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12-8

【これまでのあらすじ】

 27番地の猛攻に追い詰められながらも、USSAは余裕の姿勢を崩さない。非情な手段で次々に対処していく。


 大統領との講和に出向いたクルテクら交渉チームのもとへはモリガンが急行。武力衝突もいとわぬ、文字通りの力づくでの妨害を開始する。


 特区内武装勢力の蜂起には、足止め役の特警もろとも陸軍の砲火での殲滅を開始する。


 そんな最中、フォレスター本人に対し、ニコラスは対話を持ちかける。


 これを千載一遇のチャンスとみたフォレスターは、すぐさま逆探知を行い、ニコラスの位置を突き止める。


 フォレスターは勝利を確信する。一方、ニコラスもまた勝利を確信していた。


 三枚目の切り札は発動した。フォレスターが対話に応じたその瞬間に。


 三枚目の切り札の正体とは――。




【登場人物】

●ニコラス・ウェッブ:主人公


●ハウンド:ヒロイン、敵(USSA)に捕らわれている


●アーサー・フォレスター:USSA長官にして、『双頭の雄鹿』現当主、すべての元凶




【用語紹介】

●合衆国安全保障局(USSA)

12年前の同時多発テロ発生直後に急遽設立された大統領直属の情報機関で、年々発言力を増している。現長官はアーサー・フォレスター。


●『双頭の雄鹿』

 USSAを牛耳る謎の組織。その正体はアメリカ建国黎明期の開拓者『ポパム植民地』住民の末裔。

 マニフェストディスティニーを旗標に掲げ、国を正しい道に導くことを指標とする。政界、経済界、軍部、国内のあらゆる中枢に根を張り巡らしている。

 名の由来は、ポパム植民地の最大後援者でもあったジョン・ポパムの紋章からもじったもの。


●失われたリスト

 イラク戦争中、国連主導で行われた『石油食料交換プログラム』を隠れ蓑に世界各国の大物たち(国連のトップ、現職の大臣、資本家、宗教関係者など)がこぞって汚職を行った『バグダッドスキャンダル』に関与した人物らの名が記されたブラックリスト。

 このリストを公表するだけで、世界各国代表の首がすげ変わるほど破壊力を持った代物。『双頭の雄鹿』の資金源と目される。

 現時点、証拠はすべて抹消され、証人もハウンドとシンジ・ムラカミだけとなっている。


●絵本

 ニコラスがハウンドから譲り受けた手書きの絵本。人間に連れ去られた黒い子狼が、5頭の犬たちの力を借りながら故郷を目指す物語が描かれている。作者はラルフ・コールマン。

 炙り出しで謎の文がページの各所に仕込まれており、それらを解き明かすと『証人はブラックドッグ』、『リーダーはアーサー・フォレスター』となる。


●《トゥアハデ》

 『双頭の雄鹿』の実働部隊。世界各国の特殊部隊から引き抜いた兵士で構成されており、長のフォレスターが自ら選んだ幹部“銘あり”が数人存在する。

 現時点で確認されている“銘あり”は『キッホル』、『クロム・クルアハ』、『ヌアザ』、『モリガン』、『ディラン』、『スェウ』、オヴェドの七名。

 現時点で『キッホル』、『クロム・クルアハ』、『ヌアザ』の三名は死亡。

 また、なぜかオヴェドは名を与えられていない。

 ハウンドは、助ける、という言葉が大嫌いだ。


 助けるのも、助けられるのも、両方。


 誰もが自分を助けようとした。皆が自分を『失われたリスト』への鍵と信じていた。

 ただそれだけのために、誰もが自分を助け、その結果、誰も助からなかった。


 黒妖犬の名の通り、不吉な字の忌子は関わる者すべてに死をもたらした。


 ゆえにハウンドが助けることを止めるのは必然だった。他人も、自分も、助けてはならない。


 他人が助かるのは、そいつが死ぬ気で足掻いた結果だ。

 自分が助かるのは、その時の実力と運のなせる業に過ぎない。


 助けなどいらない。殺してしまうぐらいなら、助けなど永久にこなくていい。


 だからすべてを拒絶した。

 差し伸べられる手を払いのけ、かけられる言葉はすべて無視し、それでも追いすがる者は吠え散らして追い払った。


 そうしていつしか、誰も自分を助けなくなった。

 それにいたく満足して、心から安堵した。これでもう誰も、自分のせいで死ぬことはない。


 そう思っていたのに。




 ――それでも追いかけてくるんだもんな~……。


 マイク越しに朗々と響く彼の声に、ハウンドは目を眇める。


 払いのけても、無視しても、追い払っても、ニコラス・ウェッブは追いかけてきた。

 助けを恐れ拒んだくせに、寂しくて怯える馬鹿な子供に、黙って寄り添ってくれた。今も。


『こちら27番地統治者代理、ニコラス・ウェッブだ。フォレスター長官、あんたに話がある』


「聞こう。この期に及んでなにかね」


 そう返しつつも、合衆国安全保障局(USSA)長官アーサー・フォレスターの表情は、「言いたいことならわかっている」と言わんばかりに自信に満ちあふれていた。


「君たちが停戦交渉の使者を大統領の下へ遣わしたのは知っている。こちらとしては無条件降伏以外を認めるつもりはないが、予想外の抵抗を見せた君らの功績を考慮し、この場における当事者同士の停戦交渉を許可する。内容によっては、停戦と君ら27番地棄民の一時的な身の安全を保障しよう」


『そんなことより、ハウンドは無事か?』


 フォレスターの発言を遮って、ニコラスが尋ねた。


『彼女と話をさせてくれ。彼女の生存と安全が確認できない以上、交渉には応じられない』


「生きてるぞ~」


 フォレスターが許可するより早く、ハウンドは声を張り上げた。


 即座に双子が鎖を引いて首を締め上げてくるが、鼻で笑ってやった。直後、脇腹に爪先がめり込み、顔を踏まれて首をさらに絞められた。

 靴底の下で、ハウンドは意地でも表情を変えなかった。


 ニコラスは、一瞬言葉を詰まらせたようだった。


『そう、か。すまん。遅くなった』


 その絞り出すような声に、ハウンドは満足した。今なお続く双子からの暴行の苦痛も吹き飛んだ。


 フォレスターは双子を一瞥しながら咳払いをした。


「確認できたようだな。結構。それで、要望とは?」


『USSAをはじめとする、特別軍事作戦以降特区に侵入したすべての武装組織及び国家機関に属する組織の、即時撤退を要求する。以上だ』


「正気で言っているのかね?」


 フォレスターが失笑を堪えながら言う。


「そも今回の特別軍事作戦は対テロ戦だ。国家による、国家のための聖戦なのだよ。我々はその絶対正義に基づき戦列に加わっている。

 君らテロリストを殲滅するまで、この戦争は終わらない。君ら27番地に残された道は二つ、降伏か殲滅か、それだけだ。

 君らは端から交渉テーブルにつく資格もないのだよ。立場を自覚したまえ」


『だがお前たちはそのテロの首謀者とするヘルハウンドを捕らえた。こちらは彼女がそうだとは一切認めていないが。その事実を公表もせず、未だ戦闘を続けている。一か月もだ。このことをどう説明する?』


「言っただろう。テロリストを殲滅するまで、戦争は終わらないと。確かに我々は首謀者を捕らえたが、君らがまだ残っている。それに、君らは我々の再三にわたる降伏勧告に応じなかった。いわば自業自得だ」


『そりゃあ、捕らえたテロ首謀者を世間に公表しないどころか、拷問してる様子をビデオレターで送ってくる連中の言うことなんか、信用できるはずもないからな』


「無用な戦闘を避けるためだ。そして君らは応じなかった。それが答えだ。そちらの要求は却下とする。殲滅が嫌なら、即刻武器を捨てて投降したまえ。これが最後の勧告だ。応じるのであれば、命は保障しよう」


『保障、ねえ。それで、俺たちが全滅したとして、この軍事作戦とやらは終わるのか?』


「特区内の武装勢力が大人しく国外退去してくれるなら、だが、それももはや不可能だろう。現に彼らは我々を攻撃している。それに、特区解体はすでに決まっている。五大マフィアも了承の上、すでに廃止に伴う事後処理に入っている」


『つまり、テロリストの殲滅は表向きの理由で、特区にいるすべての組織の壊滅が目的ってわけか』


「否定はしない。それで、言いたいことはそれだけかね? 随分と話を引き延ばしているようだが」


 ――引き延ばしたがっているのはお前だろ。今もニコを血眼で探してるくせに。


 ハウンドは内心毒づきつつ、トゥアハデのオペレーターたちの動向に神経を尖らせた。


 ニコラスは狙撃地点を敵に悟らせるようなへまはしない。だがUSSAとて腐っても情報機関。今の通話にしても、せめて移動しながら話してくれればいいのだが……。


 その時だった。クスリと、ニコラスが笑った気配がした。


『あんた、本当に何も分かってないんだな』


 フォレスターが顔をしかめた。

 それから素早く視線を走らせ、部下にニコラスの居場所を突き止めたかどうかを確認する。


 オペレーターたちはそろって首を振った。


『んじゃお望み通り、本題に入るとしよう。俺が今回通話した理由は二つある。一つ、こちらの要求を伝える。どうせ鼻で笑われて終いだろうが、筋を通すという意味で一応な。二つ、あんたは大きな過ちを犯した。それを伝えておこうと思った』


「過ち? 私が?」


 フォレスターは今度は失笑を堪えなかった。何を言っている、とばかりに首を振って。


「本来聞く価値もないが、これも情けだ。念のために聞いておこう。私が一体、何の過ちを犯したというのかね?」


『“失われたリスト”を巡るすべての騒動は、フォレスター、あんたの私怨が引き起こしたものだ。あんたが余計なことをしなけりゃ、ラルフ・コールマンや他の四人を抹殺せずに済んだ。この特別軍事作戦だってやらずに済んだ』


 ハウンドは乾ききった唇を舐めた。汗ばんだ掌をそっと握り直す。


 始まった。頼む。どうか上手くいってくれ。


『そもそも“失われたリスト”自体、あんたら《双頭の雄鹿》が作成したもんだろ。そのリストをイラク独裁者に盗まれるなんてへましなけりゃ、こんなことにはならなかった。イラク戦争だって、もっとマシな結果になったかもしれない』


「壮大な妄想をありがとう。これまでの戦闘の疲労がだいぶきているようだな。何を言っているのかさっぱりだ」


『とぼけるのは結構だが、あんたが今、特区のセントラルタワーにいる時点で説得力は皆無だぜ、《双頭の雄鹿》の盟主さんよ。自ら陣頭指揮を執るとは勇ましいじゃねえか。さすがは合衆国(ステイツ)の建国時代から暗躍し続けた結社だぜ』


「君の評価を少し改める必要があるな。寡黙で沈着冷静とは程遠い。偽善者らしい、口先だけは達者な、つまらん男だ。まあいい。ディベートがしたいというなら付き合おう。皮肉であっても、我が組織を称賛した、その礼だ」


 そう返しながら、フォレスターは無音の指示を飛ばし続ける。ニコラスがいるであろう赤い光点を取り囲む白い光が増えていく。


 ハウンドは、舐めた唇を噛み締めた。


「まず君の言っていることはすべてでたらめだ。私が余計なことをしたからこうなった?違うな。そもそもリストを掠め取ったのはゴルグ・サナイだ。

 奴は元タリバンの人脈を生かし、テロ組織にリスト情報を流した。その一部をイラク独裁者が入手し、愚かにも我が国を恐喝してきた。一切取り合わなかったがな。そして」


 フォレスターがちらりとこちらを見た。ハウンドは思わず息をのんだ。投げつけられた視線線には、明らかな憎悪が込められていた。


「そのリスト回収に、ラルフ・コールマンが選抜された。にもかかわらずあの男は軍を裏切り、私情からリストの隠蔽と、サナイの養女ヘルハウンドの逃亡を幇助した。つまりテロリストに絆されて、祖国を害そうとしたのだ。

 これはれっきとした背信行為だよ。そのうえ、当時まだ何も知らなかったはずの少女ヘルハウンドに機密情報を漏らし、結果として彼女をテロリストに仕立て上げた。奴が彼女を誑かしたのだ。その証拠が奴が遺した絵本だ」


 フォレスターがぱちりと指を鳴らす。

 双子が懐から取り出したものを見て、ハウンドは驚愕した。


 絵本だ。あの時、モリガンに燃やされたはずだったのに。


「いつの間にすり替えたんですか?」


 オヴェドが半ば驚き、半ば呆れながら首を振る。双子は面白くもなさそうに言った。


「お前がモリガンとくだらん処刑ショーに興じている間だ」


「貴様はともかく、あの女に貴重な証拠品を託すわけがないだろう」


 ハウンドは首をねじって絵本が無事か確認しようとした。が、双子の片割れに頭部を蹴られ、そのまま床に踏み押さえつけられた。

 あたかも野犬の頭を踏みつけるかのように。


「自身の目的のために、無垢な少女を洗脳し、利用した。過ちを犯したというなら、ラルフ・コールマンこそ最も罪深い人物だろう。あのアフガニスタン人は最初から狂信者だったが、コールマンは違う。

 奴は国家に忠誠を誓った兵士だったはずだ。それを裏切り、テロに加担した。これを過ちと呼ばずして、なんという?」


 一方的に糾弾されて、ニコラスは数秒ほど沈黙した。


『そうか。あんた、絵本を処分しなかったのか』


「は?」


『いや、こちらの話だ。あんたのやったこと、言ったこと、すべて許す気は毛頭ない。だがその絵本を処分しなかったことだけは、感謝しておく』


 フォレスターが面食らったようにたじろいだ。ずっと自身のペースを独占してきた男が初めてみせた隙だった。


 ニコラスは咳払いをした。


『話を戻すぞ。あんたが言いたいのはこうか。“失われたリスト”にまつわる騒動の元凶は、ラルフ・コールマンである。その罪は、ハウンドを誑かしたこと、軍を裏切ったこと、この二点、で合ってるか?』


「その通りだ。それ以外になんだというのだ」


 フォレスターが調子を取り戻す。


「コールマンがこの絵本に虚偽の告発文を残したことはすでに確認してある。奴こそが諸悪の根源、すべての災禍を引き起こした諜報人だ。違うかね?」


『違うな』


 ニコラスは即答した。


『コールマン軍曹がハウンドを誑かし、洗脳してテロリストに仕立て上げた? 違うな。そいつは本来、彼からハウンドへ送られたただの絵本だった。彼はただ、ハウンドの幸せを願って絵本を遺したんだ』


「幸せだと? 馬鹿を言え。機密情報に、陰謀論だらけの告発文を記したこれの、どこが児童の幸せを願っている? 呪うの間違いではないかね」


『絵本の確認が不十分みたいだな、アーサー・フォレスター。そいつをちゃんとハウンドに読ませたのか?』


 フォレスターが胡乱げな顔でこちらを見た。ハウンドは双子に踏んづけられたまま睨み返した。


『ハウンドは絵本が読めないんだよ。全色盲だから色の識別がほとんどできない。絵本の隠し文字は、彼女には見えないんだよ』


 途端、フォレスターが硬直した。


 双子も寝耳に水だったのだろう。踏みつける足が緩み、ハウンドはなんとか抜け出した。


 その時、「ヘル、ヘル」とフィオリーノが呼んだ。左手に布を持っている。彼が愛用しているアスコット・タイらしかった。

 いつぞや、ヴァレーリ一家の象徴である葡萄の蔦が金糸で縁取られているとか言っていたか。


「これ、読める?」


 フィオリーノが布の真ん中あたりを指さした。

 目を凝らしてみるが、何も見えない。というかこの布、何色だろうか。


 双子がつかつかと近づき、フィオリーノからタイをもぎ取る。それをこちらの顔に押し付けんばかりに近づけてくるが、いくら瞬きしても、何も見当たらない。


 双子が愕然とした様子で顔を見合わせた。


『コールマン軍曹が仕込んだ隠し文字は、塩化コバルトを利用した炙り出しで、セピア色の文字になる。濃淡で色を識別しているハウンドの目には、まったく別の色でもセピア色と濃さが近い色の上に隠し文字を書かれると、見えないんだよ。

 色盲患者が黒板の赤文字が読めないように、ハウンドも絵本の隠し文字が読めない。伝えられるはずがないんだよ、機密情報も告発文も。彼女には読めないからな』


 盲点だったのだろう。フォレスターは数秒ほど黙りこくり、ゆっくり話し始めた。喋りながら反論材料を探しているようだった。


「ヘルハウンドが自力で読めない、という指摘は認めよう。だがそれがどうした? 自力で読めないのなら、誰かに読んでもらえばいいだけのことだ。そして、ヘルハウンドがこれまで一切絵本の隠し文字を読んでいないという証拠が、どこにある?」


 それを聞いて、ハウンドははたと気づいた。


 ラルフが遺した言いつけだ。「絵本を読む時は、一人で読みなさい」

 てっきり、英語の勉強のためにそう言っているのだと思っていた。けれど、きっと違う。


 ラルフは、自分が絵本に仕込んだ告発に気づかぬよう、あえてそう言いつけたのだ。


 そしてイーリスが最期に遺した言葉。

「あの絵本は、本当に信頼する誰かに託すことですべて始まる」


 あれは――。


『それについては証明しようがないんで、なんとも言えねえな。だが少なくともコールマン軍曹は、あんたらを糾弾するために絵本を残したわけじゃない。告発はあくまで保険だったんだ。彼は、軍を裏切る気なんてまったくなかったんだからな』


「寝言は寝てから言ってもらおうか。これほどの証拠を残しておきながら、軍を裏切ってないとなぜ言える? どうみても意図的な情報漏洩だろう。この絵本が何よりの証拠だ。奴こそが売国奴、テロリストよりよほど質の悪い。国家を脅かす害毒そのものだ」


『売国奴、ね。あんたらUSSAにとって都合の悪い人間をそう呼ぶんなら、そうなんだろうな。じゃあ、こいつを見てもらおうか。あんたらのもとに送ったドローンの受信機内部を見てみろ。コールマンが裏切っていない証拠が入ってる』


 フォレスターが振り返るより早く、オヴェドが動いた。ドローン受信機をペンで無理矢理こじあけ、内部から一枚の紙を取り出す。


 内容を一瞥したオヴェドは真っ先にフォレスターに見せ、次いでこちらに持ってきた。


「答えなさい。この意味は何です?」


 ――――――

 ドーベルマンへ


 2,5 3,1,18,5,6,21,12 20,8,5 4,15,21,2,12,5 8,5,1,4 19,20,1,7

 俺に何かあった時は、あとのことは頼みます。絵本の最後のページに。


 ハスキーより

 ――――――


 文面に目を通すが、さっぱり意味が分からない。分かっていることと言えば、


「ドーベルマンはゾンバルト少尉のことだ。ハスキーはラルフ」


「それは知っています。この数字群はなんですか、絵本にも記してありましたね? これはあなたとゴルグ・サナイが過ごした家の座標のはずですが。何も知らないはずがないでしょう」


 またも双子が踏みつけてきた。今度は首だ。だがいくら体重をかけられても、ハウンドには答えようがなかった。


『ハウンドを痛めつけても無駄だぞ。彼女は本当に何も知らない。こいつはコールマン軍曹の生家に残されていた手紙だ。知るはずがないだろ』


 途端、首の重しが退いた。咳き込みながら顔を上げると、オヴェドはなぜかオーハンゼーを睨んでいた。


「タペストリー以外にも、証拠品になりそうなものはすべて提出しろと言ったはずですが?」


「はて、どうだったか」


 強姦されかけたところを救ってもらったあの日以来、ミチピシ一家当主は一気に老け込んだ。

 苛烈なペナルティを食らったのだろう。しかして、その老獪さに陰りはなく、しれっと嘯いてみせる。


「その手紙は、息子が火にくべようとしていたうちの一枚だ。火にあおられてか、飛ばされて絨毯の下に()()()()入り込んでおったのよ。掃除した時に出てきてな。よもやそれが重大な証拠品とは思わなんだ」


 平然とそう告げるオーハンゼーに、オヴェドが歯ぎしりする。ハウンドは小さく笑った。


 オーハンゼーは、ラルフの置かれた状況の危うさに薄々気づいていたのだろう。だが相手は必知事項厳守が徹底された特殊部隊員、家族といえどラルフは決して口を割らなかった。


 それで業を煮やしたオーハンゼーは、彼が処分する前の手紙をくすねたのだ。


 一方で、フォレスターは鼻面に深くしわを寄せていた。


「これがなんだというのかね」


『コールマン軍曹が軍を裏切っていなかった証拠だ』


「意味が分からんな。自信満々に何を話すかと思えば、くだらん陰謀論を垂れ流すだけとは。君もコールマンと同じだな、国家に仇為す叛逆者、テロリストだ。もはや聞く価値もない」


 ハウンドは、はっと振り返った。


 オペレーター数人がフォレスターを凝視している。モニター上では、赤い光を白光が完全に取り囲んでいた。


 あとは、指揮官の指示を待つだけ。


 ハウンドはフォレスターの注意を逸らそうと、咄嗟に口を開いた。だが双子が首輪を引く方が早かった。

 喘ぎながら必死に藻掻くが、もはや流れは止まらない。


「時間の無駄だったようだ。残念だよ、ニコラス・ウェッブ。私は君にも――」


『ポイント・サリンス』


 ニコラスがその名を告げた瞬間、フォレスターがピタリと動きを止めた。


『1983年、アメリカのグレナダ侵攻に際して、陸軍第75レンジャー連隊は第一特殊部隊作戦支隊ことデルタフォースとともに、ポイント・サリンス国際空港の滑走路の占領確保のため、パラシュート強襲作戦を実行した。

 当時21歳だったあんたもレンジャー隊員として作戦に従事した。初陣だったそうだな』


 ハウンドはフォレスターの横顔を見るなり総毛だった。虎の尾を踏むとは、こういう顔のことを言うのだろう。


 いずれにせよ、ニコラスはフォレスターにとって、最も触れてほしくない地雷を踏んだらしかった。


『グレナダ侵攻の先鋒を担ったこの強襲作戦において、レンジャーは敵の激しい抵抗にあいながらも滑走路の制圧に成功した。降下中も地上に降りてからも機銃掃射が雨あられと降ってくる中、突撃していった連中の活躍には本当に頭が下がるよ。

 当然、敵陣地に辿り着く前にやられた奴も大勢いただろう。そして、あんたもその一人だった』


 フォレスターの右足が、ぴくっと動いた。


『あんたは降下直前に左腿と右膝を撃ち抜かれた。パラシュートの下から抜け出すこともできずに、そのまま戦闘は終わった。しかもその時の銃撃で半月板を粉砕されたあんたは、レンジャーにもいられなくなった。

 やっとの思いで掴んだエリート隊員への切符を、初陣で碌な活躍もできないまま手放すことになった。さぞ屈辱だっただろう』


 淡々と続けるニコラスの発言に対し、フォレスターの表情に変化はなかった。けれど僅かに漂ってくるどろりとした激情のニオイに、ハウンドは身震いした。


 重く、どこまでも濃く、鼻腔にねばりつく。そのまま粘膜をズキズキ刺して、体内に入り込もうとしているかのような、今すぐ飛び退りたくなるニオイだった。


『そんなあんたからすれば、コールマン軍曹の存在はさぞ許しがたい存在だったろう。あんたとコールマン軍曹は真逆の存在だ。

 遠縁で両親こそ同じ《双頭の雄鹿》メンバーだが、名門出身で盟主の跡取りとして英才教育を受けたあんたと違って、コールマン軍曹は生まれてすぐ両親に捨てられ孤児同然に育った。しかもどこの馬の骨ともしれんヒッピーと駆け落ちした挙句、貴重なタペストリーを持ち逃げした、碌でもない女の子だ。あんたら《双頭の雄鹿》からすれば、一族の恥ともいうべき存在だったんだろう』


 音一つないざわめきが、議事堂内に広がっていった。


 トゥアハデ兵は目配せし合い、オペレーターたちは任務を忘れフォレスターを振り返った。五大当主たちの目には鋭さが戻り、“銘あり”の双子とオヴェドだけが直立不動に佇んでいた。


『そんな卑しい生まれの男が、あんたの経歴をあっさり抜いていった。初陣でレンジャーを引退せざるを得なくなったあんたと違って、コールマン軍曹はレンジャー入隊の翌年にはデルタに抜擢され、様々な任務をこなしていった。あんたにとってコールマン軍曹は、劣等感そのものだったわけだ。そのトドメがハウンドだ』


 唐突に話を振られ、我に返って目を瞬く。


 ハウンドは、続くニコラスの口調の変化に気づいた。殺気と敵愾心からなる刺々しさは鳴りを秘め、ゆっくりとした口調になった。ほんの一瞬区切った言葉の間に、ごくわずかな同情を垣間見た。


『エリート兵士にはなれなかったあんただったが、エリート街道そのものを転落したわけじゃない。すぐ養父のあとに続いて、情報士官の道を目指した。

 そんな最中に発生したのが“失われたリスト”の情報漏洩だ。イラクでの石油食糧交換プログラムの影で《双頭の雄鹿》が極秘裏に作成した、プログラムの利権を貪りたがった世界各国有力者の名が記されたブラックリスト。

 あんたら《双頭の雄鹿》がこのリストを資金源にしたかったのか恐喝のネタにしたかったのかは知らねえが、ともかく公にされると非常にまずい情報が盗まれたわけだ。その鍵を握っていたのが、今あんたがそこに捕えてるハウンドだ。

 あんたは早速ハウンドから情報を聞き出そうとした。だが彼女はこう言った。「以前村に来た、銀髪に青い目をした男にすべてを話す」、すなわちラルフ・コールマンにだけすべて話す、と。

 ハウンドはただ養父の言いつけを守ってそう言っただけだったんだが、ともかく。この一言が、あんたがひた隠しにしていた劣等感に再び火をつけた』


 ハウンドは床に目を落とした。


 ゴルグ・サナイ(カーフィラ)が遺した最後の祈り、(わたし)を守ってくれと願って託したあの言葉が、ラルフの運命を決定づけてしまったのだ。


「…………随分と凝った作り話をするじゃないか。あのモグラの入れ知恵かね?」


『俺はただ事実を言ったまでだ。あんたもこれまでの行動は、国のためでも組織のためでもない。ただの私怨だ。絵本の最後のページを見てみろ。そこに記された数字群と、絵本各ページに記されたページ数では、数字の筆跡が違う。なぜか分かるか?』


「違う人間が書いたからだ。ページの数字はコールマンが、数字群は奴の上官ゾンバルトが書いた。奴の上官もまた、コールマンというテロリストに感化され国を裏切った売国奴だった、それだけの話だ」


『理解してないらしいな。さっきのコールマン軍曹がゾンバルト少尉にあてた手紙をもう一度読み返してみろ』


「くどいな。いくら言葉を重ねようと、奴の犯した罪は――」


 そこでフォレスターは口を噤んだ。死神を目にしたような顔のまま、凍り付いて。


『やっと気づいたか。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んだ。彼以外の四人も。絵本が告発文として機能するためには、その数字群がないと意味がない。各ページに仕込んだ隠し文字も、数字群がなければ解読は不可能だ』


 そう。絵本は、本当にただの絵本だったのだ。


 だからラルフはあんな言いつけを残した。数字群がなくても、自分が絵本の仕込みに気づかぬように。


 だが、結局そうはならなかった。


 数字群はラルフの頼みを受けたゾンバルトによって刻み込まれ、絵本はイーリスに預けられた。

 そうなったのは。


『言ったろ。「あんたが余計なことをしなけりゃ、ラルフ・コールマンや他の四人を抹殺せずに済んだ」ってな。絵本が告発文に変わってしまったのは、あんたが彼らを抹殺しようと動いたからだ。だから彼は、上官とともに絵本に数字群を付け足した』


 フォレスターの顔から血色がどんどん失われていく。それを見たハウンドは、目を閉じ項垂れた。


 告発してもよかったのだ。

 きっとラルフは、自分が任務に同行すると聞かされた時点で、違和感に気づいていただろう。


 なぜなら、自分を保護管理していたのはUSSA。自身と妙な血縁関係にある男が取り仕切る組織だったのだから。


 それでも彼が、ぎりぎりまで告発を思い留まったのは――。


『コールマン軍曹は知ってたんだよ。自分の出自も、あんたが自分をよく思っていないことも。《双頭の雄鹿》という組織の有無はともかく、あんたとの繋がりは、あの家系図を見れば一目瞭然だからな。

 全部知っていて、それでも彼は最後の最後まで、あんたら《双頭の雄鹿》を信じることを選んだ。目標や手段はどうあれ、あんたらも“ともに国に尽くし守る戦友”だと信じてたんだ。

 だから下された命令に疑念をもちはしても、背くことなく粛々と任務を果たした。ダミーに使われたシンジ・ムラカミ氏の手帳と、すでにリストが切り取られたゴルグ・サナイ氏の手帳を見つけ出し、あんたらUSSAに委ねた。

 だがあんたは自身の嫉妬と猜疑心からあらぬ疑いをかけ、勝手に彼らが裏切ったと決めつけて、ハウンドもろとも抹殺しようとした。だからコールマン軍曹は、上官に託したんだ。最後のページに数字群を記すよう頼み、ハウンドとともに逃がした』


 あんたはずっと墓穴を掘っていたのさ。


 ニコラスは、低く唸るようにそう告げた。


『あんたが本当に国益を憂い、国に忠義を尽くす正義の人間であれば、彼も兵士としての職務を全うしただろう。絵本はただの絵本のまま、“失われたリスト”のことも誰にも知られることなく、この世から消え去ったことだろう。

 アーサー・フォレスター、あんたは善人だ。すべての人間に対して公明正大な正義そのものだったのかもしれん。だがたった一人、ラルフ・コールマンに対する正義を行使しなかった。彼への個人的な悪意を捨てきれなかった。

 あんたはこれまでずっと、過ちを犯し続けていたのさ。だからこうなった』


 今あんたが立っている場所がそうだろう、と、ニコラスは嗤った。


『そこはセントラルタワー、特区一の悪党が集う円卓だぜ。そこに立つあんたの、なにが正義だって?』


 議事堂内は静まり返った。全員の目がフォレスターに向けられていた。


 完全無欠な正義ではなくなった、この世でただ一人ラルフ・コールマンだけの悪人と証明された男は、ゆらりと顔をもたげた。


「そうだな。そして、君の話のすべてが嘘だ。聞く価値も、必要もない」


 ハウンドはハッと振り返った。オペレーターの一人が、オヴェドの指示で攻撃命令コマンドを出したところだった。


「待っ――」


 ブザーが鳴り、一瞬の間をおいて、モニター上のニコラス・ウェッブの赤が消える。


 光は潰えた。


「あ」


 言葉にならぬ声しか出なかった。


 消えた。居なくなった。

 やっと見つけた、見つけてくれた唯一が、今。


「狙撃手なら、大人しく遠くの安全な場所に引きこもっているべきだったな。なまじ英雄などと呼ばれ調子に乗ったか。これが現実の戦場を忘れた愚かな兵士の末路だ」


 そう、せせら笑うフォレスターの声が遠くなっていく。


 見ることも叶わず、告げることも叶わず。

 望んだのは、ただ一言だけだったというのに。


 視界がにじむ。狭まって暗くなる。足元がガラガラと崩れ落ち、奈落へ飲み込まれていく――。


 その時だった。


 ハウンドの足元が崩れ落ちた。感覚の話ではない。本当に足元が崩れ落ちた。


「っ!?」


 突然下へ沈み込むこちらに、双子は反射的に鎖を引いた。だが崩壊する床から逃れるため、片方は鎖を手放し、片方は鎖の端をかろうじて掴んだ。


 結果、ハウンドは崩落した床下へと落下した。


 落下するその刹那、ハウンドは自分とすれ違いに昇っていくそれを、宙へと放られた物を見た。


 炸裂。


 閃光が目を焼き、爆風と震動が議事堂を飲み込んだ。


 すでに床に沈んでいたハウンドは、爆風の影響はほとんど受けなかった。しかしそれ以外は防ぎきれず、震動と閃光をもろに食らった。

 悲鳴をあげる眼球と鼓膜に、ハウンドは呻いた。


 視覚と聴覚を失った世界で、ハウンドは顔をもたげる。

 何も見えず、何も聞こえない。焦げた臭いと薬品臭が鼻を馬鹿にしていく。


 しかしハウンドの鼻は、嗅ぎ逃さなかった。


 よく乾いた洗いざらしの服と、安っぽい洗剤の匂い。それらを貫く、暁雲を穿って差し込む強烈な朝日のような、男の汗と体臭。


 ああ、


「ニコ」


「迎えに来た」


 もう何度夢に見ただろうか。拷問を受け続ける間、夢で出会う彼と、現実の彼との記憶を慰めに耐え凌いだ。


 ハウンドは、自身があげた口角の端から入り込んだ塩辛い雫を飲み込んで、笑った。


「遅いよ」


「すまん」


 その返答も相変わらずで、ハウンドは泣きながら笑った。




 ***




 ニコラスはまず、彼女が生きていることに安堵した。が、その感情も、彼女の有様と、涙の前に霧散する。


 また、泣かせてしまった。


 俺が無力な卑怯者だから。あの日、囮となるべく飛び出していった彼女を見送るしかなかった、自分の無能さのせいで。


「これは驚いたな。まさかここに単独で乗り込んでくるとは」


 フォレスターの周囲は、すでに大勢のトゥアハデ兵が囲んでいた。一度は鎖を離した双子も、再びハウンドを捕え直している。


 爆薬はあと一回しか使えない。


 USSAが五大当主への恐喝に使った爆薬は、セントラルタワーの至る所に仕掛けられていた。円卓議事堂とて例外ではない。

 鷲通信によって内情を把握していたニコラスは、この爆薬を大いに活用させてもらった。


 解除した爆薬の用途は三つ。

 一つは、ごく少量の爆薬で床下の基礎の一部を破壊して、ハウンドを逃すこと。

 二つは、今の目くらましだ。


 最後の一発は、残りの爆薬すべてを使用する。ハウンドを取り返さないことには使えない。


『こちら本部(グレイブヤード)狙撃班(チーム・スケアクロウ)の撤収を確認』


 本部のバートン教官の報告が流れてきた。こちらに必要のない情報を流したのは、こちらの士気を案じたからだろう。


 ニコラスはそっと襟元に口を近づけ、短く囁く。


「教官、イヤド(スケアクロウ)の容態は」


『生きている。頭蓋骨と胸骨を骨折しているようだが、意識もある』


 それを聞いて、ニコラスは心底安堵した。


 本作戦はフォレスターとの対話が必須だった。だから敵の逆探知に備え、偽の狙撃ポイントを用意する必要があった。

 そこでイヤドが、狙撃手役を引き受けると言い出したのである。


 ――『ダミーでもスナイパーいるほうが敵、騙せるデショ。教官サンの秘密兵器あるし、大丈夫ヨ』――


 イヤドはそう笑って、磁気粘性(MR)流体を使用した新型ボディアーマーを着用し、持ち場についた。

 バートンがクルテクとともにUSSA施設からくすねたもので、以前のアッパー半島での戦闘の際、双子が着用していたものだ。


『彼から伝言だ。自分が墓に入る前に必ず会いにこい、でないとゾンビになって襲いにいく。以上だ』


「この戦闘が終わったら、すぐにでも」


『ああ。そうしてやれ』


 教官との通信を切り上げる。


 そうこうしている間に、フォレスターは一時失った余裕さを取り戻したようだった。


「我々に一切気取られることなく接近し、爆薬まで仕掛けるその手腕は評価しよう。だが狙撃手とは思えん軽率極まりない行動だ。君がここまで愚かだったとはな」


「いいや? 少なくとも狙撃手としての本分は果たしたぞ」


 フォレスター本人を正面に捉えながら、ニコラスはそう言った。フォレスターはまだ意味が分かっていないようで、無駄に回る口をまた開こうとする。


 だからニコラスは、自身の右胸をトンと叩いた。


「狙撃手は遠くの安全な場所から敵を狙うもんだ。そんな俺がなぜ、わざわざこの場に出向いたと思う?」


 その瞬間、フォレスターが硬直する。こちらの胸ポケットに、ペン型の小型カメラがあることに気づいたのだ。


 けれど相手は諜報機関の長である。


「君らも芸がないな。和平交渉の場でやった姑息な情報工作を、もう一度やろうというのかね。そんなものが我々に通用するとでも?」


「するさ。今この瞬間、通用するようになった」


 ニコラスは、店長から預かった仕込み万年筆を撫でながら、フォレスターを指さす。


「臆病者の俺がここに乗り込んだのは、俺が行けば、あんたは俺との勝負にこだわって必ずここに留まるからだ。ついでに悪趣味な収集癖のあるあんたは、ハウンドの処刑に必ず彼女自身の弾を用いる。リアルタイムの音声と映像だ。こいつをデマと片付けるのは、かなり骨が折れると思うぜ」


 その瞬間、フォレスターは右手に握り続けたものの存在に、ようやく気づいたらしかった。


 『棄てられし者たちのために』と記された、白薬莢のスラグ弾。


 ――「こうした方が自害用っぽくみえるだろ? ついでに胃に隠しておくか。え? 胃液で機械が駄目になる? 問題ないね。ニコが詰めた弾だ。そうならないよう細工をしてある。だろ?」――


 捕まれば再び地獄をみると知りながら、囮を買って出たハウンドは、別れ際そう笑ってみせた。


 ――「大丈夫だって。自分で使ったりしないから」――


 フォレスターは、そばにいた兵士の腰のナイフを引き抜いた。

 兵士は驚いた声をあげたが、構うことなくスラグ弾のプラスチックケースにナイフを突き立てる。


 もどかしかったのだろう。フォレスターは切れ込みが入ったケースを噛んで裂き、中身を取り出した。


 釣鐘のような形状の弾頭が、フォレスターの掌の上を転がる。本来詰められているはずの火薬は出てこなかった。


 出てきたのは黒い粒上の粉末。無煙火薬ではなく、吸湿材に詰めた炭である。

 そして、黒いナイロン布に包まれた、親指先ほどの物体。


 それがフォレスターの掌の上を転がり、姿を現した。




 ハウンドは、助ける、という言葉が大嫌いだ。


 助けるのも、助けられるのも、両方。


 だから、この切り札も、自分一人で発動させるつもりだった。


 『双頭の雄鹿』への告発が記された絵本と、もう一人の生き証人であるドクター・ムラカミ。

 あの突然の宣戦布告と侵攻の最中、それ以外に思いつける三枚目の手札は、これしかなかった。


 成功率はほぼゼロ。そもそもが奇跡を願う、限りなく不可能に近い窮余の一策。

 万策尽きた果てに絞り出した、最終手段という名の希望的観測。


 その奇跡が起こると本気で信じて、用意周到に備える大馬鹿者でもいない限り、三枚目の切り札は切り札になり得なかったはずだった。


 だが今、ここに為った。




 フォレスターの掌にあったのは、孔雀石のループタイだった。


 店長夫妻からハウンドへ送られ、内部に高性能盗聴器を仕込んである。


 ニコラスがここまで乗り込んできた最大の理由が、それだった。盗聴器の電波が届くところまで、近づかねばならなかったのである。


「これまでの会話はすべてリアルタイムで全世界に報道させてもらった。ついでに今撮ってる映像もな。そんなに自分が正義だと信じたいなら、皆に聞いてみろよ。この国は民主主義の国なんだからな」


 ハウンドが考案し、ニコラスは細工した、アーサー・フォレスターだけを殺す弾。

 これこそが、三枚目の切り札だった。


 銀の弾丸は放たれた。

 獲物自らの言葉を糧として、過たずその心臓を撃ち抜いた。


「知ってるか。現実の戦場じゃな、一騎打ちなんて西部劇みたいなことは起きないんだ。初陣のあんたには分からなかったみたいだが。狙撃手の俺が、そういう勝負を仕掛けてきた時点で、疑うべきだったな。

 ここがテメエの墓穴だ、アーサー・フォレスター。自分で掘ったんだ。大人しく入りやがれ、墓荒らし」

長らくお待たせしました。

本作一番の見せ場を書き上げることができ、安堵しています。


次の投稿日は、4月25日(金)です。

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ハフハフ(白飯を掻っ込む音)
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