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3-2

 眼前の光景に、ニコラスは口元をへの字にひん曲げていた。


 作ったのは『BROWNIE』の定番ランチ「ベジタブルセット」――の、はずだった。


 ベーコンとピーマンを混ぜ込んだデンバーオムレツは、フライパンにこびりついたせいでぐちゃっとしている。キャベツと人参の生姜スープはまだいいが、玉葱と茸の炒め物は焦げてないのになぜか黒い。フライパンで焼いたトーストも同様である。


 要するに、失敗した。味覚面での問題はないが、外観が悪すぎる。


 料理は人並みにできる自信はあったのだが……ここ最近インスタントで済ませていたのが祟ったか、慣れぬキャンプ用の調理器具を使ったせいか。

 いずれにせよ、腕が鈍ったらしい。


 ニコラスはやたらと食材がくっつく小型フライパンを恨めしげに見やりつつ、先ほどの謎の襲撃者について分析を始めた。


――軍隊経験者なのは確実だが構成(フォーメーション)と動き的にアメリカ軍(うち)じゃないな。言語はラテン系、となると外人部隊か? いやでも発音はフランス語っぽくはなかったな……。


 唯一まともに淹れられたパーコレーターのコーヒーをすすりながら分析していると、くいと脇腹のシャツを引かれる。


「ニコ、ご飯できた?」

「ああ、まあ――」


 振り返ったニコラスは盛大に噴き出し、ハウンドが眉根を寄せる。


「ちょっと。シャワー上がったばっかなんだけど」

「……っ悪い。じゃない! お前なんて恰好してんだよ!?」


 見てない。

 ショーツ一枚に首からタオル引っ提げただけの美少女の裸体など見ていない。断じて。


「なにって普通のシャワー上がりの恰好じゃん」

「普通じゃねえ服着ろっていつも言ってんだろ! てかさっき渡した服は!?」

「持ってったけどまだボディローション塗ってない」

「着てから移動しろよ!? 年頃の娘がパンツ一丁でウロチョロすんな!」

「塗る前に着たらまた脱がなきゃいけないじゃん。てか大事なとこちゃんと隠してんだからいいでしょ」

「もっと大事なとこいっぱいあるだろ!? 胸とか腹とか太腿とか!」


 うるさいなと言わんばかりに顔をしかめたハウンドは、こちらのことなどお構いなしにボディローションを手に取ると、タオルを放った。


 ニコラスは慌てて背を向け、即座に視線を足元へ転身させた。


 というのもこのアジト、水産工場なだけあってシンクや作業台に鏡面仕上げのステンレスが多用されている。

 要するに、背後の光景が鏡のようによく映る。


 行儀悪く椅子に片足をのっけてローションを塗る少女の太腿や腰の艶かしいラインを見てしまったニコラスは、顔を片手で覆って俯いた。 


――いや、育ちすぎだろ……。


 5年前に別れた頃のハウンドは痩せぽっちのボロボロで、せいぜい10歳前後にしか見えなかった。


 それが今はどうだ。

 上質な大理石を国宝級の彫刻家が彫り上げたが如き美しい女体。幼さの残る顔立ちと官能的な肢体とのギャップ、その背徳感が妖しい魅力を醸し出している。

 水着姿でビーチを散歩すれば秒で男が数人釣れるだろう。


 彼女の身を案じて逃がした身としては、あの時の少女兵が立派に成長してくれたのは嬉しいが、身体の方もこうも立派に育つと少々いたたまれない。

 同居しているのであればなおさらだ。


 というか、少年だと思っていた子供が実は女の子で、しかもこんな美少女に成長していたなどと誰が予想しただろうか。


 咳払いしたニコラスは眉間を揉みながら顔を逸らす。


「ともかく何でもいいから服着てくれ。目のやり場に困る」

「文句多いな~……あ、じゃあこれでいい?」


 ゴソゴソという音が止んで振り返ってみれば。


 ニコラスは頭を抱えた。


「…………ハウンド、それ俺の上着なんだが?」

「だって服着ろって言ったじゃん」


 いや、そうだけども。

 そうだけど、半裸の上からミリタリージャケットは駄目だ。それも男物のは。生々しいし、背徳感が5倍増しになる。


 こいつ今までの相棒ともこんな生活してきたのだろうか。


 歴代から数えて26代目の相棒、ニコラス・ウェッブはハウンドの無防備さに親心に似た懸念を覚えた。


 そんなこちらの苦悩など露知らず、目を輝かせたハウンドは食卓上の料理に顔を近づけ、スンスンと鼻を鳴らしている。

 空腹なせいか今にも(かぶ)り付きそうな勢いである。


 駄目だこいつ。マジで大の男と一つ屋根の下で暮らしてる自覚がない。


「ともかくちゃんと服着てこい。あとジャケット返せ。着てくるまで朝食は無しだからな」

「え~」

「えー、じゃない。女の身体は男と違って冷やすとすぐ支障が出る構造になってんだよ。腹壊しても知らねえぞ」

「むう。仕方ないなぁ」


 ようやく地下室へと向かうハウンドを見送り、受け取ったジャケットを何気なく目の前に掲げてみた。


 ジャケットからは、明らかに石鹸とローション以外の甘い香りが漂っている。


――勘弁してくれ。


 がっくりと脱力したニコラスは、半ば八つ当たりでジャケットを洗濯機へと放り込んだ。



 数分後。



 ようやく人前に出れる格好になったハウンドはいそいそと席に着く。

 が、齧り付くことはなくフンフンと鼻を鳴らすだけで。


「あの……無理して食わなくても――」

「鉄の匂いがする」

「へ?」

「うん、やっぱり鉄だ。焦げじゃない。鉄フライパン使った? あれ手入れしてないから使いにくかったでしょ」

「……手入れしないと駄目なのか?」

「うん。シーズニングって言ってね、煙出るぐらい熱してから油塗るを何度か繰り返さないといけない。テフロン製の方が使いやすいよ。カフェで使ってんのもそっちでしょ?」


 言われてみれば。道理でくっついたり黒くなったりするわけだ。こんなことなら、店からフライパンの一つでも借りて来ればよかった。


 そう独り言ちながら、さっさと自作の朝食を頬張る。うん、不味くはないが美味くもない。至って普通の見栄えの悪い朝食だ。


 不意にちらと対面を見れば、ハウンドはじぃっとこちらを見つめていた。


「なあ、本当に無理して食わなくていいんだぞ?」


「ん? ああいや、そうじゃなくて。食べてもいい?」


 ニコラスはきょとんとした。

 何故わざわざそんなことを聞くのだろうか、とも思ったが自信満々に出せる出来でもなかったので、至極ぶっきらぼうに「どうぞ」とだけ告げる。


 するとハウンドは嬉しそうにスープの入ったマグカップへいそいそと手を伸ばした。ふーふーと冷ましてから、一口あおると。


「ふぁは~」


 頬を上気させてとろりと嘆息。

 今朝がたの眉間のしわはどこへやら、完全に緩み切った表情だ。


 次いでトーストに手を伸ばし、半分に割く。

 指先についたパン粉をすり落とし、柔くなったバターをたっぷり塗って、炒めた玉葱と茸とオムレツを盛ってかぶりつけば。


「ん~……!」


 恍惚に目元を和らげて嬉しげに鼻声をあげる。


 空腹は最高の調味料というが、笑顔のまま黙々と咀嚼し続けているあたり、お気に召したらしい。


 豪快だが清々しさを感じるハウンドの食べっぷりに、ニコラスは思わずフォークの手を止めて見入った。


――こいつ飯だけはすげえ美味そうに食うんだよな……。


 ニコラスがハウンドの食事を用意するのはこれが初めてではないが、彼女はどんなものでもいつも至極美味しそうに食う。


 たとえ出来合いの冷凍食品だろうが市販のシリアルだろうが、下手するとレーションですら数週間ぶりにまともな飯にありついた遭難者よろしく目を輝かせて食らいつく。


 そして今日の反応は、今までで一番良い。

 缶詰飯が続いたせいだろうか。


「ひほはへなひほ (ニコ食べないの)?」

「いや……その、美味そうに食うなと思って」

「ふん (うん)? ゴクン。飯は美味そうに食うもんだぞ。でないと罰が当たる」

「なにから?」

「オムレツの妖精」

「なんじゃそりゃ」


 妙ちきりんな思想にニコラスは眉をしかめる。


 ハウンドの故郷で信仰されていたものの一つなのだろうか。イスラム教にそんな思想はなかったはず。


 というか。


「…………それ真っ先に罰当たるの俺じゃないのか」

「そうだぞ~、ニコラスが寝てる時に巨大オムレツがガバァ~と覆いかぶさって穴という穴からオムレツがゴブゴブと……」


 スライムか。


 冷めたツッコミを挟みつつ、いつものハウンドが戻ってきたことに安堵する。

 彼女の悪戯にはほとほと手を焼くが、大人しいとそれはそれで心配なのだ。


 年相応に満面の笑みで平らげていく少女に、ほわりとした熱が鳩尾下に宿った。


 なんだろう、父性というか、庇護欲というか、雛鳥に飯を運ぶ親鳥の気分だ。

 ずっと見ていたいが、妙にむず痒くて居心地が悪い。だが離れたいわけではない。


 俺も歳食ったなとしみじみ思っていると、ハウンドは二枚目のトーストを手に取っていた。


「ねえニコ。このジャム何?」

「ブルーベリーとクランベリー。店長の手作り」

「おお~、んじゃクランベリーにしよっかな。どっち?」


 紅玉(ルビー)色のクランベリーに夕闇色のブルーベリーは見れば一目瞭然。

 なのにハウンドは瓶の蓋を開けて「どっちも甘酸っぱい匂いだな~」なんて言っている。


 実物の果実を見たことがないのだろうか。


――妙なとこで世間知らずだなこいつ。

 

 妙なむず痒さが気になって、返答は無愛想なものになった。


「右の方」

「ん。こっちか」


 ハウンドはトーストにたっぷりとジャムを盛ると、またもや口いっぱいに頬張る。


 お世辞にも行儀が良いとは言えない食べ方だが、こんな失敗作でも美味しそうに食べてくれるのは素直に嬉しい。


 もう少し練習するか。今度はもっと美味いのを食わせてやろう。


 と、思った矢先。


 扉が開いた。


「ありゃ? お取込み中だったかな?」


 ダークグレーの三つ揃え(スリーピース)スーツを着た男が立っていた。

 撮影の合間に抜け出してきたハリウッド俳優と言われても納得するレベルの美丈夫だ。その隣には紺の背広を着たマネージャー、ではなく側近らしき男を控えさせている。


 誰だこいつ。てかどうやって扉解除した。


 突然の不審者登場にニコラスは硬直したが、向かいの相棒は違った。


 蕩けた表情は瞬時に霧散し、残されたのは一切の感情を削げ堕とした末の無。

 ワイシャツの背中に手を突っ込んだハウンドは、ずるりと M79擲弾発射器(グレネードランチャー)を抜き放った。どうやら背中に背負う要領で隠していたらしい。


 本能的にヤバいと察したニコラスは自分とハウンドの皿を持って退避し、対する不審者の方は側近に襟首を掴まれ「ぐえっ」と声を残して脇に消える。


 ハウンドが引金を引いたのはその直後のことである。


 炸裂。

 爆風が居住区内を荒らし回り、被弾した扉が火花を散らして盛大に吹き飛ぶ。


「ちょっ馬鹿やめろハウンド! アジトが壊れる!」

「止めるなニコラス。あれはゴキブリより害悪な生命体だ。早々に駆除せねばならん」


 なに言ってんだこいつ。

 などと言っている場合ではない。このままでは隠れ家が家主に暴挙により崩壊してしまう。


 残された料理を物陰に避難させていると、消し飛んだ扉の向こうで何やら喚く声が聞こえた。


「いやぁラッキー、寝起きのヘルってばマジでエロイ……って、ちょっカルロ、首閉まる閉まってる!」

「だからあれほど時間をずらした方がいいと言ったじゃないですか、首領(ドン)! アイツは食事を邪魔された時がいちばん凶暴化するんですよっ」

「でも怒ってるヘルも可愛いし……」

「俺たち付き合わされる身にもなって下さい!」


 カルロ、という名にニコラスの脳裏で記憶が閃く。


 2ヶ月前、ハウンドに呼び出されてやってきた五大マフィアの幹部、カルロ・ベネデットだ。


 となると。


「もしかしてさっきの不審者、五大マフィアの首魁(ボス)の一人か……!?」


 愕然と口にすると、ハウンドがすこぶる不機嫌そうに振り返る。


「そーだよ。シチリアンマフィア、ヴァレーリ一家現当主のフィオリーノ・ヴァレーリだ」




 ***




 数分後。


「いやぁ随分と刺激的な挨拶だったねぇ、Bella(俺の) mio(美しい人)。でも今度はキスがいいかなぁ」

「そうか」


 ガチャリ。


「へっ、ちょちょタンマ! 君の唇なら大歓迎だけど鉛弾はご免だよ!?」

「鉛弾じゃない。12ゲージスラグ弾だ」

「もっとヤバいよ! 熊撃ち用の弾じゃん!? 顔面吹っ飛んじゃうよー!」


「助けてカルロォ!」と泡を食って側近の背後に隠れる美男子に、真顔で愛銃――銃剣仕様のMts-255回転式(リボルバー)散弾銃(ショットガン)――の撃鉄を起こしたハウンドは舌打ちする。


 ニコラスはこれ以上ないほど困惑していた。


 歳は自分より2、3歳上程度、柔靭かつ長身な肉体。橙色に近い茶髪は洒落た感じでセットされ、顔立ちは甘くハンサムだがどこか野性味を感じさせるほの暗さがある。

 一方、ぱっちりとしたアーモンドアイは悪戯好きな少年のような愛嬌があり、これが女性相手なら大いに母性本能をくすぐったことだろう。


 容姿・金・権力すべてにおいて完璧。

 黙って座っていれば、運命の女神の愛を一身に受けたような男――なのだが、これまでの言動を見る限り、随分とヘタレで軽薄な男である。


 裏社会を牛耳る五大マフィアの首領には到底思えない。


 ニコラスは超絶不機嫌でトーストを齧るハウンドの耳元に口を寄せた。


「なあハウンド、こいつほんとにマフィアのボスか? 思ってたのとだいぶ違うんだが……」

「私も初対面の時そう思ったよ」


 ぶすくれつつも「美味かった」と突っ返された空の皿を取りあえず受け取る。


 何はともあれ様子を見ることにしよう。なにせ『六番目の統治者(シックス・ルーラー)』とヴァレーリ一家当主の密談だ。


 そして恐らく先ほどの襲撃はこの男の仕業だ。

 随分とふざけた男だが、襲撃してきたからには何かしらの理由があるに違いない。


 皿を片付ける名目で流しに立ったニコラスは、皿を洗いながら二人の会話に耳をそばだてる。


 不意に、視線を感じた。


 一瞥すると、フィオリーノの背後に控えるカルロがこちらを凝視していた。


 2か月前の夜と同じく、相変わらず残業明けのリーマンのような無気力な顔だが、二重垂れ目の奥に底知れぬ威圧感がある。

 髪と瞳は灰褐色。身長はフィオリーノ以上に高く、強靭な筋肉に覆われた体躯は大型猫科動物を思わせる。……といっても、寝起きのようなどこか緩んだ顔立ちのせいで、サファリの木陰に寝そべったピューマが胡乱気に観光客を眺めているようにも見える。


 つまり、居心地が悪いが視線に敵意はなく、ただ観察しているだけらしい。


 ニコラスは放っておくことにした。


 そこにフィオリーノの浮薄(ふはく)な声が響いた。


「にしても今日も俺のBella(ベッラ)は素敵だねえ。寝起きのけだるげそうなとことかヤった後みたいで滅茶苦茶そそるよ」

「うるせえ歩くR18禁。股間のイチモツ引き千切ってケツ穴にぶち込むぞ。てか部下に襲撃させてまで何しに来やがった?」

「何って挨拶だよ挨拶。君、俺が行くと必ず撃ってくるじゃん」

「当たり前だ」

「だったら最初に部下をやってガス抜きさせた方がいいかなぁって思って。どう? 欲求不満なおった?」


 ニコラスは脱力のあまり皿を取り落としかけた。

 深い事情があるかと思いきや、まさかの理由なしである。


 挨拶がてら部下を襲撃させるなど、どんなアグレッシブ家庭訪問だ。普通に来い。


 これにはハウンドも眉間に初めて見るレベルの渓谷を刻んでいる。

 自由人の代名詞ともいえるハウンドだが、流石にこの男ほどぶっ飛んではいない。


「じゃあ扉は?」

「ああ、あの指紋認証? それならほら、カルロがちょちょいのちょいで解除してくれたよ。ね?」

「15分かかりましたけどね」


 しれっと答える側近に、ニコラスは内心で、ハウンドは現実で舌打ちした。


 扉のすぐそばに居ながら気付けなかったとは。

 これは不覚、油断した。


 が、突如、フィオリーノの声が底冷えした。


「で。ヘル、君なんで規定違反したの?」


 規定違反だって?


 ばっと顔をあげると、フィオリーノと目が合い、奴はうっそり口端を吊り上げた。

 チェシャ猫に似た嫌な笑みだ。


「何のことだ」

「この期に及んでとぼける気かい? 俺に黙って27番地へ勝手に物資を運び込んだろう。しかも関所を介さずに。『五芒星条約』に書いてあったでしょ? 《陸海空全ての流通経路において、特区に搬入されるあらゆる物資は必ず関所を通り、通行料を払わなければならない》。君がやったのは規定違反、重罪なんだよ? 分かってる?」

「五大マフィアが定めた『五芒星条約』第3条によれば、《特区はすべからく五大マフィアの領土であり、五大マフィアが統治する》とある。お前は私に27番地を完全に譲渡した。現在27番地は五大マフィアの手を離れ、統治下にない。つまり()()()()()()。物資を搬入しようが私の勝手だ。規定違反なんてしてない」

「俺が依頼報酬として譲渡したのは自治権だけであって所有権まで渡した覚えはないよ?」

「口約束でほっぽりだしておいてよく言う。文句があるなら譲渡状をしたためて、自治権と所有権を明確にしてもらおう。話はそれからだ」

「ふーん。譲渡状ならもう用意してあるんだけどね。でもそれって、譲渡状できちゃうと規定違反してるの認めるってことでOK?」


――マズいな。


 ニコラスは迫りよる危機に険相を構えた。


 ハウンドは五大が国境封鎖したことで滞った物資搬入を独自ルートで行っていた。


 地下水道である。


 27番地の地下水道は侵入した敵迎撃にも用いられるが、こうした緊急時の食料・日用品の運搬ルートにも使われる。 (27番地住民により幾度となく改良・拡張されたこともあって、公式地図が役に立たず、外部へと通じるルートを知っているのはハウンドや自分を含むごく限られた人物だけだ)


 しかし地下水道は非常に狭く、人力に頼らざるを得ない非効率的な運搬方法だが、背に腹は代えられなかった。


 ただでさえ物資が不足しがちな特区だが、現在は五大による国境封鎖で価格が高騰している。

 襲撃による復興で財政を圧迫されている27番地に、特区内の馬鹿高い物資を買う余力はなかった。だからこそ外部から密輸していたのである。


 だがそれが、この男にバレた。

 ヴァレーリ一家が知っているという事は、他の五大四家も知っているはず。


 そしてハウンドは譲渡状への署名を断れない。断れば『六番目の統治者』としての地位を失う。

 地位や権力などに拘泥する女ではないが、27番地の守護者を自認する以上、住民保護のためにも譲渡状への署名は避けられない。


――だが署名すればハウンドの命はない。


 譲渡状に署名すれば27番地の所有権と自治権は明確になる。

 つまり、ハウンドの規定違反が確定してしまう。


 規定違反の代償に多額の賠償金を請求されるか、不利な条件を結ばされるか。

 いずれにせよ明るい未来はない。


 どうする。


 そんなニコラスの迷いを嘲笑うが如く、フィオリーノは高らかに一拍した。


「はい、というわけで今から君を連行するよ。俺たちを出し抜いたルートについてもきっちりかっちり聞かせてもらうからね。あ、安心して。規定違反への懲罰に関しては五大でも意見が割れてるから。俺としてもなるべく穏便に済ませたいから協力してね? それに――君が隠してる『お宝』についても少し話しておきたいし」


 ニコラスは表情筋が動くのを必死に堪えた。


 お宝――間違いなく《手帳》のことだ。


――この男、《失われたリスト》を知っている……!?


 急に外が騒がしくなった。


 見ると、扉がなくなって見渡せるようになった倉庫内に、防弾仕様の施されたイタリア製高級車が何台も乗り込んでいる。

 そこから降り立ったのは、背広姿の男たちと今朝の襲撃者と同じ武装兵だ。


 ニコラスたちは、完全に包囲されていた。

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