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 この街ほど、『自由』を実現した場所はない。極論、『自由』とはなにも守らず、なにからも護られぬことなのだから。


 ミシガン州特別経済自治区、通称『特区』。もとは大手自動車企業リベラルモーターズ社が、本社のあるデトロイトに租税回避地(タックス・ヘイブン)を設立しようと目論み企画した経済開発区域――国営の実験都市であった。しかしリベラルモーターズ社亡き今、街は世界最大級の規模を誇る犯罪都市と化している。


 実権を握ったのは、リベラルモーターズ社傘下にあった五つの外資系子会社、――民間企業という無害の皮を被り潜んでいた五つの犯罪組織である。


 マフィア最古の歴史を誇るシチリアンマフィア、『ヴァレーリ』。

 新興勢力で実力主義のロシアンマフィア、『ロバーチ』。

 メキシコより猛威を振るう麻薬カルテル、『シバルバ』。

 中国から勢力を伸ばそうと企む黒社会、『ターチィ』。

 先祖の悲願を叶えるべく立ち上がったネイティブ・ギャング、『ミチピシ』。


 これら五つの犯罪組織は、ミシガン州を囲む五大湖と、かつて合衆国で栄枯盛衰をみせた五大ファミリーをもじって『五大マフィア』と称された。


 かくして五大マフィアは特区を50の区画に分割し、それぞれ10区画ずつを支配下に治めた。


 そんな中、唯一彼らの支配を逃れた区画が一つある。




 ***




「……とりあえず、どういう状況か聞いていいか?」


 聞くまでもない質問をあえて聞いたニコラスに、四対の視線が突き刺さる。


 一人はアフリカ系の少女。歳は10歳前後、くりくりにカールした黒髪にカフェオレ色の滑らかな肌。大きな青い瞳は涙に濡れ、右頬が大きく腫れて唇の端が切れている。


 そして残りは男三人、筋肉だるまとデブと痩せぎすが一人ずつ。刺青だらけの両腕や、ごてごてとした装飾品過多な服装を見るに、この街でよく見かけるギャングの一員だろう。


 そんなギャングたちは三人がかりで少女の手足を取り押さえていた。裏口から出るなりこれである。ニコラスは朝一でゴキブリを見た気分になった。


「何って見りゃ分かんだろ。見りゃ」


 開き直る筋肉だるまに痩せぎすとデブがゲラゲラ嗤った。ニコラスが冷めきった目で一瞥した時、


「ニコ~、どうだった~?」


 背後からハウンドの声がした。その声に、若い女の気配に目ざとく反応したギャングたちは、欲に濁った眼差しで素早く目配せし合う。

 そして筋肉だるまはその場で少女を押さえ、残りの痩せぎすとデブが目の前に立ちふさがった。


「おいお前、なにクソ真面目に働いてやがる。ここはあの『棄民の国(ダンプサイト)』、“真に自由な街”だぜ?」


「勿体ねえ。もっと愉しもうぜ。しかも、ここは27番地なんだからよ」


 “真に自由な街”。

 ブラックジョーク好きでもない批評家どもが、自責と皮肉を込めてつけた特区の二つ名だ。


 縛るものは何一つなく、節度と秩序が欠落した完全なる無法地帯。

 さらにニコラスたちが住むこの27番地は、特区で唯一五大マフィアの支配を受けない中立地帯でもあり、つまり支配者(マフィア)という名の管轄者がいない。


 ゆえに、新参者のギャングがよくうろついており、こういう馬鹿も時々出てくるわけで。


「とりあえず背後にいる姉ちゃん出しな。でないと痛い目見るぜ」


「そうそう。ただ差し出してくれりゃいいんだ。そしたらお前にも譲ってやっからよ」


 ヤニと薬物で汚染された息を吹きかける男たちに辟易したものの、ニコラスは後ろ手にやった手で音もなく手信号(ハンドサイン)を送る。


『待機してろ』


 軍用の手信号だが、この街に住んで長いハウンドなら何か勘付くだろう。むろん自分よりハウンドの方が遥かに喧嘩に強いのだが、この光景を彼女に見せるのは躊躇われる。


「おい。さっき裏戸叩いたのお前か?」


 立ちふさがる男二人に目もくれず、ニコラスは少女に強い口調で尋ねた。後頭部を鷲掴みにされた少女は、すがる眼差しを向けたものの一言も発しない。


――このガキ、どこかで……?


 内心で首を捻ったニコラスだったが、少女の震える唇が同じパターンの動きをしていることに気付いた。


 脳裏に一人の少年が蘇った。


『自分を助けた狙撃兵(カンナース)はあなたですか?』


 振り払うだけで腕の骨が折れそうな痩せぽっちの小さな少年。己の戦闘服を掴んだその手は爪を全て剝がされ、ロングシャツの襟元から見えた首は、赤黒い染みだらけの包帯に覆われていた。

 今にも死にそうな風体のくせに、ぼさぼさの黒髪の隙間からのぞいた、深緑の瞳だけが生気に満ち溢れていた。


 その瞳が今、目の前の少女の青い瞳と重なった。


 少女の唇が再び無音の音を紡いだ。助けて、と。


 ニコラスは小さく息を吐いた。


 一方、完全にないものとして扱われた男二人の顔が険悪に歪んだ


「シカトかよ。いい度胸してんじゃねえか」


「親切にしてやりゃ調子に乗りやがって」


 痩せぎすは腰から拳銃を取り出し、デブは右手にナックルダスターをはめている。一触即発。だがニコラスは、平然としたまま見守るばかりで構えもしない。


 当然だ。デブは腰が高く脇もがら空きで隙だらけ。痩せぎすは使えもしない馬鹿みたいな大口径拳銃を構えている。しかも安全装置はかかったまま。この様子だと初弾すら装填していないだろう。


 ニコラスにしてみれば、相手にするのも馬鹿馬鹿しいド素人だった。それを舐め腐った態度と受け取った二人はとうとうブチ切れた。


「てっんめぇええッ!!」


 最初に動いたのはデブ。大きく拳を振り上げ、ニコラスの側頭部に振り下ろす。その視界の端で、大口径拳銃を構えた痩せぎすが勝敗は決したとばかりにニヤついていた。


 乾いた破裂音。


 静寂。瞬きを二回、直後デブは膝から崩れ落ちた。その左腹部からじわじわと赤い染みが広がっていく。何が起こったか分からない、そんな表情のデブの目がニコラスの手元に向けられた。


 放熱で歪んだ大気の先に、黒々と開く銃口がある。海兵隊制式拳銃M9A1に酷似したその形状。艶消し塗装の施された武骨なる洗練。

 ベレッタ92のライセンス生産民間モデル、トーラスPT92自動拳銃である。


「ぁああああああ!!」


 ようやく撃たれたと理解したデブが苦悶の表情でのたうち回る。そんな彼に、残り二人は目に見えて怯んだ。


「お、お前っ……そんな、いきなり……!」


「いきなり? 先に殴ってきたのはお前らだろ。撃って何が悪い」


 痩せぎすは真っ青な顔でガタガタと震え出した。が、やけくそになったのか、喚きながら定まらない銃口をニコラスの顔に向け、引金を引いた。


 カチリ。大口径拳銃は沈黙したまま。


「初弾入ってないぞ」


「え」


 発砲。


 悲鳴がつんざいた。路地に木霊する二つの痛苦の声に、筋肉だるまは死人のような顔で後ずさりした。ニコラスは血の噴き出す太腿を抱えて転がる痩せぎすを跨ぎ、最後の獲物へ足を踏み出す。


「……っ、まてっ、待ってくれ! 俺には妻と息子が――」


「へえ。証拠は?」


 筋肉だるまが言葉を詰まらせ、視線を彷徨わせる。苦し紛れの嘘など、死線をくぐり抜けてきた狙撃手の前では、何の意味もなさない。


「勘弁してくれよ……俺は丸腰だぜ」


 と言った瞬間、筋肉だるまが右手を大振りに薙いだ。その手に握られていたのはカランビットナイフ、鉤爪に似た刃の暗殺ナイフだ。隠し持っていたらしい。


 ニコラスは少しも慌てることなく右肘の内側を手刀で打つ。関節が強制的に曲がり、鼻先を掠める刃を軽くのけ反って躱す。と、同時に筋肉だるまの顔面に台尻(グリップエンド)を叩きこんだ。


 のけ反り倒れる筋肉だるまの喉元を掴む。


「誰が丸腰だって?」


 ニコラスは無表情のままゆっくりと獲物の額に照準を合わせた。


 刹那。ひゅっと、ニコラスの耳元を何かがかすめた。


 コォ―――――ン!


 鉄を叩くいい音色が鳴り響く。筋肉だるまは鉄製フライパンを額にめり込ませて昏倒した。


「気を遣ってもらっといてなんだが、無用の心配だぞ、ニコ。ここはレディ・ファーストの国だからな」


「荒事でもか」


「もちろん。私は代行屋『ブラックドッグ』、この程度のことは日常茶飯事さ」


 飄々とした声を響かせながらやってきたハウンドは、裏戸から顔を出すなり「おや」と目を見開いた。


「誰かと思えば可愛らしい子猫ちゃんじゃないか」


 恐怖のあまり、嗚咽すら出てこない少女に、ハウンドは無遠慮に近づくとしゃがみこんだ。


「ありゃりゃ。口切れちゃってるね~。手当てしないと、ね」


 そう言うなりハウンドは、小脇に抱えていた上着を頭からふさりと乗せた。黒のフライトジャケット、二の腕部分に青い瞳の黒狼が縫い付けられた、ハウンドのトレードマークでもある。


「よっと」


「っ!?」


 小柄な体格に似合わぬ軽々しさでハウンドは少女を抱え上げた。俗にいうお姫様だっこというやつだ。突然のことに少女は足をピンと延ばして硬直したが、ハウンドは構うことなく店内へと運んでいく。


 カフェへ戻る直前、ハウンドは初めて足元に転がるギャングを一瞥した。


「そいつらは放置しとけ。あとはうちの連中が片付ける」


「分かった」


 筋肉だるまを早々に放り出し、ニコラスは立て看板を中に入れて裏戸の鍵を閉めた。ついでに近くのワインボトルがぎっしり詰まった木箱を足で押して、扉を完全にふさいでおく。


 一方、ハウンドは厨房に置いてある椅子に少女を降ろすと、なぜか回れ右をしてこちらに戻ってきた。声のトーンを落として囁いたのは、少女に聞かせたくないからか。


「武装した相手に容赦しないのはいい。状況が状況だ。けどガキの目の前で撃ち殺そうとするのはどうかと思うぞ?」


 内臓の奥底に沈めたはずの激情がぐらりと沸き立った。が、自制する。

 ハウンドの背後に座る黒い上着の包み、そこから覗く小さな傷だらけの手足が震えているのが見えたから。


 えずいた際に出る唾液を飲み下すような不快感を堪え、ニコラスはきろりと兇刃にも似た眼光で睥睨した。


「今さら善人ぶって何になる。俺はどうせ偽善者(ムナフィック)だ」


 触れるのも嫌だといわんばかりにハウンドの横をすり抜ける。耳奥で木霊する少年兵の声が煩わしくて堪らなかった。


 やめてくれ。俺は英雄(ヒーロー)なんかじゃない。


 ニコラスは少年兵の声から逃れるようにホールへと戻った。残された厨房の二人、うち年嵩の少女がこぼした言葉も聞かずに。


「……相変わらず嘘が下手な男だね」

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あると作者が泣いて喜びます。

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