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12-14

【これまでのあらすじ】

 五百未満VS五千以上。戦力差は歴然。

 双子率いるトゥアハデは、ニコラスらの作戦を看破したうえで周到に追い詰めていく。


 双子が王手をかけた、その時。ニコラスの作戦がついに発動する。


 作戦名『百目の巨人アルゴス』――それはニコラスの観測眼と予測を最大限活用し、あらゆる長距離火器を使って超精密射撃を行うという、前代未聞の作戦だった。


 弾丸も砲弾も、あらゆる弾が、彼の目を通せばすべて精密誘導兵器――『狙撃』となる。


 その“目”を目の当たりにしたトゥアハデは、恐るべき正確さと、味方ごと狙撃してくる狂気に恐怖する。


 一方、双子は嵌められたことを悟りつつも、塹壕戦でハウンドを追い詰めたが――? 


 


【登場人物】

●ニコラス・ウェッブ:主人公


●ハウンド:ヒロイン、敵(USSA)に捕らわれていたが救出される


●双子:トゥアハデ”銘あり”にして、アーサー・フォレスターの腹心


●27番地住民:店長、クロード、サイラス、ジャック、ウィル、アレサ、マクナイト、テオドール、ギャレット


●五大マフィア関係者:フィオリーノ、カルロ、ルスラン、セルゲイ、ヤン




【用語紹介】

●合衆国安全保障局(USSA)

12年前の同時多発テロ発生直後に急遽設立された大統領直属の情報機関で、年々発言力を増している。現長官はアーサー・フォレスター。


●『双頭の雄鹿』

 USSAを牛耳る謎の組織。その正体はアメリカ建国黎明期の開拓者『ポパム植民地』住民の末裔。

 マニフェストディスティニーを旗標に掲げ、国を正しい道に導くことを指標とする。政界、経済界、軍部、国内のあらゆる中枢に根を張り巡らしている。

 名の由来は、ポパム植民地の最大後援者でもあったジョン・ポパムの紋章からもじったもの。


●失われたリスト

 イラク戦争中、国連主導で行われた『石油食料交換プログラム』を隠れ蓑に世界各国の大物たち(国連のトップ、現職の大臣、資本家、宗教関係者など)がこぞって汚職を行った『バグダッドスキャンダル』に関与した人物らの名が記されたブラックリスト。

 このリストを公表するだけで、世界各国代表の首がすげ変わるほど破壊力を持った代物。『双頭の雄鹿』の資金源と目される。

 現時点、証拠はすべて抹消され、証人もハウンドとシンジ・ムラカミだけとなっている。


●絵本

 ニコラスがハウンドから譲り受けた手書きの絵本。人間に連れ去られた黒い子狼が、5頭の犬たちの力を借りながら故郷を目指す物語が描かれている。作者はラルフ・コールマン。

 炙り出しで謎の文がページの各所に仕込まれており、それらを解き明かすと『証人はブラックドッグ』、『リーダーはアーサー・フォレスター』となる。


●《トゥアハデ》

 『双頭の雄鹿』の実働部隊。世界各国の特殊部隊から引き抜いた兵士で構成されており、長のフォレスターが自ら選んだ幹部“銘あり”が数人存在する。

 現時点で確認されている“銘あり”は『キッホル』、『クロム・クルアハ』、『ヌアザ』、『モリガン』、『ディラン』、『スェウ』、オヴェドの七名。

 現時点で『キッホル』、『クロム・クルアハ』、『ヌアザ』の三名は死亡。

 また、なぜかオヴェドは名を与えられていない。

 ――まずいな。


 目に入る汗を瞬きで堪えながら、ハウンドはぼんやりそう思った。


 相変わらず双子はこちらの前後にぴったり張り付いている。向こうもそれなりに息が上がっているが、ハウンドの方が限界をとうに超えていた。


 手足の感覚はすでになく、呼吸しすぎて喉の粘膜が焼ききれそうだ。意識は朦朧としてモノクロの視界はさらに狭まり、ぼやけている。


 身体に沁みこませた動作と本能だけを頼りに、避けるのが精いっぱい。

 その避けることも、双子が使う毒仕込みの武器のせいで、動作が大きくなりがちで疲労がより加速する。


 もともと膂力では双子に劣るうえ、長期間の監禁と拷問でさらに低下している。短期戦ならまだしも、こうも長期戦に持ち込まれると勝ち目がない。


 そのうえ毒のせいで、得意の零距離戦法に持ち込むこともままならない。


 ――きちんと対策してやがるな、くそ。


 ハウンドは再び目に入りかけた汗を、頭を振って払った。


 手榴弾を逃れるため、一度塹壕の外へ出たのがまずかった。あれきり、双子が塹壕に戻してくれない。

 きっとそういう作戦だったのだろう。


 閉所での戦闘なら小柄なこちらに利があるが、こういう平地では双子の方が有利だ。


 しかも。


「っ……!」


 飛んでくる短刀を、間一髪で避ける。飾り紐が嘲るように頬を撫でた。


 こうして、隙あらばすぐ毒入り短刀を飛ばしてくる。


 毒には多少の耐性があるが、今の体力では受けるとまずい。本当に動けなくなる。


 飾り紐の色に種類があるのをみるに、なにか細工があるのだろうが。


 ――見えん。


 ハウンドには見えなかった。


 そうでなくとも全色盲で色を濃淡で判断するしかないうえ、双子の俊敏さは常人のそれを遥かに凌駕する。

 疲労困憊で狭まった視界で捉えるのは困難だった。


 ニコラスがこの場にいれば、話は変わっただろうが。


『ウェッブ、“狙撃”の方に集中しろ! 近場の敵は私がやる!』


『バートン、もう第三防衛ラインももたないぞ! 場所を移すしかない。ニコラス、まだなのか……!?』


『もう少し、あと十秒、いや二十秒待ってくれ』


 狙撃の際は呼吸を鎮めるのが常のニコラスが、通信越しに聞こえるほど呼吸を荒げていた。


 ()の使い過ぎだ。そうでなくとも彼の観測と予測は、目と脳を酷使する。しかも今回は、自分だけでなく他の射手の射撃修正も行っている。

 脳を回転させるための酸素が足りないのだ。コンピュータの電子回路に例えるなら、焼き切れる寸前だろう。


 ニコラスに援護は頼めない。

 そもそも射程外なうえ、これ以上彼に負担はかけられない。自力でなんとかするしかない。


 とはいえ、膂力の低下に、蓄積した疲労、行動の著しい制限、不利な地形。


 ハウンドは後退に後退を余儀なくされていた。それが双子の思う壺であっても、そうする他に打つ手がない。


 万事休す、と思いかけたその時。


『ハウンド――!』


 その声に、ハウンドはぎょっとした。


 聞き間違えようがない。アレサの声だ。


 でも瀕死に陥ったケータの治療に専念しているはずの彼女が、なぜ。


『ハウンド、ハウンド、私の声きこえる!?』


 声の出所を探して、ハウンドは合点がいった。


 一機の小さなドローンが急降下してきている。ドローンに搭載した通信機越しに、アレサは続けて叫んだ。


『よく聞いて、双子の毒の攻略法を見つけたの!』




 ***




 アレサは、手汗に沈むマイクを握りしめながら、ドローンの偵察映像を睨んだ。


 ハウンドに聞こえただろうか。動きがない。

 いや、聞こえたと信じよう。今の自分にできることは、ただ彼女に重要な情報を伝えることだけ。


 アレサは大きく息を吸いこんで、咳き込んだ。吐き気がどんどん酷くなっている。


 ロバーチ一家幹部セルゲイ・ナズドラチェンコが、真横からいきなり右手を掴んだ。そのまま肘の内側に注射を無遠慮に刺してくる。


 アレサはされるがままに任せながら、声を張り上げた。


「飾り紐よ! 赤は駄目、絶対に避けなきゃいけない。でも黒と白は別。片方だけ受けたら駄目だけど、両方受ければ問題ないわ!」


 きっかけは、ケータの救命措置に奔走していた時。

 不愉快なことに、偶然出くわしたナズドラチェンコの一言だった。


 車列から降り、ケータの容態を一目見たナズドラチェンコは、淡々とこう言った。


「諦めろ。そいつはもう無理だ」


 “駄目”ではなく、“無駄”ではなく、“無理”と言われたのがことさら堪えた。


 駄目と言うのなら反発してやる、無駄と言うのなら否定してやる。

 でも無理という言葉は……「こちらが尽くすすべての行為をもってしてもケータを救うことは叶わない」という、至極まっとうな事実を突きつけてくる言葉だった。


 アレサとて分かっていた。ケータは左目と腹を毒刃で刺された。


 毒とは万物に在るもの。人にとって不可欠な水とて過ぎれば毒と化す。

 つまり、毒にはそれだけ多くの種類があり、一度人体に入った毒を特定するのは容易なことではない。


 そして当然、解毒薬が存在しない毒も少なくない。


 毒の特定ができない。特定したところで、解毒できるかも分からない。あの双子のことだ。解毒薬がある毒など使っていまい。

 加えてこの出血。


 救命は絶望的だった。延命したところでどこまでもつか。


「おい、だからもう無理だって」


「うるさいっ」


 アレサはナズドラチェンコに怒鳴り返しながら、翼状針をケータの腕に刺す。輸液蘇生を試みるためだった。


 ケータの腕はすでに二の腕まで冷たくなっていた。止血と同時並行の、呼吸と循環の確保。本来ならば毒を特定するまでの応急措置だ。

 それしかすることができない。


「あんた元連邦保安庁(FSB)なんでしょ……!? 毒とか詳しくないの、そういうの得意じゃない!」


「そりゃ毒殺は古巣の十八番だったけどよ……いくら何でもこりゃ無理だろ。傷だけでも重傷なのに」


 なんてデリカシーのない男だ。いやマフィアなどに期待した自分が馬鹿だった。次なにか言ったら目ん玉に注射針をぶっ刺してやる。


 喉元からせり上がってきた怒りを必死に咥内で留めていたアレサだったが、やはりナズドラチェンコは空気の読めない男だった。


「つか飾り紐のこれ、あの双子の武器だろ。なら毒の種類も武器ごとに全部変えてるはずだ」


 白い飾り紐を指でつまんで、ナズドラチェンコは短刀を持ちあげた。


「そいつを目と腹、()()に食らってんだろ? 二種類の毒食らった挙句その怪我じゃ、まず助からねえよ」


「いい加減にしてよ! そんなこと言うためにわざわざ来たっていうの――」


 咥内にため込んだ怒りを全力で吐き出しかけ、はたと、飲み込む。


 両方?


 そういえば、ケータが意識を失う前もそんなことを言ってなかったか? 

 意識を失う直前、自分の手を握って。


 ――思い出せ、アレサ・レディング。


 アレサは額に拳を押し当てた。急に黙り込んだこちらを訝しんで、ナズドラチェンコが顔を覗き込んできたが無視した。


 確か、「両方じゃないと駄目だ」みたいなことを言っていなかったか?

 あれは、双子両方を倒さないと駄目だと思っていたが。


 ――なにか別の意味がある?


 アレサは他にも手掛かりがないか、記憶の箪笥を片っ端から漁りまくった。


 そうだ。双子との戦闘の終盤、ケータの動きに違和感があった。

 それまで見ていて恐ろしいほど躊躇いなく突っ込んでいっていたのに、一瞬だけ、動きを止めた時があった。


 彼は、なにを躊躇った? 毒を恐れたのであれば、もっと早い段階で双子と距離を置いたはず。


 もしあの時、ケータが何か重要なことに気づいたのだとしたら。


「両方、両方……」


「おい、お前聞いてるか? おーい」


 ナズドラチェンコが顔の前で手を振ってくるのにも気づかず、アレサはぶつぶつと言葉を繰り返した。


 がばっと顔をあげる。

 ナズドラチェンコが上半身をのけ反らせた。


「な、なんだよ」


 アレサはナズドラチェンコに詰め寄った。そして彼がつまんでいた白の飾り紐の短刀をもぎ取った。


「ちょっ、おい!」


 躊躇いなくそれで手の甲を傷つけるこちらに、ナズドラチェンコがぎょっとする。


 しかしアレサはこれも無視して、もう一本の短刀に駆け寄った。黒い飾り紐のもので、ケータの左目ごと摘出したものだ。


 突き刺さったままの眼球が気色悪い。そう思った自分に罪悪感を覚えながら、恐る恐る引き抜いて、その短刀でまた手の甲を切ってみる。


 それから待つ。


「……やっぱり」


 なにも起きなかった。いや、多少起きてはいるが、死に至るような症状ではない。


 そうなるようにしていたのだ、あの双子は。


「おいお前、頭大丈夫? 俺ちゃんの声聞こえてる?」


「拮抗作用よ。ケータは助けられる。きちんとした治療を受けさせれば、助かる見込みはある」


「拮抗作用? フグ毒とトリカブトのやつみたいな、あれか?」


「そう」


 アレサは手早く手の甲に包帯を巻くと、ケータのもとに戻った。彼の症状を見直すためだ。


「双子が毒を仕込んでいた武器にはいくつか種類あった。飾り紐がついてるやつで、色は赤と黒と白の三種類。そのうち赤は駄目。あんたの言う通り、本当に解毒剤のないやつだと思う。けど黒と白は違うわ。恐らくだけどあの双子は、万が一お互いの武器で傷つけちゃった時のことを考えてたんじゃない?」


「……! そういうことか」


 ナズドラチェンコは何度も瞬きして、目を見開いた。


 そう、双子は近接戦での連携攻撃を得意とする。

 けれど双子とて人間だ。互いに近距離で毒の武器を振り回せば、うっかり傷つけてしまうこともあるだろう。


 そのための黒と白だ。


「飾り紐のついた武器に毒が仕込んであるのは事実だと思う。けど黒と白に関しては、“互いの毒が互いの効果を打ち消す”作用を持っているのよ。だから助かるためには、黒と白、両方の毒を受けないと駄目なの」


 ケータの動きの違和感は、実はもう一つあった。

 最後に彼が腹に受けた白の毒刃。アレサの目には、ケータが自ら腹に刺しにいったように見えたのだ。


 あれは、双子を死ぬ気で道連れにしようとしたのではなく、


「助かるために自分から刺しにいったのね、ケータ」


 アレサは脈を測りながら、ケータの手を握った。

 彼は相変わらず死人みたいな顔のまま、紫の唇はピクリとも動かなかった。だが指先が僅かに動いた気がした。


「拮抗作用のある毒……薬物ならある程度は絞り込める。さっき白の短刀で切った時に起こったのは、発汗と倦怠感と眩暈と胸部圧迫感」


 アレサは咳き込んだ。吐き気を誤魔化すためだ。


「……嘔吐感と腹痛ね。たぶん神経毒。刃に塗ってるってことは液体か固体のはず。となると、有機リン剤系の農薬かカルバメート系殺虫剤、あとムスカリンを含む毒キノコ。

 なら黒の短刀の方はアトロピンね。治療薬としても用いられるけど、元は植物由来の自然毒だもの。掠っただけで即死とはいかないかもだけど、相手の動きを鈍らせるには十分だわ」


「お、おう。お前、意外と詳しいな……?」


「お爺ちゃんに習ったのよ。毒矢の作り方と一緒にね」


 ケータの治療を再開しながら、アレサはナズドラチェンコを振り返る。


「今すぐ私たちを前線へ連れていって。もしこれが本当なら、双子の弱点になるかもしれない。あんたら五大にとっても、知っておいて損はないはずでしょ」


 こうしてアレサたちは、ナズドラチェンコ率いるロバーチ一家とともに、前線に辿り着いた。


 そして今、最前線で戦うハウンドに、必死に呼びかけている。


「赤は避けて! 黒と白は両方受ければ大丈夫だから!」




 ***




「なるほど。それなら大得意だ」


 ハウンドはアレサの助言に感謝した。


 いいや。正確に言えば、ケータが命懸けで引き出し、アレサが懸命に繋いだ結果、掴み取った光明だ。

 絶やしてはならない。


 しかし、ハウンドには色が見えない。ならばどうするか。


 簡単なことだ。色を変えるよう仕向ければいい。


 ハウンドは両の銃剣をくるりと回した。転瞬、双子に突っ込む。


 突然の行動の変化に、双子は一瞬の逡巡を見せた。ハウンドには十分な隙だ。


 前方、双子の片割れが腕を閃かせた。毒刃が飛んでくる。


 ハウンドはすぐさま後方を一瞥した。背後にもう片割れはいない。

 ならば、飛んでくる色は赤だ。


 互いが同線上にいれば白か黒。いなければ赤。


 双子がこれまで挟撃の戦法を好んできた理由が、恐らくこれだ。


 毒を投じるのに便利なのだ。動きを鈍らせるだけなら、いずれかが白か黒を。より致命的な一撃必殺を臨むのであれば、赤を投じればいい。

 一歩、同線上から外れるだけで、投げる態勢は整う。


 それを逆に利用する。


 すなわち、双子が今いる位置で、飛んでくる毒の種類が分かるのだ。

 トランプにおける、七並べの終盤のようなものだ。ある程度カードが出揃っているなら、手札の正体は絞り込める。


 ハウンドは右へ一歩跳び、赤を避けた。弧を描きながら距離を詰める。

 走りながら、散弾銃を何発も撃ちまくる。


 片割れは、向かって左側へ、撃つたび飛び退いていく。あと一歩横へ飛べば、瓦礫を盾にするだろう。


 あと八メートル。


 直後、右の肩甲骨あたりにテニスボールを当てられたような衝撃で、少し前につんのめる。

 色は確認するまでもない。白か黒だ。双子は今、同線上にいる。


 ハウンドは、勢いを殺さず、そのまま大きく前へ踏み込んだ。爪先へ満身の力を籠めて、蹴り、加速する。


 あと五メートル。


 前方の片割れが、舌打ちしながら腰に手をやった。


 ハウンドは姿勢をさらに低くして突っ込んだ。


 次に出してくる色は分かっていた。白か黒だ。背後にもう片割れがいる。


 位置を変えようにも、瓦礫とハウンドに挟まれて変えられない。

 先ほどの散弾銃は、敵を移動させ、この配置にするためだった。


 背に当たったのが白か黒か、どちらでもいい。


 白を二発食らったのなら、黒を二発食らいにいく。

 黒を二発受けたのなら、白を二発受けにいく。


 死霊犬のように、何度でも立ち上がってやろう。


 あと二メートル。


 片割れは悪あがきをした。

 瓦礫を蹴って跳び、こちらの頭上を飛び越えざまに、両腕を前で交差した。両手に握った二種の色の毒刃を、振りかざして。


 距離、ゼロ。 


「いい色を選んだな」


 ハウンドは不敵に笑った。


 色が判らぬハウンドにも、唯一判別できる色がある。


 白。誰とも交わらず、誰にも身を許さぬ、孤高なる純真無垢。

 あの晩、背を丸めて独り絵を描いていた、あの人を照らしていた月の色。ラルフの色。


 いつも笑っているのに、誰にも心を開かない。決して手の届かぬ高みに独り、ぽつりと浮かぶ満月のような。

 心にぽっかり穴の空いた、寂しがり屋な人だった。


 見間違えるものか。


 ハウンドは、まず飛んできた赤を捌き、白は避けずに右肩に受けた。


 そのまま腕を伸ばし、片割れの胸元を掴んで、左肩からぶつかる。

 銃剣を腹に押し当てながら。


 一撃をぶっ放す。


 ハウンドは毒刃をまた刺される前に飛び退いた。


 外した。撃つ寸前、もう片割れが体当たりして、射線をずらしたのだ。


 双子は互いにもつれ合いながら、地面を転がった。


 大きな隙ができた。


「よし、逃げるぞ!」


「えっ、逃げるの!?」


 近くでマシンガンをぶっ放していたギャレットが、思わず撃つのをやめ目を剥いた。だがハウンドは踵を返し、全力で逃げ出す。


「あったりまえだろ。双子に勝っても戦争は終わらない。敵はまだまだわんさかいるんだ。こっちの勝利条件はただ一つ、生き残ることだ。ところでギャレット」


「なんだ、姐さん」


「背中に刺さってるやつの色、なに?」


「背中? って、うおぃっ! おもいっきしぶっ刺さってんじゃねえか!?」


「いいから色は」


「黒だけど……」


「なら問題ないな。逃げるぞ」


 後ろから「えぇ……」とギャレットが溜息をつく。それに構わず、ハウンドは味方に手を振った。


「市街地まで撤収! ニコと合流するぞ!」




 ***




 27番地内外で戦闘が激化と混迷を極める中、特区外北部にも動きがあった。


首領(ドン)、ヘルハウンドを発見しました。マーキングを開始します」


「ん。無人機のリアルタイム映像は関係者に共有しておいて」


 側近カルロに軽くそう返したヴァレーリ一家当主フィオリーノは、一回離した携帯を再び耳に当てた。


「もしもし、大統領? 映像見れてる?」


 周囲の軍人が一斉にフィオリーノを睨んだ。


 「もしもし、ポリスメン?」みたいなノリで大統領に話しかけんな、なんて言いたいのだろうが、フィオリーノは意に返さない。


「文句があるなら、無人偵察機の運用にUSSAの関与を許した自分たちの不手際を恨むんだね。アメリカほどの国の正規軍がマフィアから兵器借用なんて、前代未聞でしょ。俺が言うのもなんだけど」


「自分から交渉材料に持ちかけたくせに、よく言う」


 陸軍の機甲連隊長が不機嫌そうに睨みつけてきた。セーリン大佐だったか。

 しかし、フィオリーノは笑みを絶やさない。


「客が持っていない商品ほど高く売りつけるのは、ビジネスの基本だよ。無人機及び地上偵察員による標的の追跡は軍もやってるだろうけど、無人機単体での追跡()()はやってないでしょ。上手くいったら高く評価してよ。搭載してるAI、ヨーロッパの方で売りさばくからさ」


『……本当に信頼できるのか?』


 大統領が低い声で尋ねた。口調から不信と詮索がほとばしっている。


「正規軍での正式採用にはまだ至らないだろうね。実戦投入はやったことないから。今回はロバーチ一家からの情報提供と27番地の通信傍受とで、精度を補強してる。てか、うちの新兵器のプレゼンはどうでもいいんだよ。

 “襲撃されつつも現地で陣頭指揮を執った大統領と軍の活躍により、USSAおよび五大マフィア残党の殲滅と、特区全土の制圧に成功”、これ以上いい筋書きがあんたに用意できる?」


 ヴァレーリ一家をはじめ五大マフィア残党の国外逃亡を見逃す代わりに、作戦に協力する。

 それがフィオリーノが国に持ちかけた手札の一つだった。


 大統領は黙っていた。


 背景の音は一切聞こえないが、無線機越しの会話のように、会話の合間の音声が途切れる瞬間がある。

 恐らくヘリコプターの機内からヘッドセットを介してかけているのだろう。


 ということは、大統領は本当に現地へ急行しているのだ。襲撃を回避しただけでも点数は稼げるだろうに、勤勉なことで。


『君らからの支援には感謝している。だがまったくお咎めなしというわけにはいかない。しかるべき司法手続きを受けたのち――』


「中国政府から、なんか言われなかった?」


 周囲の軍人がぎょっとした顔で振り返る。大統領はしばし黙りこくった。


『なぜ、それを?』


「唆した諜報人が目の前にいるからさ」


 すると真隣にいた老婆が、「人聞きが悪い」と笑いながら車椅子に身を沈ませた。


「苦労して根回ししたんだ。感謝の一言ぐらいほしいもんだねえ」


 ターチィ一家当主ヤン・ユーシンは、年相応のしゃがれ声でそう言った。セントラルタワーに監禁されていたのを救出してきたのだ。


 少しは弱ったと思っていたが、今フィオリーノが切った情報(カード)をネタに、こちらのパーティーに直接乗り込んだ挙句おこぼれを頂戴しようとするのだから、相も変わらず食えない婆さんである。


「ちなみに信憑性のある情報だと思うよ。USSAもといトゥアハデはこの期に及んでまだ徹底抗戦の構えを解いていない。敵前逃亡したとおぼしき連中の死体もこちらで回収してる。俺としても、アーサー・フォレスターほどの男がたった一回の告発で、こうもあっさり退場するとは思えないね。致命傷ではあっただろうけど」


 うっかりそう付け加えてしまって、フィオリーノは舌打ちしたくなった。


 あれほど痛快で爽快な役を、あんなぽっと出の男に掻っ攫われたのが、実に腹立たしかった。


 ――なにさ、俺が一番に見つけたのに。


 市街地へと消えていく黒髪の少女を目で追いながら、フィオリーノは尖りかけた唇を強制的に笑みに変えた。


「ま、決めるのはあんただ、大統領閣下。今はアメリカに恩を売るってかたちで大人しくしてるが、今後もそうとは限らない。ちなみに俺もヤンも、さる国のお偉方には多少顔が利くけどね」


『……分かった。君らの条件をのもう。その代わり、最後まで付き合ってもらうぞ』


「オッケー。交渉成立ね」


 通話を終え、軍人どもが慌ただしく動くのを眺めながら、フィオリーノは煙草を取り出し自分で火をつけた。

 交渉終了直後の喫煙は、交渉で緊張したと自分の拙さを喧伝することになるので今まで避けていたのだが、今日はなんだか感傷に浸りたくなった。


「おやおや。お前さんほどの色男がひとり手酌酒とは物寂しい。言ってくれりゃ火ぐらいつけるのに」


「指すら満足に動かせないババアがなに言ってんだよ。あとパーティに参加するのは結構だけど、席は用意しないからね。見物したいなら手下どもに御輿でもつくらせな」


「なぁに。ここは年寄りらしく、金だけ払ってとっとと退散するさね。うちにも血の気の多いのは多いからねえ」


 そう言って、ヤンは背後に控えさせていたアネモネに目配せした。彼女は一礼すると、金髪を翻して軍用テントを飛び出していった。


 遠くから、震動が聞こえたのはその頃だ。震動は短く、何回も連続した。


「どこからの音だ?」


「たぶん27番地国境線沿いだよ。あそこの瓦礫のバリケードをロバーチが撃ち始めたんじゃない?」


 セーリン大佐をはじめ、軍人らが「はあ!?」と目を剥く。フィオリーノは肩をすくめた。


「ルスランの横着者が、わざわざ瓦礫を撤去してから侵入するなんてお行儀のいいことするわけないじゃん。戦車の主砲で吹き飛ばして突入しようって腹でしょ。早くいかないと出遅れるよ」


 周囲の軍人どもがもっと慌ただしくなった。それを横目に、フィオリーノはゆっくり煙草を吹かす。


 ロバーチが27番地に提供した電磁パルス兵器(EMP)は一発、あれでトゥアハデの航空兵器はほぼ壊滅した。

 米軍ならあっという間に制空権を確保できるだろう。


 ロバーチが戦端をこじ開け始めた今、地上侵攻ルートも確保されつつある。まもなくこの決戦は終結する。


 もっとも――。




 ***




 フィオリーノによる五大マフィアと国との密約の合間も、27番地内外では激戦が繰り広げられていた。


 また対立構造も大きく変化しつつあった。27番地陣営に、加勢する人間が続々と増えていたのである。


「混乱を避けるため、情報は必ずこちらで集約させてください。ロバーチ一家ですら形式上ではありますが、こちらの指示に従ってもらっています。協力するのであれば、他一家も倣っていただきたい」


 本部を統括する店長は、連絡役のカルロと通信上での共同体制を確立しようとしていた。


『承知している。こちらも、偵察衛星および無人機の情報は軍と共有している。そちらのもリンクしても?』


「構いません」


「接続すんなら俺ちゃんがやってやろうか。こっちとしても、27番地越しより直接の方が都合がいい」


「お任せします」


 臨時の管制および通信員を買って出たセルゲイに、店長は一瞥もせず返す。


 一方、セルゲイと共に急行したアレサは、現地の医療班の加勢に奔走していた。

 無論その中には、変わらず瀕死のケータもいた。毒の拮抗作用で辛うじて即死を免れた彼だったが、まだ峠は越えていなかった。


 そんなケータの傍らで、一人蹲っていた老人がついに立ち上がる。


「ミスター、もういいのですか」


 尋問でズタボロになったスーツを襤褸雑巾のようにしたテオドールが、気遣わしげに声をかける。


 マクナイトは目を赤くしたまま頷いた。


「当然だ。こっちの砲兵も大勢やられたんだろう。あの小僧の無茶ぶりにロバーチの若造どもが応えられるものか。儂が出る」


「分かりました」


 手近な迫撃砲の状態をマクナイトが確認する一方、テオドールは動員できそうな人員を掻き集めに、足を引きずりながらも駆け出す。


 その真横ではクロードが、加勢しにきたヴァレーリ・ターチィ両一家幹部に指示を出していた。

 来た当初は、各々独自に行動する気満々だった彼らだったが、ロバーチ一家当主自らクロードの指示に従っているのを見て、態度を変えた。


 クロードにしても、ルスランの助言(というかほぼ命令に近かったが)に驚くほど素直に従っていたので、「無理に動いて戦功を立てるより、殺る気満々の27番地を前に援護するという体を取った方が得られる利益が多い」という丸きり損得勘定のもと、他一家も27番地に指示を仰ぐという体裁をとった。

 のちにこの内紛を調査した軍事評論家は、マフィアの冷徹なまでの合理主義的な性質が良い方向に作用した稀有な例、と評価した。


 マフィアたちが27番地に従った理由は、これだけではなかった。単純に、27番地の戦闘を目の当たりにして、彼らの能力を再評価したのである。


「だぁあもう! なんでそんな操作下手くそなの、アンタらそれでも元軍人!? ちょっと貸して!」


 ロバーチ一家構成員から偵察ドローンのコントローラーをもぎ取る少年に、他一家の構成員が唖然としたのは言うまでもない。

 その少年の傍らで、地面に置いたノートパソコンに四つん這いでかじりついていた少年に、彼らはさらに目を剥く羽目になった。


「そこの人、ジャックにコントローラーもう一つ貸してあげて」


「は? 二機同時に動かす気か」


「二つじゃない」


 そう返した少年ウィルは、パンパンに腫らした目元を眼鏡で隠し、相方の少年を見もせず叫んだ。


「ジャック、今からドローンを(スワーム)化させて編隊組む。それをコントローラー一台に対応させるから合計四機動かして。いけるよね?」


「当然、六はいけるよ!」


「んじゃ八機ね。左右で四機編成、カメラはこっちで見るから。ねえ、そっちで余ってる人いない? 少年団のみんなで見てもいいけど、大人の判断がほしいんだ。実戦経験者がいい」


 ロバーチ構成員は「可愛くねえガキだな」とぼやきながら、仲間を呼びにいった。


 そんなウィルに、セルゲイが声をかける。


「おい、チビ助。手伝いいるか?」


「頼みます。あとカルロさんの方にも繋いでください。軍の人も見れるように」


「りょーかい」


 このようなやり取りは、この二人の少年に留まらなかった。27番地の住民一人一人が、民間人とは思えぬほど高い能力を発揮していた。


 驚いたのは五大マフィアだけではない。

 事態を察し、マクナイトやテオドールらと共に独断で現場に急行した海兵隊と、デルタフォースを含む陸軍特殊部隊の混成部隊もまた、この光景に驚愕していた。


 なにより彼らが驚いたのは、一人の狙撃手の目だけを利用した超精密砲撃という、前代未聞の与太話としか思えぬ27番地の作戦内容だった。


 近接航空支援のための地上誘導と、長距離火器と射手を要請された彼らは快く引き受けたものの、クロードから概要を聞いて思わず二の足を踏んだ。


「そんなので本当に当たるのか?」


「当たるんだよ。つか当ててきたんだよ。うちのニコラスの目、なめんじゃねえ」


「だが近くには君らの味方もいるんだろ? 狙撃ならまだしも、空爆だと味方ごと吹き飛ばすぞ。君らの信管を抜いた砲弾とは違うんだ。正気の沙汰じゃない」


「近接航空支援なら、我々が内部へ侵入し、標的へレーザーを照射する。その方がよほど安全で正確だ。そのまま内部の部隊の援護にも向かえるだろう。それまで待ってほしい」


 その海兵隊員の言うことはもっともだった。一人の人間の目に頼らずとも、誘導兵器の類を使う方がよほど早く効率的なのは、27番地とて分かっていた。

 ともすれば、そういった高価な兵器をもたざるがゆえの、苦肉の策であった。


 店長が口を挟んだ。


「それじゃ間に合わないんです。内部の部隊は、すでに半数を切っています。それに先の空爆による粉塵で、レーザー誘導兵器の大半が使えなくなっています。赤外線のもです。さっきロバーチ一家が試して駄目でした」


「今すぐ内部部隊を支援したい気持ちは分かるが――」


「彼は、すべて計算したうえで指示しますよ」


 店長はきっぱりと言った。


「うちのニコラスが、味方に弾を当てるわけがないでしょう。いいから彼の指示に従ってください。従えないのであればそれでも構いません。彼の邪魔にならないよう、こちらで指示しますから」


 ピンと背筋を伸ばした老紳士の、断固たる口調には有無を言わせぬ迫力があった。


 そして海兵隊員らの疑念はすぐに解消されることになる。


 ニコラスから、敵装甲車に対する攻撃要請があった。

 砲撃を避けるため、その装甲車は市街地の大通りを蛇行しながら走行していたが、ニコラスの目は見逃さなかった。


 ロバーチの戦車砲が装甲車を撃破した。

 指定した座標に、指定した時刻に弾着するよう撃てと指示をされ、その通りに従った。結果、着弾の寸前、標的が吸い込まれるように照準器の中におさまったのだ。


 同一家遊撃隊部隊長は覆面の下で蒼褪めたらしく、低く呻いた。


「嘘だろ。こっちの火器統制システム(FCS)よりドンピシャだぞ」


「こりゃ歩く誘導装置だな。戦車で遠隔狙撃だなんてアリかよ、狙撃の時限越えてんだろ」


 セルゲイが引きつった笑みを浮かべた。


 このことは、海兵隊および特殊部隊を決断させるのに十分すぎる出来事だった。


 かつて同族の誰もが信じず忌み嫌った『百目の巨人(アルゴス)』の眼を、同族が再評価し畏怖した瞬間でもあった。




 ***




 一方、店長の見方は少々楽観が過ぎた。

 内部の兵力は、半数はおろか二割をすでに切っていた。


 ニコラスの目も、そろそろ限界だった。


 ――敵、敵、敵……今度は、どれを、撃てば……。


 頭が、今にも弾けそうだった。眼球が脈打つたび、脳内に広げた地形図が揺れて歪む。


 自分がサイボーグなら、赤いエラー表示が画面を埋め尽くしていることだろう。自分が呼吸できているかどうかも分からない。


 十数分前、口に入る血に気づいた。脳と眼球に負荷をかけすぎたことによる、鼻血と結膜下出血だった。

 ニコラスが赤いエラー表示が出ているよう、と思ったのは比喩でも何でもなく、実際に視界が赤くなっていたのである。


 近場の、普通の狙撃は数分前に対応不可能になり、今はバートンが代わりにやってくれている。

 それも、もはや多勢に無勢。


 敵とて、この恐るべき精密砲撃がニコラスの仕業ということは分かっていた。だからこそ、文字通り死に物狂いでニコラスを殺しにきていた。


 通信班長のサイラスが、場所を移動しようと叫んだ気がする。数分前か、それとも数時間前だったか。


 そんなことをぼんやり考えながら、自分たちから急速に離脱していく装甲車に、照準を定めている時だった。


「潮時だ、撤退するぞウェッブ!」


 バートンがこちらの肩を掴んでいた。何度も揺すられ、耳元で叫ばれてようやく我に返った。


 立ち上がろうと膝を立てるも、僅かな高低差の変化で眩暈が酷くなる。脳に血流が足りていないのだ、と変に冷静に思った。


「深呼吸しろっ。お前、最後の方、呼吸もしていなかったぞ」


「まずいぞ、バートン! 建物にとりつかれた!」


 サイラスが部屋に飛び込んできた。


 呼吸するたび、視界と、反響しくぐもっていた音が明瞭になっていく。銃声がこんなに鳴り響いていたことに、ニコラスはようやく驚いた。


「敵は、どれくらい……」


「半数近くは削ったと思うぜ!」


「それでもまだ我々の数十倍はいるがな。逃げるぞ!」


 バートンが肩を貸りながら、ニコラスはなんとか立ち上がった。サイラスがくれた水を、吐き気を堪えながら無理矢理飲み下す。


「下はもう駄目だ。隣へ渡るぞ」


 建物への侵入を許した時に備え、バートンは上階に、隣の建物へ逃げる手段を用意していた。

 といっても、窓から隣の屋上へワイヤーを張ってカラビナをかけて滑走するだけの、ジップラインをより簡略化した原始的なものだ。


 バートンの指示で、生き残った味方が上階にあがってきた。


 ニコラスは、あがってきた味方の数に驚いた。百人近くはいたはずなのに、自分たちを含めてもう十人もいなかった。


 味方を全員上がらせたのを見計らって、バートンが起爆装置を押し、階下を爆破する。大きな振動で、建物がやや傾いた。


「急げ!」


 一本のワイヤーから、味方が隣の建物へ降下していく。


 ニコラスは、バートンの背を押した。


「先に行ってください。弾もう残ってないでしょう」


 仕掛けた階下の爆弾は確かに打撃を与えたが、敵はそれでも多勢で、執念深かった。回復したニコラスの耳は、無数の足音を聞きつけていた。


 ニコラスは部屋を飛び出し、階段踊り場から階下めがけて撃ちまくった。

 上がる手段がそこしかないので、敵はそこに進むざるを得ず、多くがニコラスの弾の餌食になった。


 それでもまだ多い。ニコラスの残弾はどんどん少なくなっていく。


「俺がやる! 行け!」


 サイラスと数人が飛び出してきた。味方同士で弾を掻き集めてきたのだろう。


 ニコラスは感謝しつつ、ワイヤーを降下しようとした。


 しかし、ニコラスは一つ失念していた。


 出血は鼻と目だけではなかった。義足の接合部からも出血していたのである。セントラルタワーから飛び降りた際の無茶が、今になって響いていた。


 踏み切りの瞬間、左足に激痛が走った。

 跳躍が中途半端になり、挙句、運の悪いことに下階からの流れ弾が、たまたまカラビナに当たった。


 カラビナが破損し、ワイヤーから外れる。ニコラスは宙に身を投げ出された。


「ウェッブ!」


 バートンが叫んだ。


 転落する寸前、ニコラスはワイヤーをじかに掴んだ。


 落下こそ免れたものの、片手でワイヤーにぶら下がる羽目になった。

 そんな宙づり状態のニコラスを、見逃す敵ではない。


 振り返ると、階下の窓からのぞく銃口が見えた。銃を構える余裕もなかった。


「うおおおおおおお!」


 その時、背後からサイラスが突っ込んできた。


 ニコラスには彼がスーパーマンに見えた。喩えではなく、本当にスーパーマンよろしくワイヤーに沿って滑空してきたのである。

 本来持ち手になるはずの、カラビナに結んだロープの輪っかを、サイラスは自身のベルトに結び付けていたのだ。


 その状態のまま滑空し、サイラスはこちらの腰に抱き着いた。


 ニコラスは手を離した。そのままサイラスにぶら下がり、隣のビル屋上のコンクリートに激突する。


 呻きながら、ニコラスはサイラスを抱き起した。


「すまん。サイラス、助かった……」


 ニコラスは言葉を失った。


 触れた瞬間、「これは駄目だ」と思うほどの血が、二の腕から服に沁みこんできた。下半身だけプールに落ちたように、腹からジーパンにかけてぐっしょり濡れている。


 サイラスは腹を押さえながら、片手をあげた。


「接合部のパーツ、交換しとけ。最新の義足とセットで用意してもらったろ、あの面白機能付いてるやつ」


「サイラス、お前……」


「行ってくれ」


 その場にへたり込み、サイラスは上着をくつろげた。真っ赤に染まったシャツを、覆い隠すほどのC4爆弾が巻き付いていた。


 サイラスは目に怯えの色を湛えながら、なんとか笑おうと、震える指を口元に持っていった。


「ガキどもと、ハウンドには内緒な」


 ニコラスは咄嗟に言葉を返せなかった。だが数秒後、サイラスの肩を抱き、抱えて引きずった。

 彼の望み通り、彼ごと建物の屋上を塞ぐために。


 敵がすでに、こちらへ降下しようとしていたのだ。


「くそっ」


 ニコラスは、最後にサイラスの手を握った。感謝と、謝罪を込めて。バートンや他の仲間も、サイラスの肩や背を叩いた。


 階下を駆け下りて、数階。爆音が轟く。


「くそっ……!」


 ニコラスは赤い視界が涙で晴れていくのに任せながら、ひたすら走った。


 けれど、ここにも敵は回り込んでいた。降下の際に、あれだけ手間取ったのだ。当然だった。


 ニコラスは銃を構える。狙撃銃も、小銃の弾も切れた。あと拳銃の弾が十数発。


 しかも9ミリパラベラム弾では、興奮した敵へのストッピングパワーが弱かった。


 敵が掴みかかってくる。振りほどこうにも、左足の痛みで上手く踏ん張れなかった。


 きらっと、銀の光が見えた。敵が腰からナイフを引き抜いていた。


 一閃。


「ハウンド!」


 一気に脱力した敵を、ニコラスはようやく振りほどいた。後頭部下の延髄を切断された敵は絶命していた。


 ハウンドは息を切らしながら「こっちだ」と叫んだ。


「市街地に、補給ポイントいくつか用意してたろ。ひとまずそこに」


 そう言いながら走る彼女の背に、飾り紐付きの短刀が、刺さったまま包帯を巻かれていた。抜くと大量出血を起こすため、そのままにしているのだ。毒付きなのを承知の上で。


 敷設した罠をいくつか抜け、敵を撒き、ようやく補給ポイントの建物内に逃げ込む。


 そこで一息つき、その時、ようやく本部からの通信の呼びかけに気づいた。


 店長からだった。

 付近で戦車が砲撃しているのか、音割れが酷い。


『今しがた地上侵攻ルートを開け始めた! 国も動いた! 一時間だ、あと一時間、なんとか持ち堪えてくれ!』


 朗報だった。


 それを聞いたバートンは、ゆっくり周囲を見回した。


「一時間……」


 それから、天井を仰いだ。


「あと一時間も、もたせないといけないのか」


 残存兵力、38名。残弾ほぼゼロ。補給ポイントを食いつないでも、一回の銃撃戦数分で撃ち切ってしまうだろう。

 対する敵は、二千以上。


 その場にいた全員が、天井を仰ぐか、深く項垂れた。ニコラスは唇を噛み締め、前を睨むことで堪えようとした。


「ねえ、ニコ。なんか持ってない? 腹減った」


 にゅっと顔を覗き込んできたハウンドに、ニコラスは目を瞬いた。


 しかしハウンドは構わず、こちらの服をスンスンと嗅ぎ、続いて周囲の補給品周りをフンフン嗅ぎ始めた。


「ここ、弾薬と医薬品は置いてあるみたいだけど、食料品置いてなくてさ。水はあるんだけど」


 ニコラスはしばしぽかんと口を開け、閉じる。口元はいつの間にか緩んでいた。


「ポップターツ持ってるけど食うか? 粉々になってると思うが」


「まじ? 何味?」


 しゅばっと戻ってくるハウンドに、ニコラスはますます笑いを堪えた。


「スモア」


「お、いいね~。んじゃあ半分こしよ」


「いや、俺はいい。これ苦手なんだ」


「糖分一番必要な奴がなに言ってんの。つか苦手なのになんで持ってんのよ。ポップターツのこと糖分補給の薬かなんかだと思ってない?」


「ガムもあるぜ。姐さん、いるかい?」


 ギャレットも乗ってきた。


「煙草一本と交換でどうだい」


「一本じゃなくて全部あげるよ。最近はもう喫ってないんだ」


 そんな二人のやり取りを皮切りに、他の面々も顔を見合わせ、その場に座り込んだ。


 手当てする者。弾を詰める者、自分たちのように補給品を交換して一服する者。

 皆が思い思いに、好き勝手に、今できることを始める。


 それを呆然と眺め、バートンは立ち尽くしている。


「教官」


 ニコラスは声をかけた。


「あの時より、六人も多いですよ」


 バートンはちょっと目を見開き、ゆっくりと破顔した。


「そうだな。絶望している暇もなかったな」


 そう言って、バートンはハウンドに歩み寄った。


「ヘルハウンド、私にも一本くれないか」


「アメスピだけどいい?」


「ほう。なかなか渋いのを喫ってるな」


 そうして、ニコラスたちは束の間の雑談を楽しんだ。


「さて」


 しばらくして、ニコラスは膝を叩いた。


 バートン、ギャレット、他の仲間たち、そしてハウンド。順繰りに仲間たちの顔を眺め、ハウンドと目が合った瞬間、互いに頷き合う。


「このあとの作戦だが――」

次の投稿日は、8月1日(金)です。


次の12-15がラスト、その次はエピローグで、あと二話で完結となります。


一話目の投稿日みたら、もう四年前なんですね。なんだかんだで、あっという間でした。

売れ筋でもない、バズってもいない本作を、四年間も追い続けてくださった読者の皆様には、本当に感謝しかありません。


完結後は、新作の準備ができるまで、Xの方でイベント(『ハウンド悪戯100日チャレンジ!』~ニコラスの表情筋を鍛えよう大作戦!~)を企画しています。

開催中は、ぜひ下記のアカウントのフォローとリプライお願いします。


作者:志摩ジュンヤ公式アカウント 

@fkTiger(https://x.com/fkTiger)

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