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3-5

 ハウンドがフィオリーノと腹の探り合いを繰り広げていた頃、ニコラスたちの商談は恐ろしく順調に進んでいた。


「……問題ないな。クロード、いいか?」

「ああ」

「なら採用で」


 ニコラスは契約書に署名し、向かい側に突っ返す。それを受け取ったカルロは無言のまますぐ次の契約書を差し出してくる。


 かれこれずっとこの調子だ。


 何やら言葉巧みに詐欺紛いの商談をふっかけられるかと思いきや、やっているのはこれまで27番地がヴァレーリ一家と結んでいた契約書の更新である。


 肩透かしを食らった感はぬぐえない。


――確かにうちと関係が悪化すると色々支障をきたすのは分かるが……。


 日頃、支配者らしくデカい態度でふんぞり返る五大マフィアだが、連中の領土を実質的に整備しているのは棄民だ。


 他の三等区を始め、27番地の商売相手は主に五大マフィアで、業務内容は道路交通整備、建築業、運搬業、廃棄物処理業、小売業、運転業、飲食店業、接客業などで生活している。(強制連行で女性がほとんどいないため風俗業はほぼない)

 無論、27番地の国境防衛も職業の一つだ。


 土地の少なさゆえに農業や漁業といった一次産業ができず、食料自給率が極めて低いのが難点だが、それ以外の部門は驚くほど自立している。


 そして何より、犯罪都市の貧民街にもかかわらず堅気職に就く住民は全体の8割にのぼる。


 仮に自分たちとヴァレーリ一家との関係が悪化すれば、連中は銃撃戦で破壊された家屋の復旧や死体処理といった後始末を自分たちでやるか、他の誰かに外注せねばならない。

 もちろん奴らはマフィアなので、いざとなれば恫喝してやらせる気だろうが、クズ飴でも動いてくれる棄民をわざわざ鞭打つ必要はない。


 そんなわけで、奴らが自分たちに危害を加えない理由は分かる。

 が、ここまで丁寧に接せられると逆に勘ぐってしまう。


――何を企んでやがる?


 ニコラスは書類を読む片手間、対面をじっと観察する。


 しかしどう見ても、ヴァレーリ一家代表のカルロ・ベネデットは優秀過ぎるだけの商談相手で、それがかえってニコラスの警戒心に拍車をかけていた。


「建築業関連はそれで最後だ。次は運搬業に移る。それと追加で、こないだヴァレーリ領の5番地で発生した火災の事後処理を頼みたい。焼失した家屋の撤去と新しいビルの建築だ。計画と設計はすでに済んでいるから現場に入り次第すぐ着工できる。余力はあるか?」


 事務的かつ淡白とした無駄のない問いに、ニコラスは脳内で現在の人割状況を確認する。


「クロード。C5ブロックの連中に頼めるか? あそこなら手が空いてるはずだ」

「あいよ。すぐ連絡するぜ」


 電話をかけ始めたクロードの横で契約書に目を通していると、カルロは揶揄するように失笑した。


「お前のその遅読はどうにかならないのか。こちらは急いでいるんだが?」

「それはそっちの都合だろ。俺はここの代表だ。無責任な行動はできない」

「融通のきかん番犬だな。用心したところで無意味だぞ」


 鼻で笑ったカルロはおもむろに煙草を喫い始める。

 眼前で嘲るように揺らめく白煙は鬱陶しいが、ニコラスは契約書を一字一句確認するのを止めようとはしなかった。


 ――署名はくれぐれも慎重に。――


 普段のらりくらりとしているハウンドだが、彼女の指示が外れたことはない。最初は無意味に思えても、後から思い返してみれば重要だったと気付くことはよくある。


 何より相手はあの『狡猾』のヴァレーリだ。用心に越したことはない。

 と思いつつ、2回読み返して特に問題点のなかった契約書にようやく署名する。


 こちらの警戒っぷりにクロードや住民は退屈し始めているようだが、ニコラスとしては気を緩められなかった。


「ほら。終わったぞ」

「やっとか」

「次のは」


 カルロの嫌みを無視して手を突き出せば、また新たな契約書が差し出される。


 まずは契約書をざっと目を通す。次いで数字を確認し、以前の契約書と見比べて変更点がないかチェックする。最後に全文をきっちり読む。


 計3回の入念な確認だ。


 真横で大欠伸をするクロードを尻目に、ニコラスは黙して読み進めた。


 特に問題なしと思いきや、不意に見覚えのない条文に目が留まる。

 契約書中盤、目が滑りそうな長文続きの部分である。


 ――『外部との斡旋に関与する運搬に限り、通常の通行税とは別に斡旋税を課税する。なお、税率に関しては変動制とする。』――


 ニコラスは眦を吊り上げた。


「おい。何だこの条文は? 前の契約書にはないぞ」


 するとカルロは、今までの無気力面が嘘のようにくつりと嗤った。


「へえ。気付いたか」


 その不遜な態度にニコラスは眉をしかめる。


「返却だ。この一文を削除した契約書を持ってこい。でなきゃ署名しない」

「なら27番地との運搬業契約はもろもろ破棄させてもらう。他にも業者は腐るほどいるからな。勿論、27番地所有の全車両は通行禁止だ」

「ふざけてんのか。運搬業はうちのライフラインだぞ」

「条文をよく読め。『外部との斡旋に関与する運搬』に限ると書いてあるだろう」


 それが大問題なんだよ、と苦虫を噛み潰す。


 外部との斡旋に関与する運搬とは、27番地が行う唯一のグレーゾーンの仕事だ。


 早い話が、五大マフィアと繋がりを持ちたがる合衆国内の一般企業を五大マフィアに紹介するという仲介業――すなわち斡旋業である。


 労働組合法の規制範囲外かつ無課税地域である特区は、あらゆる商業活動に携わる者にとっての楽園だ。

 それは合衆国内の一般企業も例外ではなく、特区はビッグチャンスともいうべき大いに将来性のある闇市場なのだ。


 そのため五大マフィアへの仲介業は非常に需要が高く、27番地では物資の運搬を装って顧客を荷台に乗せて運んだり、一般企業向けに五大マフィアの情報を出せる範囲で有料提供していたりする。


 そしてこれらの仲介業で得られる利益は、27番地の全収益の3割を占める。


 そんなところに課税されては困る。そもそも――。


「これまで課税なんてしてこなかったくせに何で今さら税を取る?」

「状況は刻一刻と変化するものだ。我々の商売が変更することもある」

「ならせめて税率ぐらい決めてくれ。お前らの気分次第で税率上げられちゃ溜まったもんじゃない」

「断る」


 ニコラスは今度こそ険相を構えた。


「何だと?」

首領(ドン)からは、その契約書だけは必ず通せとのご命令だ。お前が署名しないと言うなら27番地へ流通するあらゆるものを無期限で停止させてもらう。すでに食料が枯渇気味なお前らはどの程度もつだろうな?」


 クロードを始め、27番地住民が動揺でどよめく。ニコラスは奥歯を噛み締めた。


 なるほど、これがヴァレーリ一家の手口か。


 ニコラスが改変された契約書に気付かなければ何食わぬ顔でそのまま騙し、気付いたら脅迫して署名させる。


 何か他の手段を。


 ニコラスが必死に対抗策を練る中、カルロは冷笑と失笑をない交ぜにした顔で高慢に足を組む。


「ヘルは小娘のわりに極めて優秀な統治者だが、アレは裏社会におけるパワーバランスというものを理解していない。裏社会じゃ出る杭は打たれる。五大各一家が拮抗状態にある今、27番地が中立地帯として見逃されてきたのは、ひとえにお前らが弱かったからだ。それをアレは力を与えてしまった。今はまだそこまでの収入に至っていないようだが、いずれ仲介業はお前らに過度な力を与える。それだけは絶対に回避せねばならない。家の床下に羽虫が住み着くぐらいなら構わんが、鼠となれば話は別だ。鼠は食料を食い荒すし壁に穴を開けるからな」


 カルロの例えに憤りの呻きが漏れるが、面と向かって反論しようとする者はいない。ニコラスも背中の溝に冷や汗が伝うのが分かった。


 見下しているのではない。

 捕食者と非捕食者の違いをこの男は淡々と説明しているだけだ。


 振る舞い自体は淡白でいっそ紳士的なほどなのに、いざ気付いてみればこの男のペースに呑まれている。


 殺意を剥き出しにするでもなく、圧倒的な暴力で叩き潰すでもない。

 淡々と逃げ道を着実に塞ぎながら真綿で首を絞めてくる。


 だがニコラスとて、ここで引き下がるわけにはいかない。


「俺たちはお前らの手下じゃない。俺らがどうしようと俺らの勝手だろ」

「なら俺たちも勝手にさせてもらおうか。お前らとの商売は一切やらないし、電気・ガス・水道を無意味に垂れ流すのも止める。特区(ここ)じゃミネラルウォーター1本でもいい額になるからな。27番地に流すのを止めればその分だけ稼げる」

「急に舌が回るようになったな。口の軽い奴は破滅も早いぞ」

「まさか。俺たちが勝算もなく手の内を明かすと思うか? 27番地の内情を知っているのはお前らだけではないんだがな」


 一瞬の間をおいて、ニコラスは自分がしくじったことを悟った。


 27番地は、元はヴァレーリ領だった。となれば。


「…………街を巡回していたのはそういう事か」

「ご名答。お前らが下手な行動を取らないよう監視する側面もあったが、本命は27番地の要所を占拠することだ。すでにうちの構成員が27番地各所の武器庫、地下通路の出入り口を抑えている。首領からは不審な者、刃向かう者は即射殺しろとのご命令だ。お前らの実力は前回のUSSA迎撃の際によく分かったからな。だから言っただろう。用心しても無意味だと」


 鼠に等しい弱者だろうと手は抜かない。

 そう宣言するカルロにニコラスは唇を噛み締めた。


 ヴァレーリ一家を刺激しないようにと守勢に回ったのが裏目に出た。


 これでニコラスが署名を断れば、最悪の場合、住民への攻撃も選択肢に入る。

 恐らくこの男はそこまでしないだろうが、住民への攻撃が選択肢に含まれること自体が、こちらの行動を制限してしまう。


 そんなこちらの状況を愉しむ余裕すら見せるカルロは、さらなる追い打ちをかけてきた。


「言っておくが人質になったのは住民だけじゃないぞ。お前らの大事な統治者もだ」

「なっ……!」


 これには流石のニコラスも絶句し、住民らも静まり返る。


 どういうことだ。

 ハウンドの置手紙では、こいつらの本命は27番地のはずでは――。


 カルロは冷然とした面持ちで傲然に腕を組む。もう笑ってはいなかった。


「ヘルを統治者として認めた時、五大は割れた。賛成派のロバーチとターチィ、反対派のシバルバとミチピシで2対2だった。ヘルが統治者として可決されたのは、中立派だったヴァレーリ一家が賛成派に一票投じたからだ。言っている意味が分かるな、番犬?」


 ニコラスは自分の読みの甘さに臍を噛んだ。


 つまり、自分たちが反抗的な態度を取れば、ヴァレーリ一家は反対派に加勢すると言っているのだ。そうなれば、ヘルハウンドは本当に統治者としての地位を失ってしまう。


 ライフラインに住民、さらにヘルハウンドまでが人質となってしまった。

 打つ手はまだ見つかっていない。


「マフィアの名が落ちぶれて久しいが、俺たちは世界中に湧く出来損ないどもとは違う。覚えておくといい。『マフィア』とは、こういうものだ」


 堂々と宣うカルロに返す言葉はない。

 完膚なきまでの敗北だ。


 用は済んだとばかりに立ち上がったカルロは、両の膝上で拳を握りしめるニコラスを見下ろした。


「安心しろ。俺たちとしてもヘルに危害を加える気はない。お前らがその契約書に署名してくれればの話だがな。10分だけ時間をやろう。それまでにせいぜい足りない知恵を絞って決めることだ」


 それだけを告げてカルロは立ち去った。


 重苦しい沈黙の中、ニコラスは言葉を絞り出した。


「悪い。しくじった」

「……いや。こうなっちゃ仕方ねえ」


 落胆しきったクロードの言葉に、住民たちは肩を落とした。抵抗する意欲は完全に消失していた。


 それでもなお諦め悪く対抗策を考え続けるニコラスに、クロードは眉尻を下げた。


「そんな顔すんなって。お前さんはよくやってくれたさ。俺たちだけじゃ、最初の屑商人どもにぼったくられてたかもしんねえんだ。最悪の事態が避けられただけでも御の字だ」

「けど」

「そう落ち込むなって。俺たち棄民が五大に搾取されんのはいつものことだ。ここ最近はずっと上手くいっちゃいたが、こっちが通常なんだ。ちと調子に乗り過ぎたかもしんねえな」

「……」

「安心しろ。後はお嬢が何とかしてくれる。この街はいつもそうやって守られてきたからな」


 どこか投げやりなクロードの発言に住民らもそうだと頷き始める。


 どんな不条理に見舞われようと今だけ耐えればいい。

 あとは守護者が何とかしてくれる。


 きっと黒妖犬が街を護ってくれる。自分たちは救われるまで待っていればいい。


 そんな他力本願な考えに、ニコラスは納得できなかった。

 以前の自分なら納得して諦めたかもしれない。だが、今は違う。


 俺はあの子を知っている。

 独りは嫌だと泣いていた、賢くも寂しがり屋で意地っ張りなあの子を。


――18のガキに何もかも背負わせるのか。


 美しい瞳を黒く塗りつぶし、凄惨な傷痕を継ぎ接ぎした皮膚で覆い隠して。

 あの小さな体躯に、まだ何かを背負わせようというのか。


 クソ食らえだ。


「クロード、いや、全員携帯もってるな? 今すぐ『27番地防衛アプリ』を起動してくれ。街は押さえられたが、情報系の方はまだのはずだ。全住民と連絡が取りたい」


「ちょっ、お前さんまだやる気か……!? 住民とお嬢が人質に取られてんだぞ!」

「限りなく低いが勝算がゼロになったわけじゃない。それに俺は代行屋助手だ。俺は俺の務めを果たす」


 そう言って立ち上がったニコラスはさりげなく周囲に視線を走らせる。


 監視役たるカルロは工場外へ出ており、その護衛役と思わしき構成員もほとんどが外に出ている。こちらを監視しているのは欠伸を噛み殺す武装構成員4名のみ。


 このザル監視なら多少やりようはある。


「さっきは一気に畳みかけられて気付けなかったが……恐らくヴァレーリ一家はハウンドを人質にはしない。というか、できるはずがないんだ」

「はあ? そいつは一体……」

「まだ打つ手はあるってこった。どうする? 諦めるってんなら止めない。()()()だけでやる。――乗るか?」


 一瞬の沈黙の後、野球帽の鍔を伏せたクロードは深々と息を吐く。


「そう発破かけられちゃあ乗るしかねえだろ。いいさ。同じ死線をくぐり抜けた仲だ。付き合うぜ、狙撃手」


 鍔の下から爛々たる瞳を覗かせてクロードはニヤリと笑う。

 何人か迷う素振りを見せたものの、住民らも反骨の闘争を秘めた面持ちで頷いた。

次の投稿は13日です。

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