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2-5

『ニコラスに侵入者(SOG)を迎撃させる? ふざけてるのか』


 なんかマズいことになってんな。

 ニコラスは通話越しに繰り広げられるハウンドと五大当主たちの攻防に困惑しつつも、次の対処を考えていた。


『意味が分からん。迎撃なら統治者の私の仕事だ。そもそもなんでお前の指図を受けなきゃならないんだ』


『元はと言えば、テメエの部下がFBIもどきを逃がしたのが原因だろ。落とし前はつけろ。ボスってのはそういうもんだ』


 声からして40代と見られる男性は尊大に言ってのけるが、ハウンドは鼻で嗤った。


『そいつは猿山の管理の仕方か? 生憎とうちの領内にいるのは全員人間だ』


『はっ、棄民にちやほやされていい気になってんじゃねえよ小娘が。どのみち特区設立以来、初めてUSSA襲撃の口実を与えたんだ。お前が落とし前をつけないのなら俺がつける』


『だから戻るって言ってんだろ。なんで私はここで待機で、ニコが迎撃なんだ』


『統治者は部下に任せてどっしり構えてるもんだ』


『さっきまで統治者として認めないっつったの誰だっけ。若年性認知症か?』


『何だとテメエ!?』


 沸点の低い野郎だ。


――恐らく嫌がらせなんだろうが、ハウンド不在となるとちょっと洒落にならないな。


 物騒極まりない口喧嘩を聞き流し、ニコラスがメモ用紙を探して片手を彷徨わせると、脇からジェーンがさっとマジックペンとノートを差し出してくれた。賢い子だ。


 ニコラスはノートに、先ほど出した指示と合わせて追加の指示を詳細に書き、店長とクロードを手招きして渡す。

 反抗的な態度だった住民も今や素直に従ってくれている。ただならぬ事態であることと、先ほどクレイモア地雷を解除したことで少しは信頼してくれたようだ。イラクで嫌というほど即席爆弾(IED)の処理をやってきた甲斐があった。


 しかし、ハウンド側の旗色は芳しくない。

 中年と言い争いを続けるハウンドの元に、軽薄な若い男の声が間に入った。


『まあまあヘル。俺としても君にはここにいて欲しいかなー。統治者ってのは前線に出ないものだし、第一あぶないでしょ? ヴァレーリ(うち)からも部隊出してあげるからさ、ね?』


『へえ。タダで?』


『うーん。そこはお駄賃ちょっともらうかなぁ。あ、でもロバーチほどぼったくりはしないよ』


『500万ドルでどうだ。同盟関係のよしみで半額にしてやる』


『馬鹿か。んな金がどこにある。何のためにお前らから武器買ったと思ってんだ』


 遠雷が如き低く轟く男声に噛みつくハウンドを、今度は艶のある女声がたしなめた。これで五家のうち四家か。


『落ち着きな代行屋。ともかく今回おたくの部下がしでかした不始末はあたしらで対処してやるよ。お前には色々と世話になってるしね。部隊を出すのはうちと、坊やたちのとこで――』


「ハウンド」


 ニコラスは控えめに、だがしっかりとした口調で割り込んだ。けれど、返ってきたのは相棒ではなく中年の怒声だった。


『誰が口をきいていいと言った三下。出しゃばってんじゃ――』


「うるせえぞ。どこの誰かは知らんがすっこんでろ。お前に用はない」


 ふつ、と通話が途切れた。数秒後、破裂寸前の唸り声が響く。


『……おい、誰に向かって言ってる?』


「いま俺に向かって口をきいた奴にだよ。俺はハウンドの部下だ。それ以外の奴の指図は受けん」


 周囲のクロードら住民が真っ青な顔で手を振り回し黙ってろと言うが、ニコラスは黙らない。

 彼女には拾ってもらった恩がある。借りたものは返す。


 第一、まだ18のハウンドが名だたるマフィアの元に単身乗り込んでいるのだ。電話越しの大の大人がビビるわけにはいかない。こっちにだって最低限の意地はある。


「とりあえず、俺が偽物FBIを逃がしたのが今回の襲撃の原因なんだろ? 俺は構わない」


『本気で言ってるのか?』


 ようやく返ってきたハウンドの声に安堵の一息をつき、頷く。


「お前の命令なら」


『はっ、こいつは大きく出たな』


『おやおや。これはなかなか威勢のいい坊やだね』


『ええー、俺のとこの部隊の方が良くない?』


『海兵隊、勝算はあるのか?』


 こいつら俺の素性を知ってるのか。ニコラスは最後に問うてきた一際低い声の主(確かロバーチ当主だ)に「それなりに」と返す。


「相応の準備はしてある。あとはハウンドの指示を待つだけだ」


『ほう。言ってみろ』


「なぜ?」


 またもや沈黙が降りる。こちらを見守る住民の顔はすでに死人のようだ。


『……なぜ、とは』


「機密情報をどこの誰かも分からん奴にしゃべるかよ。ハウンドにだけ話す」


『へえー、俺ら五大の現当主だけど?』


「それがなんだ。お前らは俺の指揮官じゃない」


 軽薄な声もぴしゃりと跳ね除けたニコラスは、辛抱強く少女の声を待つ。すると、ザザッとこすれる音ともに待望の声が聞こえた。


『今スピーカーモード切った。で、本当に大丈夫なの、ニコ』


「ああ」


 耳からスマートフォンを離し、住民を振り返る。


「各班、配置は?」


「い、一応済んだ」


(トラップ)は?」


「いま少年団のガキどもと一緒に急ピッチで進めてる。あと一時間あれば完成だ」


「整備は?」


「ばっちりだぜ!」


「回線は?」


「今のところ問題ありません」


 住民の返答に満足したニコラスは概要を説明する。


「とりあえず整備は小銃、機関銃、散弾銃は完了。RPGと無反動砲(グスタフ)は予備弾も含めて五挺ずつ、照明弾と迫撃砲も用意しておいた。こっちは総勢200人前後だから班分けは10人ずつ、20班を街の各位置に配置してある。配置に関しては俺が勝手に選んだ。不満があったら言ってくれ。あと街の各所にブービートラップを仕込んである。多少、建物にも被害が出るだろうが全部を作動させる気はないし、住民の避難はすでに完了してる。トラップによる人的被害はほぼないと思ってくれていい。あと今お前んとこの情報班に通信士のやり方を指導してる。初めてだからボロは出ると思うが、その辺の補佐は――」


『ちょっと待った』


 真剣な声色のハウンドに、ニコラスは口を閉ざす。何かマズかっただろうか。


「どうした。狙撃手不足なら、俺が何とか埋めるから――」


『いや、そうじゃなくて。それ、どこまで進んだ?』


「大体ほぼ完了してるが……」


『ワーオ』


 ハウンドは嬉しげに弾んだ調子で言った。ニコラスに対してではない。


『だってさ。どうよ。うちの助手、超有能だろ?』


 胸をそらさんばかりの自慢げな声に、思考が停止する。


「ハウンド、今の会話……」


『おう! ばっちり五大に聞かせたぞ~』


「馬鹿かお前! 何のために人ばらい頼んだと思ってやがるっ」


『だってうちの子自慢はしたいでしょ~。いやぁずっとしたかったんだよね~。あ、部隊の座標こっちにも送信しといて。これなら私が戻るより、こっちで統制してフォロー入れた方が良さげだし』


「……ハウンド、本当に俺でいいのか?」


『もちろん! これ以上の適任ほかにいないっしょ』


 それならいいが。


 ほっと肩の力を抜くと、聞き慣れない老人のしゃがれ声が聞こえた。ずっと無言だった五番目の当主だ。


『若者よ、名は何という?』


 峻厳な声に、ニコラスの背筋が自然と伸びた。そうさせるだけの得も言われぬ威厳があった。


「元海兵隊、第一武装偵察部隊所属、ニコラス・ウェッブだ」


武装偵察部隊(フォース・リーコン)……なるほど、先駆の兵か。道理で。では尖兵よ、最善を尽くせ。失敗は許さぬ』


 声はそれで途切れ、次いでハウンドが引き継いだ。


『というわけで。またあとで連絡するからよろしくね~』


「おう」


 通話が終わり、大きく溜息を吐いて振り返れば、こちらを凝視する住民たちがいてニコラスはぎょっとする。


「なんだよ」


「いや、お前さんほんとすげえな」


「? このぐらいは普通するだろ。相手はあのSOGだぞ」


 SOGは元特殊部隊員で構成されるエリート中のエリート部隊、USSAの切り札ともいうべき最強の準軍事組織だ。こんな準備では到底足りない、とニコラスは思っている。


 と、返すと住民らは集まり、「こいつはとんでもねえ大物が来たな」とひそひそ話を始めたが、肝心のニコラスは聞いていない。


――民兵だけで、どこまで持ち堪えられるか。


 いや。持ち堪えるだけでは駄目だ。負けないではなく、勝たなければハウンドや27番地の立場が危うくなる。


 すべては自分が偽FBIを逃がしたせいでこうなったのだ。


「……責任は取らねえとな」


 虚空の先にまだ見ぬ敵を見据える、その双眸が斜光を反射して金色に煌めく。




 ***




 始めは、なんて無知で無垢な子なんだろうと思った。


()()、どこへ行くんですか?」


 深夜。人気が霧散した街を歩む己の背後には、軽い足音がカルガモの雛のようについてくる。


 ニコラスは答えない。すると子供は呼び方が悪かったと思ったのか、もっとおぞましい言葉で呼び始めた。


英雄(ヒーロー)、どこへ向かうんですか? 自分、案内できます」


 そう呼べば喜ぶと思ったのだろうか。吐き気がする。


 今すぐどこかへ逃げ出したかった。耳を塞いでその場に蹲りたかった。


 自分を慕う純粋な好意が怖かった。上半身が吹き飛んだ母親の遺骸の脇で立ち尽くす幼子と同年代の子供が、親友の死から目を背け続ける自分に「逃げるな」と追いかけてきているようで、それが恐ろしくて堪らなかった。


「英雄――」


「やめろ」


 ニコラスの言葉に、びくりと強張った気配がした。


「……悪い。俺をそんな風に呼ばないでくれ。頼むから」


「ですが助けて欲しい時、助けてくれるのが英雄と聞きました」


 恐る恐る振り返る。深緑の双眸が真っ直ぐに己を見上げていた。


 無垢なのに、酸いも甘いも嚙み分けたような、歳にそぐわぬ成熟した清冽な眼差しが息をのむ。


「誰も助けてくれなかった。でもあなたは助けてくれました。自分にとっては、あなたこそが英雄なんです」


 ニコラスは無言のまま前に向き直り、のろのろと歩を進めた。返答すらできない己の臆病さに消えたくなる。だがいくら考えても、どう返せば正解なのか分からず、ついぞ返事をすることはなかった。


 子供はもう何も言わなかった。


 監視ポイントから八キロ。とある廃墟についたニコラスは、瓦礫混じりの砂山を掻き分け、埋まっていた防水シートを引っ張る。

 現れたのはM1030・M2偵察用オートバイだ。ニコラスが所属する偵察部隊(STA)は、イラクの各所にこうして補給物資や()を隠している。


「乗れ」


 子供は無言で従った。背が足りないので途中でニコラスが抱え上げたが、その浮き出た肋骨にますます気分が沈む。


 エンジンをかけ、無点灯のまま月明かりを頼りに夜道を走る。


 任務を放棄しての単独行動、脱走と見られてもおかしくない軍規違反行為だった。発覚すれば懲戒処分は免れない。

 けれど、ニコラスは一向に構わなかった。ともかく遠く離れた場所に子供を連れていきたかった――否、捨てたかった。


 二時間後、とある山岳地帯に入った。ニコラスはオートバイから降り、山道を歩いた。子供も無言でついてくる。


 三十分も歩かぬうちに、ニコラスは足を止めた。子供も足を止めた。

 囲まれている。七、八人はいるだろうか。


「合衆国海兵隊の『アルゴス』一等兵だ。リーダーはいるか?」


 アラビア語でニコラスが怒鳴ると、暗闇の中からひとり人影が蠢いた。


 夜目に慣れているニコラスの目には、長身で痩せた険しい顔の男が見てとれた。顔の彫りは深いがゲルマン系の自分ほど角ばった印象はない。


 クルド人民防衛部隊(YPG)

 国家を持たない世界最大の民族とされるクルド人によって結成された組織で、彼らと合衆国は協力体制にある。今は。


「要件は?」


 男は訛りの強い英語からぶっきらぼうに言った。言葉の節々から敵意がほとばしっていたが、ニコラスは黙ってそれを受け入れる。


 と、その時、ニコラスの前に子供がパッと飛び出した。すぐさま男と周囲のYPG隊員が銃を向けるが、相手が子供と分かると微かな呻き声が上がった。


 ニコラスは子供を陰に隠そうとしたが、子供は頑として退かない。男はより一層目を鋭くした。


「この子は何だ?」


「今日拾った子だ。そのことで頼みがある」


 ニコラスは殺気立つ子供をなだめるべく小さくか細い肩をそろりと撫でた。ピクリと跳ね上がったのが指先越しに分かった。


「この子を預かってほしい」


「――え」


 茫然と声が漏れ出たが、ニコラスは反応しなかった。


 俺に、この子は救えない。


「頼む。この子を助けてやってくれ」


「それは――」


「ま、まって」


 男の声を遮って子供がニコラスにしがみついた。手と声が小刻みに震えていた。


「自分は現地の言葉を話せます。通訳できます。訓練だってずっとしてきました。自分は戦えます」


「駄目だ。お前は彼らと合流しろ。金ぐらいは俺が――」


「いりませんっ!!」


 突如、大声を出した子供に息をのんだ。血を吐くような声とはこういう声を言うのか。


「潜入でも地雷除去でも何でもやります! 自爆突入だってやってみせます! 戦えますっ、自分はまだ、たたかえます……!」


「お前、」


「おねがいです」


 おいていかないで。


 俯いた子供の頬を雫が流れ落ちる。嗚咽はない。しゃくりあげるような、呻きに似た、必死で不器用な泣き方だった。


「ひとりにしないで……ッ」


 その瞬間、ニコラスは理解した。


 無知で純粋な子なんかじゃない。この子は迷子だ。俺についてきたのは、俺以外に縋れる相手がいなかったから。俺を英雄と呼んだのは棄てられたくなかったから。


――この子は俺だ。


 戦友を失い、祖国に見放され、何もかもから棄てられ独り戦場を彷徨う俺と、同類の。


 気が付くとかがんでいた。恐々と手を伸ばして、子供の涙をぬぐっていた。


「泣くな」


 けれど子供は一向に泣き止まず、そろりと手を伸ばして抱きしめてみた。爪の剥げた小さな手が引っ掻き寄せるように戦闘服を掴む。

 自分より速く鳴る鼓動に、懸命に生きもがく生命を感じた。


 今の己の心臓ができるまで、あと少し。

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