての無人オフィスビル『キャデラック・タワー』の42階の一室に帰宅するなり、ニコラスは盛大に顔をしかめた。
「……なぜここにいる」
「よお番犬。お使いは済んだか」
不遜だが無気力に一瞥したカルロにニコラスは眉間のしわを深くする。
しかもその奥では優雅にソファーでくつろぐフィオリーノが見えて、ニコラスの機嫌はますます急降下した。
だがそれでもフィオリーノの向かいに座る人物には及ばない。
「お~か~え~り~」
「…………ただいま。よく入れたな」
「部屋に入れてくれなきゃ建物前で寝っ転がって大泣きしてやるって脅された」
「3歳児か」
「マフィアのボスだよ。一応な」
風邪っぴき鴉の如き濁声からは嫌悪と辟易が溢れ返っているが、半ば諦めも入っているように感じる。
向かいに座る相手をなるべく見ないよう懸命に顔を背けているハウンドだが、その姿すらフィオリーノはニコニコと嬉しげに見つめている。
この男の女性に対する真摯さと熱意だけは褒めてやってもいいかもしれない。
ニコラスはスコーンの入った籠をキッチンデスクに置いて。
「で、お前は何しに来たんだ」
「あれ、君いたの?」
いま気づいたとばかりの芝居ぶった振る舞いだが予想内である。
ニコラスが白い目を向けるとフィオリーノはクスクス笑いだした。
「あはは。そう睨まない、睨まない。ちょっとヘルの顔が見たくなってね」
「へえ」
「20分経ったな。よし帰れ。帰りはそこの窓な」
「パラシュートなしで42階からダイブはちょーっときついかなぁ?」
「そうか。自分で飛び降りるのが嫌か。ニコ、足もってくれ」
「え」
「了解」
「は? ちょっ、ちょいちょいちょいタンマ! あぁっ、髪ひっぱんないで! 頭禿げちゃうー!」
ニコラスは感心した。
世界中を探してもこれほどの色男の髪を容赦なく鷲掴みにして引きずる女など、ハウンドだけでなかろうか。
というか。
「お前、止めなくていいのか?」
「たまには灸を据えないと調子に乗るからな」
「カルロ!?」
「……言っておきますが、あなたが最初から譲渡状を作成してから土地を譲っていればこんな面倒なことにならなかったんですよ。利権も何も考えずにぽっと譲るからこうなるんです」
「だって美人には早いとこプレゼント渡しとかないと」
「俺は止めたはずですが?」
「あー痛い! 頭皮が剥げるっ! マジで禿げる! カルロ助けてぇー!!」
「………………………………はあ。ヘル、脅す程度に留めてやってくれ。あと髪を引っこ抜くな。見栄えが悪くなる」
達観した、というより死んだ魚に等しい眼でようやく救援に乗り出したカルロの目の下には、深い隈がこさえられている。
恐らく先日ロバーチ一家に機密情報を奪取された後始末に奔走していたのだろう。
マフィア幹部も楽ではないようだ。
一方、側近にも裏切られていじけたのかフィオリーノがやけくそ気味に叫んだ。
「分かった分かった、ごめんってば! 今日はこれを返しに来ただけだよ! あとプレゼント!」
「「プレゼント?」」
自分と言葉を被らせたハウンドがようやく獲物を解放した。
途端フィオリーノはいそいそソファーに戻り、再び乱れた服装と髪を整えてから咳払いを一つ。懐から一通の封筒と小包を取り出した。
「先日、五大の間で緊急会合を開いてね。まさかあの強欲ロシア人どもが君らの関税自主権保障してるなんて思わなかったからさぁ、おかげで今回利権を得たのが俺たちだけになっちゃってね? 他一家から『ヴァレーリ一家だけズルい!』って散々文句いわれちゃったからこれ返すよ。あ、ちゃんとヘルが直筆で書いた本体のだからね。複製は全部こっちで処分しといたから」
そう言ってフィオリーノは封筒、譲渡状をテーブルに滑らせた。
それにハウンドは目を通し、胡乱気に睨む。
「本当に本物なんだろうな、これ」
「ホント、ホント。オレウソイワナイ」
「ニコ」
「……………筆圧で紙が窪んでる。躊躇いもない。筆跡に覚えがあるなら本物だ」
「なら良し」
「ねえちょっと? なんでそいつのいう事ばっか信じるの。俺の方がヘルと付き合い長いんだよ。酷くない?」
知るか。自業自得だ。
ニコラスが無言で睨む中、大してめげてない厚顔な色男は流麗な動作で小包を差し出した。
「それとこっちはお詫びの品。ちょっと迷惑かけちゃったからね。これからもヘルとは長く付き合っていきたいし、ま、お隣どうし仲良くしてねってことで」
ちょっと?
ニコラスが鼻面にしわを寄せたのに対し、ハウンドは洒落た小包の包装を無造作に破る。
現れたのは黒のベルベットに包まれたいかにも高級そうな宝石箱だ。
開けてみれば――。
「ループタイ?」
「そうそう。ヘルがいつも着けてるの孔雀石のでしょ? 普段着ならいいけど、流石に会合とかパーティーとか正式な場だとちょっと見劣りするからさぁ。こっちの方がいいかなって」
美しい紅玉のループタイだった。
石自体もかなり大粒だが、その周囲には金の蔦が品良くあしらわれおり、濃褐色の牛革紐がそれらを引き立てている。これ一個で家が建ちそうなほど値が張りそうな品だが嫌みがなく、無論ハウンドによく似合う見事な逸品だった。
が、ニコラスは気に食わなかった。
自分が一生かけて稼いでも贈れないであろう品をポンと出せることへの妬みもあるにはあるが、一番はループタイのデザインだ。
真紅の宝石に、金色の葡萄の蔦。紐の先端には肉食獣の牙を模した紡錘形の留め具がついている。
ヴァレーリ一家の象徴印は〈葡萄の樹上に寝そべる豹〉。しかも、品物は首に着ける装飾品ときた。
さらに言うと、今フィオリーノが着けているアスコットタイのタイリングも葡萄の蔦だ。
あからさまにもほどがある。完全な首輪だ。
しかし意外なことにハウンドは違った。
ループタイを手に取り、しげしげと眺めるハウンドの姿にフィオリーノは顔をほころばせ、カルロは物珍しげに目を見開く。ニコラスも驚いた。
――やっぱ女の子なんだな。
ハウンドだって年頃の女性だ。やはり綺麗な物を見ると心が躍るのだろう。
唐突に湧き上がった妙な寂しさと胃の不快感にニコラスは戸惑った。
何故だろう。ハウンドが知らぬ合間に成長してしまったことを寂しく思っているのか。にしては胃がむかむかするし落ち着かない。何だこれは。
ニコラスが内心首を捻っていると、ハウンドの方も首を捻り始めた。
眉根を寄せ、ループタイを光にかざしては目を眇めている。時おり匂いまで嗅いでいる。
何をやっているのか――あ。
ニコラスははたと気付いた。店長の気遣いはそういう事だったのか。
ニコラスはハウンドの耳元に口を寄せた。
「クランベリーの色だ」
「クランベリー?」
「こないだお前がトーストに塗ってたジャムだよ。甘酸っぱいやつ。クランベリーがこんな色だ」
「ふーん。クランベリーか。……うん、ならいいや。フィオリーノ、これ貰っとくわ。ありがとね」
フィオリーノはポカンと口を開けた。
たっぷり5秒固まり、全身をプルプル震わせて。
「ヘルがお礼言った……? え、ちょっ、カルロ聞いた? ヘルが俺のプレゼント受け取ったよ……!? しかもありがとうって、ありがとうって!」
「良かったですね」
「うわーん! 長年口説き続けた結果がようやく出たよぉ! ヘル大好きぃー!!」
「は? ちょ抱き着くな止めろ離れろ!」
棒読み口調の側近を無視して抱き着くフィオリーノに、ハウンドは抱っこを断固拒否する猫が如き嫌そうな顔でフィオリーノの顔を鷲掴んでいる。
それでもごく幸せそうに顔を摺り寄せているあたりよほど嬉しかったのか、それとも手酷くあしらわれ過ぎて耐性がついたか。女好きの執念、恐るべしである。
瞬間。突然襟を掴まれ背後に引かれる。
見ると超絶不機嫌そうな顔をしたカルロだった。
「ヘル。こいつ借りるぞ」
「は!? ちょい待てカルロ――」
ハウンドが慌てたようについてこようとするも、抱き着くフィオリーノが邪魔で動けない。
存外過保護な相棒に大丈夫だと片手を挙げ、ニコラスはカルロに半ば引きずられるように部屋を出た。
「――で?」
廊下の壁際に立たされたニコラスは、こちらを腕組しながら睨む大男を睨み返した。
「お前はつくづく首領の神経逆なでするのが得意らしいな」
「はあ?」
「ちょっと考えりゃ分かるだろ。わざわざ時間割いて選んだ贈り物をどこの馬の骨とも知れん男に口出しされて喜ぶ男がどこにいる? しかも女のために用意したやつを。そうでなくともお前がヘルと同居してるだけでも機嫌悪いのに、これ以上悪化させんじゃねえよ。誰が機嫌取ると思ってんだ」
早口でまくし立てる苦労性の側近に少し同情心が芽生える。
が、ニコラスは頭を掻く。
「仕方ねえだろ。分かんねえんだから」
「あ゛あ? 何がだ」
「色。お前も知ってんだろ、ハウンドが色盲なの」
途端、カルロの不機嫌面がびしりと硬直した。
驚いたニコラスは思わず尋ねた。
「え、知らなかったのか?」
「知らん。お前、どうして気付いた?」
「お前らがこないだ来た時。ジャムの種類が分からなくて匂い嗅いでた。さっきのループタイも匂い嗅いでたろ」
それだけではない。先日ハウンドに料理を作ってやった時、ハウンドは料理の色ではなく匂いに真っ先に反応した。
焦げにも見える黒っぽい料理を見れば、まず色について言及するのが普通だろう。
そして先ほどの店長の気遣い。思い返してみれば、『BROWNIE』に置いてある調味料の類は必ずといっていいほど名札がついている。
塩と砂糖ならまだしも、オリーブオイルと菜種油にも名札がついているのだ。
色を見れば一発で分かるはずなのに。
「アイツ、カフェじゃ盛り付け担当なんだが、匂い嗅がないとジャムの見分けがつかないらしい。どっちもカフェでよく使うから知らないはずないんだけどな」
「…………ああそうか。飯に手を付けなかったのはそういう。道理で服にも宝石にも見向きもせんはずだ」
ぼそりと呟くカルロの口調からは僅かながら自嘲と落胆が滲んでいた。
するりと襟首を掴む手が緩み、解放されたニコラスは喉を撫でた。
気まずい。何だかよく分からんが実に気まずい。
どうしたものかと思っていると、カルロが先に口火を切った。
「おい」
彼の手が素早く翻る。反射的に受け取ると、投げられたのはUSBだった。
「そいつで最後だ。あいつに渡しておけ」
「何だこれ」
「言えば分かる。じゃあな番犬。せいぜい捨てられないよう頑張ることだな」
冷笑とも苦笑ともいえる笑みを残し、カルロは店へと踵を返した。
その去り際、ふと立ち止まり。
「そういえばお前、昔のヘルに会ったことがあるのか?」
一瞬呼吸が止まりかけるも、平静を装って声を出す。
「いいや。なんでだ」
「相棒だった頃、あいつはよく俺の背中を見上げていた。振り返ると何でもない風に目を逸らすんだが……まあお前じゃないか。俺よりチビだし」
うるせえほっとけ。
苦虫を噛み潰すこちらにようやく留飲を降ろしたのか、カルロは皮肉気に鼻を鳴らすと去っていった。
「――俺ではない誰か、か」
カルロの背を見送ったニコラスはそう独り言つ。
しばしの物思いに耽りながら。
***
「いつまで拗ねてつもりですか、首領」
案の定ぶすくれたボスのご機嫌取りをする羽目になったカルロは、溜息交じりに言葉を吐く。
「プレゼントに口出しされたのがそんなに気に食わないんですか?」
「違うよ。俺が気付けなかったことをあいつが気付いてたのが腹立たしいんだよ。何だよ全く、童貞みたいな顔してるくせに。新参者のくせに」
それについては異論ない。
とはいえ、ヘルが色盲であったことに気付けなかったのは事実。正直、今回の勝負は完敗だ。
出し抜かれた挙句リードまでされていたのだから。
しかしカルロの上司はどうしても負けを認めたくないらしく、まだ愚痴を言い続けている。
「大体ヘルが着けてるあのループタイが気に食わないんだよ。俺たち五大がヘルハウンドをなんで『ヘル』って呼ぶのか知ってる?」
「『地獄』、と北欧神話の女神の名をかけたものと聞いています」
「冥府の女神、死を司る女神『ヘル』ね。で、『Hel』は別名『Hela』とも言われる」
「ヘラというと、あのギリシャ神話に出てくる女神ですか」
「そ。あの嫉妬深ーい女神様ね。結婚と貞節を司る。――んでその女神様に仕える聖鳥、何か知ってる?」
「孔雀ですね」
ヘルハウンドが着けているループタイも孔雀石だ。
お洒落に全く興味がないと思いきや、存外自身の称号に関することには気を遣うらしい。
意外に思っていると、すこぶる不愉快そうにフィオリーノが唸った。
「んじゃその孔雀の羽の模様にまつわる言い伝え知ってる?」
カルロは口をつぐんだ。自身の思い違いに舌打ちをしたい気分だった。
伝承では、女神ヘラは夫である大神ゼウスの浮気っぷりに業を煮やし、海神ポセイドンの息子の巨人に夫の愛人を見張るよう命じた。だがその巨人はゼウスの命を受けた伝令神ヘルメスによって殺害されてしまう。
訃報を受けた女神は巨人の死を悼み、彼の全身にあった眼を孔雀の羽に飾ったという。
巨人の名は、百目の巨人。
人と海神との間に生まれし異形の英雄。
ニコラス・ウェッブの呼称だ。
「…………偶然じゃないですかね」
「いやいやいや、絶対あれ狙って着けてるでしょ! だってヘルよ? あのお洒落に疎いヘルが自分で選んで着けてるんだよ? うわぁ信じたくない夢であってほしい……ねえあいつヘルとどこまでやったと思う? まさかヤってないよね?」
「話した限りかなりのヘタレっぽいのでそれは無いかと。キスもしてないんじゃないですか?」
「だよね? だよね!? うわぁー嫌だ俺あんなのに負けたの? 嘘でしょまじショック……」
座席に突っ伏してべそべそ泣き始めるボスにカルロはげんなりした。これはあと半年は引きずるな、確実に。
カルロは今後の『ボスお世話計画』を組みつつ、溜息交じりにハンドルを切るのであった。
エピローグは本日の18時に投稿します。




