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12-11

寝坊しました。ごめんなさい。

あらすじ、ルビ諸々の調整は、これから随時やっていきます。


(更新 6/6 7:10)


【これまでのあらすじ】

 すべてを暴かれて、追いつめられたUSSAは最後の凶行にでた。

 すべてを抹消するために、すべてを殺戮すべく、軍とともに進軍を続けることにした。元より戦力で劣る27番地の戦力は、容赦なく削られていく。


 そんな最中、ついに双子がニコラスたちに追いついてしまう。殿を務めたのは、なんとケータだった。


 双子に敵うはずもない、と思われていたが、とある一言がケータの地雷を踏みぬいた。


 豹変したケータは双子を翻弄し、追いつめる。だが力及ばず――。




【登場人物】

●ニコラス・ウェッブ:主人公


●ハウンド:ヒロイン、敵(USSA)に捕らわれていたが救出される


●バートン:ニコラスの元教官、陸軍情報士官だった経歴を持つ


●店長:ニコラスとハウンドの上司。ハウンド不在の27番地の司令官を務める


●ウィル:気弱で内気な少年、若き天才エンジニア




【用語紹介】

●合衆国安全保障局(USSA)

12年前の同時多発テロ発生直後に急遽設立された大統領直属の情報機関で、年々発言力を増している。現長官はアーサー・フォレスター。


●『双頭の雄鹿』

 USSAを牛耳る謎の組織。その正体はアメリカ建国黎明期の開拓者『ポパム植民地』住民の末裔。

 マニフェストディスティニーを旗標に掲げ、国を正しい道に導くことを指標とする。政界、経済界、軍部、国内のあらゆる中枢に根を張り巡らしている。

 名の由来は、ポパム植民地の最大後援者でもあったジョン・ポパムの紋章からもじったもの。


●失われたリスト

 イラク戦争中、国連主導で行われた『石油食料交換プログラム』を隠れ蓑に世界各国の大物たち(国連のトップ、現職の大臣、資本家、宗教関係者など)がこぞって汚職を行った『バグダッドスキャンダル』に関与した人物らの名が記されたブラックリスト。

 このリストを公表するだけで、世界各国代表の首がすげ変わるほど破壊力を持った代物。『双頭の雄鹿』の資金源と目される。

 現時点、証拠はすべて抹消され、証人もハウンドとシンジ・ムラカミだけとなっている。


●絵本

 ニコラスがハウンドから譲り受けた手書きの絵本。人間に連れ去られた黒い子狼が、5頭の犬たちの力を借りながら故郷を目指す物語が描かれている。作者はラルフ・コールマン。

 炙り出しで謎の文がページの各所に仕込まれており、それらを解き明かすと『証人はブラックドッグ』、『リーダーはアーサー・フォレスター』となる。


●《トゥアハデ》

 『双頭の雄鹿』の実働部隊。世界各国の特殊部隊から引き抜いた兵士で構成されており、長のフォレスターが自ら選んだ幹部“銘あり”が数人存在する。

 現時点で確認されている“銘あり”は『キッホル』、『クロム・クルアハ』、『ヌアザ』、『モリガン』、『ディラン』、『スェウ』、オヴェドの七名。

 現時点で『キッホル』、『クロム・クルアハ』、『ヌアザ』の三名は死亡。

 また、なぜかオヴェドは名を与えられていない。

 地下通路へ逃れたニコラスたちは、27番地の国境線沿いにあるビル内で、本部のバートンや店長たちと落ち合っていた。


「教官、状況は」


 ニコラスは開口一番に尋ねた。

 バートンは、表情こそ疲労の色を見せていたが、眼光の鋭さは相変わらずだった。


「よくはないな。砲撃隊のマクナイトたちは海軍と海兵隊に艦ごと捕縛された。遊撃隊の損耗率も三割を超えてる。陸軍の機甲師団が本格参戦してきたのが痛かったな。これでも壊走せず撤退できているのだから、よくやっているほうだ」


「防空システムの方は」


「継続中だ。ドローンを一機ごとに広範囲に分散させ、飛行航路も常時変更するようシステムを組みなおした。索敵範囲は大幅に減ったが、空からの目を潰されるよりはましだろう。

 対自爆ドローン防御陣地も27番地のを除いてすべて潰された。だが敵もかなりの数の自爆ドローンを消耗している。今後も脅威なことに変わりはないが、以前ほどの攻撃頻度はない。防空システムで十分対処できるだろう」


「あんたらも、よく逃げられたな」


 ハウンドが水を飲み込みがてら言った。一気飲みで、ペットボトルの中身は半分になっていた。


「地下に逃げたからな。そのあと爆破したから、あとはつけられていないはずだ」


「そもそも地下へ脱出できる場所にしかつくってないからね。本部側の人的被害もほぼゼロだよ」


 店長の言葉にニコラスは安堵した。ここ最近で一番いいニュースだった。


 しかし、先ほどの訃報の前では、焼け石に水だった。


「となると、やっぱケータへの救援は……」


 バートンと店長はそろって痛ましげに眉をひそめ、首を振った。


「無理だな。そうでなくとも数で圧倒的に劣るうえに、我々はこれより遅滞戦をせねばならん。大統領が特別軍事作戦の中止を命じ、停戦するまでの時間を稼ぐ必要がある。その肝心の大統領も、トゥアハデの襲撃で安否不明だ。

 ……厳しい意見になるが、助かるかも分からん人間に、無駄な人員は割けん」


「それに、ケータにはアレサがついてくれている。彼女はうちでも貴重な衛生兵の一人だ。彼女がいる時点で、かなり幸運といえるだろう。ここは彼女に託そう」


 店長がそう結んだ時。キュイー、と白頭鷲のワキンヤンが、片足でぴょんぴょん跳ねながら翼をばたつかせた。

 世話役のアレサが戻ってこないことが不満なのか、はたまた不穏な気配を察知したのか。いずれにせよ、鷲は落ち着かない様子だった。


 それを見たジェーンや他の子供たちが干し肉を取り出す。本部班と行動を共にしていた非戦闘員の彼らが、今の彼のお世話係だった。


 鷲は干し肉を前に、一度はプイっとそっぽを向いたが、子供たちがしつこく差し出すと渋々ついばみ始めた。子供たちの表情が少し明るくなる。


 その様子を見つめていたハウンドが、ゆっくり口を開いた。


「現状が把握できたところで、とりあえず。留守の間の指揮と管理運営、心から感謝する。統治者不在をよく支えてくれた。それで今後の指揮権についてだが、現場はバートン、本部は店長に任せたいと思っている。いいか?」


「それはいいが……二人とも前線に出るのかい」


 ちょっと戸惑う店長と反対に、バートンはすぐさま意図を察した。


「例の双子か」


 ニコラスとハウンドは頷いた。タワーからの道中で話したことだった。


「敵の指揮系統だが。恐らく今、()()()()()()()()()()()()()()。双子にしても指揮は執ってはいないと思う。でなきゃ、あそこまで単身突っ込んでこないと思うんだよね」


「あくまで推測ですが、現在のトゥアハデは、『ハウンドの殺害、もしくは戦後トゥアハデが不利になるであろう証拠隠滅』という命令を継続実行している状態だと思われます。フォレスターの正体が明かされた以上、彼らには他に選択肢がありませんから」


「そのためにも、トゥアハデ最強の戦力である双子がお前たちを狙うのは必然、か」


 そう返しつつも、バートンは少し考えるそぶりを見せた。


「なにか?」


「いや、なんでもない。指揮権の委譲、謹んで拝命しよう。だが実質27番地の支柱はヘルハウンド、ウェッブ、お前たちだ。お前たちになにかあれば、その時点で我々は瓦解する。くれぐれも無謀な真似はしてくれるなよ」


「ビルの屋上から飛び降りるとかね」


 店長は揶揄い口調だったが、目は鋭く細まったままだった。真剣に説教する時の表情である。

 ニコラスたちは神妙に姿勢を正した。


「んじゃ、早速その指揮官殿に具申するが……非戦闘員を今すぐ避難させたい。負傷者も。今の軍に、彼らを預けることはできるか。元陸軍士官として、あんたの見解を聞きたい」


 年長の子供たちが一斉にハウンドを見た。バートンは静かに腕を組んだ。


「陸軍であれば、大丈夫だろう。だが海軍と空軍は駄目だ」


「なぜ」


「USSAによる兵士の携帯端末使用規制だ。現在の軍が未だ進軍を止めないのは、恐らくそのせいだろう」


「携帯端末の使用規制?」


 ニコラスは思わず口を挟んだ。初耳である。


「去年から始まった規制だからな。スノーマン事件を知っているか。元陸軍予備役のシステム分析担当官(注①)が、自身の携帯端末から報道機関に機密情報を漏洩した事件だ。あれで軍にも規制が入るようになった」


「そいつは確かに大ごとですが……なんでそれでUSSAが絡んでくるんです? 一応は軍内部の問題じゃないですか」


「そのスノーマンという男が、ロシアに亡命したからだ。軍事機密をもってな。それでUSSAは軍に件の規制をするよう要請し、軍はそれに応じてしまった。私が軍を去ったのも、それが理由だ。規制に反対したら、閑職に回された」


 ニコラスは、USSAのあまりの悪辣さに開いた口が塞がらなかった。


「じゃあ軍はまだ、フォレスターの正体も知らないってことですか? スマホが使えないから?」


「陸軍に関しては、規制は指揮に携わる人間のみに限定されているから、現場の兵士は知れるかもしれん。だがここでトゥアハデの通信妨害だ。恐らく今、一番混乱しているだろう」


「空軍と海軍が特にダメというのは?」


 ハウンドが舌打ちするように鋭く尋ねる。


「規制が特に厳しいからだ。戦術データリンクに携わる、空軍の管制部門や海軍の艦隊勤務者は特にな。USSAが今回空軍だけでなく海軍まで引っ張り出してきた理由だ。統制しやすい、というわけだ」


「とんだ罠を仕掛けてやがったな」


「ああ。ある意味、フォレスターが仕込んだ保険ともいえる。ともかくだ。空軍と海軍は駄目だろうが、陸軍に関しては、指揮官との交渉次第で捕虜として預かってもらえるだろう。子供もいるから、そう邪険に扱うことはないはずだ」


「信用できるのか」


「一人、ツテがある。君も会ったことがあるぞ」


「私が?」


 ハウンドはきょとんとした。




 ***




 陸軍第一機甲師団、第70機甲連隊隊長のセーリン中佐は酷く苛立っていた。


 広範囲の通信妨害のせいで司令部からの情報が届かず、現場も極めて錯綜している。

 各部隊からは指示を請う声がひっきりなしにかかり、やれ「大統領が襲撃されている」だの「USSA長官フォレスターが黒幕」だの、訳の分からないデマも飛び交っている。


 そのうえUSSAの部隊からは、進軍を続けろとせっつかれるのである。俺たちを見殺しにする気かと、怒鳴られる始末だ。


「スマホはまだ使えないのか」


 首を振る部下に、セーリンは深々と嘆息した。


 戦場によっては民間回線が使える一帯もあるらしく、セーリンはそこから司令部と連絡を取ろうとした。

 が、生憎その一帯にいる部隊は現在、同行していたUSSA隊員と仲間割れ寸前の大喧嘩の真っ最中で、それどころではないという。


 セーリンは、今ばかりは昇級したことを後悔した。大尉の頃であれば、指揮所のテントなど飛び出して、回線が通じるところまで突っ走って行けたのに。


 ――あいつの言う通りだったなぁ。


 セーリンは、イラク南部ナシリアのタリル航空基地で出会った情報士官を思い出した。

 端末規制に猛反対して軍を去ったと聞いていたが、あの堅物は今の陸軍の体たらくを見てなんと言うだろうか。


「中佐! これを」


 部下の一人が叫んだ。民間回線が使えるようになったのかと思いきや、部下はテント入り口で、一人の戦車長と佇んでいた。

 戦闘服に縫い付けられたワッペンをみるに、情報整理のため一度指揮所に直接戻ると言っていた部隊だ。


 戦車長は、ヘッドセットと一体になった防弾ヘルメットの顎紐をぶら下げたまま、汗だくで敬礼した。

 しかしセーリンは彼でなく、彼の小脇に抱えたものに、目を剝いた。


「帰路で拾いました。背中に筒が括り付けられてまして……」


 こちらをじろりと睨んだ白頭鷲は、不機嫌そうに「キュエー!」と鳴いた。


 それから戦車長は、筒の中に入っていた、携帯電話と地図を差し出した。


「まさかお前が敵の指揮官とはな。道理で手を焼くはずだ」


 戦車で指定座標に移動したセーリンは、主砲にもたれかかりながら言った。


 久しぶりに話した知人は、相も変わらず面白くなさそうな平坦な声で、淡々と語った。


『通信妨害はトゥアハデの常套手段でな。送った地図にある、指定座標からなら外部との連絡も取れるはずだ』


「随分と塩を送ってくれるな。昔のよしみか、それとも作戦のうちか?」


『作戦もなにも、27番地には軍と戦う理由がない』


 そう言って、バートンは事のあらましをすべて語った。


「……そうか。部下どもの戯言は、本当だったのか」


『混乱するのも無理もない。貴官ら軍を混戦に誘導したのは我々だ。致し方なかったとはいえ、迷惑をかけた。そちらに生じた被害への責任は、甘んじて請け負うつもりだ』


「構わんさ。おかげで()()と久しぶりにドライブできた」


 セーリンは、エイブラムスの装甲を撫でながら言った。


「非戦闘員と負傷者の保護は、俺が責任をもって引き受けよう。名目上は捕虜扱いになるがな。安心してこっちに送ってこい」


『本当にいいのか』


「ああ。お前の言ったことは、前線にいる兵士たちの証言と一致する。俺は、現場の声を信じる」


『助かる。非戦闘員の中には子供も大勢いる。保護してやってくれ』


「ついでにあの鷲の世話係も寄こしてくれるか。うちの部下が手を焼いてる」


 セーリンは、鷲を捕まえようとして逆に追い回されている戦車長を、気の毒に見やった。

 自分をとっ捕まえた無礼者と、目の敵にしているようだ。気位の高い鷲である。


 バートンは「子供たちに干し肉を持たせておこう」と笑った。


 通話を終え、部下たちに指示を飛ばしていると、案の定、懸念の反論が上がった。


「捕虜はともかく、全部隊に戦闘停止を命じてよろしいのですか。海軍と海兵隊の方でも、一部民兵を捕虜にしたと聞いています。通信があれきり回復してないので、詳細は聞けていませんが……。

 一度、彼らに確認を取った方がいいのでは?」


「通信が使えねえ以上、確認も何もねえだろ。また戦車でタクシーすんのも悪かねえが」


「であれば、今すぐ伝令で確認を」


「それにな、敵指揮官……いや、今後はバートン大尉と呼ぶが。奴の懸念の方が深刻だと判断した。指示通り、全部隊を今すぐ集結させろ。万が一の事態に備えてな」


 部下は不安を残した、けれど真剣な面持ちで頷き、踵を返した。


 バートンは、こう言った。

 “フォレスター長官を失ったにも関わらず、トゥアハデの統制がとれ過ぎている”と。


 双頭の雄鹿だの何だのは知らないが、仮に、化けの皮が剥がされた連中が、未だ明確な意思決定のもと動いているとすれば。

 この侵攻作戦も、大統領襲撃も、すべてが奴らの狙いだとすれば。


「もし奴らの狙いがクーデターだとしたら洒落にならん。これより、USSA前線部隊をトゥアハデと呼称、潜在的敵対勢力とみなす。今後は一切奴らに情報を漏らすな。出方次第では、発砲も許可する」


 セーリンはそれから、先ほどの戦車長を呼びつけた。デトロイト川にいる海軍・海兵隊にこのことを伝えるためである。


 もっとも、海軍も海兵隊も、もうこの違和感に気づいているだろうが……。




 ***




 ミサイル駆逐艦ジェイソン・ダンハムの副長、ポーター少佐は酷く苛立っていた。


 やっと捕らえた敵民兵の事情聴収がまったく進まないのである。


 即席戦闘艦の砲手を務めていたらしい老人は、唾をまき散らして怒り狂っている。しかも訳の分からない話をまくしたてており、二言目には「孫のところへ行かせろ」で、話にならないらしい。


 傍らにいる海兵隊員はオロオロするか、肩をすくめてお手上げのポーズをしだす始末である。


海兵隊(マリーン)の連中はなにをやってるんだ。あんな爺さん、とっとと締め上げればいいだろ」


「元海兵隊のお偉いさんなんだとよ、ベトナム帰りの。しかも、当時の所属はあの『歩く死人(ウォーキング・デッド)』だ」


 ポーターは口を噤んだ。


 『歩く死人』とは、第九海兵連隊第一大隊のニックネームだ。

 現在は再編成により解体されているが、ベトナム戦争中、最も高い死傷率を出した部隊で知られている。

 敵将軍に名指しで「全滅させる」と言わしめたほどで、二つ名もそれが由来だという。


「ケサン攻防戦の生き残りか」


「ああ、名の知れた歴戦の老兵ってやつさ。それで海兵隊の指揮官どもが恐縮しちまって、人道的にやろうにもあの有様なんだと」


「気持ちは分からんでもないが……テロに加担してる時点で敬愛もクソもないだろう」


 ポーターは吐き捨てたが、同僚の火器管制官は「俺に言うな」とばかりのうんざり顔で顎を引き、対空レーダーに目を逸らした。


 次いでポーターは艦長の方も見たが、彼は艦長席に身を沈めたまま、目すら開けていなかった。

 流石に居眠りはしていないと思いたいが、この状況ではそれすら怪しい。


 そもそも本作戦に海軍が引っ張り出されること事態がおかしいのだ。

 民兵ごときになぜ海軍が、しかもろくに動けない喫水の浅い湖上で、やりあわねばならないのか。ジェイソン・ダンハムはミサイル駆逐艦だぞ。


 今にしても、湖上でろくな出番もなくただ波に揺られているだけ。さっきの即席戦闘艦だって、訓練にすらならない。


 対空防衛の要である同僚に至っては、ピクニック気分でタンブラーとM&M入りクッキーを持ち込んでいる。我々が本作戦の保険でしかないことを、理解しているのだ。


 だからこそ腹が立つ。これが軍の決定ならまだしも、あのUSSAの要請だというのも業腹だ。

 この艦の名の由来は、イラク戦争で手榴弾から戦友を守って戦死した海兵隊員の名だというが、もし艦に死人の魂が宿るとすれば、死んだ海兵隊員はなんと言うだろうか。


「少佐」


 艦長がおもむろに席を立った。やはりただ目を閉じていただけだと分かって、ポーターは安堵した。


「は、なんでしょうか」


「対空戦闘の用意をしておけ」


 ポーターは思わず聞き返しそうになった。対空戦闘だって? この状況で?


「本作戦の我々の役目は保険だ。ならその役目とやらを、せいぜい全うしようじゃないか」


 艦長はそれだけ言うと、艦橋端の窓辺に立った。

 ポーターはただ同僚と顔を見合わせるしかなかった。




 ***




「んじゃ、そろそろ行くぜ。陸軍はもう、指定ポイントで待ってんだよな?」


「ああ。頼んだ、アトラス」


 アトラスは、トレードマークのデトロイト・タイガースのパーカーにいる虎のように、犬歯を見せて豪快に笑った。


「おうよ。ガキどものお守りなら任せろ。ルカ、後ろの無鉄砲二人、見張っとけよ」


「イエッサー」


 少年団リーダーがおどけたように敬礼した。


 対して、無鉄砲と称された少年二人は面白くない。


「別に、これ以上無茶しようがないじゃん。足折れてんのに」


「……合理的に判断しただけ」


 と、ジャックとウィルは、半眼で唇を突き出してそっぽを向いた。タワーでの大胆な行動を批判されたことより、もう活躍できないことに腹を立てているらしい。


 そんな二人を、ルカたち少年団がトラックの荷台へ手を貸しながら追い立てていく。

 ニコラスは全部終わったら、ちゃんと二人と話そうと思った。


 アトラス率いる小隊を護衛に、トラック二台分の負傷者と、トラック二台の非戦闘員が走り去っていく。

 ニコラスは、彼らを見送りながら、努めて平静を装った。


 負傷者の数が、あまりに少なかった。


 バートンも店長もクロードも口には出さなかったが、出撃した住民の半数近くが帰還できなかった、その事実に打ちのめされていた。

 理由は単純に、負傷者を帰還させるだけの余力が、27番地になかった。


 多くの負傷者がろくな治療も受けられないまま、今なお戦っているのだろう。彼らはすべて承知の上で、出撃していった。

 分かってはいた。だがいざ目の前に突き付けられると、くるものがある。


「終わったら全員、迎えにいく。一人も残さない」


 ハウンドは、絞り出すような小声で呟いた。


「ああ」


 ニコラスも、それ以上は言わなかった。


「今、送った。トラック四台だ」


『了解した。戦車四台が迎えにいく。腰抜かすなよ』


 バートンが携帯にそう言うと、セーリンはすぐさま応答した。旧知の仲なためか、少しくだけた口調だ。


『ところで、そっちに例のチビ助はいるのか? 俺の女房のスカートに潜り込みやがった、あのチビ』


「女房?」


「戦車のことだ。彼にとっての愛称のようなものだ」


 バートンから説明を受け、ハウンドはしかめっ面をした。


「別にあんたらの戦車に危害を加えようとしたわけじゃない。たまたま隠れられそうな隙間があったから、潜り込んだだけだ。

 あんな真夜中に、戦車の待機場に人がいるとは思わないだろ。なんであんなとこで寝てるんだ。基地にいるのに」


「だ、そうだ」


『ああ? んなもん、俺たちが戦車乗りだからに決まってんだろ。愛しい女房の側を離れる甲斐性なしは、戦車乗りじゃねえよ。しっかしまあ、あの時のチビ助が今回の騒動の鍵とはなぁ』


 そう言って、セーリンはバートンに一方的にぺちゃくちゃ喋りはじめた。どう聞いてもただの雑談だが、民間回線ゆえにお構いなしである。

 「酒盛りでくだ巻いてる親戚のおっさんだな」と、ハウンドがうんざりした様子で嘆息した。


 そうこうしているうちに、


『――お、こっちで車列を視認した。あと五分程度で接触する。白旗上げた戦車が目印だ』


 と、セーリンが言った。バートンは携帯に耳を当てたまま、安堵したように足先に視線を落とす。


「了解した。こちらの護衛にも伝達――」


 一条の矢が、空を飛び去った。


 唖然と見送った直後に起こった轟音で、ニコラスたちは何をされたのか理解した。


 空爆。空対地ミサイル。


『おい、どういうことだ! 捕虜の件は、全軍に伝えたはずだろ!? どこの部隊(バカ)がやりやがった!?』


 電話越しにセーリンの怒声が聞こえる。

 ニコラスは上空を睨み、鉛色の空に溶け込む灰色の機体を捕捉した。


「教官、あれを!」


 バートンは空を仰ぎ、その機体を見るなり、顔色を変えた。


「セーリン、今すぐそちらの部隊を下げさせろ! こちらも撤退する!」


『はあ!? 馬鹿言え、目の前に重傷者がいるってのに』


「軍への端末規制と同時期に、USSAがやけにテコ入れした飛行部隊がある!」


 バートンは携帯に向かって叫んだ。


「空軍の無人攻撃機だ、部隊にはUSSAの情報担当官が常時張り付いてる。巻き添えを食うぞ……!」




 ***




 第17偵察飛行隊は、空軍だけでなく、軍全体をみても極めて特殊な部隊だ。


 少なくとも空軍情報士官モンガー少佐は、そう思っている。そしてモンガーは、それを誇りに思ったことはなかった。


 無人攻撃機(UCAV)のMQ-9リーパーを駆使し、遠隔操縦で偵察と攻撃を行う。これだけでもかなり異質だが、特筆すべきは軍以外の関係者、諜報機関USSAの担当官を“コックピット”内に立ち入らせることだろう。


「目標の車列、停止しました。周囲に動きなし」


「護衛はやはり先頭のピックアップだけか」


「はい。後方のトラック四台、後退し始めています」


「陸軍への被害は」


「ありません。戦車四台、徐々に後退していきます」


「これで第二陣の攻撃も可能ですね」


 そんなことは言われなくても分かっている。部外者のくせに、さしで口を叩きやがって。


 輸送コンテナのような密室に、エアコンを取り付け、機材を設置しただけのようなシンプルな“コックピット”で、モンガーは苛立ちから小さく左右に身体を揺らした。


 今回ばかりは、あのいけ好かない連絡将校ですら恋しい。

 ユーゴスラビア紛争の空爆参加者で、「撃墜されてコソボの森でクサリヘビに噛まれて死にかけた」いつもの武勇伝も、今日ばかりは甘んじて拝聴しよう。


 去年の年明け、第17偵察飛行隊は大きな改革を受けた。それが今、モンガーのすぐ右後ろの壁際に立つUSSA局員だ。


 あれ以来、モンガーは第17偵察飛行隊を汚されたと思っていた。


 理屈は理解できる。無人機のプレデターにせよリーパーにせよ、遠隔操縦である以上、現地の情報は機体のカメラを通して分析される。

 情報精度をより高めるため、外部の担当官と協力し、任務成功率を向上させる。そこまでは分かる。


 だがその担当官を、コックピット内にまで立ち入らせるのはやりすぎだ。

 機密保持の観点からも問題なうえ、なにより攻撃実行までのプロセスに部外者を関与させること、そのプロセスを短縮したことの二点は、大きな問題だった。


 「情報の精度を上げているのだから、多少手順を省いてもいいだろう」というのが、上の意見なのだろう。

 けれど、無人機が偵察・傍受から攻撃も担っていく様を見届けてきたモンガーには看過できない。


 以前の第17飛行隊は、統合作戦本部の連絡将校からの要請を受けてから、軍務を遂行してきた。

 遂行中も指揮所と非公開チャットで連絡を密にとり、司令官もしくは大統領の許諾がなければ攻撃できないようになっていた。


 不用意な戦争を引き起こさないためである。


 空軍における戦闘行為は、政治的判断を求められることが少なくない。国境線沿いのスクランブルなどが、それにあたる。

 示威行為に飛んでくる他国の戦闘機に対し、どう対応するのか。領空侵犯機が飛び去るまでのごくわずかな時間に、様々な人間が考え、議論し、決断するのである。

 モンガーは戦闘機を使った外交だと思っている。


 ニュースにはどこぞの国からの侵犯があったとしか報じられないが、空では様々なことが起こっているのだ。


 第17偵察飛行隊も例に漏れず、重要なプロセスを踏んだうえで決断されていた。うっかり民間人を誤爆しようものなら、それだけで開戦の口実になりかねない。


 それが去年の改悪で、基本的には統合作戦本部に指示を仰ぐものの、万が一の際は飛行隊指揮官である自分が、攻撃命令を下せるようになってしまった。


 確かに第17偵察飛行隊の運用は、新たな戦術の考案と試験運用だ。実戦投入されることはまずもってない……はずだった。


「こちら『モモンガ』、統合作戦本部(JOC)、応答を願う」


 極東に生息するムササビのTACネーム(通信時におけるパイロットの非公式ネーム)を名乗りながら、モンガーは特区近郊に駐留中の本部に再度呼びかけた。


 けれど返ってくるのは、相も変わらず耳障りな砂嵐だけだ。


「特区全域に広範囲な電波妨害が生じているようです。あちらの指示を仰ぐのは期待できませんね」


 USSA局員の声音には微かな嘲りがあった。「上の命令がないと動けないのか」と。


 けれどモンガーは無視した。

 臆病になっているのではなく、過去に侵した過ちを二度と起こさぬためにやっているからだ。


「なら現地の陸軍部隊と連絡を取ってくれ。さっき一時的に回線が回復したはずだ。地上からの情報が欲しい」


「ではこちらの現地部隊の……」


「多角的な情報が欲しいんだ、担当官。それと、本作戦の攻撃の主導権はすべて軍にあるとフォレスター長官も宣言しているはずだ。過度な干渉は控えていただきたい」


「そうかっかしないでください。心配性だなと思っただけです。大統領からの許可はすでに出ています。そう神経質にならずともよいと思いますよ?」


 その大統領と、連絡が取れないんだがな。


 モンガーは頬をひくつかせながらも耐える。神経質になって、何が悪いのか。


 ――実際に殺すのは俺たちなんだぞ。


 自分たち操縦士は、戦闘機乗りに比べれば二流市民だ。妥当な扱いだと思っている。空に身を置き、常に死と隣り合わせの彼らと自分たちでは、比べくもない。

 だが殺人の罪深さを、モンガーが忘れたことはなかった。


 忘れられない任務がある。


 パキスタンの、とある集落に潜伏したテロ組織の幹部の暗殺だった。任務自体は成功した。けれど攻撃の瞬間、標的が潜伏する家に駆けこむ小さな人影が、目に焼き付いていた。


「あれは犬だ」と当時の指揮官は言った。だがあれは、どう見ても子供だった。


 モンガーがここに立っているのは、ひとえに責任感ゆえだ。

 二流扱いされようと、操縦士には操縦士のプライドがある。自分の指揮下で、誤爆はなんとしてでも避けたかった。


 そんなモンガーの決意を嘲笑うように、空軍の情報分析官が首を振った。


「駄目です。現地部隊と連絡が取れません。というか、陸軍全体が前線から撤退し始めているようで、現地での情報収集は不可能です」


 なにをやっているんだ、陸軍は。


 止むを得まい。モンガーはUSSA現地部隊の目視情報を確認したうえで、決断した。


「第二陣、攻撃用意。目標、車列最後尾のトラック」


 操縦士の相方である、センサー・オペレーターが目標指示レーダーを照射する。

 これに沿って、死神(リーパー)の鎌が振り下ろされる。


 着弾までの時間は、約五秒。


「攻撃方角、固定完了。北から向かいます」


「攻撃を許可する」




 ***




 ウィルが二発目の轟音を聞いたのは、トラックが急停止して、怯えて泣き出した年少の子たちをルカがなんとか宥めた、直後だった。


 爆音。


 荷台が左右に大きく揺れ、悲鳴が上がる。荷台は荒波にもまれる船のように左右に揺れて、止まった。

 泣き止んだ子たちが再び泣き出した。


「攻撃、だよね。ミサイル? 戦車?」


 ジャックが目を左右に走らせながら呟いた。怯えながらも状況を把握しようとしているその姿勢に、ウィルは恐怖と焦りを覚えた。

 ジャックがいつの間にか、知らない子になった気がした。


 恐らく、空爆だろう。ドローンかミサイルかは分からないが、敵はこちらの前と後ろを、正確に順番に攻撃してきた。


 ウィルは、大好きなアクションゲームのモンスター狩りを思い出した。今の攻撃はあれと一緒だ。


 群れの先頭を襲って、モンスターが逃げようとしたところで、後ろから回り込んで攻撃。そうすれば、群れは逃げ場を失って立ち往生する。

 自分たちは、あの右往左往しているモンスターだ。ここにいては危ない。


 けれど、ウィルは意見を言えなかった。怖かったから。


 もし自分の意見が間違っていたら? 自分が間違えたせいで、誰かが怪我することになったら? 

 怪我では済まないかもしれない。死ぬかもしれない。


 そんな状況で、どうして無責任な意見が言えようか。


 あの時もそうだった。


 大人たちの慰み者になる子供たちを、黙ってみていた。できることなんてないと思っていたし、代わりに自分が餌食になるのは嫌だったから。


 ジャックのチャンネルでそのことを告白した時、大勢の大人が「あなたは悪くない」と言ってくれた。心底ありがたかったのは事実だ。

 けれど、あの時“我が身可愛さに同い年の子供(同胞)をが売られるのを傍観していた自分”という事実が消えることはない。


 ……いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。


 ――どうしよう。チャット? メール? ジャックに送ればなんとかなる?


 自分が口下手なのをよく知るジャックは、自分が話しにくそうに黙っていると、いつもチャットやメールで聞いてくれるのだ。

 今は通信妨害で送信できないが、メモアプリは使える。文章をジャックに見せれば――。


 ところが、ウィルの懸念はすぐになくなった。


「逃げよう。今すぐ」


 泣きじゃくる年少の子を抱きしめながら、ルカはきっぱり言った。


「マクナイトじいさんが言ってたんだ。一発目だけなら絶対に動くな、けど二発目が来たらすぐ逃げろ、って。

 一発だけなら試しで撃ってこっちの様子をうかがってるだけかもしれない。けど二発目も撃ってくるなら、こっちの位置はもうバレてる。今すぐここから逃げないと、全員やられる」


 ウィルはほっとすると同時に、落胆した。

 いつもこうだ。自分は、自分の代わりに誰かがしゃべってくれるのを待っている。


 もし自分が思いついた時点で口にしていたら、何十秒早く動けただろうか。


「僕が先に行く。隠れられそうなとこ見つけたら、すぐ合図するから。みんなで一斉に走ってきて」


 そう言って、荷台前方の扉を開けようとするルカの後ろに、ジャックが続こうとする。


「お前はダメ」


「なんで」


「足折れてんじゃん」


「それがなんだよ。ドローンで偵察できるし」


「いざって時、走れないんじゃ意味ないじゃん。僕、お前かついで走るのは無理だし」


 それでも反論に口を開きかけたジャックの前に、ルカは手を広げた。


「お前はもう活躍したでしょ。ちょっとは僕に手柄ゆずれよ」


 その時、ウィルはルカの声が震えていることに気づいた。

 怖いに、決まってるじゃないか。そして、この中で一番足が速いのはルカだ。ルカは自分がいざという時、一番逃げられるから立候補したのだ。


 ウィルは、自分がますます情けなくなった。結局ジャックは折れて、全員が扉をくぐっていくルカの背を見送った。


 外に出てすぐ、ルカの「うっ」という呻き声が聞こえた。


「ルカ!?」


 ジャックや少年団が扉に殺到した。そして数人が、ルカと同じような呻きをあげて、扉から離れた。離れなかったのはジャックだけだった。


 その開いた隙間から、ウィルは外を見た。


 一瞬、なにが何なのか分からなかった。


 焼け焦げたトラックがひっくり返っていて、道路には大きなクレーターが開いている。なにもかもが黒く煤けていて、バラバラに砕けて散らばっている。


 ウィルは空を見た。空爆したドローンか飛行機がいないか確認したかった。


 そこで、それを見た。


 抉れたコンクリート壁から露出した鉄骨に、ぶら下がる黒い棒状のなにか。

 黒く煤けていて最初は分からなかったが、棒の先に茶革のブーツがついていた。


 千切れた人の脚だった。


 ウィルはその場で吐いた。もともと何も入っていなかったので、出てくるのは胃液だけだ。他の子たちも一斉に泣き叫び始めた。


 ジャックが背をさすってくれた。でも目は目の前の光景に釘付けで、真っ青なまま震えている。


 ウィルは吐きながら、ルカの姿を探した。

 ルカは口元を抑えてはいたが、吐いてはいなかった。瓦礫に身を隠しながら素早く動き、真っすぐ車列の前の方へ走っていく。


 その先に、ウィルは見覚えのある虎のロゴを見つけた。


 ――アトラス……!


 アトラスは、右足がなくなっていた。けれどまだ生きていた。

 もしかしたら、空爆の寸前にトラックから飛び降りたのかもしれない。真っ赤な線を残しながら、必死にこちらへ這ってきている。


 ルカの足が速くなった。早く止血しないと、アトラスが死んでしまう。


 アトラスが顔を上げ、右手をあげた。

 ルカに向かって、なにかを言っている。と思った、次の瞬間。


 ルカが倒れた。

 銃声。腹を押さえて地面をのたうち回る。


 次にアトラスが倒れた。

 銃声。同時に、アトラスの真横のトラックに赤いものが飛び散った。


 アトラスは手を投げ出して俯せになった。そしてそのまま動かなくなった。


「ルカ……!!」


「来るな!!」


 飛び出しかけた自分たちに、ルカは怒鳴った。聞いたことのない声だった。


「スナイパーだ。僕をエサに、他の人を狙ってる。僕はこれを知ってる……! 前にこれでメンバー三人をやられたんだッ! 絶対に出るな!!」


 荷台から飛び降りようとしていた少年団が、ぴたりと動きを止める。それから泣きじゃくり始めた。

 ウィルはどうすることもできず、凍り付いていた。


 その時、ジャックが荷台から飛び出した。一人で立てないので、ずり落ちたに近かったが。


「バカ、ジャック!」


「撃たれない!」


 連れ戻そうとした少年団に、ジャックは叫んだ。


「スナイパーがエサにするのは、動けないけど生きてる敵だ。オレはもう動けないから撃たれない!」


 そんな超理論を展開して、ルカのもとへ這っていく。

 ルカがどれだけ罵倒してもお構いなしだ。足の痛みで冷や汗を垂らしながら、向かっていく。


「どうしよう、どうしよう……!」


 ウィルたちは選択に迫られた。


 出れば撃たれる。待っていても、空爆でやられる。まさに八方塞がり――。


 ――いや、おかしい、なんでまだ空爆がこない?


 一発目と二発目の時間差を考えれば、自分たちはとうの昔に吹き飛ばされているはずだ。なのになぜ敵は空爆しない? 


 そもそも空爆すれば済むところを、なぜスナイパーを使って僕らを誘き出すなんて、回りくどいことをする?


 その時、ウィルは脳みそに氷水をぶっかけられた気分になった。


 敵は待っているのだ。子供(僕ら)を救いにやってくる大人を。


 この威力なら、ニコラスとハウンドからも空爆が見えたかもしれない。

 あの二人なら、絶対にやってくる。それが罠だと知っていても、絶対。


 どうする。どうすれば、みんな死なずに済む。

 誰かを犠牲にするのは嫌だ。仕方がなかったと自分に言い聞かせながら、生きていくのはもう嫌だ。


 ノートパソコンを見る。

 駄目だ、僕みたいなののクラッキングで空爆が阻止できるほど、軍は甘くない。


 スマホを見る。

 駄目だ、生中継したって、ネットに僕らを救えっこない。


 見るものがなくなって、ウィルは周囲を見回した。考えるのをやめたくなかった。やめてしまうことが、怖かった。


 そしてふと、あるものに目が留まった。


「ごめん、借りる!」


 ウィルはそう言って、年少の子からスケッチブックを取り上げた。恐怖を他のことで紛らわせようと、ルカの勧めでお絵描きさせていたものだった。


 それを胸に抱いたまま、外へ飛び出す。


 敵は、撃ってこなかった。

 ルカとジャックだけで十分と判断したのか、ニコラスたちが来ているのが分かったからなのかは知らない。


 けれどウィルは走った。

 適当に掴んだクレヨンを束のまま書きなぐり、二人のもとへ走る。


 見やすい色がどうとか、二人が叫んでいるのも気にする余裕もなかった。


 防空システムをプログラムした時、ニコラスはこうも言っていた。

 現代の空爆は、高性能カメラで確認しながら標的を正確に狙い撃つのだと。


 だったら、()()だって見えるはずだ。


 ウィルはスケッチブックを空に掲げ、大きく息を吸いこんだ。




 ***




 その光景を目にした瞬間、モンガーは愕然とした。


 第二陣の攻撃をした直後、被害状況の確認を行っていたら、三台目のトラックから子供が飛び出してきたのだ。


「少年、か……?」


「違います。大人です」


「ふざけるな。あんな背丈の大人がどこにいる? 非戦闘員はいないと言ったよな?」


 敬語も忘れてモンガーはUSSA局員に詰め寄った。局員は、一瞬バツが悪そうな顔をしたが、すぐに面倒くさそうな顔をした。


「27番地は少年兵も使います。彼らは非戦闘員でないと判断しました」


「ならそう報告すればいいだろう。なぜ嘘をついた?」


「嘘はついていません、提供する情報を絞っただけです。こうしている間に、我々の仲間が死んでいっているんです。軍は退きましたが、USSAの部隊はまだ現地にいるんですよ? 彼らを見捨てる気ですか」


 第一、と局員は語気を荒げる。


「当部隊の攻撃はすでに大統領によって承諾されています。あなたは大統領令に逆らうんですか。出世コースを外れるだけでは済みませんよ。あなた一人のエゴに、隊全体を巻き込むんですか……!?」


 部下たちが一斉に振り返ったのが分かった。


 モンガーはここに来て、指揮官の立場を恨んだ。もし自分が操縦者なら、どんな処罰も覚悟で命令に背いたことだろう。

 だが自分は今、部下たちを、彼らの未来を背負っている。


「……第三陣、攻撃用意。ただし標的を変更する。車列民兵から、車列の応援に駆け付ける民兵を狙う。索敵急げ。車列の監視も続行しろ」


 しばらくして、現地から応答があった。


「現地USSA部隊より入電。車列に急行する民兵を確認。即席武装車両(テクニカル)三台と、バイクの集団とのこと」


 モンガーは心底安堵した。これで子殺しをせずに済む。


「テクニカルに照準を合わせろ」


 そう答えつつ、モンガーの視線は車列に釘付けだった。


 飛び出した子供は、瓦礫の陰で怯えて縮こまっているのか、動かない。その子供に、もう一人が這ったまま近づいている。

 少年兵なのかどうかは分からない。


 ただ脳裏に焼き付いた、あの小さな人影が、誤って殺してしまった子供が、画面にちらついて仕方がなかった。


 目をギュッと閉じ、残像を振り払って、目前の任務に集中する。そして再び目を開けた瞬間、モンガーは目を疑った。


「待て。車列の方、拡大しろ」


 そう言いながら、モンガーは操縦者が見つめるモニターに自ら近づいた。USSA局員が「あのですね」と小言を言ってきたが、無視した。


 それは、少年だった。眼鏡をかけた、小柄な少年。手に、スケッチブックを掲げていた。


 ――『撃たないで。友達がいます』――


 モンガーは息をのんだ。


 少年は泣いていた。泣きながら、空に向かっていて大きく口を開けて、叫んでいた。


 お願いします。

 撃たないでください。

 大事な友達なんです。

 殺さないでください。

 お願いします。

 お願いします――。


「テクニカル、車列まであと500メートル」


 攻撃するなら、今だ。これ以上の接近を許せば、少年たちに被害が及ぶ。けれどモーガンは、少年から目が逸らせなかった。


 今疾走している民兵は、なにを想って向かっているのか。彼らも第一、二陣の空爆は目にしただろう。

 なぜ躊躇なく車列に向かっていける。


「テクニカル、車列に接触します」


「撃ちなさい。標的はしばらく車列から動きません。これは、大統領の命令です」


 USSA局員が、モンガーを無視して勝手に指示を飛ばす。


 操縦者はこちらと、USSA局員とを見比べて、迷った表情のまま操縦桿を倒した。


 テクニカル近くの、少年らが飛び出してきたトラックに、目標指示レーダーが照射される。


 あとは発射ボタンを押すだけ。


「攻撃――」


 USSA局員の指示は強制中断された。モンガーが局員を殴り飛ばしたからだ。


「撃つな!! 攻撃中止、中止――!!」


 モンガーの怒声もまた強制中断される。


 癪なことに、フィジカルは局員の方が上だった。一瞬よろめいたものの、局員はすぐ殴り返してきた。


 アッパーにストレートを立て続けに食らい、蹴飛ばされて、背後の操縦者席の椅子にぶつかる。


 局員はこちらの喉を片手で締めながら、もう片方の手を操縦席に伸ばしてきた。


 モンガーは渾身の力で局員を押し返した。すると局員は両手でモンガーの首を絞め始めた。

 この時ばかりは、操縦者上がりの非力さが恨めしかった。


 けれどモンガーはすぐ解放された。部下たちが局員に飛び掛かったからだ。

 地面に押し倒し、中にはパイプ椅子で殴りかかっている者もいる。


 モンガーはその光景に目もくれず、鼻血も拭かず操縦席を振り返る。


「ミサイルは!?」


「今、ぶつかったので……」


 発射されていた。


 着弾まであと一秒というところで、モンガーは操縦桿を掴んだ。目標指示レーダーを照射している機体のものだった。


 レーダーが地上から、上空へ向けられる。ミサイルもそれを追って、空の彼方へ飛んでいく。


 だがそれで終わりではない。ミサイルが飛んでいった先にあるのは、カナダ市街地。


「海軍に緊急連絡!」


 通信が繋がるや否や、モンガーはマイクに飛びついた。


「こちら第17偵察飛行隊『モモンガ』! カナダ上空へ空対地ミサイルを誤発射! 後生だ、撃ち落としてくれ!!」




 ***




「ほらな。用意しておいてよかっただろ?」


 呆気にとられるポーター少佐をよそに、艦長は一人静かに笑った。そこから一変。


「対空戦闘用意ィ! 総員、甲板より退避せよ、海兵隊もだ。捕虜ごと襟首引っ掴んで艦内に引きずり込め。

 目標、五大湖上空を通過中の空対空ミサイル。散々迷惑をかけたんだ、隣国の友人に塵一つ落とすな! SM-3、発射用意!!」


 艦長の怒声で、ジェイソン・ダンハムは念願の戦闘態勢に入った。艦本来の役目を果たす時が来たのだ。


 全兵士が尻に火をつけられた馬のように駆けずり回り、持ち場につく。

 火器管制官の同僚は見事に椅子からずり落ち、タンブラーのコーヒーを床に盛大にぶちまけたものの、役目はきっちり全うした。


「SM-3、発射用意よし!」


「攻撃はじめ、サルボ(一つの目標に対し二発撃つこと)!」


 艦長の指示で、攻撃の主導権が弾道ミサイル防衛士に移行する。そして、甲板から火があがった。


 発射されたSM-3が、天高く昇っていく。


命中まで(インターセプト)、五秒前! 四、三、二――」


 ポーターは、カウントダウンを固唾をのんで見守った。




 ***




 ジェイソン・ダンハムより撃墜の知らせを受け、モンガーは膝から崩れ落ちた。

 それから、そのまま部下に首を垂れる。


「すまん」


 それは制止が遅れたこと、部下を巻き添えにしたこと、両方への謝罪だった。しかしモンガーの誠意は、笑い声で迎えられた。


「少佐がやらなかったら、自分がやろうと思ってましたよ」


「ナイスへなちょこパンチです!」


「これ、パイプ椅子壊した始末書だけで済みませんかね?」


 呑気にジョークを飛ばす彼らにほっとする傍ら、この先の未来を想像して一気に気分が落ち込む。

 自分たちはこれからどうなるのだろうか。


「……私は、このことを正直に報告するつもりだ。全責任は私にあるが、君らのキャリアに――」


「傷はつかないと思うぞ。モンガー少佐」


 モンガーはぎょっとして振り返って、飛び上がりそうになった。

 あのいけ好かない連絡将校が立っているではないか。


 彼だけではない。モンガーは、連絡将校の傍らにいる人物を見て、目ん玉が零れ落ちそうになった。

 肩の星が四つ。空軍参謀総長、その人である。


「軍の指揮下から逸脱した行動をしている隊がいると聞いてな。だがこういう事情だったなら、仕方があるまい」


「逸脱……? しかし、我々には大統領令が」


「その命令はすでに撤回されている。二時間前にな。大統領は現在、正体不明の武装組織に襲撃されて連絡が取れない。主犯はUSSA子飼いの軍事組織だ」


 モンガーは、信じられない思いで、床にのびているUSSA局員を見た。


「君たちは、まんまと騙された、ということだ。もはやUSSAは情報機関などではない。国家転覆を企むテロリストだ。その証拠が今、出揃った。

 少佐、悪いが付き合ってくれるか。これより四軍トップによる記者会見を行う。一刻も早く国民に説明して、混乱を抑えねばならない」


 断る理由などない。モンガーは混乱しつつも、頷いた。どうやら不名誉除隊は避けられそうだ。


 その時、のびていたUSSA局員が呻いた。意識を取り戻したか。


 どこへ連行するか、モンガーが指示を仰ごうとした、次の瞬間。


「……そんな」


 突如、USSA局員が喉を搔きむしり始めた。目は血走り、溺れたような声を出しながら、背をのけ反らせて床をのたうち回る。


 全員が呆気にとられる中、真っ先に動いたのは連絡将校だ。彼の武勇伝が、ほら話でなかったことが明らかになった瞬間だった。


「毒だ! こいつ、奥歯に毒仕込んでるぞ!」


 スパイ映画の中でしかお目にかかれない台詞を叫んで、連絡将校は局員の上半身に馬乗りになった。

 口を無理やりこじ開け、躊躇なく手を突っ込んだ。


 けれど、すべてが遅かった。


 局員の身体がびくりと大きく跳ね、四肢が脱力する。手足はまだ痙攣していたが、二度と持ち上げられることはなかった。


 モンガーたちは、訳が分からず立ち尽くすしかなかった。

次の投稿日は、6月20日(金)です。

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