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12-9

【これまでのあらすじ】

 三枚目の切り札。それは、フォレスターが処刑用にハウンドから奪った、白薬莢のスラグ弾に隠されていた。


 中に入っていたのは孔雀石のループタイ、ハウンドのトレードマークであり、高性能盗聴器が仕込まれた、店長夫妻からの贈り物だった。


 三枚目の切り札は、奇跡ではなくなった。


 奇跡が起こると信じ託したハウンドの願いと、奇跡を起こすべく周到に用意したニコラスの執念が、成し遂げた業だった。


 銀の弾丸は放たれた。


 自らの発言をもって、全世界に自らの罪を暴露したフォレスターは、追いつめられ――。




【登場人物】

●ニコラス・ウェッブ:主人公


●ハウンド:ヒロイン、敵(USSA)に捕らわれている




【用語紹介】

●合衆国安全保障局(USSA)

12年前の同時多発テロ発生直後に急遽設立された大統領直属の情報機関で、年々発言力を増している。現長官はアーサー・フォレスター。


●『双頭の雄鹿』

 USSAを牛耳る謎の組織。その正体はアメリカ建国黎明期の開拓者『ポパム植民地』住民の末裔。

 マニフェストディスティニーを旗標に掲げ、国を正しい道に導くことを指標とする。政界、経済界、軍部、国内のあらゆる中枢に根を張り巡らしている。

 名の由来は、ポパム植民地の最大後援者でもあったジョン・ポパムの紋章からもじったもの。


●失われたリスト

 イラク戦争中、国連主導で行われた『石油食料交換プログラム』を隠れ蓑に世界各国の大物たち(国連のトップ、現職の大臣、資本家、宗教関係者など)がこぞって汚職を行った『バグダッドスキャンダル』に関与した人物らの名が記されたブラックリスト。

 このリストを公表するだけで、世界各国代表の首がすげ変わるほど破壊力を持った代物。『双頭の雄鹿』の資金源と目される。

 現時点、証拠はすべて抹消され、証人もハウンドとシンジ・ムラカミだけとなっている。


●絵本

 ニコラスがハウンドから譲り受けた手書きの絵本。人間に連れ去られた黒い子狼が、5頭の犬たちの力を借りながら故郷を目指す物語が描かれている。作者はラルフ・コールマン。

 炙り出しで謎の文がページの各所に仕込まれており、それらを解き明かすと『証人はブラックドッグ』、『リーダーはアーサー・フォレスター』となる。


●《トゥアハデ》

 『双頭の雄鹿』の実働部隊。世界各国の特殊部隊から引き抜いた兵士で構成されており、長のフォレスターが自ら選んだ幹部“銘あり”が数人存在する。

 現時点で確認されている“銘あり”は『キッホル』、『クロム・クルアハ』、『ヌアザ』、『モリガン』、『ディラン』、『スェウ』、オヴェドの七名。

 現時点で『キッホル』、『クロム・クルアハ』、『ヌアザ』の三名は死亡。

 また、なぜかオヴェドは名を与えられていない。

 すべてを白日の下に曝されて、アーサー・フォレスターの反応は早かった。即座にハウンドを人質に取るべく動いた。


「ディラン、スェウ!」


 主君の怒声に、双子は瞬時に動いた。

 暴れるハウンドを二人がかりで抱え、強引に引きずりながら、主人の元へ馳せ参じようとする。


 兵士たちも動いた。

 フォレスターを飲み込むように囲みながら発砲する。数にものを言わせた凄まじい銃撃だった。


 予想通りの反応。予想通りの展開である。


 なのでニコラスは、フォレスターが叫んだ時点で駆けだしていた。


 追ってくる5.56ミリ弾の群れを避けながら、全速力で横にスライディングする。

 万華鏡を覗き込んだような幾何学模様のオーク材フローリングは、価格と相まって、実に滑らかでよく滑った。


 横滑りしながら、ニコラスは一人に狙いを定めた。


 ――お望み通り、殺しにきたぞ。


 発砲、一発。

 倒れたのはオヴェドだ。後方へのけぞって、酔っ払いが倒れるように崩れ落ちた。


 指揮を執り始めた矢先に司令塔をやられ、トゥアハデ兵の動きが一瞬よどむ。その隙に、ニコラスは円卓下へ潜り込んだ。


「ちょっと。こっち来ないでよ」


 同じく隠れていたヴァレーリ一家当主フィオリーノが、迷惑そうな顔をする。が、当の本人は暢気に煙草をふかしており、銃撃戦の最中とは思えぬ余裕っぷりだ。


「頑丈な円卓だな」


「大理石つったって要は石の塊だからね。ったく、バカスカ撃ちやがって。これポルトロ黒大理石よ? いくらすると思ってんだか」


 そこまで一息で愚痴を吐き、フィオリーノは「で?」と尋ねる。


「脱出路は?」


「確保してある。ルートはそこにいるロンダンに聞いてくれ」


「ちゃんと覚えていたんですね」


 円卓に身を隠しながら、ターチィ一家当主代理のロンダンがにじり寄ってきた。だいぶやつれてしまったが、声音は嬉しそうだった。


「“『祈矢花(ジェンシェン)の間』には入らないでくれ”。まさか娼館のあなたの控室からセントラルタワーへの隠し通路があるとは思いませんでした」


「ふふふ、正解の道を見つけるのはかなり骨が折れたでしょう? 本当は、あなたがたがそこで右往左往するところを、愉しむつもりだったのですけど」


「実際に右往左往しましたよ。けど見ても面白くはなかったと思いますよ。ルートはガキどものドローンで探らせましたので」


「あら残念」


 言葉と裏腹にクスクス笑うロンダンの背後から、ロバーチ一家当主ルスランがぬっと現れた。


 今しがた自分が座っていた、重さ50キロはありそうな本革椅子を片手でぶん投げ、数人の兵士を吹き飛ばしてから、窮屈そうに身を屈める。


「それで、ここからどう抜け出すつもりだ。我が軍は地上ですでに交戦中だ。ここまで上がってこさせるのはだいぶ時間がかかるぞ」


「問題ない」


 そう言って、ニコラスは懐から携帯電話を取り出した。連絡帳から番号を指定し、次々に発信していく。


 小さくはない揺れが、連続で床下から突き上げてくる。フィオリーノが顔をしかめて尻をさすった。


「なにしたの?」


「爆弾を設置しておいた」


「俺たちが最初に脅迫に使われたやつ?」


「いいや、そいつらはさすがに撤去されていたが、痕跡があったんでな。あえて同じ場所に仕掛けさせてもらった。その方が敵も混乱する」


「嫌な男だねぇ」


「テロリストの鏡だな」


 表情こそ変わらなかったが、フィオリーノとルスランは、心底愉快そうにそう言った。


 ニコラスはグラスウォールに映った背後の光景を注視した。

 フォレスターが、双子とともに部屋を出ていくところだった。あの方向、行き先は屋上か。


 今すぐにでも飛び出したいが、雑兵が多すぎる。しかもトゥアハデ兵はすでに、円卓下に隠れるこちらに回り込み始めていた。


 ニコラスは無線に向かって叫んだ。


「チーム・トランプ、援護頼む!」


『三秒くれ』


 返答は一言。だが彼らは、本当にきっちり三秒後に動いた。


 先ほどハウンドが落下した床穴から、三発の球体が放射状に放られる。手榴弾である。


 それも、ハウンドを落下させたときに投げ込まれた閃光と轟音をまき散らすだけのではなく、普通に死の破片を振りまくタイプのものだ。


 しかも彼らは手榴弾を、放り込まれた瞬間に爆破するよう調節していた。

 ピンを引き抜いて一、二秒経ってから放るのだ。敵に蹴飛ばされないための対策だろうが、並大抵の胆力でできることではない。


 あちこちでボンと少し拍子抜けするような音が響く。しかし効果は絶大だ。

 こちらを包囲すべく広くひろがっていたトゥアハデ兵は、手榴弾をもろに食らった。


 粉塵も収まらぬ、その瞬間。床穴から数人が飛び出した。


 デルタフォースの隊員四名である。

 現在、即席戦闘艦にて奮闘中のファン・デーレンの護衛をしていた彼らは、その足でハウンド救出作戦に参加してくれた。


「『スペード』、三時の方向クリア!」


「『クラブ』、十時方向クリア。12メートル後方に敵三名を確認!」


 デルタ隊員が次々に戦果を挙げていく。ニコラスも負けじと攻勢へ出た。


 目の前の三人を立て続けにやり、円卓の下から飛び出す。撃ち倒しては進み、道を拓いていく。


 けれど敵とて腐っても精鋭兵。回復も早く、また弾幕を張り直そうとする。

 床穴まで下がらざるを得ないか。そう歯噛みした時だった。


 議事堂内に、闖入者がなだれ込んだ。

 コカを咥えた頬白鮫の入れ墨をした、男たち。シバルバ一家構成員である。


「ったく、大口叩いてこのザマかよ。先代も馬鹿な賭けにのりやがって。おかげでこっちも素寒貧だ」


 シバルバ一家当主が億劫そうに立ち上がる。


 どうやら最初からUSSAに協力していた彼らは、他の一家と違って武装した護衛を当主近辺に配置することが許されていたらしい。

 そしてシバルバ一家は、USSAが落ち目と見るなり見事に掌を返した。


 トゥアハデ兵を背後から撃ち、堂々と逃げ出しはじめる。


「アネモネのプレゼンがようやく功を奏しましたね」


「プレゼン?」


 嘆息交じりに呟くロンダンに、ニコラスは聞き返した。


「あなたがた27番地の和平交渉のおり、USSAと交渉に臨んだアネモネは当初、シバルバ一家の了承を取り付けろと突っぱねられたんです。まあ、嫌がらせですね。

 けれどアネモネはそれを逆手にとって、シバルバに繰り返し『USSAは必ずシバルバを切る、土壇場で裏切れ』と説得し続けたんです。そしてそれは、ウェッブ様とのディベートで、フォレスター自身が証明しました。お手柄ですよ」


 確かに、フォレスターはニコラスとの問答の際、「特区にいるすべての組織の壊滅が主目的」だと明言した。

 あれが、シバルバ造反を招く、盛大な失言だったわけだ。


「ま。どのみち皆殺しにしてやる予定だったけど、シチリアの爺どもの説教のネタを減らしたことは評価してあげるよ」


「あんなくだらん茶番でこうも見事に自滅するとはな。あの程度に後れを取ったのが、腹立たしい限りだ」


 可能な限り褒めたくないという心情がよく伝わる『特区の双璧』の感想だった。とりあえずあの三枚目の切り札は、別方向でも成果を上げたようである。


 シバルバに獲物を横取りされ、手持ち無沙汰になったデルタ隊員が寄ってきた。先ほどの会話を聞いていたのか、シニカルな笑みを浮かべている。


「マフィアをも操るとはな。『百目の巨人(アルゴス)』は心も読めるのか?」


「ただのまぐれだよ。というか、俺を知ってるのか?」


「当然だろ。スナイパーであんたを知らない奴はもぐりだ」


 そこまで言って、一転。デルタ隊員は表情を険しくした。


「退路の方だがな。今のところ問題ないが、いかんせん敵の数が多い。勘付かれるのも時間の問題だ」


 ニコラスたちが侵入経路に使ったターチィ領からの隠し通路は、セントラルタワー50階にある。

 耐震構造上ビルの継ぎ目となる無人エリアで、非常用発電機や通信設備が設置されている。


 そのエリアに、柱上の極太ケーブルシャフトがある。地中まで伸びているもので、ケーブル周辺には、点検用に人が通り抜けられる隙間がある。


 そこが隠し通路であり、ニコラスたちの侵入・脱出ルートだった。現在は、27番地奇襲部隊が守ってくれている。


 トゥアハデがこのルートを知らなかったのは、ビル建設に携わったのがターチィ一家で、当主だけが知り得る情報だったからだろう。

 トゥアハデに後れを取ったターチィだが、当主直伝のこの機密情報は守り通したのだ。


「脱出するには一人ずつロープで降下せにゃならん。見つかったらまず逃げられん。敵に見つかった時点で退路が断たれると思った方がいい」


「分かった。10分くれ。戻らなかったら先に脱出していい」


 ニコラスは腕時計のタイマーをセットした。


「そうか。ならこいつを持っていけ。二人分だ」


 そう言って、デルタ隊員はナップザックを一つ寄こした。バートン教官が用意した、第二の秘密兵器である。


「俺たちにも例の美女を拝ませてくれよ。勝利には女神がつきもんだからな」


「ああ」


 ニコラスはザックを背負い、駆け出した。


 こちらの爆破による混乱と、ロバーチ・シバルバ一家が暴れているせいか、トゥアハデ兵はだいぶ数を減らしていた。


 五分と経たずに屋上に辿り着けたが、問題はそこからだ。


 双子が待ち構えていた。配下の兵士とともに、銃撃してくる。


 ニコラスは、すぐ非常階段脇の壁に隠れたが、一瞬垣間見た光景を目に焼き付けた。

 屋上のどこに何があるか、人がどう動くか。それらを予測し、数秒待ってから、壁越しに撃つ。


 屋上中央、フォレスターが駆け寄ろうとしていた、UH-60汎用ヘリコプターに数発が命中する。

 5.56ミリ弾程度では、ヘリの装甲はびくともしない。しかし、近くに生身の人間がいるとなれば、話は別だ。


 フォレスターは跳弾から逃れるため、慌てて身を伏せた。その拍子で鎖を引かれ、ハウンドも引きずり倒される。


 主君の身に危険が生じたため、ごくわずかに、敵の注意がそれた。その寸毫を狙って、ニコラスは屋上へ突入した。


 中腰姿勢で、発砲しながら歩き続ける。視線と上半身は常に固定し、足だけ素早く動かす。銃口はあちこち動かさず、射線に敵が映った瞬間に引き金を引く。

 現役の頃、射撃訓練で幾度となく身体にしみこませた動作だ。身体はちゃんと覚えていた。


 次々に敵を撃破し、二秒後には手近な遮蔽物に入った。


 フォレスターはもう起き上がって、ヘリに乗り込むところだった。抵抗するハウンドの鎖を無理矢理引っ張っている。


 ニコラスはすぐに銃口を向けた。が、銃身を掴まれた。


 双子だ。兄か弟かどちらかしらないが、音もなく忍び寄っていた。相変わらずニンジャのような連中だ。


 銃ごとぐいっと引かれ、代わりに短剣を突きこまれる。その切っ先を間一髪でかわし、ニコラスは愛銃トーラスPT92自動拳銃を抜いた。


 引き金を引き、薙ぐように弾をばらまく。次いで、背後に向け、見ないまま発砲した。


 前方のと、後方から襲い掛かろうとしていた、双子両方が飛びずさる。やはり挟み撃ちにしようとしていたか。


「白兵戦に進歩がないな」


「その腕前で我らに勝てるとでも?」


「知らん」


 ニコラスは吐き捨てた。勝ち負けなどどうでもいい。ハウンドを取り戻せるなら。


 その返答が不満だったのか、双子の片頬がひくりと動いた。


 そのまま低姿勢に移行し、瞬き。

 目を開けた時には、2メートルの距離に迫っていた。


 ――くそっ。


 ニコラスは拳銃を発砲する。当然のように弾を避ける双子の動きを予想し、来そうな位置に蹴りを叩きこんでおく。


 しかし双子はそれすら避けてくる。蹴り入れた脚を掴み、ニコラスを投げ飛ばした。


 受け身を取りながら、ニコラスは焦った。こんなことをしている場合ではないというのに。


 そうこうしているうちに、ヘリが離陸した。脚が屋上を離れ、ぐんぐん上昇していく。


 双子の連続攻撃を凌ぎながら、ニコラスは上空を見上げ、歯ぎしりした。


 双子が再び距離を取った。二人同時に左右から仕掛けるつもりらしい。


 ニコラスは身構えたが、次の瞬間、回れ右をしていた。

 視線は空に釘付けだった。


 人質のハウンドとともにヘリに乗り込んだフォレスターだったが、彼はまたも過ちを犯した。

 こちらの銃撃を警戒したのか、フォレスターはハウンドの後ろから首に腕を回して羽交い絞めにしていたのだ。口輪をしていない彼女に。


 近接戦において間違いなくトゥアハデ最強といっても過言ではない双子が、ハウンド相手には頑なに鎖を持ち続けた意味を、フォレスターは理解していなかった。


 当然ハウンドは、フォレスターの腕に噛みついた。歯一つで敵を倒す彼女の噛みだ。相当痛かっただろう。


 フォレスターは噛みつかれた腕を振り回した。保護アームスリーブに噛みつく警察犬を、引き離そうともがく訓練人のように、ヘリの中で揉み合い始めた。

 離陸直後のヘリが左右にぐらつき、高度を落としながら斜行しはじめる。


 ――まずい……!


 ニコラスは階段をすっ飛ばしてヘリポートに跳びあがった。


 ヘリに限った話ではないが、航空機というのは離着陸時に事故を起こしやすい乗り物だ。このままでは墜落する。


 その時だ。銃声と、微かな銃口炎が見えた。護衛が発砲したらしい。

 フォレスターに当てぬよう威嚇射撃だったのか、砕けた窓が空中に飛散するのが見えた。


 怯んだのか、距離を取ろうとしたのかは分からない。だがハウンドの身体は、フォレスターから離れた。

 そんな彼女を、護衛が空中へ蹴りだす。


「っ、ハウンド……!!」


 ニコラスは全速力で走った。


 ハウンドは最後まで抵抗した。手枷の鎖を飛ばして、ヘリの脚部に巻き付けようとした。


 しかし上手く巻きつかず、ギャリギャリと嫌な音と火花を散らして、彼女は落下した。


 ハウンドが、背を下に、真っ逆さまに落ちてくる。


 もう双子のことも、飛んでくる弾のことも頭になかった。


 ただ両腕を伸ばし、ハウンドの元へ走った。

 落ちてくる彼女の姿が、スローモーションのように見えた。


 腕に、衝撃と強烈な負荷。


 落下の衝撃を相殺すべく、ニコラスは全身を腰、膝の順に折って転がった。パラシュート降下の五点接地の要領だ。


 ニコラスたちは転がり続け、ヘリポート端のワイヤー柵に引っかかり、跳ね返されてようやく止まった。


 全身をくまなく打ち据えて、ニコラスは呻いた。

 骨という骨が悲鳴をあげていた。それでも腕の中のぬくもりは、ひしと離さなかった。


 しばらくして、もぞりと、腕の中の熱が動いた。

 深緑の瞳が何度か瞬き、こちらの姿を捉えるなり、ゆるりと弧を描く。


「ただいま、ニコ」


「ああ、おかえり」


 ニコラスはハウンドを抱きしめ直した。眼球の奥が熱を帯び、鼻がツンと痛んだ。


 ずっとこうしていたかった。接した皮膚を通じて、彼女の呼吸と鼓動が感じられる、それだけで叫びたくなるほど嬉しかった。

 言葉などいらない。ただただ彼女を搔き抱いた。


 ハウンドの髪に頬ずりする。ハウンドもまたこちらの首元に顔をうずめ、擦り寄った。


 しかし、二人の時間は中断されることになる。双子と敵が追いついたのだ。無粋な連中である。


「立てるか」


「うん」


 ヘリポートを飛び降り、ニコラスはハウンドの手を引いて走った。

 格子状の天窓エリアを駆け抜け、その先の発電機エリアに逃げ込んだ。十数台の発電機が所狭しと設置され、ちょっとした迷路のようになっている。


 天窓は銃撃で破壊され、戻れなくなった。


 敵が迂回し始めた。天窓が渡れなくなってしまったので、天窓脇の細い梁を綱渡りのように渡ってくる。


 ニコラスはそれを狙い撃ちながら、ハウンドに尋ねる。


「戦えるか」


「当然」


 と、次の瞬間、ハウンドがこちらの頭に飛びついてきた。直後、ニコラスの頭があった場所に、短剣が数本降り注ぐ。


 見上げれば、発電機上に巨大な影がある。双子だ。

 あの破壊された天窓を、そのまま直進してきたのか。


「んの……!」


 発砲しようとするが、間に合わない。飛び降りた勢いのまま、腰刀を振り下ろしてくる。


 そこに、ハウンドが手枷の鎖を投じた。鞭のように振り回し、双子を追い払おうとする。

 しかし、動きがかなり鈍い。一か月も監禁されていたのだ、当然だ。むしろ、自分の足でここまで動けることの方が驚きだろう。


 だがこのままではまずい。案の定、鎖を掴まれ、ハウンドが引き倒された。双子はそのまま手繰り寄せようとする。


「くっ」


 ニコラスは銃を構え、撃とうとした、その瞬間。


「ニコラァース――!!」


 その叫びに、ニコラスはぎょっとする。その声は、ここにいるはずのない声だったからだ。


 ジャックだ。


 金髪の小柄な少年が、天窓を挟んだ反対側の発電機エリアの、消火器ボックスの影から頭を突き出して叫んでいる。手に何かを持っている。


 ニコラスは思わず叫んだ。


「馬鹿野郎! なんで来た!?」




 ***




 ニコラスから怒声をもろに食らって、ジャックは首をすくめた。


 ――やっぱ怒るよなぁ……。


 勢いと勇み足で駆け付けたものの、やっぱり怒っているニコラスは怖い。

 以前本気で怒られたことがある身としては尚更、しかも予定では、通信班補助員のジャックはすでに脱出しているはずの人間だった。


 今から一時間ほど前のことである。




「どうする。俺たちからも迎え出すか?」


 ジャックたち、退路確保チームは迷っていた。


 同じく通信班補助員のウィルが、自身のノートPCからクラックしたタワー監視カメラ映像を凝視しながら、眉間のしわを深くした。


「敵の動きがますます複雑になってる。地上のロバーチ一家が攻撃し始めたのが原因だと思うけど……現時点で二チームぐらいがこの階に来ようとしてる。恐らくここに立て籠もる気じゃないかな」


「面倒なことになったな」


 チームリーダーのアトラスが舌打ちした。


 ハウンド救出の直接的な殴り込み要員として、ニコラスやデルタフォースを見送ったまではよかった。

 50階の無人エリアから、ケーブルシャフトを介して目的の階層の床下へ侵入する彼らを見送り、残された側も自身の役目を全うした。


 ジャックの役目は、空陸両用ドローンでの索敵と、ニコラスが引き出したラスボス(フォレスター)の悪事を世界に公開する、その体制を準備と維持だった。

 対するウィルは、セントラルタワーのプライベート回線のハッキングだ。


 独立回線ゆえに外部からの干渉は不可能とのことだったが、現地でケーブルにウィルのPCを直接繋ぐなら話は別だ。

 未成年でありながら、自分たちが同部隊に抜擢された理由だった。


 そして自分たちは役目を果たし、奇襲作戦も成功した。ニコラスが決め台詞(恐らく彼にそのつもりはまったくなかっただろうが)を言った時は、全員が歓声をあげていた。


 あとは遠足と同じく、全員が無事に生きて帰ることができれば完璧なのだが……そこが一番の問題だった。


 通信班班長のサイラスが、ウィルの肩越しに画面を覗き込みながら、首を振った。


「援軍を出すのはよした方がいい。俺たちの実力じゃデルタについていけない。足手まといになるだけだ。このエリアを死守することだけ考えよう」


「そうだな。よし、ひとまず脱出できる人間は今のうちに脱出するぞ。ニコラスたちが戻ってきたが後がつっかえてて逃げられねえ、なんて洒落にならん。先行部隊を脱出させて、合流地点までの道のりを確保する」


「その安全が確保できたら、ジャックとウィルを行かせたいんだが……いいか?」


 ケータがこちらを見ながら言った。アトラスとサイラスは頷いた。


 ジャックは大人たちの反応をありがたく思いながらも、悔しかった。

 敵の本拠地に乗り込んでおきながら、自分たちは真っ先に逃がされる。子供だから。


 部隊へ抜擢されるまでも、大人たちは相当揉めていた。ケータなどに至っては、戦力として貴重なデルタフォースを自分たちの護衛につけようとまで言い出す始末だった。


 守ろうとしてくれるのは嬉しい。良い人たちだとは思う。

 けれど、ちゃんと役目を果たしても実力を示しても、未成年だからという理由で真っ先に逃がされるのは、戦力外通知をされたようで納得がいかない。


 ジャックはウィルを見た。その表情に変化はなかったが、自分には分かる。ウィルが唇を指でつまんでいる時は、不満を言いたいのを我慢している時だ。

 それを見て、ジャックは決意した。


「あのさ」


 全員の視線が集中して、ジャックは唾を飲み込んだ。

 ケータが顔をしかめて口を開く。しかしジャックは彼からお小言が飛び出す前に、まくしたてた。


「オレ、残るよ。人手足りてないんでしょ? オレならドローン索敵で、そのへん補えるよ」


「駄目だ。お前らは戦えないんだ。安全が確保され次第、すぐに脱出しろ」


「でもそれだと、オレらの護衛のためにまた人手割かなきゃでしょ? そんなことしてる余裕、みんなにあるの?」


 そう反論すると、ケータが黙りこくった。ジャックはその隙を逃さず、親友を指さす。


「オレがダメなら、せめてウィルだけでも残してよ。敵だってもうこっちのクラックには気づいてる。ウィル以上に敵の攻撃しのげる奴、うちにいる? 回線の主導権を確保しておくためにも、ウィルは必要でしょ」


「……ジャックもだ」


 ウィルの発言に、ジャックは驚いた。ニコラスや店長がいない場で、ウィルが口を開くことなんて、滅多にないのに。


 ウィルはこっちをちらっと見てから、PC画面に目を戻しながら俯いた。掌に浮いた汗を、一生懸命ジーパンの太腿でぬぐっている。


「このタワーの、制御室が、最上階の真下にある。そこに、防火システムの制御盤があるんだ。この回線からじゃ、干渉できない。

 けど、そこをいじれば、タワー全体の防火シャッターを下ろして、敵を分断できる。このエリアの防衛もしやすくなる……と思う。僕がそこへ行って、やってくる。そのために、ジャックが必要だ。彼の、目が欲しい」


 ジャックは込みあげてくる熱をなんとか飲み込んだ。親友が自分を評価してくれたのが、飛び上がりたくなるほど嬉しかった。


 ジャックは興奮のまま、畳みかけた。


「そうだよ。オレたちが制御室を乗っ取れば、みんなもやりやすくなるじゃん」


「馬鹿言え。行ったあとどうするんだ」


「そんなの、ニコラスたちと一緒に降りてくればいいじゃん。デルタだっているんだしさ。オレら先に逃がすために人員割くより、よっぽどよくない? 

 それに、別に制御室に突入しようってんじゃない。このタワー、クラッキングした時みたく、制御室の回線に、直接ウィルのパソコン繋げばいい。あとはウィルがやってくれる。ね?」


「……三分もあればいける、と思う。絶対、やってみせる」


「ね、ね、いいでしょ? 絶対に迷惑かけないからさ」


 こちらの説得に、ケータは開きかけた口をぐっと引き結んだ。渋面を浮かべて腕を組み、一生懸命反論を考え込んでいるようである。


 ジャックはアトラスに目で訴えた。リーダーは彼だ。彼さえ納得すれば、自分たちは残れるはずだ。


 アトラスは数秒唸った末、渋々といった感じでこちらを見た。


「分かった。けどくれぐれも勝手な真似はするなよ。役目を果たしたら、安全な場所で大人しくしているんだ。――ケータ」


「……はあ。分かったよ。お目付け役は任せてくれ」


 ジャックは歓声を上げた。


 こうして、ジャックとウィルは、ケータとともに制御室確保に動くこととなったのである。


 そして、それから20分後。自分たちは制御室まであと三階のところまで迫っていた。


「この自動昇降装置ほんと便利だね。さっきいたところから50階も上なのに、あっという間に来ちゃった」


 ジャックは、ケーブルを束ねる金属製の輪っかに引っかけた、昇降装置から伸びるワイヤー先端の銛に似た形状の鉤を外し、両手に装着したナックルダスターに似たグリップ型の装置を握りしめた。


 すると、腰横の巻取り装置がワイヤーを巻き取り、先端の鉤が装置に収まる。メジャーみたいだ。


 ジャックは、以前漫画で読んだ、巨人と戦う兵士が空中戦で使用する機動装置を思い出した。


 ジャックにやや遅れて、ケータが登ってくる。

 新兵の訓練ドキュメンタリーで見た懸垂降下を、逆再生で眺めているようだ。シャフト内のケーブルの上に前傾姿勢で立ち、巻き取り機を使って跳ねるように上へ上へと昇ってくる。


 重量百キロでも耐えられるだけあって、大人のケータでも楽勝だ。


「バートン教官がUSSAから拝借したもんだそうだ。ワイヤーが細くて軽いのもいいが、俺たちみたいな素人でも扱えるのがいいな」


 ケータは、巻き取り機で戻ってくる鉤で自分を傷つけないよう、右腕を大げさに逸らした結果、背負っていた小銃と釣り竿ケースのようなものを落としかけていた。

 かなり格好悪かったが、たしかに高速で戻ってくる鉤は怖いので、気持ちは分かる。


「ワイヤー自体が絶縁体繊維でできてるのもな。こうしてケーブルにぶっ刺しても、感電せずに済む。ぶっ刺した箇所は触るなよ。電線が露出してるかもしれん」


「分かってるって」


 そう返しながら、ジャックは手首にガムテープで固定したスマートフォンを見た。先行させたドローン映像がそこに映っている。


「目標エリア、さっきより敵の数は減ってる。みんな最上階か、下に向かっていってるよ。ウィル、監視カメラの方は?」


「こっちも同じ」


「なら今のうちだね」


 そうこうしながらケーブルシャフトを昇り、ジャックたちは制御室と同じ階に辿り着いた。その床下、だが。


「だいぶやってるな」


 ケータの発言に、ジャックたちは答えられなかった。ここに来るまでも飽きるほど聞いたが、このエリアの銃声は桁違いだ。足音と悲鳴の数も。


 先ほどより減っているはずなのにこれだ。人が撃たれる光景はドローン越しに何度も見たが、ここにいると強制的に光景が頭に浮かんでしまい、身がすくむ。

 今にも弾が床を貫通してくるんじゃないかと、気が気でない。


 ジャックは自然とウィルに引っ付いた。丸まったこちらの背を、ケータが軽く叩いた。


「励ましてやりたいところだが、時間が惜しい。自分で言ったからには、やってもらうぞ」


「……分かってる。ウィル」


「うん。制御室へのケーブルは……ここだね。この部屋の壁にあるみたい」


「一番端の部屋だな。中に人は?」


 ケータの問いに、ウィルは首を振った。


「確認できない。監視カメラがないみたい。ジャック、ドローンで見れない?」


「うーん、通気口とかもないんだよね。部屋の前までならいけるんだけど。出たとこ勝負になるかも」


「なら俺が先行しよう。お前たちは後から……」


 そこまで言って、ケータは口を噤んだ。


 前方、目的地までの床下が、ケーブルで埋め尽くされていたのだ。樹木の根を土の下から見ているようだ。

 搔き分けようにも隙間はほとんどなく、意外と肩幅の広いケータはもちろん、自分たちですら通り抜けられそうにない。


「見て。あそこの下」


 ウィルが指さしたのは、配管のある部位だった。そこにも様々な太さの管が所狭しと張り巡らされているが、一番下の太い配管の下に隙間がある。

 高さは10インチ(約25センチ)あるかないぐらいだろうか。


「僕らならいける、と思う。ジャック」


 言われるまでもなく、ジャックは背のリュックに入れていたラジコン改造型のドローンを押し込んだ。

 リモコンで操作し、行けるとこまで行ってからカメラで確認する。


「目的の部屋の下まで行けそう。オレらで行ってくるよ」


「……行ったら音で確認するんだ。いないなと思ったらドローンで確認、それから俺に報告。俺がよしといったら部屋へ侵入だ。絶対に守れ。頼むから、たまには大人の言うことを聞いてくれ。いいな?」


 ケータのひときわ低い声に、ジャックたちは頷いた。

 ここにいること自体が危険なのだ。自分たちとてそこまで無謀ではない。


 ジャックたちは隙間に潜り込んだ。こんもり積もった埃に顔をつけてしまい、盛大に咳き込みながら少しずつ前に進む。


「ジャック」


 喘息もちのウィルが、息も絶え絶えに懐中電灯で前を照らした。


 配管の隙間から無数の光が見える。支柱だ。

 金属製の短いもので、等間隔にずらりと並んでいる。パルテノン神殿の内部がどこまでも広がっているような光景だった。


「部屋の床下だ」


 ジャックは配管から急いで抜け出した。例の部屋の床下は高さ50センチほどで、圧迫感がかなりマシになった。


 四つん這いで部屋の中央らしき部分へ向かい、耳を澄ます。


「……誰もいないっぽい。大丈夫だと思う」


 すかさずウィルがケータに報告した。彼は本当に大丈夫なのか再三確認しているようで、ウィルは何度も頷いていた。

 しばらくして、ウィルがこちらを見る。


「行こう」


「オレが開けるよ。ウィルはドローンお願い」


 ジャックは身を起こし、床下のタイル状の金属板をもち上げた。途端、懐中電灯ではない、自然な光が差し込んだ。


 ウィルがドローンを押し込んだのを見て、すぐさま頭を引っ込める。映像を確認するが。


「……問題ないね」


「よし、侵入しよう!」


 ジャックは再びタイルを持ち上げ直した。が、なぜか重い。さっきまであんなに軽かったのに。

 四苦八苦しながら、なんとか持ち上げる。


「開いた! 制御盤は部屋の隅だっけ……」


 頭でタイルをもち上げながら振り返って、ジャックは悲鳴を飲み込んだ。


 男たちがこちらを覗き込んでいた。


 スーツやら戦闘服やらを着た、見たことのない男たちだったが、目の前でヤンキー座り(アジアン・スクワット)してる二人は知っていた。


 ロバーチ一家のセルゲイ・ナズドラチェンコと、ヴァレーリ一家のカルロ・ベネデット。カルロはなぜか顔がガーゼまみれだ。

 どうも自分たちは、五大マフィア幹部がいる部屋を引き当ててしまったらしかった。


 自分が持ち上げている金属板の上には、ロシア人っぽい大男がフロアカーペットごと踏んづけている。道理で重いわけだ。


 ――ヤバい、ヤバい、ヤバい……!!


 急いで床下に引っ込もうとしたが、僅か一瞬をついて、金属板の隙間に靴先を挟まれた。


 ジャックは思わず叫んだ。


 マフィアって本当に足を挟んでドア閉めるの止めるんだ。ドアじゃないけど。

 などと思ってる間に、こじ開けられる。


「よー、チビども。久しぶりだなぁ?」


 問答無用で襟首を掴まれて引きずり出される。ジャックはウィルと抱き合いながら震え上がった。猛獣に囲まれた鼠の気分である。


「お前んとこの奴らもいい性格してんなー。ラスボスのいる本拠地にガキ潜り込ませるかよ、フツー」


 セルゲイがしゃがみこみながら顔を覗き込んでくる。ジャックはなるべくウィルを背後へやりながら、なんとか声を上げた。


「ぼっ、ぼくらはただっ、シャッターの、制御盤を」


「あん、シャッター?」


「防火シャッターの制御盤だ」


 ウィルがこちらの腕を抑えて身を乗り出した。ジャックは驚いて親友の横顔を見た。


「ここに僕らがいるのは、僕らの意思だ。今、ニコラスが上で戦ってる。けど、敵の数が多すぎる。敵の数を制限しないと、ニコラスもハウンドも逃げられない」


「……こいつは驚いたな。本当に乗り込んできやがったのか」


 セルゲイはなぜか視線を逸らして忌々し気に舌打ちした。そして、


「で、そのヒーロー様を逃がすために、防火シャッターで敵を分断しようってわけね。モブにしちゃあ、涙ぐましい努力じゃねえか」


 いきなりウィルのPCをもぎ取った。


 ウィルは取り返そうとしたが、先ほどタイルを踏んでいた大男に、猫のように襟首を掴まれ持ち上げられてしまう。

 ジャックは慌てた。


「おい返せよ!」


「そう吠えんなって。悪いようにはしねーよ。へえ、物理接続からのハッキングか。やるじゃねーか」


「おい。上の状況はどうなってる? さっきの震動は?」


 知っていることはすべて吐けとばかりに、カルロが迫ってくる。


 よくよく見ると、その足元には先ほど忍び込ませたドローンが、タイヤを空転させていた。誰もいないところにカメラが向くよう、足で固定している。

 道理で何も映らなかったわけだ。


 ドローンも封じられ、PCも奪われた。もう為す術がない。


「! っと」


 突然、カルロが飛びのいた。


 彼のすぐ近くのタイルが、急に跳ね上がったのだ。銀の一閃が足元を薙ぎ、カルロはもっと大きく飛び退いた。


「ケータ!」


 埃まみれのケータが、床下から飛び出してくる。右手に拳銃、左手に刀を握っている。

 防弾チョッキは着ていなかった。あの配管の隙間を抜けるため、脱ぎ捨ててきたらしい。


「丸腰ってことは、ここがお前らの監禁部屋か。その子を放せ。斬るぞ」


 ケータはすでに、大男に銃口と切っ先を向け、腰を落としていた。


 声も表情も雰囲気も、初めて見るケータだった。本気で怒っている。

 瞬きした次の瞬間には、大男に弾丸を撃ち込み、腕ごと切断する気だ。ジャックは震え上がった。


 ケータと、男とたちとの間で、緊迫した沈黙が張り詰める。そんな時だった。


「はいはい、その辺でストップ」


 一人の女性が割り込んできた。

 金髪でスタイル抜群のきつそうな美人で、際どい黒のイブニングドレスを着ている。どこか聞いたことのある声だ。


 美人はカメラを前にポージングするモデルのように、腰に手を当てた。


「こっちだってそこのガキどもを害する気はないわ。そこの扉のロック解除したいのよ」


「だったら二人を今すぐ解放しろ」


「ヨンハ」


「はい」


 美人が指を鳴らすと、背後にいた優男が大男からウィルを取り上げた。怪我がないか確認すると、背を押してこちらにやる。


 本当に解放されると思わず、ウィルが困惑した様子でこちらに戻ってきた。


 ジャックは「あ」と声を上げた。思い出した、この声。


「あんた、もしかしてあのアニメの声優?」


 以前ユーチューブに投稿されていた、魔法少女アニメの主人公の声だ。美人は片方の口端だけ吊り上げて笑った。


「あら、あんた。チャンのアニメ観たの。いいセンスしてんじゃない」


 牙を剥き出しにした雌ライオンのような笑みを見せ、すぐに表情を引き締める。


「外の状況を教えてちょうだい。御覧の通り、あたしたちは丸腰よ。あんたらもあたしらも、ここから脱出したい。目的は一致してるはずよ」


 ケータは無言だった。銃口の矛先を大男から美人へ変えただけで、一言も喋らない。

 ジャックはその時はじめて、双方の先が震えていることに気づいた。


「面構えのわりに頑固ね。いざという時にちゃんと牙を剥ける気弱な男は嫌いじゃないわ」


 そう言って、美人はおもむろにドレスを脱ぎ始めた。

 ケータはもちろん、ジャックたちもぎょっとした。ウィルは肩を跳ねあげて顔を背け、ジャックは赤面した。


 ケータは両方だった。誰よりも肩を跳ねあげ、「へあ!?」と変な声をあげて後ずさった。そのうえで、銃と刀を持ったまま、自分たちの目を隠した。

 いつものケータが戻ってきた、と、ジャックは心から安堵した。


「ちょっ、あんたっ。いきなりなにする……あ」


「これで少しは信用してもらえるわね? コイツをシバルバから回収してくんの、苦労したんだから」


 下着姿になった美人は、ドレスの下のコルセットに挟み込んだそれらを撫で、得意げに笑った。


 それは銃の部品だった。

 美人が部品を抜き取ると、その手からすぐ部下が受け取って組み立て始める。銃を組み立てるために使用する工具は、太腿のタイツに巻き付けていた。


 銃が徐々に元の姿を取り戻していく。

 ハウンドの愛銃、ソードオフのMTs255回転式(リボルバー)散弾銃(ショットガン)だ。


 あの際どいドレスでなぜ気づかれなかったのか、と思ったが、すぐ合点がいった。この美人、胸と尻が大きいのだ。

 身体のでっぱりが大きいから、胸と尻の真下は布地が引っ張られてほんの少し空間ができる。


 それに気づいた瞬間、顔がますます火照った。ジャックは顔を見られまいと、ケータの背に隠れた。


「全部フォレスターが持ってたんじゃなかったのか」


 カルロが尋ねた。

 美人は胸の谷間から、布に包まれた薄べったくて長い物、ハウンドの銃剣を取り出しながら、肩をすくめた。セルゲイがひゅうと口笛を吹く。


「右手の一挺はね。左手のはシバルバが戦利品として受け取ったのよ。協力の見返りね。あたしが奴らと()()する羽目になった時に、かっぱらってきてやったわ」


「よく気づかれなかったな」


「ダミーとすり替えたのよ。完璧な組織にも必ず綻びはある。あたしらの身体検査をするトゥアハデ兵に、やけに体触ってくる奴が一人いたのよ。そいつを集中攻撃してやったわ。あたしとロンダン姉さまの二人がかりよ? 落とせないわけないじゃない」


 カルロは「呆れたな」と言わんばかりに視線をぐるりと回した。


 そうこうしているうちに、銃が完成した。銃剣も装着されたそれを部下から受け取ると、美人は検分するように一瞥した。

 そして掌で回し、銃身をもってこちらに差し出した。


「サービスでスラグ弾五発もつけといたわ。これでもまだ不満?」


 ケータはしばらく美人と銃を見つめていたが、やがて拳銃を腰へしまい、ハウンドの銃を受け取った。

 本物であることを確認すると、刀を下げ、長く息をつく。


 そして手身近に状況を説明した。これまで起こったことと、フォレスターへの攻撃と結末、それから現状。


 すべてを聞き終えた美人は、ぽつりと呟いた。


「あの男、ずっとこの時を待っていたんだわ。黒幕が痺れを切らして、自ら出てくるこの瞬間を。相手がぎりぎり勝ちきれない状況を、わざと保ってたんだわ」


「だからあのじゃじゃ馬を囮に差し出したわけか。本来USSAからすれば、奴を手に入れた時点で勝ちだ。

 敵が勝ったと思ったその瞬間に、絵本をちらつかせ、街を封鎖し、長期戦に持ち込んだ。いいや、長期戦に引きずり込んだ。

 ラスボスの名前が書かれた絵本なんて、敵からすりゃ追わざるを得ないわな。その絵本すら、必要なくなった時点でポイしやがった」


「手こずらせた標的ほど執着する性質、か。なんでまた不利な籠城戦なんかやったんだかと思っていたが、なるほど。

 すべてはこの一世一代の大スキャンダルショーのためだったってわけだ。標的を確実に仕留めるためなら、住民が何人死のうが、大事な女が犠牲になろうが構わんってわけだ。

 あの駄犬らしいやり方じゃないか」


 なんかこの二人、ニコラスのことディスってない? 


 ジャックはセルゲイとカルロをじとっと睨んだ。


 後から見れば、もっと良い方法はあったのかもしれない。けれど、あの追い詰められた状況で、今の道を冷静に選び取ったのは、ニコラスだ。

 彼がいなければ、今ごろ全員空爆で焼け死んでいたのかもしれないのだ。外野からとやかく言われたくはなかった。


「いずれにせよ、フォレスターの野郎はもう終わりだな。本来首都(DC)にいるはずの奴がいない時点で、生放送の内容は担保された」


「ああ、古巣が狂喜乱舞してんのが目に浮かぶぜ。天下のUSSAといえど、こいつを言い逃れすんのはさすがに不可能だ。で、お前ら、これからどうする気だ?」


 セルゲイの問いを皮切りに、全視線がこちらを向く。ジャックとウィルは顔を見合わせ、ケータを見上げた。


 ケータは迷っていた。無線に手を伸ばし、指示を仰ごうとしたが、美人が口を開く方が早かった。


「じゃあ取引しようじゃないの。あたしらはこれから当主を迎えにいく。だけど御覧の通り丸腰で、武器は敵から調達しなきゃいけない。

 一方のあんたらは、味方の退路の安全を確保したいけど、頭数が足りてない。……答え、一つしかなくない? 

 防火シャッタだけ下ろして、のこのこ帰る気? まだ二人が上にいるのに?」


 勝気に笑う美人に、ケータが折れるのにはそう長いことかからなかった。


 こうしてジャックたちは五大マフィア幹部たちと協力し、最上階へ乗り込んだのだ。




 そして今に至る。


 言われるまでもなく、ジャックは子供だ。大人のようには戦えない。

 けれど、あの双子にニコラスたちが追い詰められていると聞いて、黙って大人しくしてるなんてまっぴらだ。


「ウィル! せーのでいくよ!」


「うん!」


 同じ発電機エリアの、どこかに隠れているであろう親友が叫び返す。

 彼の手には、最上階で拾ったもう一挺が握られている。弾はセルゲイが詰め直してくれた。


 ブーンという音がして、ジャックは頭を引っ込めた。弾が近くをかすめた音というのは、以前シバルバ領に乗り込んだ時の騒動で知っていた。


 ガン、ゴン、と凄まじい音が、消火器ボックスの向こうから鳴る。

 撃たれている。鼓膜が割れそうだ。


 ジャックは耳を塞ぎ、歯を食いしばって音と恐怖に耐えた。


 次の瞬間、ボックスから白煙が噴き上がった。敵の銃撃は、ボックス内の消火器に穴をあけた。

 白煙があたりに立ち込め、煙幕のようになった。


 今しかない。ジャックはボックスの上によじ登った。


「ハウンド、受け取って! せーの――!!」


 ジャックはMTs255回転式散弾銃を、思い切り振りかぶって、投げた。




 ***




 ハウンドの優れた聴力は、拷問で痛めつけられてなお、少年の声をしかと聞きつけた。


 双子に鎖で引きずられながら態勢を立て直し、双子めがけて跳んだ。


 飛びかかってくると思っていなかったのだろう。鎖を引いていた片割れが、僅かに背後へバランスを崩した。


 奴が突き出した腰刀の、腕を足場にして、ハウンドは上へ飛んだ。


 左手を虚空に伸ばし、刹那、よぎった黒い影をはしりと掴む。


 愛銃を手にしたハウンドの瞳が、きらりと光った。

 銃を両手で掴んで、宙返り。下めがけて発砲する。


 鎖が弾けた。


 右手を解放したハウンドが地に降り立つ。その右手を、真横に突き出した。


 その手に、もう一挺がおさまった。

 まるでその手に帰ることを言いつけられていたかのように、彼女の右手が愛銃を掴む。


 黒妖犬(ブラックドッグ)が帰ってきた。


 二挺を手にしたハウンドが、八面六臂に暴れだす。繋がれた左手の鎖を、早々に撃って解き、走り出す。


 それを見た敵が後退し始めた。

 「ブラックドッグとは近接戦をしてはならない」、彼らに刷り込まれた恐怖が、彼らの命を狭めることになった。


 後退し、隠れようとした敵を、回り込んだニコラスが撃ち抜いていく。

 セントラルタワーの内部構造はすべて頭に叩き込んである。この屋上なら、隠れられる場所は数えるほどしかない。


 撃たれ、混乱したところに、ハウンドが突っ込んでくる。

 零距離ならば、彼女は無敵だ。斬り、突き、薙いで、撃ち抜いていく。


「ニコラス、ハウンド!」


 ケータの叫びが聞こえた。同時に、複数の足音。

 見れば、五大マフィア幹部たちが、屋上になだれ込んでいた。カルロやセルゲイもいる。新たな敵の出現に、トゥアハデは明らかに動揺した。


 その隙に、天窓の梁を器用に走って、ケータがこちらへ滑り込んでくる。


「五大の幹部を解放した! 今、ウィルが防火シャッターを閉ざして敵を分断してくれてる。逃げるなら今――」


 と、言ったところで、タワーが大きく揺れた。この震動、爆発か。


『ウェッブ、聞こえるか!?』


「サイラス、なにがあった?」


 通信班長からの知らせに、ニコラスは耳に手を当てた。芳しくない報告だった。


『敵が降りる手段を手当たり次第に破壊してる。エレベーターと階段はほぼ全滅だ。ケーブルシャフトの方も怪しくなってきた』


「デルタは」


『50階手前で防衛戦張ってくれてる。けどあと10分ももちそうにない。彼らは、お前が置いていけって……』


「ああ、言った。それでいいんだ。全員そのまま脱出してくれ」


『お前らはどうするんだ。まさか例の秘密道具使ってタワー伝いに降りてくる気か?』


「秘密道具?」


 横で耳をそばだてていたハウンドが聞き返した。ケータが代わりに説明する。


「自動昇降装置だよ。こいつを握ると、自動で巻き取ってくれる。握り方次第で昇り降りができる」


「そのワイヤー、何メートル?」


「50メートル」


「ならギリいけるな。私にいい考えがある」


 ハウンドはにやりと笑って、踵を返した。ものすごく嫌な予感がする。


『おい、ウェッブ。どうした』


「なんでもない。こっちのことはこっちでなんとかする。代わりに、地上班をタワーの真下まで迎えに寄こせないか?」


『地上班を? ロバーチの連中と協力できればできんこともないだろうが……まさか、本当に降りてくる気か? 狙い撃ちにされるぞ』


 その時、ハウンドが戻ってきた。満面の笑みで、腕いっぱいに何かを抱えている。


 嫌な予感、的中だ。ニコラスは額に手を当て、天を仰いだ。


「その狙い撃ちにされない方法を、ハウンドは思いついたらしい」


『は?』


 三分後。


「ねえ、本当にやるの? 冗談じゃなくて?」


 ジャックが震え声で言った。ウィルに至っては声も出ない。

 二人のハーネスを念入りにチェックするケータも、顔面蒼白だった。


 一方のハウンドは、平常運転(随分と懐かしい気もするが)で、鼻歌を歌いながら作業を続けている。


「はい、ここに非常用ロープがあります。このタワーの屋上には消火ボックスが何個か設置されててな、そん中にはこういう非常用の降下ロープもあるわけよ。

 これをこうして、こうして……こうじゃ!」


 ジャジャーンとばかりに、ハウンドが完成品をドヤ顔で見せた。


 それは非常用ロープ五束を繋いだ先に、自動昇降装置五つを繋いだものだった。要は、滅茶苦茶長いロープの先に、自動昇降装置を連結しただけのものである。


「このタワーの高さは555メートル、ロープ一本が100メートルだから、五本で500メートル、この昇降装置とやらが50メートルだから、これだけで550メートルだ。これでタワーから飛んでも大丈夫」


 理論上はな。


 ジャックが涙目で尋ねる。


「残り5メートルは?」


「そんぐらい飛び降りればいいだろ。二階からぴょんっていくようなもんじゃん」


「ぴょんだって? 5メートルが?」


 声を裏返らせるジャックを横目に、ケータが静かに耳打ちする。


「なあ、ニコラス。高さ500メートル以上から飛び降りた場合の速度ってどんくらい?」


「……重力加速度を9.8メートル毎秒毎秒とすると、大体時速375キロだな」


「うわぁい、新幹線より早いぞー……」


 ケータの乾いた笑いが響き渡る。


 そこに地上班から連絡が入った。なんと相手はクロードだ。撤退途中で合流したらしい。


『サイラスから聞いて迎えに来たぜ! 今どこにいるんだ?』


「上だ。今から向かう」


『上だって?』


 そう答えた直後、叫び声が聞こえた。セルゲイが腕を振り回しながら、何かを指さして叫んでいる。


 その方向を見たニコラスは、げっ、と呻いた。


 攻撃用ヘリが三機、屋上めがけて突っ込んできていた。このままでは機銃掃射まったなしだ。


「飛んでから9秒で巻き取り開始だ。いくぞ、準備はいいか」


「嘘でしょ!? もうちょっと心の準備させてよっ」


 ジャックの悲痛な声が響く。その震える肩に、ケータが手を置いた。


「大人の言うことを聞かないと、こういうリスクがあんの。ほら行くぞ」


「待って待って待ってって! 500メートルって、世界最大のバンジージャンプの1.5倍の高さじゃん!? そんなの無理に――」


 残念ながら、ジャックは最後まで言うことができなかった。


 AH64Dアパッチ・ロングボウが、対戦車ミサイルを発射したのだ。


 ニコラスはハウンドとジャックを、ケータはウィルとジャックのハーネスを掴んだ。そして全員で、全力疾走して宙へ身を投げた。


 強烈な風圧と、内臓が浮く感覚が、全身を襲う。

 ニコラスはここ数時間、何も口にしなくて本当によかったと思った。


 唇が強制的にまくれあがる。誰かの絶叫と、涙か涎が、飛び散って上へ置き去りにされていく。


 ――地上までの到達時間は約十秒。昇降装置のワイヤーが伸び始めてから握ったんじゃ、間に合わない……!


 昇降装置のワイヤーが伸び始める高さ550メートルと、地上到達までの時間差は、コンマ数秒差だ。

 巻き取り機に負荷をかけてでも、早めに巻き取りを開始しなければ、降下速度を殺しきれず、地面に激突する。


 ワイヤーが伸び始める瞬間の負荷で、バンジージャンプよろしく、上に跳ねあげられるのも避けられまい。


 加えて、タワーに面した状態での飛び降りだ。跳ね上がった拍子に、ビルに激突しようものなら即死だ。振り子状態になっても危うい。

 せめてぎりぎりまで落下速度を落とし、跳ね上がる勢いを削らねば。


 一、二、三――。


 隣のジャックが叫んだ気がした。


「ねえ! このロープ、さっきのボックスに入ってたやつだよね!?」


「なんだって!?」


 四、五、六、


「さっきのボックス、滅茶苦茶撃たれたんだよ! ってことはロープがちょっと傷ついてたり――」


 七、八――。


「今!!」


 ニコラスが叫ぶ。


 全員が、グリップを思い切り握った。


 腰の巻き取り機が一斉に悲鳴をあげた。白煙が噴き上がり、直後、ハーネスがぐんと背後に引かれる。

 ハーネスの間から、身体が千切れて跳んでいくかと思った。


 その衝撃で、ニコラスたちは上へ跳ね上がった。

 昇降装置のワイヤーの、巻き取りと重力がせめぎ合い、重力が勝って、再び降下しはじめる。


 その過程で、ニコラスたちは振り子のように揺れた。ビルの窓に、大きくなっていく自分たちの姿が見えた。


「くっ……!」


 激突の寸前、ニコラスは壁面に義足を突き立てた。


 戦闘用ブーツが一瞬で吹き飛ぶ。

 砕け散ったガラス片と火花が噴き上がり、窓枠にぶち当たるたび、義足ごと消し飛びそうな衝撃が走る。


 大腿骨に、ぶっとい釘を直接打ち込まれている気分だ。あまりの痛みに、飛び散ったガラス片が耳や顔を切り刻んでいく感覚もなかった。


 しかし、速度は落ちた。


 徐々に、線と化していた景色が形を取り始める。各階の中の様子も、見えるようになった。


 この調子なら――、と思った、次の瞬間。


 上へ引かれていた力が、ふっ、と、消えた。


 見上げたニコラスは愕然とした。

 千切れたロープが、上空で波打っていた。ジャックの予想が当たったのだった。


 こうなっては、昇降装置の意味もない。ニコラスたちは、そのまま転落した。


 誰かの悲鳴に悲鳴が重なって、絶叫となる。それすら遠くに聞こえる。


 無意味と分かっていながら、ニコラスは、ハウンドとジャックを身体の内側に抱え込んだ。

 せめて俺の身体がクッションになれば――。


 けれど、ニコラスたちが落ちたのは、20メートル以上もの高さがあった。


 もう駄目だ。


 ニコラスは目を瞑った。その時。


「展開!」


 誰かの叫びと同時に、足元に衝撃が走った。


 泥に飛びこんだような――いや、違う。さっきヘリからハウンドを受け止めた時、ワイヤー柵に跳ね返された、あの感覚だ。


 落下したニコラスたちは、なにかに弾かれて、宙に跳ね上がった。


 そのまま、またも落下し、今度こそ地面に激突した。


「おい、生きてるか……!?」


 誰かの声が聞こえる。

 しかしニコラスは答えられない。どうやらタワー近くの植え込みに落ちたようだったが、全身のあちこちが痛くて声も出ない。


 耳元で、呻き声が聞こえた。


「ねえ、オレの足、どうなってる?」


 ジャックだった。ようやく目を開けたニコラスは、まず腕の中にいたハウンドとジャックの頭を視認した。

 次いで彼の足元に目をやり、息を吐く。


「左足が折れてる。けど生きてる」


「オレ、次から絶対に大人の言うこと聞くよ……」


 そういって、ジャックはべそをかいた。


 ちなみに言うと、ニコラスの義足もへし折れている。

 落下の衝撃吸収材として犠牲になったのだ。「どうせ君すぐ壊すだろう」と白い目で、事前にスペア義足も用意してくれたアンドレイ医師に、改めて感謝した。


 次いで、ケータとウィルを探したが、すぐ必要なくなった。彼らは自分たちの真上、街路樹に引っかかっていた。


「生きてるか?」


「個人的には死んだことにしたい」


「……同感」


 ケータとウィルは、干された毛布よろしく、枝にぐったり垂れ下がった。


 一方のハウンドはというと、こちらの胸の上でもぞもぞ動き、顔を上げたものの。


「……気持ち悪い」


「あの高さから落ちて最初の感想がそれなのは流石だが、俺の上で吐かないでくれよ」


 ハウンドは蒼褪めたフグのような顔のまま、コクコクと頷いた。


 そうこうしていると、誰かが起こしにやってきた。

 血相を変えたサイラスと、アトラス、それからなぜか得意げな笑みを浮かべたクロードとギャレットだった。


「どうだ見たか、クロード&ギャレット印の特製エアバッグだぜ!」


「お前らアレサに感謝しろよ。あいつがお前らの落下位置予想して、ぎりぎりまで車の位置、調整してくれたんだ」


 ギャレットがさす方向を見れば、一台のピックアップトラックがあり、その荷台には、荷台の三周りも大きなエアバッグが乗っかっている。

 ミニカーの後ろにトーストを乗せているようだ。


「シンデレラには魔法の馬車ってな」


「ああ。王子も目ん玉飛び出すレベルの駐車テクニックだぜ」


 クロードとギャレットが拳を突き合わせたその時、シンデレラが運転席から顔を突き出した。憤怒の表情で。


「あなたたちほんとなに考えてんのよ! あんな高さから飛び降りるなんて!!」


 ごもっともである。しかし、謝罪するだけの余力もない。


 ニコラスたちは誰かが運んでくれるのを待って、横になっていた……かったのだが。


「お前らエアバッグ自慢は後にしろ! 来るぞ!!」


 アトラスの怒声に、ニコラスたちは飛び起きた。今になって気づいたが、地上の銃撃戦は終わっていない。


 自分たちが落下した道路、中央に無数の焼け焦げた車両が積みあがっている。ロバーチ構成員が、自らの車両を犠牲にして築いたバリケードだった。


 そのバリケードの、車両の一台が、火炎とともに吹き飛んだ。次の瞬間、バリケードの山の中から、巨大な物体が飛び出す。


 カーキ色のボディに、長大な砲塔。M1A1エイブラムス、米陸軍の主力戦車だ。


「軍はまだ攻撃をやめてないのか」


 フォレスターはもう失墜したというのに。


 サイラスが首を振った。


「特区中でジャミングが急速に酷くなってるんだ。そのせいで、軍に情報がいきわたってないんだと思う。陸、海、空、どれも急に攻勢が強まった。もうUSSAの化けの皮は剥がれたってのに」


「剥がれたからこそだ」


 起き上がったハウンドが、前方を鋭く睨んだ。


 戦車の後方から進軍してきていたのは、陸軍歩兵ではなかった。トゥアハデ兵だ。


「長官であるフォレスターの正体が暴露された以上、トゥアハデもおしまいだ。戦後の責任追及は逃れられない。

 となれば、自身の罪状を軽くするために、あらゆる手を尽くすはずだ。死に物狂いで私たちを殺しにくるぞ」

本職繁忙期のため、GWはお休みをいただきます。


次の投稿日 5/17(金)


あと7話(エピローグ含む)で完結します。8月中には終わらせたいな~と思ってます。

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