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3-4

今回は割ときつめの描写出てきます(拷問&カニバ描写あり)。マフィアボスがマジもんのサイコパスです。

苦手な方はご注意ください。

 ニコラスの発言に工場内が静まり返った。


「間違い?」

「ああ。この二人の説明と資料内容がかけ離れすぎてる。正直これじゃ話にならん。嘘だらけの資料渡されても困る」

「聞き捨てなりませんな。我々の資料のどこが間違っているというのです? これだから貧乏人は――」


 商人AとBは顔を真っ赤にして噛みつくも、ニコラスが睨んだ途端黙りこくった。


「じゃあ聞くがな。お前らさっき工事経費を去年の半額にしたって言ったな?」

「ええ。我々としては赤字覚悟の大サービスでして――」

「去年の修復工事にかかった費用は53万4872ドル、しかも年間でだ。今回お前らが提出したのは55万ドル。どこが半額だ? 逆に増えてんじゃねえか」


 ニコラスの言葉に商人AとBは一瞬硬直し、慌てて取り繕い始めた。


「そんなはずはありません。あなた方の過去のデータをもとに予算を練ったんですから」

「何かの間違いでは? ちゃんと資料を見てください。修復工事における過去最大支出は――」

「2010年7月28日、シバルバ一家との13日間の攻防だ。この時の出費でも52万2809ドル。……こっちの資料じゃ桁が一つ間違ってるが、お前らのプランはそれ以上のぼったくりだぞ。――クロード、そこの会計フィル取ってくれ。発注書の控えがあるはずだ」

「お、おう」


 気圧され気味のクロードから控えを受け取り、ニコラスはAとBに差し出したが二人は真っ青で黙りこくるばかりで、最終的に顎髭商人が受け取ってしげしげと読んでいる。


「次に工事の現場監督任命についてだ。お前ら現場に詳しい住民から選出なんてほざいたが、名簿にうちの住民の名前が一切ない。寝ぼけてんのか?」

「そ、そんなはずはありません。名簿の上の方に名前が……」

「……もしかして『マイケル・アップルトン』のことか? うちにいるのは『マイク・アップルトン』だ。アフリカ系、45歳既婚。妻と12歳の娘と10歳の息子の4人暮らしで、特区に移住したのは2年9か月前。建設業社を長年勤めてたベテランで、現場監督歴は9年。監督主任経験も3回……で、合ってるか? というかお前ら、うちの修復工事に住民1人しか参加させない気だったのか? 一昨年の修復工事の時は全員住民から選出してるぞ。なんで今回に限って余所者揃いなんだ? 人件費が余計にかかるじゃねえか」


 冷や汗を垂らして視線を彷徨わせる商人二人は答えない。

 なので、ニコラスはトドメを刺すことにした。


「あとこの資料に載ってる27番地(うち)の収支内訳書、6割方間違ってる。改竄したろ。学のねえ貧乏人なら丸め込めるとでも思ったんだろうが、甘かったな」


 周囲が一斉にざわつき始める。今まで静観の姿勢を取っていたカルロも目を見開いていた。

 真っ先に声をかけたのは顎髭商人だった。


「ミスター・ウェッブ、貴方もしかして住民と過去の会計データを全部暗記しているんですか?」

「暗記つーか、端から端まで目は通したな」

「ひと目見ただけで覚えてるんですか……!? ちょっと待ってください! 失礼」


 顎髭商人はクロードからファイルをもぎ取ると慌ててめくって。


「ミスター・ウェッブ、お聞きします。去年のミチピシ一家との抗争時の修復工事の発注先は?」

「『ドラクマ建設会社』。抗争終結は5月17日、発注はその翌日の5月18日、午前11時46分、電子メールで発注書を送ってる。アドレスは覚えてないが、電話番号は313-373-6601」

「……全部あってる。しかも分刻みで覚えてるなんて……!」

「お前さん脳みそICチップでできてんのか?」


 驚愕を通り越して呆れ顔のクロードに対し、ニコラスは至極当然と腕を組んだ。


狙撃手(おれ)の主な任務は偵察だ。地形図ならともかく、機密情報わざわざ紙に書いて覚えるわけねえだろ。暗記するのが常識だ。てか普通一回見りゃ覚えんだろ」

「…………軍人の方ってこんなに記憶力いいんですか?」

「いや、たぶんこいつが化け物なだけだ。こいつ常識人っぽい面して結構ぶっ飛んでるからよぉ」


 隣でひそひそと失礼なことを囁き合う顎髭商人とクロードを横目に、ニコラスは目の前の商人らに資料を投げ返した。


「そういうわけだ。お前らの提案、却下な」


 そう答えるとAとBは顔面蒼白で立ち竦み、代わりに背後、つい先ほどまで車内で雑談をしていた商人たちが慌ててやってきた。


「先ほどは失礼しました、ミスター。こちらの二人はさておき、我々と交渉いたしませんか? お望みなら明日にでも工事を――」

「んじゃ資料くれ。さっきみたく詐欺紛いの商談されても困る」


 商人たちの引きつった笑顔が固まった。どうやら資料すら用意していなかったらしい。


 何という体たらく。

 ニコラスは天を仰いだ。


「おい、あんた。ファン・デーレンっつったな。あんたは――」

「おい」


 不機嫌そうな低音に目を上げると、カルロが大股で歩み寄ってきているところだった。


「全員失せろ。こいつとの交渉は俺がする」


 商人たちはびくりと硬直し、脱兎のごとく車に乗り込み、工場外へ出ていく。

 一人、顎髭商人だけは何とか粘ろうとしていたが、カルロのひと睨みを受け、がっくりと肩を落としたまま去っていった。


 突然の事態に眉をしかめていると、クロードが横から耳打ちした。


「おい気を付けろ。アイツ、お嬢の元相棒だ」


 思わずニコラスは振り返った。


「……マジで?」

「マジマジ。しかも元最長記録はアイツだ。奴さん、だらっとしちゃいるが一応イタリア男らしく女扱いが上手くてな。相棒とっかえひっかえしてたお嬢とも割と長くやってたのさ。ま、お前が来るまでだけどな。気張れよ。元カレに負けたら承知しねえからな」


 元カレって。


 億劫そうに髪を掻き混ぜたニコラスは目の前の大男を見上げた。

 今度の相手は手強そうだ。




 ***




『8マイルロード』。

 かつてデトロイトの富裕層と貧困層を隔していた境界線は今なお健在だ。この通りより以北が特区一等区で、そこに乱立する高層ビル群はマンハッタンの摩天楼にも空見する。


 うち、一等区二番地――ヴァレーリ一家のお膝元であるこの区画は、全てのものがフィオリーノただ一人のためにある。

 今いる超高層タワービルもその一つ。


 90階建て全800戸からなるこの建物は、フィオリーノが個人で経営している民間銀行のオフィスビルであり、80階から上はすべてフィオリーノの自宅でもある。


 現在はデモンストレーションキッチン近くに設けられたコーナーソファにいる。

 肌寒いと言っていたヘルハウンドのために暖炉も焚いておいた。が――。


「ねえヘルぅ、そっち寒いでしょ? こっちおいで」


 牛革張りの隣席をポンポンと叩くが、お目当ての彼女は向かいのスツールに座って頑なに動こうとしない。


 ちなみにスツールは客用ではなく調理人が使う作業用だ。

 部屋に入るなりわざわざキッチンから持ってきて座ってしまった。


「おいでってば。それ高い所のもの取る用の椅子だよ? なにもそんな土足で上がるようなのに座りことないじゃない。ほら、こっちの方がふかふかで暖かいよ」


「駄目?」と小首を傾げてみるが、つんとそっぽを向かれてしまった。

 つれない女性(ひと)だ。


――せっかく料理も用意したんだけどなぁ。また駄目か。


 フィオリーノはすでに表面が乾きつつある牛ひれ肉のカルパッチョを、マリナーラで包んで口に放り込む。そして顔をしかめる。


 不味い。冷めているのもあるが、オリーブオイルのえぐみとトマト特有の酸味が強すぎる。血抜き処理を怠ったか、牛肉の臭みも抜けていない。

 道理で彼女が手を付けないわけだ。


――アレは解約だな。

 

 部屋の隅で身をこれ以上ないほど縮こまらせているプライベートシェフを横目におきつつ、フィオリーノは憂いがちに溜息をついた。


「――で、どこまで話したっけ?」


 途端、電話越しに無言待機していた部下が報告を再開する。


 これが空気も読まず黙れない部下であれば、次の日には廃棄物処理場の焼却炉で跡形もなく熔かしている。

 そのぐらい今はご機嫌斜めだ。


『――以上が報告です。如何なさいますか?』

「ふーん、そう。んじゃあとは任せるよ。……ん? ああいや、まだ消さなくていいよ。どうせなら最後まで働いてもらってから始末するさ。うん。ああ、ファン・デーレンとかいうのは残しといて。あれはまだ使えるから」


 そう言って電話を切ったフィオリーノは、手元の数枚だけ残し、あとはファイルごと背後に放り投げる。

 宙を舞い、散っていく顔写真付きの職務経歴書を追って、ようやくヘルハウンドの視線が動いた。


 フィオリーノは嬉しく思った。

 彼女が己に対して反応してくれることは稀だ。そして今日はやけに反応がいい。


 久々に『遊べる』かもしれない。


 フィオリーノは上機嫌に頬杖を突きながらうそぶく。


「いやぁ参ったね。ここまで使えないとは思わなかったなぁ。にしても武器商人9人を一斉廃棄となると売上が……うーん、ヘル。俺んとこから武器買わない?」

「……んな金があると思うか?」

「なら初回限定で安くしてあげるからさ。ヘルのとこの武器、骨董品ばっかじゃん。しかもソ連製の。これを機にアップデートしてみない?」

「いくら性能・品質の高い銃でも整備と補給の利便性を考えれば自ずと絞られる。整備は複雑、弾も手に入らんじゃ話にならん。民兵レベルの人間が使うなら旧式銃でも十分戦力になる。あと仕入れ先がロバーチ一家なんだからソ連製が多くなるのは当然だろ」

「ええー、俺んとこのよりあのイワンどもの武器の方が好きなの?」

AK47自動小銃(カラシニコフ)のどこが悪い。安いし弾数多いし丈夫で使いやすいだろ」


「そんなぁ」とむくれてみせるが、彼女は無表情のまま。


 つくづく手強い女性だ。

 己相手には沈黙が有効だと熟知した上での対応だろう。


 賢く、義理堅く、強固な意志を持つ若き統治者。常に怪しげな笑みを湛えた軽薄な言動と裏腹に、面倒見がよく、特に女子供といった弱者に甘い傾向がある。

 だからこそフィオリーノも、あえて子供じみた態度で接しているが、それでも彼女はなかなか警戒心を解いてはくれない。


 何より、常人離れした五感を持つ彼女は、相手の体臭から感情を読み取ることがある。名は体を示すとはよく言ったものだ。


 しかし、今日はそのご自慢の鼻も使えない。


 ――今日はまた別の香水つけてきたからねぇ。鼻が利かないのは不安かな。


 フィオリーノはヘルハウンド対策に、彼女と会う際は毎度違う香水を身につけるようにしている。香水に混じる体臭から感情を読み取らせないようにするためだ。


 ちなみに今日は、棘付きの薔薇を想起させる蠱惑的な匂いが特徴の、贔屓ブランドの新作だ。

 フィオリーノ手ずから開発させた。


 近づくと顔をしかめるそぶりを見せるので効果はあるとみた。


 顔をしかめるヘルハウンドにフィオリーノは笑みを深め、話を逸らして翻弄する。


「にしても、そんな旧式装備で民兵率いてよく戦ったよねぇ君ら。SOG(特殊作戦グループ)だっけ? 元特殊部隊出身者で構成される超エリート軍団を見事撃退しちゃうんだもん。あの掃き溜めが随分と成長したもんだ」

「掃き溜めにしたのはテメエらだろ。奪えるだけ奪いやがって」


 射殺さんばかりに睨む小生意気な少女に肩をすくめる。


「大規模な棄民徴収をやったのは先代当主だよ。俺に言われても困る。それに君だってなかなかエグイ報復やったじゃない。額に穴開けて逆吊りのまま放置したんだっけ? いやぁ、すぐに殺さないあたり殺意高っいよねぇ」

「住民の鬱憤を晴らすには一番手っ取り早い方法だろ。第一、暗殺を依頼した張本人が何を言う」

「だってあの先代(おっさん)、前からずぅーっと目障りだったんだもん。先々代とコンビ組んであの手この手で嫌がらせしてくるし。名門だか何だか知らないけど、血筋にしか縋れない能無し老害にはとっととご退場願おうと思ってね。君にも見せたかったよ、先代(むすこ)と知らずに肉団子(ポルペットーネ)食った時の先々代(おや)の顔。もう傑作のなんの。いやぁタイタス・アンドロニカス (シェイクスピア作の悲劇の主人公)ってあんな気分だったのかなぁ」


 悪趣味なと言わんばかりにヘルハウンドの顔が歪む。


 ――ああ、今日はほんとイイ表情をするなぁ。


 背筋を這う快感を堪えつつ、フィオリーノは目を眇めた。


 フィオリーノは女が好きだ。

 特に女を堕として骨抜きにした後に棄てる際の、絶望に満ち溢れた表情が一番好きだ。


 この世のあらゆる遊戯を集めようと、人間の心を壊す以上に興味とスリルをそそる『遊び』はない。


 しかし、人間は適応力の高い生き物なせいか、時として己の狂気に慣れてしまう者がいる。

 己の部下らがそうだ。「こいつはこういう人間だ」と諦め、巻き込まれぬよう遠巻きに傍観するようになる。


 それがフィオリーノにはつまらない。

 己が玩具にしたいのは人間であって、人形ではないのだ。


 だがヘルハウンドは違う。


 彼女は決して慣れない。領民を奪った己を許さない。どれだけいたぶっても壊れない。


 そして何より、自身が悪人であることを自覚し、嫌悪しているのが素晴らしい。

 群がり縋る愚民のため、悪に手を染めてでも献身的に尽くし護り続けている。


 なんと矛盾に満ちた、いじらしくも憐れな少女だろうか。


 愛しい愛しい俺の美しい人。頑なに人間性を棄てぬ気高き獣。


 悪党としてこれほど興味のそそられるものはない。

 こんな遊び甲斐のある玩具が他にあるだろうか。


「でもまあ君に27番地をあげて正解だったよホント。俺ってば先見の明あるでしょ?」


 ヘルハウンドが見るからに警戒心をほとぼらせた。その様は狼が毛を逆立てる様に酷似して、あまりの愛らしさに内心で身悶えする。


戯曲家(ドラマトゥールゴ)』、それがフィオリーノの二つ名だ。


 己が望む通りの戯曲(シナリオ)を組み、口で語って壇上の役者を意のままに躍らせる。

 役者は己の意志で踊っていると勘違いしており、踊れなくなれば即処分し、次の標的が役者をあてがってはまた棄てる。洗脳、もしくはマインドコントロールと評されることも多いが、絶対に己の手を汚さぬのがポイントだ。


 人間ほど扱いやすい生き物はない。


 地位や金や見目に騙され、頼みもしないのに寄ってくる人間の多いこと。

 しかも少し甘い言葉をかけてやれば、すぐさま信頼して何もかも曝け出してくる。


 こちらの本性も知らずに。


 しかし、目の前の獲物はなかなか壇上に降りてこない。

 それがフィオリーノには面白くて仕方がない。


 俺の元に堕ちるまで、彼女はどこまで持ち堪えてくれるだろうか?


 とはいえ、ずっとだんまりでは興ざめだ。フィオリーノは自ら仕掛けることにした。


「そんな警戒しないでよ。取って食ったりしないって」

「……」

「むう、また黙っちゃって。いやぁさ。――元テロリストの君がなんで敵国の兵士をそうまでして気にかけるのかなぁって」


 俯きがちだった顔が瞬時に上がった。


 漆黒の双眸が初めて己を映し、その劇的な反応にフィオリーノは狂喜する。


「あ。その様子からして図星?」

「……」

「やっぱり。君って一見東洋系にしか見えないけど、英語の『R』の発音が微妙に違うんだよねぇ。おまけにカラコンしてまで瞳の色変えるなんて、自分が東洋系じゃないって言ってるようなもんじゃない。あっ、しらばっくれなくてもいいからね。もうDNA鑑定で特定済みだから。こないだの会合の時に髪を一本頂いたからね」

「……」

「アフガニスタンの少数民族だっけ? いやぁ納得だよ。まだ10代の小娘がいっちょ前に戦術だの兵站だの知ってて、しかも民兵の扱いが滅茶苦茶うまいんだもの。君らテロリストにとっちゃ手慣れたもんでしょ。一般人を兵士に仕立て上げるなんてさ。ソ連製の武器好きなのもそれが理由でしょ? アフガニスタン紛争の時に旧ソ連がアフガン中にばらまいてった魔法の杖だもの。君にとっちゃ一番身近な武器ってわけだ」

「………………なにが言いたい」


 ようやく口を開いたヘルハウンドに、フィオリーノは蕩けるような笑みを浮かべた。


「いやさ。君の正体を知ったら、彼どんな顔するかなーって。ニコラス・ウェッブだったかな? 喧しくてガサツなのが売りのアメリカ人にしちゃ珍しく大人しいクソ真面目な男だけど、イラク戦争で多くの戦友を殺された彼は君をどう思うだろうね?」


 ヘルハウンドの顔が痛みを堪えるものに変わる。


 その変化が嬉しくて、フィオリーノは饒舌に拍車をかけた。

 鼠をいたぶる猫のように。


「贖罪? 後悔? 彼の仲間殺しまくったから面倒見てあげてるの? ヘルって冷酷そうに見えるけど優しいし甘いもんねぇ。いけない、いけない。悪人を名乗るならもっと大胆に傲慢にならないと。あ、俺は黙っておいてあげるよ。君は俺の大事な人だからね。ただし、君が条件を飲んでくれるなら、ね?」


 条件。そんなもの、一つしかない。


「《手帳》か」


 確認に近い口調で尋ねたヘルハウンドに、フィオリーノは笑った。妖艶に、悪辣に。


 察しの良い女性は好きだよ、ヘルハウンド。


「国連創設以来、最悪の不祥事と評された『バグダッドスキャンダル』。その実行犯と関係者が記された《失われたリスト》。裏社会の人間にとってこれほど魅力的なものはない。このリストさえあれば、表社会でデカい面してる屑どもを意のままにできる。弱みを握って操るもよし、脅迫して金をせびるもよし、破滅させることもできる。まさしくソロモン王の指輪だよ。欲しい。当然だろ?」


 ヘルハウンドは閉口したまま。

 だが薄々察してはいるのだろう。己の地位の危うさを。


 フィオリーノを含め、五大マフィアは《失われたリスト》の証拠品たる《手帳》を狙っている。そして、その《手帳》を盗み出し、隠した人物が目の前の少女であることも自分たちは知っている。


 だからこそ、五大はヘルハウンドを『六番目の統治者』として認め、手元に置くことにしたのだ。でなければ、15歳の少女なぞに土地を割譲するはずがない。


 彼女が今の地位にいられるのは、全て《手帳》を所持しているがゆえだった。


 そして現時点で、彼女に一番近しく、《手帳》争奪戦においても有利な立場にいるのは、自分だ。


 欲しい。

 《手帳》も、彼女も。


「君が俺に《手帳》を渡してくれるなら、君を含む27番地を保護すると約束しよう。五大の他一家、USSA、FBI、あらゆる勢力から君らの安全を保障する。無論、ウェッブ軍曹に黙っていてあげるよ。約束は守る主義でね。ね、悪くない話だろ? それとも自分一人で爆弾を抱えたままこっちの譲渡状にサインするかい? そうした場合、俺は彼に喋っちゃうよ?」


 我ながらなかなかに悪質な提案だ。

 相手に選ぶ自由を与えるように見えて、選択肢を己にとって都合の良い二つに絞っている。どちらの選択を取っても、フィオリーノが損をすることはない。


 爆弾を抱えたまま破滅するか、何もかも捨てて大事な人と共に過ごす幸福を取るか。

 彼女はどちらを選ぶだろうか?


 ワクワクしながら待っていると、ヘルハウンドはそっと笑った。細やかに。儚げに。

 答えなぞ、とうに決まっているとばかりに。


「いいよ」

「ほんと? じゃあ――」

「ばらしても」

「へ?」


 虚を突かれた。


 珍しく口ごもるという失態を晒すフィオリーノと対称に、ヘルハウンドは卓上の譲渡状を奪い取ると懐からペンを取り出し、署名した。それをこちらに突っ返してくる。


「ばらしても構わないといったんだ。ニコラスは鋭い。いずれ自力で真相に辿り着く。今ばらそうが後でばらそうが結果は変わらんさ。ひょっとすると自分から身を引くかもな。あの男は賢すぎる」

「えっと……ほんとにいいの? マジで?」


 ペースを崩されたことに内心舌打ちしつつも尋ねると、少女は愉快そうに笑った。


「何を驚く? 悪人は英雄(ヒーロー)に殺されるものと相場が決まっているだろ」


 瞬間、フィオリーノは目を見開きすっと細めた。

 こういう所作ゆえに猫と揶揄されると知っていたが、止められなかった。


「こいつは驚いたな。君に自殺願望があるとは思わなかった」

「そうか?」

「そうとも。破滅的でありながら理性に則って行動する、冷静なまま狂っているのが君だ。劇の途中で役を投げ出す女優ほど興ざめなものはない。そして君はそうしないと踏んだ。だからこそ俺は君に27番地を譲ったのであって、君が若く美しいからではないよ? まあ美人は大歓迎だけどね」

「褒めてんのか貶してんのか分からん言葉をどうも。ま、ニコに私は殺せないだろうけどね。アイツは優しすぎるから」


 ニコ、という聞き慣れぬ愛称に加え、憂いを帯びた面持ちで俯くヘルハウンドに、フィオリーノの腸がぐらりと沸き立つ。


 フィオと呼んでいいと告げてもう3年も経つのに、彼女が己の愛称を口にしたことは一度もない。


 なのに、まだ出会ったばかりの、あの片足兵士の名は呼ぶのか。

 それも愛おしげに。


 気に入らない。

 やはり、カルロから最初の報告を受けた時点で殺すべきだったか。


「彼に託す気かい、《手帳》を」


 ごく真剣な問いに対し、ヘルハウンドは肩をすくめただけで。


「そうだと言ったら?」

「何としてでも阻止するね。あれは使い方を誤れば国家そのものを崩壊させかねない代物だ。裏社会のイロハも知らない素人に託すのは断固反対だね」

「大げさな」

「大げさなものか。君はUSSAがなぜあの《手帳》に固執すると――」


 と、そこに至り、フィオリーノは口を閉ざした。

 彼女のペースにはまりつつあることに気付いたから。


「……参ったね。君は本当に男を手玉に取るのが上手い」

「光栄だ。けどそこまで情報を掴んでいるとは思わなかった」

「当然。うちが何世紀前から人脈とノウハウ培ってきたと思ってんの」


 そう吐き捨てるとヘルハウンドは苦笑し、フィオリーノは苛立った。


 彼女の色んな表情が見られたことは実に喜ばしいが、その変化が己によってもたらされたものでないのは心底気に食わない。


 彼女を最初に見初め、手元に置いたのは紛れもなく己だ。


 ロバーチでもターチィでもミチピシでもシバルバでもない。

 ましてや、あの狙撃手でもない。


 己が最初に見つけた。


 ふとヘルハウンドが横髪を掻き上げた。

 その袖の隙間から見えたものに、フィオリーノは眉根を寄せた。


 ――腕時計?


 年頃の少女が身につけるには、あまりに不釣り合いな武骨すぎる男物の腕時計だ。

 しかも、そこそこ名の知れたブランド品の。


 ちらりと見た程度でも分かるほど金属バンドのメッキが剥げた、見るも無残な高級腕時計。

 あんなもの、彼女持ってたっけ?


 けれどフィオリーノが疑問を呈するより、ヘルハウンドが口を開く方が早かった。


「それと、さっきの質問だが50点だ」

「……というと?」

「私が元テロリストという話さ。確かに私はテロリストの男に育てられ、幼少期から訓練を受けてきた。だからテロリストというのは間違いじゃない。問題はそこからだ」

「そこから……?」


 フィオリーノは眉をひそめ、橄欖石(ペリドット)の双眸を見開いた。


「君、まさか」

「ご名答」


 ヘルハウンドは嗤った。兇悪に。地獄の業火の如き揺らめきを瞳の奥に宿して。


 本性を顕わにした黒妖犬は、恐ろしくも美しかった。


「私の狙いはUSSAだよ。あそこには昔、随分と世話になったものでね。必ず組織もろとも潰してやる。墓荒らしを喰い殺すのが黒妖犬(わたし)の仕事だからな」


 そう言って立ち上がったヘルハウンドは、懐から煙草を取り出しながらバルコニーへと足を向ける。


 フィオリーノは眉をひそめた。

 彼女は本性を晒した後、必ず煙草を喫いに行くのだ。まるで何かをリセットするかのように。


 ――君は何を見ているんだい?


 虚空を睨んだまま立ち去ろうとする背中を、フィオリーノは制止した。


「待って。一つだけ聞きたい。――君は、《手帳》をUSSAへの復讐のために使うつもりかい?」


 ヘルハウンドは振り返った。不遜な笑みを湛えて。


「使うも何もないさ。《手帳》なんてものは存在しない。存在しないもんは使えないし渡せない」

「……君との言葉遊びは好きだけど、お預けはいただけないかな。放置プレイは嫌いなんだ」

「私は至って真面目だよ。まあ、そう騒ぐことはない。いずれお前にも分かる」


 それだけ告げ、ヘルハウンドは立ち去った。

 フィオリーノも止めはしなかった。


次の投稿は7月10日となります。


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